ボクたちに訪れた春

白みみ うさぎ

第1話

 まだ少年が幼かった頃、よくこの公園に来ていました。

 隣にはいつも、当時ものすごく仲の良かった少女が居ました。

 二人はいつも一緒でした。幼稚園の時から大の仲良しであり、ケンカなど一度もしたことがありませんでした。

「みなみちゃん。ぼく、みなみちゃんのことが、す、す……」

「わたしも、ゆうくんのことが、すきだよっ」

 今思い返せば、それは幼い頃にありがちな告白だったのかもしれません。

 しかし、その想いは本物でした。なぜなら、二人とも顔が真っ赤だったのですから。

「ゆうくん。しょうらいはけっこんして、ずっといっしょにいようね?」

「うん。ぜったいにみなみちゃんとけっこんする!」

 二人で一緒に遊ぶたび、このようなことを毎回言っていました。その様子を、互いの母親は好ましく見守っていたのです。母親同士も古くからの親友で仲が良く、

「私達の孫がどんな子になるのか楽しみね」

という会話をしていたそうです。

 しかし、運命とは時に残酷なものです。この二人が結ばれることは無くなってしまうのですから。


 それは少年が小学二年の時でした。

「実菜美ちゃんが入院するらしいの。お母さん、今からお見舞いに行ってくるけど、一緒に来る?」

「友達と野球する約束してるから、いい」

 その頃、少年には『入院』という言葉の本当の意味が分からなかったようなのです。また、友達の約束をすっぽかして女の子の所に行くのに、すこし恥ずかしい感じもしていたのです。

 その時のことを少年が後悔するようになったのは、だいぶ時間がたってからでした。

 そうやって少年が自分の時間を子供なりに楽しんでいる間に、運命の日が少しずつ近づいていました。

 そして、ついに雪の多い冬の季節に、運命の日がやってきたのです。

 その日、少年は母親に連れられて、実菜美ちゃんの家に行きました。

 実菜美ちゃんの家には大勢の大人がいて、まるで別世界のようでした。

 そこに集まった大人たちは皆、泣いていました。

 少年の母親も泣いていました。

 しかし、少年には大人たちが泣いている理由が理解出来ませんでした。

「ねえ、なんでみんな泣いてるの?」

 少年は母親にそっと聞きます。

「実菜美ちゃんが、もう起きられないからよ」

 母親が少年に説明します。しかし、少年にはいまいち理解出来ません。子供心に、起きられないのって嫌だなあ、と思っただけでした。

 やがて、実菜美ちゃんが棺に納められ、運ばれてゆく時が来ました。

「もう会えなくなるから、しっかりと見送りなさい」

 母親に言われて、少年はしっかりとその光景を目に焼き付けました。その時は、これが実菜美ちゃんとの永遠の別れになるとも知らずに。

 無理もないのかも知れません。少年には、まだ『死』という言葉を理解するには早すぎたのかのでしょう。しかし、無知というのは、時には罪となるのです。

 ――なんで一度くらいお見舞いに行かなかったのか。

 ――あんなに仲が良かったのに、なんで無関心な態度をとったのか。

 少年は後に大変後悔することとなったのです。

 別れの日が過ぎた後も、少年は実菜美ちゃんの行方を母親に聞いたことがありました。

「実菜美ちゃんはね、お星様になったんだよ」

 母親は少年に聞かれるたび、そう答えました。しかし、夜に空を見ても、実菜美ちゃんの姿が見えません。

 ――本当にいなくなったんだ。もう会えないんだ。

 やっと少年は現実を知り、初めて泣きました。

 しかし、記憶は風化していくものです。日々の生活に埋もれるうちに、少年は実菜美ちゃんを思い出すことが少なくなりました。

 そして、実菜美ちゃんが少年の中から消えていくと同時に、少年からも笑顔が消えていきました。

 そして、小学三年になる頃、少年は全く笑わない子供となりました。


*****


「ねえお母さん、あの人また居るよ」

「指を指すんじゃありません。早く行くわよ」

 ぼうっと立っている中学生ぐらいの少年の横を、一組の親子が通り過ぎていきます。

 雪の舞う公園で、傘も差さずに立っていては、誰もが警戒するはずです。

 しかし、少年は周囲のことが気にならないのか、無反応でした。

 体に雪がうっすらと積もっても気にする素振りも見せません。それがますます不気味なようで、誰も近づこうとしません。

 そして誰もが居なくなり、やがて夜の静寂が訪れる頃、少年はようやく動きました。

「もうこんな時間か」

 少年は公園の時計を見て呟いた。少年にとって、この公園で何もせずにぼうっと立っている事は、すでに習慣となっているのです。

 少年にとってこの公園は因縁の場所です。幼少時代、かつて仲の良かった少女とともに過ごした土地なのです。

 少年の意識にはかつての思い出はありません。しかし心の奥底に眠る記憶が呼び寄せるのか、少年は気が付けばいつもこの公園に居ました。

「本当に、俺って何やってんだろう」

 少年は体に着いた雪を払い落とし、ようやく公園を立ち去ります。

 そして次の日の夕方も、少年はまた公園で立ち尽くしているのです。

 まるで何かに引かれるように、何かを待つように…。


 今日も少年は公園に来ていました。

 しかし、今日はいつもと違っています。少年がいつも居るところに、ある少女が居たのです。

「…みなみちゃん?」

 少年はその少女に声をかけました。何故会ったこともない人に「みなみちゃん」と呼びかけたのか、少年にもわかりません。ただ、なんだか懐かしくて、気がつけば自然に呼びかけていたのです。

「…あなたは? 何で私の名前を知ってるの?」

 少女は少年に尋ねます。当然でしょう。いきなり知らない人に名前を呼ばれたら、誰だって不思議に思います。

 しかし、少年は答えることが出来ません。無意識の発言だったので、理由を説明することが出来ないのです。

「まあいいわ。そういえばあなた、毎日ここに一人で居るけど、何かあるの?」

「…いや、何も無い」

 さらに少女は少年に質問をあびせますが、少年は少女の問いに答えられません。

 気がつけばなんとなく来ているとしか言えません。少年にも、理由が分からないのですから。

 それはともかく、これが少年と少女の最初の出会いでした。


 それ以来、少年と少女は何度も公園で会いました。

 学校では友達がほとんどいない少年にとって、少女とのおしゃべりは楽しい時間でした。もし、その様子を中学の同級生が見たら、びっくりするでしょう。普段全く笑わない少年が、ここでは楽しそうにしているのですから。

 少年も、自分自身がいつの間にか笑っているのに気付いたことが何度もあります。

「雄くん、今日私の学校でこんなことがあったんだよ…」

「…へえ、実奈美ちゃんの学校って楽しそうだなあ」

 そして、このようにお互いを名前で呼び合うまで親しくなっていたのです。

 しかし、少年がだんだん元気になるのと反対に、少女の元気が少しずつなくなっているようでした。

 そしてある日、少女は公園に来なくなりました。

 少年はすごく気になっていましたが、住所も分からないので、どうすることもできませんでした。


 少年が再び少女と再会したのは、ある病院でした。

 少年は体育の授業でケガをして病院に連れてこられた時、廊下で少女とバッタリ出会いました。

 少女は少年が病院に運ばれてきたことに驚いていましたが、少年もまさか少女が入院してるとは思わなかったので驚きを隠せませんでした。

 それからは少年は、ケガが治ってからも病院へ少女のお見舞いに行くようになりました。

「雄くんゴメンね、急に入院することになって…」

「いいよ、こうやってまた会えたし。しっかり病気を治そう」

「毎日来てくれるのは嬉しいけど、無理しないでね。雄くんの予定を優先していいから」

 少女はこう言いますが、少年は毎日少女のお見舞いに来ていました。理由はわかりませんが、何故か来なければいけない気がしたのです。

 もちろん少女との会話は楽しく、少年はお見舞いの時間を楽しみにしていました。

 しかし、少女の病気はあまり良くならないようでした。

 そして、ある日少年がいつものようにお見舞いに行くと、少女は病室に居ませんでした。

 どうやら病気が急に悪くなったようで、急いで手術をすることになったのです。

 少年は手術室の前に駆けつけると、少女の両親がいました。

「君が雄くんね? 娘がいつも君の話をしていたわ」

 少女の母親が少年に話しかけました。

「どうも。それで、実奈美ちゃんの具合はどうなんですか?」

 少年は少女のことがすごく気になっていたので、少女の両親に質問しました。

「あまり良くはないよ。今は手術が成功するのを祈るしかない」

 少女の父親が答えました。

「…じゃあ、俺も実奈美ちゃんの手術が成功するのをずっと祈ります」

 少年はそう言って、手術室の前で待ち続けました。


 そのまま時間が過ぎ、やがて手術室のランプが消えました。

 どうやら手術は成功したようで、少女の両親は大変喜びました。

 しかし、少年の喜びもそれに負けないくらいでした。

 少年はすぐにでも少女に会いたがったのですが、手術したばかりということもあり、また時間もおそくなっていたので、病院から帰ることになりました。

 そして手術から三日後、少女は目を覚ましました。

 少年は久々に少女と会話できることに喜び、思わず少女を抱きしめました。

「ちょっと雄くん、苦しいよ」

 少女はそう言いますが、その顔はものすごく嬉しそうです。

 しかし少年は少女を離しません。いつまでも、少女を抱きしめ続けていました。


 公園での楽しいひとときが、再び戻ってきました。

 少年と少女はこれまでよりも仲良くなり、今まで以上に会話もはずみます。

 そして、少年はついに少女に告白したのです。

「実奈美ちゃん。俺、実奈美ちゃんのことが、好きだ」

「私も、雄くんのことが、好きだよっ」

 少女は少年の告白に答えます。そのとき少年には、ある声が少女の声と同時に重なって聞こえました。

『わたしも、ゆうくんのことが、すきだよっ』

(あれ、今の声は?)

 少年は疑問に思います。今の声は、一体何なのかと。

 そんな少年をよそに、少女はなおも言葉を発します。

「雄くん。将来は結婚して、ずっと一緒に居ようね?」

『ゆうくん。しょうらいはけっこんして、ずっといっしょにいようね?』

 そして、またもや少年には別の声が重なって聞こえるのです。

(これは、もしかして…)

 このとき、少年は幼い頃のことを全て思い出しました。あのときの実菜美ちゃんと、今目の前にいる実奈美ちゃんは、別人のはずです。しかし、少年には何故だか別人とは思えなかったのです。なぜなら、かつて告白したときと全く同じ会話だったのですから。

 一体どういうことなのか、少年にはわかりません。わからないのですが、そんなことは少年にとって、どうでもいいことです。一つだけわかっているのは、少年にとって、失われた日々が再び戻ってくるということです。

 少年の答えは決まっていました。

「うん、絶対に実奈美ちゃんと結婚する」


 その様子を、咲き始めたばかりの桜が彩っていました。まるで、少年達に訪れた春を祝福するかのように…。

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ボクたちに訪れた春 白みみ うさぎ @shiro-mimi

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