七、蓬莱入植


 早朝、船上から北側に向かうと、なだらかな山系を背にした豊かな平野が目のまえに広がっているのがよく分かる。海のそばまで草や木が生い茂ったままである。ほとんど人の手に触れられたことのない無垢のままの自然である。処女地といっていい。

 百艘からの船をつなぐ港は見あたらない。小さな桟橋はあっても、全体の上陸には役立ちそうもない。岸壁の水深は浅いので、大きな外航船は近寄れないからである。そこで小船を出して、岸から離れて停泊する船の最前列から順番に乗り移り、桟橋あるいは近場の岸辺から上陸する。草や木がじゃまをするので、上陸者がまとまって、まず港の足場固めから、作業を開始する。

 小さな桟橋のある辺りを中心にして、大勢の人が集合できる広場をつくるため、周りの草木を切り倒し、地面をならし、足で踏み固めているうち、上陸者の数もしだいに増えてきた。范蠶はんさんの指示で、チカミの一党から数人を選んで、先遣隊として瑞穂の郷へ遣わせることにする。かれらなら同族だから道もわかるし、ことばも通じる。人選し、出発の準備をしているあいだに、先方の瑞穂の郷より出迎えの使者があり、結局、范蠶が先遣隊をひきつれて、到着のあいさつに向かった。

 はじめて瑞穂の郷の使者を見たものは、みな一様に驚いた。なぜなら、かれらは呉越からの渡来者とかわらぬ身なりで、しかも呉越のことばを話したからである。そんななか范蠶は辛女をともない、平然として出かけた。


 海蛇うみへびは范蠶から、四千人が臨時に寝泊りできる簡易営舎と大型桟橋の建設を指示され、舟軍の兵士全員で手分けして作業の段取りにかかった。人手はじゅうぶんにある。切り取ったばかりの大振りの草木が建設資材として転用できる。

 どうやら瑞穂の郷には、これだけの人を受け入れる施設はないらしい。それ以上に、これだけの規模の移民が一気に渡来するなど前代未聞のことで、対応に窮してあたふたしている様子が見て取れた。それで業を煮やした范蠶が奥の間に乗り込んで、ちょくせつ事情説明やら、説得やらにあたったのであろう。

 あとから漏れ聞いたはなしでは、百艘の軍船と四千人の兵士を見て、外敵が攻めてきたと誤解し、郷の外事部門に注進した漁民の報告を鵜呑みにした郷長さとおさが、腰を抜かさんばかりに驚いて、急遽、使者を遣わしたというのが実情のようであった。おんな郷長である。

「なにをうろたえておる、おれだおれだ、おれが移住者を連れてきた」

 范蠶が顔をのぞかせ、ようやく収まったという。

 その割を食って、海蛇ら舟軍兵は甲冑を脱がされ、武器を剥奪されるはめに追いやられた。無用の刺激は誤解のもとだから、武器など持つなと取り上げられたのである。

 おまけに海蛇にいたっては、

「その怖い顔をなんとか優しくできないものか」

 と皮肉られるしまつである。


 ともあれ瑞穂の郷からも応援者が出て、区割りや材料調達で走り回ってくれたので、現地事情に疎い海蛇らの建築作業は大いにはかどった。通事つうじ(通訳)まで付く気の利かせようだったが、簡単な現地語ならすぐに覚えられた。かえって、なぜ呉越のことばができるのか疑問に思い、かれらにただした。答えは明確だった。瑞穂の郷は江南からの渡来人との合作集落で、その半数が渡来人の血を引いており、集落の人口は千人前後とのことである。

 通事になる人は渡来人の子孫が多く、先祖はたいてい呉越人だという。たまたま徐夷じょい族の末裔だという通事もいた。百五十年前の最初の渡来者だそうだが、みな親から口伝えに呉越語を教わり、漢字の読み書きのできるものから順に選抜されるらしい。郷長を含め、純粋な原住民で漢字の分かるものはまだいない。

范蠡はんれいさまは、どちらにおられるか」

 試しに文字に書いて問うてみた。

 そのとたん、かれらは地べたにひざまずいて、ひれ伏してしまった。そして、

「なぜ范蠡さま―范蠡仙人をごぞんじか」

 顔をひきつらせてぎゃくに問われるしまつである。

「范蠡さまは、ほとんど神に近い存在で、日ごろは郷長の府内にあるおやしろにこもられ、一般のものは簡単にはお会いできない。神仙とおぼしき高貴なお方で、仙人と呼ばれている」

 そっと、声をひそめて教えてくれた。


 夏だったから、雨露をしのぐていどの仮の営舎ですむ。にわかごしらえだったが、たちまち港の広場に住宅街ができてしまった。もっとも大部分はすぐに取り壊して入植地へ運ぶ。

 食事にしても四千人からの用意はたいへんな作業である。予定よりも早く着いたので、当分のあいだは持参した携帯食で間に合わせる。

 悠長に構えている暇はない。上陸者の人数を確認しながら、順次、入植地へ移動する手配にとりかかる。かねての計画通り職種に応じて棲み分けする。

 大多数の農民は瑞穂の郷を中心として、その周辺を流れる何本かの河川沿いに、先住者とは距離を置いて入植し、新たな耕作地・居住地の開拓にかかる。背振山地に向かって東から西へ、水争いなどのないように、余裕をもって幅広く配分しなければならない。入植地域の選定と配分は、瑞穂の郷にまかせてある。

 漁民は、接岸したこの港を中心に漁港を建設し、漁労活動に従事する。やはり従来の漁民の既得権を考慮し、かれらとぶつからないように、共存共栄できる場所の選定は、これも瑞穂の郷の判断にゆだねる。

 その他、范蠶の提案で、工商分野の専門技術者や実業経験者からなる一班を別に作り、次の展開にそなえて待機させた。まず周辺各地を視察させ、「貨殖の道」に通じる産物をみきわめ、琅琊に搬送する手立てを考えるのである。また医療衛生の分野で、各班から数名ずつ若い希望者を選抜した。実務教育を施したうえで、もとの班に戻す計画である。

 翌日から移動がはじまった。乗ってきた舟船ごとに班を編成し、まとまって移動するのだ。一班、五十から八十人。もともと血縁や地縁で構成されて乗船してきたので、小さな集落を作るには便利な数である。瑞穂の郷の役人が先導して、十班ばかり先発させる。

 操船指導で分乗した舟軍兵や五島の一党とは、港で別れる。いずれ入植地で再会しようと約束して別れたが、いい仲になっている若者たちにとってはとんだ愁嘆場である。女に引かれて兵を辞めるものもでる。成り行きにまかせた。

 東渡した四千人のうち八割方が農民で、全員を入植地へ送るのに十日ほどかかった。


 ようやく御役御免となった海蛇は、瑞穂の郷へ案内された。舟軍兵の幹部クラス五人で出向く。よほど遠いところかと思っていたが、港から半日もかからずに着いてしまった。高名な范蠡と郷長にはぜひお目通りし、不悍将軍への土産話にしようと海蛇は考えていたが、郷の入り口で息せき切って出かける様子の范蠶はんさんとぶつかってしまった。

「これはよいところで出会でおうた。わしに同道してはもらえぬか」

「なにごとですか」。

「ある入植地でいさかいごとがあり、喧嘩沙汰になりかねない。調整にゆく」

 そうと聞かされれば、黙って見過ごすわけにはいかない。

「お供します」

 海蛇は聞き入れ、連れ立ってきた五人のうちひとりに土産物などをあずけて郷に残し、舟軍兵幹部四人は、范蠶 手下てかのあとにしたがった。


 新たに選定した入植地は五十ヶ所ある。それぞれに大雑把な範囲を示して開拓を許可してあるが、厳密な測量によるものではなく、里程標を埋めて区画を明示してあるわけでもない。隣同士の所有権争いは、今後とうぜん発生することが予想されている。しかし、いまはまだ入植したばかりである。耕作地の開拓をするまえに、共同住居の建設が優先するから、境界争いはまだなかろう。あるいはすでに狩猟採集の先住者があり、それとのトラブルがおこると簡単ではない。瑞穂の郷が入植予定地のすべてを占有しているわけでもないし、力で抑えているわけでもない。切り取り自由の早いもの順にすぎない。

 武器と甲冑は召し上げられたが、海であれ陸であれ、外敵からの防備と、内部の治安維持については、いずれ問題視されることになると海蛇は予測している。そのときこそ、じぶんら舟軍兵の出番である。


 一行は川辺に沿って足早に歩いた。背振山地の北麓に向かって進む。

「舟はないのか」

 先頭をゆく范蠶が首を振った。

 川幅は小さく、水深は浅いが、流れは速かった。長江や淮河に比べるべくもない。

筏で下るには絶好だが、上りは荷物を担いで歩いた方が早そうだった

 川面が光り、虫や鳥が水の表面を掠めて飛ぶ。水中に泳ぐ魚が見えるほど透明に澄んだ流れである。川べりには色とりどりの花がひっそりとおとなしげに咲きならんでいる。

 すべてが美しく清らかに、そしてつつましやかに映えてみえる。

 海蛇は朝から歩き詰めに歩いていたが、疲れは感じなかった。上陸以来、見るもの、触れるもの、この地のなにもかもが目新しく、好ましかった。

 道の途中で、昼餉ひるげをとった。団飯トァンファン―握り飯である。

「これはうまい」

 塩をまぶしただけの、握り飯にすぎない。

「瑞穂の郷で取れた米だ。米に味があるから、おかずなしで食べられる」

 范蠶もおいしそうにほおばっている。

「こんなうまいものができるのか」

 海蛇は三つ目に手を伸ばした。


 男の早足である。日が落ちるまえに、目的地に着いた。山の北麓に近い新たな入植地である。五十人の集団が気落ちしたように、ぼうぜんとして一行を出迎えた。

「どうした。事のしだいをはなしてくれ」

 范蠶が、リーダー格の男の顔をのぞきこんでうながした。

「范蠶さま。おらあ、悔しい」

 男は老二ラオアルである。

 琅琊の治所にいた不悍のもとに怒鳴り込んできたあの元気さは、まったく失せていた。

 老二は涙のにじんだ眼をこすりこすり、いきさつを語った。


 老二を筆頭に東渡移民集団の第六班が、指定された入植地に到着したのは、出発した翌日の正午過ぎだった。二日まえのことである。前夜は野宿したのでかなり疲労しており、資財を縛った縄をほどくのももどかしく、まずは休息とばかりに、全員そろって仰向けに倒れて休んでいた。

 そこへ狩りの道具を手にした一群があらわれ、血相かえて抗議してきた。槍・・棒・投げ縄などを手にしている。引率してきた郷役人の通訳によると、こういうことらしい。

「大勢で押しよせてきて、なぜおれたちの古くからの縄張りを荒らすか。落とし前弓を払うかわりに、持ち込んだ品物を置いてさっさと出て行け、二度と来るな」

 農民といっても槍を担いで戦場に立ったことのある老二である。野伏のぶせり(野武士)まがいの狩猟族など恐れるものではない。しかし、出発まえにうるさくいわれたひとことが耳元に残っていた。

「地元民・原住民とは、ぜったいにいさかいを起こしてはならない。武器を手にしての争いなどもってのほかである。なにをいわれても反論せず。かれらのいうとおりにせよ。身に被害がおよばないように、逃げに徹して、のちに郷の外事部門に訴え出ることを忘れるな」

 ことばが通じないこともあり、はじめのうちは、ただ呆気あっけにとられていた。ことばの分かる郷の役人が出て通訳するのを聞いて、ようやく理不尽な要求であることを知ったが、出発まえの注意が思い出され、喧嘩をせずに、なんとか説得しようとしているうち口論となり、老二らが手を出さないとみてとるや、持ち込んできた資材や食糧を強奪していった。

 これが全容であるが、入植側はその夜のうちに郷に駆け込み、役所に訴えた。今朝の范蠶出動になったわけである。

「今回の事はすでに郷長の耳にもはいっており、郷長も深く心を痛めておられる。諍いを起こしてはならないという注意をしっかり守った老二らにはよく耐えてくれたと、お褒めのおことばをいただいておる。損害については郷が賠償する。かれらにたいする処罰あるいは訓導はこの范蠶にまかせてもらってあるので、今後のことについては、わしの指示にしたがってもらいたい」

「今回ははじめてということもあり、我慢したが、二度目は我慢にも限度がある」

 老二は憤懣やるかたないといった態で、范蠶に抗議した。他のものも老二に同調した。

「わしに策がある。しばし待たれよ」

 范蠶はなだめにかかり、全員に酒肴をふるまった。今朝、范蠶らが出たあと、郷の役所から第二陣が出発し、強奪されたとほとんど同じ物資一式と慰謝料がわりの酒肴が運び込まれていた。

 翌早朝、老二ほか第六班の主だったもの数名が呼び出され、同行するよう命じられた。

「これより物資を強奪したる狩猟族の山砦へ参る」

 范蠶みずから山砦へ出向く。

 海蛇ら四人と通訳の郷役人も同行する。全員丸腰である。いつのまに来たか、渡来者らしい中年のおんなが二人、胡弓を手にして一行の先頭に立っている。

「どこかでお見かけしたような」

 海蛇のつぶやきを聞いた二人は、えんぜんと微笑んだ。

「辛女さま配下、娘子軍じょうしぐんの手のものにございます」

「おお、さては山砦を突き止められたは、そなたたちであったか」

 辛女について蓬莱に渡ったおんな間諜である。

「この地でも隠密働きをなさるとは!」

 海蛇は舌を巻いた。


 山ふところに抱かれた奥深い森林に、山砦はあった。ここを根城にして、かれらは狩猟採集の原始生活をつづけている。かろうじて地元のことばは通じる。世間知らずの素朴な原始人といった態である。既得権にたいする執着は強いが、独りよがりな排他性や凶暴性はないようである。

「砦主はいるか、はなしがしたい」

 門前で声をかけると、砦主はすぐに応じた。老人である。息子の副砦主が同席した。

 理解を求め、説得を試みる。かれらの狩猟地がだれにでも開かれている共有地であること、狩猟採集だけに留まらず、農牧漁労の生活様式に転換してはどうかという誘い、このふたつである。かれはそのどちらにも反対した。もとより、簡単に合意してもらえるとは考えていないが、范蠶は砦主の目のなかに一種の怯えがあるのをみてとった。時代の流れを横目に、その流れに乗れない部族の将来にたいする漠然とした不安感が、怯えとして表出している。范蠶は、五分五分で説得できると判断した。話しているあいだも、広場のまえに、ぞろぞろと人が集まってくる。五、六十人にもなろうか。部族民の関心は高い。

「口でいっても理解してもらえぬなら、少々派手に振舞わせてもらう。お二人、こちらへ」

 娘子軍の二人をまえに出した。

「われわれは、あなたたちと争うつもりはない。話し合って納得してもらいたいだけだ。その証拠をお見せする。先回、あなたたちが来て、われわれの物資を強奪しても、われわれは誰ひとりとして手向かいしなかった。弱くて臆病だったからではない。争いたくなかったからだ。戦えば、われわれは勝つ。武器を持っても、持たなくてもかならず勝つ!」

 娘子軍の二人は、ニコニコと笑みを浮かばせている。変哲のない小柄な中年女性である。

「どなたでもよい。この二人にうちかかってみられい。素手でもよい。武器を持ってもよい。さあ、いかがかな。みごと、打ち負かせられるか」

 意表をついた申し出である。元気のいい若者が飛び出した。

「けがしても知らねぇからな」

 いきなり拳を振り上げて、ひとりの女に殴りかかった。もうひとりは広場の隅に退いた。

 女はヒョイヒョイとからだでかわし、若者が殴りあぐねた隙をついて、足を払った。若者は転倒した。すぐに立ち上がった。そこをまたすくわれた。ふたたび転倒した。

「ええい、おれがやる」

 図体の大きな男が、棍棒をもってまえに出た。もうひとりの女が、相手に立った。しばらく睨みあっていたが、男は棍棒を頭上で振り回し、威嚇した。女は自然体のまま、その場で軽くスキップした。男は棍棒を振り下ろした。一歩退いた女は、振り下ろされた棍棒のうえを跳躍し、足のかかとで、男のあごを蹴った。男はもんどりうって、ひっくり返った。

 一瞬のできごとである。観衆は拍手も忘れて、互いの顔を見つめあった。

 ふたりの女は軽く礼をして一度下がったが、田植えの身なりですぐに再登場した。なにごとかと観衆は固唾を飲んで見守った。しわぶきひとつ聞こえない。

 ふたりは大きな籠を手に提げている。

「先日、われわれのところから強奪していったものを使わせていただく。種もみだ。このままでは食べられもしないが、上手に育てれば、貴重な食糧に変化する」

 いわば舞踊劇である。

 たったいま大の男を手玉に取ったふたりが、こんどはたおやかな乙女に化け、胡弓の音に乗って、田植え踊りを舞ってみせる。

 

  春、種もみを蒔き、育った苗で田植えをする。

  梅雨の季節、青々と茎が伸びる。

  やがて夏のころ、稲の花が咲き、実がなりだす。

  秋、黄金色の穂が風に揺れて鈴のような音色を聞かせてくれる。

 

季節とともに変化する過程と、種まき・田植えにはじまり、草取りから稲刈り・脱穀・乾燥・もみすりまでの一連の作業を、それぞれ絵に描いて紹介し、その流れを踊りで説明してみせる。そしてはじめの種もみとできあがった玄米を手にとって比べさせるころには、米が炊き上がっている。広場にご飯の炊き上がった匂いが蔓延する。

 ひと口食べれば、違いが分かる。うまい!

 転がされたふたりの男が、さきを争ってお代わりを求める。これがきっかけとなり、あとはわれもわれもで、広場はにぎやかに沸き立つ。

 ここで范蠶は、ふたたび水稲耕作の意義と共同開拓の提案をする。

「種もみは提供する。作り方は教える。山を降りて、一緒に開拓しよう。自給分以上に収穫があれば買い上げる。飢える心配がなくなる。生活が豊かになる」


 一泊した翌朝、息子にともなわれて砦主が足をはこび、范蠶に頭を下げた。

「はなしはよく分かった。みなを連れて山を降りる。もはやわしは老いたで身をひき、あとはせがれにまかせる。みなかな集の暮らし向きがよくなるよう、ご指導賜わりたい。瑞穂の郷長には会わす顔もないが、末永くよろしく頼むとお伝えいただきたい。それから、詳しくは存ぜぬが范蠡はんれい仙人のお噂も耳にしている。できることなら范蠡仙人にあやかりたいものじゃ」

「よくぞご決心いただきました。みなで力をあわせ、集落連合をつくりましょう。なに、老いも若きも気持ちしだい。みなのことを思い、健康に生きれば、百歳も二百歳も同じこと。ほれこのとおり」

 范蠶はぺろっと顔をなでた。三十歳の范蠶はんさんが、二百歳の范蠡はんれいの顔になった。つぎの瞬間にはもとの范蠶に戻っていた。


      ◇ ◇ ◇


「入植が定着するまでは各地でさまざまな出来事があり、忙しく飛び回っていましたが、ほぼ一段落したと思ったので、帰国したいと范蠶どのに申し入れました。越国の行く末や大将のことが気がかりでしたから、むりにでもとお願いしました。范蠶どのは、こころよく許してくれましたが、あいにく風の向きが反対で、風待ちをしているうちに数ヶ月過ぎ、はじめの出航から半年経ったいま、ようやく帰着したしだいです」

 海蛇は蓬莱での顛末を語ったあと、あらためて不悍に帰任のあいさつをした。

ただの荒くれで言葉遣いもぞんざいだった海蛇が、しっかりした口調であいさつを締めたのである。不悍は見直す思いで、まじまじと海蛇を見つめた。

「それで、范蠡どの―范蠡仙人や郷長にはお会いできたのか」

 不悍にはいまひとつ懸案が残っている。范蠡伝来の稲作委託栽培方式の実行である。合作の相手を確認しておかねばならない。

「それが、おふたりとも体調がすぐれず、結局、お目どおりはかないませんでした。ことに郷長のお加減が重篤で、付きっきりで看病されていた辛女さまが養女となられた由」

「なんと、辛女が養女に。他にお世継ぎはおられぬのか」

「郷長は生涯独身の巫女でしたから、他にお子はございません」

「ならば、ゆくゆくは辛女が郷長となるか」

「いや、もはや郷ではございませぬ。もともとの瑞穂の郷は千人。今回の渡来者が四千人。さらに狩猟族ら周辺民族の帰順が引きも切らず千人。合わせて六千人の大所帯となり申した。単体集落の瑞穂の郷はいまや、集落連合と化し、これを『瑞穂のくに』と呼ぶようになりました」

「無防備ではくにの境で争いが起こる。備えはあるのか」

「われわれが渡来した当座は、敵の来襲かと慌てふためいた態にて、その後しばらくは武器の携行すら禁じられておりましたが、さすが六千人の『くに』ともなれば、無防備では示しがつきません。内の治安、外からの防衛、これにたいする最低限の備えをいたすよう、范蠶どのより水陸軍の創設を命じられました。なに、無聊をかこっていたわが舟軍を復活させればそれで済むこと、チカミから五島の海人にも声をかけてもらい、いまや蓬莱一の軍団が誕生しました。琅琊の例にならい、陸は屯田、海は漁労と漕運を兼ねさせ、兵士といえど、つねに鋤鍬や網綱を手離さぬこころがけにて、かのくにの民百姓から喜ばれております。すべてが范蠡仙人、いや范蠶どのの手の内にあるものかと推察されます」

「ふむ、范蠡仙人と范蠶どのか。范蠶どのが、いずれ范蠡翁を継ぐものと思うておったが、むしろ范蠡翁が范蠶どのの生き身をかりて尸解しかいしておるのやも知れぬ」

「シカイでございますか」

「方術に尸解しかい仙という術がある。人が死んで魂は身から抜け出し浮遊するが、抜け殻となったその身は朽ち果てず、生きているかのごときまま残る。浮遊した魂は人の身をかりて再生できる。多くは若い身をかりるから、一見若返ったように見えるが、人の身をかりているのだ。不老長生、千年生きられると、聞いたことがある」

「だとするとその間、身をかりられた范蠶どのはどうされているのですか」

「脳は眠った状態で、身は范蠡翁の意志のままに動いているから、その間の行動は、范蠡翁の抜け出たあとも己が行動として記憶に残る。つまり傍目はためには范蠶どの自身の行動として映る」

「范蠡仙人の意志のままに行動すれば、超人的な働きができるのではありませんか」

「このたびの蓬莱における范蠶どのの行動を思い出してみてはどうか」

 いわれて海蛇は回想してみた。しかし超人的ではあったが、范蠶自身の行動であることに疑問はなかった。また不悍のいうとおりだったとしても、范蠶が范蠡の名を踏襲したとすれば、范蠡の行動事歴として残るから矛盾は生じないのではないか。海蛇の頭脳は、複雑な思考に耐えない。范蠶が范蠡の域に達し、その名と事業を継承したのだと思った。

 不悍はすでに割り切って考えているらしく、それ以上は話題にしなかった。

「ところで蓬莱というは、まこと神仙のおわす不老不死の霊地であったか。この琅琊をゆるぎない港市国家として独立させた暁には、ぜひにもとぶらうてみたいものよ。不二ふじという蓬莱の神山があると聞く。そのふもとの霊水を飲んで、不老不死の霊験にあやかりたいものよ」


 その夜、不悍の夢に辛女があらわれた。昔ながらの辛女に違いなかった。

「不悍公子、ごきげんようお過ごしですか。辛女は蓬莱の地『瑞穂のくに』にて、巫女として稲作づくりのお役に立ちたいと『くにおさ』をお引き受けしました。また公子のご賢察どおり、范蠶どのが范蠡翁をお継ぎになりました。こののちもなお、越の民に困難が降りかかり、進退に窮することあれば、心にみたび、范蠡の名をお呼びください。かならずや方策をもって范蠡が参上つかまつります」

 ――いずれは、わしも東海を踏むか。

 暁に残月を見て、阿嬌とふたり東海を渡る。

 夢でしか阿嬌に会えないのか!

 ――范蠡、阿嬌をかえしてくれ。

 不悍は、みたび范蠡の名を呼んだ。范蠡が応じた。

 ――蓬莱へお越しください。蓬莱の地で、阿嬌がいつまでもお待ちしております。

 范蠡と辛女と阿嬌が、朝焼けの有明海の桟橋に立ち、不悍を出迎えている。

 ――この夢を、いつかうつつにかえてみせる。

 不悍は、夢に誓った。


       ◇ ◇ ◇


 琅琊が併呑されたのは、前二四四年、楚の考烈王のときである。無彊むきょう)の死から百年ちかい歳月が流れていた。

 越は江南の海浜に、楚の属国として名のみ残った。王あるいは君を自称し、一族の子孫が争い立って過去の遺産を食い潰した。最終的に消滅するのは前二二二年である。楚はその前年に滅んでいる。

 秦王政のもと、将軍 王翦おうせんが江南を攻略、会稽に越君を破った。秦はこの地に会稽郡をおいた。翌年、斉が滅び、秦は中原を統一する。

 秦王政は始皇帝と称し、天下に号令した。


 徐夷族の末裔 徐福じょふくが船団をひきい、有明海に浮かんだのは、范蠶はんさん東渡の百二十年後である。日本は、弥生時代にはいっていた。


              (完)


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越王の裔 東海を踏む ははそ しげき @pyhosa

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