第5話 第四の夕べ
明くる日のこと、男たちが数人王子のお屋敷を訪れます。これらはみな、遠方に住まう王子のご友人で、王子は大層喜ばれ、これを歓迎いたしました。まだ昼間の日の高いうちから、豪勢な食事を取り揃えて彼らの長旅をねぎらい、特に麗しい奴隷女共の管楽と舞踊とでこれをもてなしたのでございます。賑やかな歓楽の声はそれこそ、天にまで届くものだったとか。
さて、彼らの中に一人、詩吟に優れた者がおりました。宴も盛り上がり、日も傾きだした頃、随分と酔いも回ったせいかその詩人が講釈をぶちだすのでございました。
「昨今の詩歌は目に余る。誰も彼もが皆一様の歌を歌い、目新しいものなど何一つ生まれてはこない。願わくば誰か、未だかつて聞いたことのないような、それこそ目も覚めるような逸品を披露してくれないものだろうか。そうして詩歌の文化にも未来があると教えてくれないものだろうか」
これを聞いて王子は、
「客人の望みを満たすのは主人の役目。その願い、すぐにでも叶えて進ぜよう」
と、仰いますと、しばし席を外したのでございました。
やがてお戻りになられた王子を見て客人は、皆それぞれに驚きました。王子が伴って参りましたのが、齢は十にも満たぬほどの、化粧もなければ装身具の一つもない、みすぼらしい少女だったからに他なりません。何故か大小二つの竪琴を抱えた娘を前に押し出して、
「今宵の客人は運が良い。この娘こそ、我が秘蔵。詩歌の未来を託すに能う者である」
と、王子が紹介なさいますと、その場はいよいよ鎮まって参ります。
娘は戸惑っている様子でしたが、王子が一言二言、何やら囁きますと、客人を見渡して一つその小さな頭を下げ、大きな方の竪琴を脇に置くと、その場にすとんと腰を落としたのでございます。それから白樺造りの小琴を抱え、大きく息を吸い込みますと、緩やかな調べに乗せて一句、短い詩句を即興で読み上げたのでございます。それは次のようなものでした。
近くて遠き 不破の隔たり
さきゆく君に 理想を見たり
追えど届かぬ
共にゆきたし 時の
これを聞いた客人は一同、むぅと唸ると押し黙ってしまいました。そんな中、件の詩人がそれを評するのは自分の役目と、口を開きます。
「いやはや、その幼さで見事なもの。過去に類を見ないとまでは言わないが、貴人への叶わぬ慕情を見事に詠み上げておる」
と、評しますと、娘は驚いてこう答えました。
「とんでもございません。これは私の、年の離れた姉を想って詠み上げたものでございます」
これを聞いた客人は一同、正に目から鱗。各々の思い違いを吹き飛ばす勢いで、この日一番の大声で大笑いされたのでございました。
さて、その後は娘を傍らに控えさせたまま、一同で双六勝負に興じられました。
白熱した勝負もいよいよ終局を迎える頃には、王子は少しばかり頭を悩まされておられました。
盤の上では王子が勝つも負けるも五分と五分。ただ、宴の主人としてそこは、花を譲るのがよかろうと思うのですが、かといって下手に手を抜くのも場を白けさせかねないと思い、思案にくれていたのでございます。
思案の末に王子は、娘を召しまして命じられました。
「世の代わりに賽を振れ。どうにも良い目が出せる気がせぬ」
と。
しかし娘は、
「恐れながらそれは出来ませぬ。勝負事とは最後まで己が手で為すべきもの。賽の一つといえど、途中で投げるものではございません。それこそ、手抜きというもの。どうぞ、ご自身の手でお振り下さい」
と言って王子をたしなめるのでした。
「良い目を出せれば褒美を取らせるぞ」
と王子が仰っても、
「悪い目を出した時の罰を恐れるわけではございませんが、それでも賽は王子殿下が振るべきであると存じます。
御主は賽を振らぬと申しますが、内々とはいえ御主の如く振る舞うは、如何に王子殿下といえど、尊大でありましょう」
と言って譲りません。
であれば、と王子は胡坐の中に娘を座らせ、その手に賽を乗せると手首ごと掴んでそのまま賽を放ったのでございました。結局その一投がこの日一番の出目となり、勝負は王子の勝ちとなったのですが、もっぱらの賞賛は幼き賽振りに送られたのでございました。
王子も上々の首尾に大変満足され、
「約束通り褒美を取らせよう。何がよいか、申してみよ」
と、問われました。娘は、
「褒美を頂くようなことは何もしておりませぬ。ですから、何も要りませぬ」
と、申すのですが、その直後、娘のお腹がくぅと小さく鳴けば、一同、先程よりも更に大きな声で笑い合うのでございました。
幸い、宴の料理はまだ幾分かございましたので、王子はそれらを好きに食べればよいとお許しになりました。
肉も魚も鳥も、あるいは焼いて、あるいは煮て、あるいは蒸してと、とりどりの料理がそこにはございました。他にもよくふくらましたパン菓子や、いまだ瑞々しく香るサラダなども並んでおり、その中から娘は何を取るのかと王子は興味深く見守っておられましたが、娘が手を伸ばしたのは、酒の肴にと用意された木の実を盛り合わせた皿でした。
これに業を煮やした王子は、しかしそれをぐっと堪えて、果物を盛った器を娘に勧めたのでございました。それはそれは見事に実った、丸々として艶やかな葡萄の一房でございました。
しかし娘は、弱り果てた顔をして、終いには申し訳なさそうに、
「それは食べたことがございません。どのようにして食べる物なのでしょうか」
と、訊ねますので、王子はまずご自身で手本を示されました。
「一粒ずつ取って口の中で潰すとよい。さすれば中身と皮とに分かれるから、皮だけこちらに吐いて捨てるとよい」
と。
娘も見様見真似でそれに倣うのですが、まずは皮の渋みに驚き顔をしかめ、しかる後に口の中に広がる瑞々しい甘さに目を見開くのでした。
娘の顔の変化に満足げな王子でしたが、流石にそろそろ宴も酣。日もとうに暮れておりますし、この後は客人と大人の付き合いもございますので、娘には、
「世はまだ客人をもてなさねばならぬから、今日は竪琴の手引きはしない。その葡萄は持って行って良いから、お前は帰れ」
と申し付けたのでございます。
娘はその言に従って、下がろうとするのですが、そこで問題が一つ。葡萄の器を持ったままでは、竪琴が持てません。
「竪琴は後で誰かに運ばせよう」
と、王子が仰いますと、娘は喜んで器を抱え、宴の席から下がったのでした。
さてさて、我が君よ。実はこの夕べの後にあったことこそ、このお話の最も肝要たるところでございまする。されど今宵は既に、いささか長く語り過ぎました。続きはまた、次の晩に。返って不眠の種を増やしてしまったことは、平に御容赦下さいませ……
二つの竪琴 谺響 @Kukri
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