幸福の邪神様

海野しぃる

幸福の邪神様

 まだ全ての大地が数多の木々と命に満ち溢れていた頃、遥か宇宙から大白色空間を通り一粒の種子が地球と呼ばれる星に降ってきました。

 種子はこの星に降りるとたった一月の間に芽吹き、すくすくと育ち、一本の美しい大樹になりました。

 枝は水晶と石英、葉には赤い瑪瑙、更にその透き通った幹の内側には葉から取り込んだ太陽の光が金色になって凝り固まっています。

 最初はびっくりした地球の動物達でしたが、最後には受け入れられ、何時しかその大樹は森の皆の自慢になりました。

 

「大樹様は綺麗だな」

「大樹様を見ていると心が洗われるようだよ」

「大樹様、いつもありがとう」

「大樹様は雨の日にも太陽の光を僕達にくださるんだね」


 大樹はまだ幼くて話すことができませんでしたが、何はともあれ自分が居るだけでこの星の生命は喜んでくれるのだと思いました。

 大樹はお父さんとお母さんに辿り着いた星の生命を愛するようにと教えられていました。父母が愛しあってその大樹が生まれたように、貴方も何時か愛する存在との間に花を咲かせ、実をつけなさいと教えられました。

 だから大樹はその言いつけ通り、ピンと枝を伸ばして葉の一つ一つを輝かせます。朝露の化粧だって欠かしません。

 だってそれを見ると皆が喜んでくれるのですから。

 大樹にとっては幼いながらもそれが精一杯の愛情でした。

 お父さんやお母さんが望むように花を咲かせることはできません。

 だけどその頃の大樹は幸せでした。



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大樹アトゥ様、大樹アトゥ様」


 大樹が少し眠って起きると、大分森が減っていました。

 それに聞き慣れない言葉で自分を呼ぶ猿のような生き物も居ます。

 腕も無い、目も片方無い、ひどく不格好な猿でしたがそれでもこの星の生命です。

 大樹は他の生き物の感情を知ることができるので、この猿のような生き物が大変辛い思いをしたのはなんとなく分かります。


「私はかつて将軍でした。しかし王に妻を奪われ、子を殺されたというのに、この身体ではもはや戦士としても戦えません。どうか私に慈悲を、そしてあの王に正しき罰をお与えください」


 大樹にはこの猿のような生き物が言っている言葉の半分も理解できませんでした。奪うとは何? 殺されるとは何? そもそも大樹にとって生命は循環して形を変えるだけのものです。この猿のような生き物が言っていることが本当に分かりません。

 でも彼女にだって分かることは有ります。

 この猿のような生き物が痛くて苦しくて仕方ないということです。

 だから大樹はその根を差し出して、猿のような生き物に巻きつけます。

 この猿のような生き物は人間というのだそうです。

 人間の痛み、哀しみ、それを彼女は理解して涙を流しました。

 人間は大樹の瑪瑙の葉からこぼれ落ちる暖かな金色の涙を見た時、何やら満足そうに微笑んで死んでしまいました。

 大樹はこの男の記憶から人間の言葉を学ぶことにしました。



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 その頃からです。

 アトゥを崇める人間はどんどん増えていきました。


大樹アトゥ様! 私は王と王妃の戯れの為に足を奪われました!」

大樹アトゥ様! 私のぼうやは重税の為に飢えて死んでしまいました」

大樹アトゥ様! 助けてください!」

大樹アトゥ様! あの王をお裁きください!」


 人間という生き物は恐るべき速度で森林を削っていました。

 森林の動物も愚かになり、かつてのようにアトゥに話しかけてはくれません。

 アトゥは孤独でした。


「苦……しいの?」


 やっと覚えた言葉で語りかけても人間たちは分かってくれません。聞こえていないようです。

 アトゥは彼らに何をしてあげれば良いのか分かりません。

 何やら満足そうに微笑んで皆がアトゥに己を捧げて生命の循環に加わってしまいました。



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「あの大樹の邪神を殺し、その身体を余の宮殿の装飾にせよ! これは我が国の繁栄の為の至上命令である!」


 ある日、槍と盾で武装した兵士の一団と王様がアトゥの居る聖域に現れました。

 アトゥには戦うという概念が有りません。

 アトゥの側で寄り集まって暮らしている人々は武器を手に持ち戦いを始めますが、アトゥは彼らが何をしているのか全く理解できません。


「神よ、我々に加護を!」

「神よ、我々に力を!」

「神よ、貴方をお守りします!」


 死が満ちていました。

 その争いの中でアトゥはどうやら自分が神と呼ばれるもので、人々の願いを聞き届けたり守ったりすることが仕事だと気づきます。

 少しだけ成長していたアトゥは自分にできることをしようと頑張ります。

 死に際した人々を救う為、彼女は命を分け与えたのです。

 彼女を神と呼び崇め奉る人々は何度も何度も立ち上がり、戦い続けます。

 彼女を邪神と呼び、傷つけようとする人々も後から後から湧いてきます。

 気づくと、皆死んでアトゥの中に取り込まれていました。

 あれ?

 でも少し様子がおかしいみたいです。


「や、やめろ……余はただ邪神を倒す為に……!」


 自分の中で浮かんでは消える人々の心が一色の感情に染まっています。

 そして取り込んで交じり合った命の中で、王様だけが拒絶されています。

 自分の中に有る数多の命がたった一つの命を目当てに拒絶をぶつけ続けます。

 何時しかその命は消えてなくなっていました。


「命、この星の命をアトゥが消しちゃったの……?」


 アトゥは人で言えばまだ十歳を超えたばかりの女の子です。何が起きたのか殆ど理解できていません。

 彼女の問に答える前に、アトゥの中に在った多くの命は境界を失ってアトゥの中に溶け込んでいきます。

 もう彼らは此処に居ません。アトゥだけがそこに居ます。

 こうしてアトゥは憎しみと哀しみを知りました。



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「アトゥ様、私はこの足を捧げます」

「アトゥ様、私はこの腕を捧げます」

「アトゥ様、私は眼を!」

「アトゥ様、私は耳です! 鼻も!」


 アトゥは不思議でした。

 最初に来た人々は手足を無くしていましたが、今度来た人々は健康なのにわざわざアトゥの目の前で自分の手足を切り落としたり、自分を傷つけたりするのです。

 あまつさえ何処かから攫った人達の手足まで切り落とします。

 困ったアトゥはとりあえずその痛みを共有してあげますが、彼らが何故こんなことをするのか分かりません。


「何故こんなことをするの?」


 彼女を信じる人々の中で一番アトゥの言葉を理解してくれる人にアトゥは問いかけます。


「神に捧げ物をするのは当たり前です」


 そういうものなのか、とアトゥは納得してしまいました。

 苦しみを捧げ、それを受け止める。

 人間という生き物は神様に嘆きを受け止めて欲しい生き物なのだと理解し、アトゥは神様らしい振る舞いをして彼らの願いに応えてあげることにしました。



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 アトゥは順調に成長を続けていました。人間で言えばもう立派な大人です。

 だけど彼女に花が咲くことは有りません。幾ら命を吸い上げても大きくなるばかり。彼女は何故花が咲かないのか、不思議でした。


「アトゥ様、我々の新たなる生け贄をお受取りください!」


 最初にこの星にたどり着いてから一体どれほどの時が経ったのでしょう。

 その日もアトゥに生け贄が捧げられます。

 彼女は早速新しい生け贄の精神だけをアトゥ自身の中に存在する世界に呼び出します。前の生け贄は既に壊れて生命の循環に還っていたから暇だったのです。

 アトゥは人間の少女の姿で生け贄の前に現れると彼に話しかけます。


「あら、貴方が新しい贄ね? ならば精々我輩を楽しませなさい。そうすれば貴方の頭上にも我輩の祝福を授けましょう」

「そうですか、楽しいかは分かりませんが説法なら得意ですよ。ところで女の子なのに我輩って変なキャラ作りしてるんですね」


 今度の生け贄は開口一番とんでもないことを言い出します。

 でもアトゥは気になりません。


「貴方、我輩と喋れるのね!!」

「人間だって進歩するということでしょう? 貴方がそうやって人の言葉を学ぶように、人間という種だって神と話すことのできるようになる者が現れるのは当然です。そもそも俺は貴方に祝福を与える為に此処に来たのですから」

「祝福?」

「ええ、何時か俺から貴方を祝福したいと思っています」


 神とフランクに話せる程の力を持った人間は初めてです。

 こうしてアトゥは初めての恋をしました。


「面白いわ! ねえ、一体貴方はどんな人間なの?」

「どんな、と言われても……」


 人間は語ります。

 その人間は異教の聖者と呼ばれた少年で、アトゥを崇める人々によって持って生まれた身体の殆どすべてを奪われ、生命の維持を機械に頼っているような可哀想な男の子でした。

 その代わり、彼は誰よりも神様のことを近くに感じられる力が有りました。

 アトゥの信者達はそれを目当てに少年を神の捧げ物としたのです。

 実際、少年の血肉は実に甘美でした。

 だけどアトゥは彼に残された脳と魂を食べるのだけは我慢しています。

 彼が其処に居て欲しいからです。

 彼女は恋することを通じて命に個が有ることを完全に理解したのです。


「ねえ、貴方は好きな人って居るの?」

「そうですね、俺は世界中の人が好きですよ。人に限りません。この世界に存在する全ての命が俺は好きだ」

「ふーん……じゃあアトゥは好き?」

「勿論、今のところ唯一の話し相手ですから」

「そう、なら良いわ!」


 なにせアトゥにとってはこんなに自由にお話ができる相手は初めてです。

 アトゥは何日も何週間も何月も何年もかけて少年に自分の生まれた星のことや両親のこと、それに今まで地球で見てきたことや体験したことを語ります。

 この星の生命を愛するように言われたこと、何時か花を咲かせて実るべき時が来ること、不思議と彼相手にならばアトゥも自然に話せました。


「……分かりました」


 そして、アトゥの話を聴き終えた少年は何か得心したように呟きます。


「何が分かったの?」

「神が俺を貴方に賜った意味を、貴方に施すべき祝福を理解したのです」

「神はアトゥよ?」

「いいえ、元来神とは全ての人々が持つ生きる意思、生かそうとする意思、そしてより良き生き方を求める意思のことだったのです」

「なぁにそれ? そんなの聞いたこともないわ!」

「それはそうでしょう。俺が勝手にそう言ってたら皆共感してくれただけですし」

「えっ?」


 この少年は何を言っているのだろうか。

 アトゥの中に在った神という概念が揺らぎだしました。


「人が幸福に生きられるなら手段にこだわるべきでは有りません。非合理的です。救いとは全ての人間に須く与えられるべきです。というか、貴方もそう考えているのでは? なにせ幼き日の貴方は悪政を敷いた王にさえ同情的だったのですから」

「アトゥが……本当にそうなの? でもアトゥがあの人を消してしまったのよ?」

「俺は違うと思います。彼はただ彼の罪により消えました。それでも貴方が貴方自身の責任だと思うならば、俺は俺の信じる神の権能を以て貴方を許します。かの王が虚無に消えた罪を貴方が背負う必要はありません」

「本当!?」

「ええ、貴方は悪くない」


 何はともあれ少年の言葉はアトゥにとって嬉しいものです。

 彼女は多くの人々の苦しみを共有してきましたが、彼女の苦しみを理解してくれる人は居なかったのですから。

 アトゥは今まで助けてきた人々と全く同じ気持が自分の内側から起こってくるのを感じ取ります。


「そうだったの!? 嬉しいわ! 本当に嬉しいわ! これが貴方の言う祝福なのね!」

「いいえ、これはあくまで普段から行う説法の一環です。俺が貴方に送る祝福はこれではありません」

「じゃあ貴方の送る祝福って?」


 少年はニコリと笑います。


「アトゥ、俺は今から貴方ただ一人を愛しましょう。俺は俺の意志と理性により、己を貴方に捧げます。これが俺と俺の信じる神にできる貴方への祝福です」


 アトゥは人間の姿をしていたせいですぐさま顔が真っ赤になってしまいます。

 両手で顔をおおうと彼女はその場にうずくまり、ちょっとだけ顔を上げて少年に尋ねます。

 

「ア、ア、アトゥを……!?」

「はい、愛しています」


 少年はただ微笑むばかりです。

 アトゥが得体のしれない感情に困り果ててしまったその時でした。

 世界中に根を張っていたアトゥが一斉に花をつけたのです。

 花は瞬く間に世界中へと花粉を飛ばし、人々が異常に気づくと同時にまたタンポポにそっくりの種子をつけたのです。

 

「……咲いたの?」

「咲きましたね。おめでとう、アトゥ」


 金色の大樹が世界を覆い尽くし、区別なく全ての生命を取り込み、今まで見たこともない全く新しい生き物に作り変えていきます。

 もう誰も苦しい思いはしません。もう誰も涙は流しません。ええ、アトゥ自身を含めてです。

 初めてこの星に来た時と同じように、どこまでも幸せで穏やかな輝ける森が星を覆っていました。

 その中心で少年とアトゥは何やら満足気な笑みを浮かべ、何時迄も何時迄も幸せに暮らしましたとさ。おしまい。


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幸福の邪神様 海野しぃる @hibiki

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