黄金虫を探す人(々)

笹山

黄金虫を探す人(々)

『――今朝未明より、インターネットの大手企業のホームページや一般投稿サイト、掲示板などにおいて謎の文書が表示される問題が発生しています。高度なクラッキング技術をもつ者による行為と見られ、現在問題解決のため多くのサイトが閉鎖中になっております。

 また、同時に多くの地域で同じく謎の文書の印刷物が、新聞などに織り込まれる、道にばら撒かれているといった方法で配布されています。現在各自治体により回収作業が行われていますが、すでに手元にある方は速やかに処分してください。

 世界各国においても同様に頒布されているこの謎の文書ですが、内容については一切の根拠がなく、信用には値しないとの見解が各専門家や政府により出されています――』



     ※



『デバッガーをしています。

 毎日毎日、バグが無いかを確認しているのです。

 たとえば、朝起きたらまずは欠かさず歯を磨くのです。もしかしたらその継続した行為によっていずれオーバーフローが発生し、なんらかのステータスに急激な変化を及ぼすかもしれないからです。この場合、いずれかの日には歯を磨かない、という選択ができなくなりますが、それは他の人に任せておくこととします。私が担当するのは毎日歯を磨き続けることです。そして一か月に一度、一日を使って歯を磨きます。朝から晩まで、最近は朝から朝まで歯を磨きます。これもオーバーフローを期待してのことです。

 デバッグで大切なのは、脈絡のない行動によりプログラム同士の連携に支障をきたさないかを確認するために、敢えて脈絡のない行動をすることです。

 ですから先月、通勤途中にあることをふと思いついたので行動してみたのです。その時右手に持っていたビジネスバッグを左足首に引っ掻けて、逆立ちになり、右脚を八十六度内側に曲げ、日本語の五十音を「ん」から逆順に百二十六ヘルツの周波数で読み上げてみたのです。

 残念なことに何も起きませんでした。

 場所が悪かったのかもしれませんので、また場所を変えてすることにしましょう。

 それからこの行動も含めて、普段の奇行が祟ったためか、先日会社から解雇通知を出されましたが、ひとまずこの解雇通知書を両手の小指と中指で破り、三分の一をその場に捨て、三分の一を口に含み、残る三分の一を上司の左袖口にねじ込みましたが、残念なことに何も起きませんでした。



 お金は基本的に貯金してきましたので、これからはしばらくデバッグに時間を費やそうと思い、毎日朝早く起きて歯を磨いては、いろいろな場所に出向いて、そこら中の壁に向かって歩き続けたり、公園内の人全員に話しかけたり、スマートフォンの画面を点滅させながらジャンプをしてみたりしています。

 私がいつものように公園中の人に話しかけたのち、中央の池に向かって後ろ向きに歩きながら髪の毛を二・六センチずつ切り落としていた時のことです。

 私がこのようにデバッグをしていると、ごくたまに尋ねられることがあるのです。

「そこまでしてバグを探す必要があるのかい。普通に生きていればバグに出会うこともないだろうに」

 私はこう答えることにしています。

「確かにバグがないように生きるのは簡単でしょう。ですが私はバグを探しているのです。ゲームなどのデバッグはバグを取り除くためにバグ探しをしますが、私はバグそのものに出会いたいからデバッグをするのです」

「はて。だいたい君の求めるバグとはなんだろうか」

「バグはバグです。何かステータスが――つまり容姿や頭の回転や身体能力が――飛躍的に伸びたりしないか。道路をショートカットする裏世界がないか。ジャンプをした状態で空中を移動できないか。世界の地軸が傾いたりしないか。人間に進化が訪れないか。」

 私の奇行によって、予め私に入力されたプログラムを書き換え、ひいては世界のプログラムを書き換えることが出来ないか。私の奇行によって、アカシックレコードにこれまで記録の無かった新たな事象を書き加えられないか。

 あるいは私は愚者になろうとしているのです。

 正位置で可能性、発想力。逆位置で夢想、愚行。

 発想力で夢想し、可能性を目指して愚行を繰り返す愚者たろうとしているのです。

 無自覚のトリックスター。

 無計画性の浮浪者であり計画性の旅人。

 破壊と創造の主。

 ゼロであり、それ故の無限の可能性。

 一介の人間にすぎない私が世界の粗を探し出して、プログラムにエラーを引き起こさせる。ただそれだけが私の目的であるのです。だから毎日のように私は、歯を磨いたり、後ろ歩きをしたり、自動ドアを反復横跳びしたり、道歩く人々の鞄に少しずつ私の髪の毛を忍ばせたりしています。

 デバッグデバッグデバッグ。



 私にはすでに両親も両祖父母も、それから兄弟姉妹も誰一人おりませんが、それが今の私に与えられたプログラムです。施設から出た私ははじめ簡単な事務の仕事をしておりましたが、次第に仕事も居場所も減っていき、辞表を書かされたのもまた、プログラムです。

 一人で暮らすアパートの一室には種々雑多な、私の買い集めたもので溢れています。特に目を引くのは本でしょう。世界中の小説、寓話、学術書、グリモワール。私が特別に関心を引かれたのが錬金術でありました。寓話と心理学のユングから始まった私の錬金術、魔術への傾倒はフラメル、ハイヤーン、それからトリスメギストスなどに目を開かせました。一度は近代科学への収斂に絶望しかけたこともありました。それはすなわち過去の錬金術の前提を否定する動きであり、一種あきらめを含んだ哀しい淘汰に感じたのです。

 そんな中、私はいつも魔術所を買う古書店の店主から人を紹介されました。その人というのは、錬金術師を自称する紳士でありました。彼は、私がデバッグをしていると聞くと、興味を引かれたようでありました。その後何度かお会いするうち、彼からあるお話を聞いたのです。それは私にとって啓示ともいうべき言葉でありました。

 彼曰く、「錬金術は途絶えたわけではない。今この時の科学は、錬金術の体系にあるではないか。そしてそれは、あくまで一部の研究者たちが科学以外の錬金術に見切りをつけたに過ぎない」

 私が再び錬金術への希望を見出すのには、私の考え方を転換させるだけで足りたのです。つまりは今の近代科学は認めるが、だがそれだけではない、という視点への切り替えです。錬金術が近代科学へ発展したのは事実であり、わざわざその二つを恣意的に区別する必要性もないと思ったのです。錬金術は科学であり、科学は錬金術である。過去から現在へ繋がる深き知の体系を尊重することで、私は現代を支える錬金術への固執をより強めたのです。



 寿命を延ばす長命術や貴金属を造り出す造金術は錬金術として広く認知されていることと思いますが、私が専ら執心したのが世解術でした。解世術とも呼ばれるこれは、読んで字のごとく、世界を解析する錬金術であります。解析するのに錬金術なのかと疑問を呈す方もいますが、それは違う、世解術は世界の完成を目指す錬金術であります。

 今の世界は完成されていない。

 プログラムはいまだ、書きかけのまま動いている。

 これを知った時、私は自身のプログラムなど取るに足らないものだと思いました。

 さて、世解術は錬金術の創始とともに始まりました。アリストテレスらが考案した万物を構成する四大元素、火、気、土、水。私たちの世界を形作るものとはいったい何なのかという問いは、化学、数学、物理学、心理学や哲学などを巻き込みながら現代まで連綿と受け継がれ、近代科学へのシフトにより一部は解明に向けて発展し続けております。一方で、近代科学へのシフトの過程で切り捨てられた数多の学術や思想も、承継する人間の減少の影響を受けながらも、しかしゆっくりと確実な進歩を辿っていました。世解術もまたその一つで、そして私が執心したものでありました。

 デバッグをする私がなぜ世界を完成させる錬金術に惹きつけられたのかと思うでしょう。二つは事実上相反しており、互いに逆行する行為ですから。

 私が自身のためから世界のためのデバッグへと目的を切り替えたのも、世解術を知った時からでした。

 世界が完成されていないならば、世界を覆す方法だってあるはずだ。

 世界が完成されていないならば、世界を変える方法だってあるはずだ。

 私は世界をどうにかするために、世解術の熟成によって世界が完成される前に、そのバグを見つけようと思い至ったのです。



 さて、しかし、私一人でデバッグを続けていると思うことがあるのです。

 私のたかだか七十、八十の生涯で世界のバグを見つけることなど到底不可能ではないのか、と。

 当然私にはまだ試していない試行は数多くあります。それは生を前提にしたものは当然のこと、死の試行には何も手を着けられていないのです。死に方には数多くありますが、私一人で試すことのできるのはただ一つであります。錬金術、魔術の中には蘇生法を研究する分野もありますが、それもまだ発展途中でありますし、私の生涯のうちに完成されることはないでしょう。ゆえに、私はたった一つの死に、それこそ人生をかけた作為を加えなければならないのです。

 例えば、髪を正面から見てちょうど真ん中から半分を剃り、片目を閉じて、右手の小指以外すべてに指輪をはめ、ワンサイズ上のシャツを着こみ、右足の小指以外すべての爪を剥いで、左右違う靴を履き、私のアパートの隣の部屋に忍び込み、湯を張った風呂に左足から入り、風呂炊きのスイッチを入れ、右手首を剃刀で四・六センチ切った後、熱い風呂で茹で上がって死ぬか、失血死するかの狭間の中徐々に意識を失っていく。

 先に言った通り、私がこの方法で死んだあと、また別の方法で死ぬことはできません。ですから私は、死ぬことについての試行は一つだけ考えておくことにして、それまではできる限り生きて、生きているうちにできるデバッグをしようと思うのです。死の試行は他のデバッガーに任せることにしたのです。

 では生きているうちにできないデバッグはどうすればよいのか。



 世解術には言語から世界の解析を、あえて言うならば世界の解読を行おうとする学派があります。プログラムにおいてはマシン語が必須でありますし、世界のプログラムを解析するうえでも当然に考えられることです。この学派では現代の人間が使用する言語から、はるか昔に辿った原初の言語である世界祖語を導くものまで研究の対象としています。

 この言語学派は、実はすでに成熟していると言えるほどに発展しています。現代でも、現在の言語を遡った先の、つまりは現在の言語の元となった言語としては、ゲルマン祖語、印欧祖語などが考えられていますが、この言語学派によって、すべての言語の祖、世界祖語が解明し尽くされようとしています。しかし、とある事情からその研究成果については公表されていませんし、できないのです。

 ある事情というのが、言語の遺伝性です。言語は遺伝するのです。祖語から発展、発達したそれぞれの言語には、世界祖語からある音節、特徴が遺伝されています。私が今これを綴る言語にも、世界祖語の遺伝子が刻まれています。世界祖語の遺伝子はそれを読んだり、話したりする人間にもずっと大昔から影響を与えてきました。

 ここで魔術や錬金術でも展開されてきた心理学に注目が集まりました。人間の深層心理は自身でも無自覚な普遍的領域があると考えられています。我々人間は、すべて普遍的深層心理を共有しているのです。人間と長く付き合ってきた世界祖語の遺伝子は、普遍的深層心理ともまた互いに結び合ってゆきました。

 心理が言語に影響を与える時、言語もまた心理に影響を与えているのです。

 ここまで言えば、中には気付く方もいるかもしれません。全人類の深層心理に働きかけるために、世界祖語による命令が出せるのではないか、と。ここでもプログラムの例を用いると、人間というプログラムを世界祖語というマシン語で書き換えることが出来ると考えられました。事実これまでに何度かそういった試みは用いられてきました。宗教団体として知られるブラフモ・サマージの創始者ラームは、世界祖語をベンガル語と英語に翻訳語、インド、イギリスにおいて検証を行いました。結果は前述を覆しませんでした。その後も行われた実験から、世界言語による命令を各国、各地域の言語に翻訳したものを刷り込ませることにより、行動制限や命令をすることが可能であるとの確信が得られたのです。



 さて、どうして私がこのようなお話をするのか、お気づきの方はいらっしゃるでしょうか。

 私はすでにあなたがたのプログラムに命令を下し終えたのです。これまでの記述の中に、あなたがたの深層心理を書き換えるための言葉や数の繋がり、音節の接続を配しました。長々とした話にお付き合いくださりありがとうございます。あなたがたは私のデバッグのツールとなったのです。私がどんな命令を下し、どんな書き換えを行ったのかは、申し上げません。

 ですがいつか、あなたがたの中には「あの時の私の行為はもしやデバッグだったのではないか」「まんまとあいつの命令に従ってしまったのではないか」そう過去を振り返ることもあるかもしれません。

 まあご安心を。

 私はあくまで私のデバッグを遂行させるためのみに、あなたがたのプログラムに働きかけたのです。おかしな行動をすることは誰にでもあることですし、私が下した命令も、それを一寸ばかり逸脱した程度の行為ですので、あなたの生涯に及ぼす影響は、よっぽど悪いタイミングでない限り、大きくはないはずです。

 私が死の試行についての命令を下したか、下していないか。それはどうでもいいでしょう。死んだ後に人生はありませんし、振り返る過去もないでしょう。ですから気にしないでいただきたい。そしてどうか、周りの人間がおかしな行動や死に方をしても気にしないでいただきたい。そのとき、その人間は、私と同じデバッガーであるのですから。

 さあデバッグをするのです。

 私というたった一人の人間、しかし私というの手によって。



 しかし、私はなぜデバッグをしようと思い立ったのでしょう。

 目的ばかりに目がいって、理由などとうに忘れてしまいましたが、世界を変えようなどと思うなど、よっぽどのことでありましょう。』



                       ――道端に吹き晒された文書より

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