第4話 第三夜
はてさて、同じ蒲団で一夜を明かした王子と娘でございますが、娘が粗相しなかったかについては、恐れながら申し上げることは出来ませぬ。
ただ、王子は娘の寝顔を眺めながら、
「これでは年端もいかぬ娘と同衾したと言われても、抗弁出来ぬ」
と、独り言ちたそうでございます。
それはさておき、昨日と同じ様に稽古に励むよう娘に申し付けますと、王子は朝も早くからお出掛けになられるのでございました。
その日は大勢の供を連れて、ニプルの山々の麓まで赴き、そこで狩りをなされました。首尾は上々、それはそれは立派な羚羊を一頭、お仕留めになられたのでございます。
されど、お屋敷に戻られた王子の顔は優れず、不思議に思った娘はその理由を尋ねたのでございます。
さすれば王子は、その理由を語られました。
「仕留めた羚羊は確かに立派だが、その後に見かけた羚羊の方が一回りも二回りも大きく、目映いばかりの真っ白な毛並みに、よく引き締まった太腿を具え、よほど立派であった。されどそちらはどう射れども矢は当たらず、どう追えども囲えず、遂には取り逃してしまった。それが残念でならない」
それを聞いて娘はこう、申しました。
「王子殿下の腕前をもってしても仕留められぬとあらば、並の羚羊ではありませぬ。それはきっと、王子殿下を見るべく遣わされた、御主の遣いに相違ございませぬ。罷り間違っても射止める訳にはいかず、逃すのが返って良かったのでございます。何故ならばかの羚羊には、王子殿下の功徳の数々を御主に報じる役目がございますゆえに」
それを聞いて王子は喜ばれながらもこう、申されました。
「しかし世には取り立てて言うほど善根を積んだ覚えはない。御遣いに矢を放った不敬が勝るやもしれぬ」
と、王子が仰いますと、娘は殊更仰々しくこう述べました。
「嗚呼なんと謙虚なるかな、我らが王子殿下は。如何に弓を引こうとも、人の放つ矢が天を射抜くことはございませぬ。届きもせぬものを咎め立てるほど、御主のお心が狭くはありませんことは、王子殿下も御存知でございましょう。
更に申せば、王子殿下が御自身の善行にお気付きあそばせぬことこそ、方々に広く知らしめるべき事柄でございましょう。それは王子殿下が何の下心もなく、有りのままで善い行いが為せる証左に他なりませぬ。」
これを聞いて王子は、それはそれは大層気分を良くされたのでございます。
さて、流石の王子もいささか狩りに精を出し過ぎたのか、身体の節々が痛むのでございました。そんな折に昨晩の話を思い出して、一通り竪琴の稽古も済んだ頃、王子は娘に肩を揉むようにお命じなさいました。
娘の小さな手が肩を揉めば凝りは解れ、とんとんと叩けば、そこから痛みが一目散に退散してゆくのでございました。さらにふくらはぎを揉ませれば、それを揉む手とどちらが柔らかいか分からぬまでに揉み解されて参ります。
しかし、背中と腰の凝りだけはどうにも一筋縄でいかないのでございました。王子の大きな背中を揉み解すには、娘の手はあまりにも小さく、非力だったのでございます。
娘の方でも、これでは全くもって効をなさぬと気付きました。思案の末に、
「失礼仕ります」
と、言うが早いか、その両の足で王子の背中に乗ったのでございます。幼き娘でも、その全体重をもってすれば流石に腰の凝りにも通じ、王子はこれに満足されたのでした。
されどその時、偶々訪れた宦官がこれを見咎めます。
「奴隷女風情が王子殿下の背に乗るとは不届き千万。叩き切ってくれるから、そこになおれ」
と、宦官が叫びますと、娘は恐れおののいて王子の背から飛び降ります。しかし王子は笑ってこう、申されたのでございます。
「男であれば女に乗ることも、乗られることもあるであろう。些事である」
と。
それでもなお宦官は不服な様子でしたが、王子が更に、
「もしもお前がそれに感謝し、敬意を示すべく、一切大地を踏まぬというのであれば、その娘を斬ればよい」
と、申しますと、宦官はそれ以上何も言えず、その場を後にしたのでございます。
事の次第に娘は怯えておりましたが、王子が先程の続きをご所望されたので、その言に従うのでございました。
足踏みしながら、娘が恐る恐る訊ねます。
「今日の分、明日はまた王子殿下が私に乗るのでございましょうか?」
これを聞いた王子は、「余計なことを言ったものだ」と、いたく頭を抱えられるのでした。しばしの黙考の後に、
「貸し付けを取り立てるにも時期がある。今日の明日で、すぐに返せと言いはせぬ。まだまだお前には重いであろう」
と、王子が答えますれば、娘は、
「では、私が姉ほどまでに育ちました日に、お返ししましょう」
と言い、王子も、
「それでよい」
と、仰るのでした。
さてさて、我が君よ。秋の実りも、太陽でさえも、やがていつかは落ちるが道理。ですからどうか、ご無理はなさらぬように。人が眠りに落ちるは天の理に反しませぬ。続きはまた、次の晩に……
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