第3話 第二夜

 さて、ナバル王子に琴の手解きを受けた娘でございますが、明くる朝王子がお目覚めなさいました頃には、部屋の隅で竪琴を抱え、涎を垂らしながら、小さな寝息を立てておりました。

 王子はこの隙にそっとご寝所を抜け出しますと、衛兵を呼び、王子の貴重なお宝の数々を収められた蔵を開けさせました。その中から一つ、白樺造りの小さく愛らしい竪琴を取り出されました。

 それから王子はご寝所に戻られますと、娘の隣にその小琴をそっと並べたのでございます。しかし折悪しく寝ぼけた娘が身を捩り、小琴は倒れ、その音で娘は目を覚ますのでした。

 傍で見守る王子に、娘は涎を拭って非礼を詫びるのですが、王子は一向にお気になさらずに、


「姉の琴ではお前の身の丈には少し、余るであろう。それをやるから、今日はここで稽古に励め。世は少し出掛けてくるが、晩には戻る。今宵もまた、お前の琴を聞かせてもらうぞ」


 と、申し付けますと、娘は答えてその場に畏まるのでした。


「仰せ承り、仰せに従います」


 それから王子は二、三の用事を済ませますと、日が最も高く昇る前にはご友人とラグリヌの河辺へと赴き、そこで日の傾くまで水遊びを楽しまれたのでございました。

 王子がお屋敷に戻られますと、ご寝所からは昨晩よりも幾分流麗となった調べが聞こえて参りました。


「やはり、あの娘の才には侮れぬものがある。食う間、寝る間を惜しんで鍛錬を積んでも、ああはいかぬ」


 と、一人得心なさるのでございました。

 さて、その晩も王子は娘に琴の手解きをなさるのでございましたが、昼間の行楽の疲れが抜けやらず、どうにも欠伸が堪えられません。いよいよ目蓋を持ち上げておくこともままならない有様でございましたので、一度は娘を下がらせようかとお考えになられたのですが、敢えてそれを思い止まり、代わりにこう告げられたのでございます。


「今宵の稽古はこれまでとして、世はそろそろ寝ようと思う。されどこのまま、お前には昨晩貸したものを返してもらおう」


 何のこととは知れずとも、娘が従わぬ訳がございません。


「仰せのままに」


 と、娘が答えますと王子は娘を蒲団の上に座らせ、ご自身も横になると、その双つ揃えた太腿の上に頭を載せられるのでございました。

 微睡みの中、王子は娘にお訊ねになり、娘はその一つ一つに答えるのでした。


「お前の姉の”黒曜の”とは、如何様な娘か?」


「年のほどは十も離れており、時折母娘と間違われることもございますが、何を隠そう、私の自慢の姉にございます。

 王子殿下ほどではございませんが、皆が言うにはなかなかに聡く、私にも様々なことを教えてくれます」


「成程。お前も幼い割になかなか口が立つと思えば、その姉あればこそ、ということか」


「左様にございます。

 また、王子殿下には遠く及びませぬが、人を思い遣る優しさも具えております」


「それはお前に対してそうでないわけがなかろう」


「勿論、他の者に対しても同様でございます。ただ、恐れ多くも申し上げますれば、事私を大事に思うことにかけては、王子殿下にも勝るとも劣らぬものがあると存じます」


「それは流石に敵わぬわ」


 王子は一つ笑って寝返りを打ちますと、大きく欠伸してからまた、このようにお訊ねになられました。


「姉はお前のことをなんと言っておる?」


「曰く、「いくつになっても一人で眠れない、仕方のない甘えん坊さん」と。されど、長く姉妹二人で暮らして参りますれば、それも致し方ないのではございませんでしょうか。

 また、晩にはよく肩を叩いて差し上げるのですが、一日の疲れもそれで全て帳消しになると、いつも褒めてくれるのでございます」


 随分と微笑ましい話に、王子は顔が緩むのが止められません。されど一つ、気にかかることもございました。


「しかしはてさて、女共にそれ程酷な務めを命じていたであろうか?」


「年長の方々が日々、如何様な務めを果たしているかは存じませぬが、我が姉に限って言えば、肩の凝る理由は務めの他にございます。なにせ、その胸に大きな荷を二つも抱えているものでございますれば」


 と、娘が申しますと、王子は諸々納得されるのでございました。

 更に娘が、


「私も早く、大きくなりとうございます。大きくなって、姉のようになりたいものでございます」


 と、申しますと、王子はこう告げられるのでございました。


「血を分けた姉妹であれば、それも難しいことではないであろう。存分に励むがいい。

 しかし、努々忘れるな。姉は何時でもお前の十年先をいくのだ」


 それから王子が顔を上げますと、その目線の真っ直ぐ先には娘の顔があり、遮る物は何一つございません。


「十年後だな」


 そう呟きますと王子は、再び目を閉じ、最後にこのように申し付けたのでございます。


「お前もそのまま寝ても構わぬが、涎は垂らしてくれるなよ」


と。

 かくて二つの竪琴は壁に立てかけられたまま、その夜は静かに更けてゆくのでございました。




 嗚呼、我が君よ。妾は我が君が如何に逞しきかを存じ奉る。故にどうぞ、ご無理はなさらぬように。目蓋如きが持ち上がらぬとて、妾は笑いは致しませぬ。続きはまた、次の晩に……

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