第十五話 約束


 橘レイカとして迎える2日目、私は昨日と同じように登校した。


 それにしても人間の適応力というものにはとても驚かされる。

 30年間、坂本英樹として過ごしてきた男が、女子高生、橘レイカになってまだ一日と少しだというのに、私はもうこの自分自身に慣れ始めてきた。


 昨日はあれほど手間取った登校中の友人達との会話や、女子高生としての違和感ない振る舞いを、すでに無難にこなせるようになってきた。

 勿論私の場合は、(のぞき)をしていた頃の、自分を女子高生と見立て、妄想の世界で彼女達の中に入り込む臨場体験が、シミュレーションの役割を担っていたことは間違いないのだが、それにしても相当なスピードだ。

この体に馴染むまでに2、3日はかかってしまうだろう予想を立てていたのだが、いい意味で裏切られる結果となった。

 これで私は今すぐにでも、心置きなく橋本京子の事にだけ全力を注ぐことが出来る。


 今日の私の目標は、京子を昼食に誘い、仲を深め、放課後同じ帰り道を装い、一緒に下校することだ。

 登校してすぐ、ユウ達にその旨を話した。

 昨日伝えたように、今日の昼食に京子を誘いたいということ、そのためにお昼までの休み時間は、できるだけ京子に話しかけに行きたいということだ。

 一見、必要のない宣言に思えるけれど、友人関係において、こういった意思表示は、とても重要である。

 特にレイカのグループは、レイカを中心として回っている様子が見受けられるため、その中心である私が、グループの友人をほかって、別の子と仲良くしてる姿を見せると、彼女達は必ず動揺するであろう。

 元来、どうやら性格の良さそうな彼女達も、嫉妬心に苛まれれば、何をしでかすかは分からない。


 下手をすると、京子に敵意を向けてしまう可能性も低くはないはずだ。

 それでは困るのだ。

 出来る限り彼女達には味方でいて欲しい。

 私が京子と仲良くなるための手助けをしてもらいたい。


 彼女達は初め、なぜそこまで橋本京子にこだわるのか、といった疑問を抱いていたようだが、私が、いつも一人でいる京子に興味を持ったため、と説明すると、一様に納得した。


 どうやら私が30年の人生で培ってきた偏見的な思考の多くは、間違いであるようだ。

 私はレイカという少女について、この美しい容姿からして、まず間違いなく自己中心的で、わがままで、お嬢様気質の持ち主だと、勝手なイメージを抱いていた。

 しかしながら、それは大きな思い違いであるらしい。

 レイカは、彼女の友人達同様、心優しい性格の持ち主のようだ。

 レイカにとって、ひとりぼっちでいる女の子に手を差し伸べるという行為は、なんら珍しいことではないらしい。

 友人達も、レイカのいつもの優しいおせっかいが出た、くらいに思っている様子だ。

 ユウに至っては「その優しさ本当に大好き、惚れ直した!私に出来ることがあったら何でも言ってね」と、私に敬愛の視線を送ってきた。


 何はともあれ、これほど好都合なことはない。強い味方も増えたところで、私はさっそく京子の元へ駆け寄った。

 

「橋本さん!おはよう」

「あっ、はい……おはようございます」


 京子は昨日の帰り際と比べて、少しだけ余所余所しい対応だった。

 一晩間を開けたことで、昨日取り払ったはずの心の壁が、若干戻ってしまったようだ。

 これは人見知りの人間にはよくある現象だ。焦ることはない、また時間をかけて再び取り払えばいい。


「今日もすっごくかわいいねっ」

「えっ、な、なんですか急に」

「えーホントにそう思ったから言っただけだよ」


 京子はやはり少し照れた表情を見せる。


「昨日、家帰った後もさあ、あ~早く橋本さんに会いたいなあって、ずーっと橋本さんのこと考えてたんだ、だから今すごく嬉しいなあ」

「はあ……はい」


 京子は少し戸惑っているようだが、その表情からは、明確に拒絶をする意志は見受けられない。

 私は、常に京子の表情に、全神経を集中しながら言葉選びをする。

 私にはそれほど時間がない。

 あまり悠長に、当り障りのない会話をする余裕などどこにもない。

 少し強引にでも、こちらの好意を伝えていかなければならない。

 ただしあまりに事を急いでしまうと、昨日の朝の二の舞だ。上手い具合にバランスをとりながら話を進める。


「そういえばさあ、ずっと気になってたんだけど、橋本さんっていつもお昼ご飯コンビニのパンだよねえ?お気に入りなの?」

「えっ、いや別にそういうわけじゃないんですけど、毎日選ぶのとかめんどくさいし……」

「え~そんな理由なの~、ふふっ、なんか橋本さんらしいね!じゃあ、いつも登校中にコンビニ寄って買ってるの?」

「はい、そうです」

「そうなんだ、でもそれ大変じゃない?家ギリギリに出たときとかさあ、どうせパン買うのなら購買で買えばいいのに、購買の方がたぶん安いと思うし、おいしいよ?」

「ああ、はい、でも私、購買行ったことないし……」


 これはチャンスだ、私はすぐさま食らいつく。


「えっ、一回も?だったら今日のお昼、私と一緒に行ってみない、私が案内するから」

「いやでも、今日の分はもう買ってあるし……」

「そうだね、でも、今日下見しておくってのはどう?そしたら、明日から購買使うのに苦労しないと思うし、登校中にコンビニに寄る時間も短縮できるよ」

「……う~ん、そうですね、ではお願いします」


 よしっ、私は心の中で拳を握る。

 小さいながら、初めて京子と約束を交わす事に成功した。

 これでいい、コツコツではあるが確実に前進している。

 嬉しさのあまり気を抜くと顔がにやけそうになってしまう。


 ちなみに案内すると豪語したものの、昨日レイカになったばかりの私は、当たり前だが購買に行ったことなど一度もない。

 だけど心配はなさそうだ、私にはユウ達がいる。彼女らを頼るとしよう。こういう時のために彼女達を味方に付けておいたのだ。

 時間がないからといって、彼女達を完全に無視し、京子に構っていたのなら、このような事態に困っていたことだろう。

 ユウ達を邪険に扱わなかったのは、我ながら冷静で、先を見越した頭の良い判断だったと、昨日、あれだけ暴走した自分を棚に上げ、私は自らを称賛する。


 京子との朝の会話を終えると、私はすぐにユウ達の元に向かい、お昼休みに京子を購買に連れていくから、一緒に彼女を案内して欲しいという旨を伝えた。

 彼女達は二つ返事で了解してくれた。


 その後も休み時間の度に、タイミングを見計らっては、京子に話しかける。もちろんユウ達にも京子にも、気を使いつつ、やりすぎないように心がける。


 そんなこんなで四限の授業を終え、昼休みをむかえた。

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へんたい @yakozen

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