祀りの塔

さかな亭きんときだい

第1話

 集落の中心部にある広場では早朝から祭祀が行われている。広場の中心では巫女衆が入れ替わりで儀式を執り行う。集落ではよく祭祀を行っているが今回の祭祀は数年に一度の大きな祭祀で集落の外からも大勢の人が来て何日間も続けて行われる。祭祀では音を絶やしてはならない。俺を含め集落の子供達は交代で休憩をはさみながら鼓と笛で音を出し続けた。壺に鹿の革を張った鼓に延々と同じ調子で手を打ち付ける。昼頃にはもう指先に血が貯まり腫れあがり、手首も肘も腰も痛い。馬鹿馬鹿しいので加減して叩いているのだがこの有様だ。最近この集落に越してきたイイガは馬鹿みたいに手を鼓に打ち付け続けている。肉がなく骨の浮き出た板切れみたいな奴の胴を足で小小突いた。鼓を打つ手を止めずに、血の巡りの悪い顔がこちらを向く。俺の兄よりも歳上な筈だが老いた大人の様に見える。

「おい、お前の鼓の革が伸びてるだろ。張り直すぞ。」

「はい、分かりました。」

低い声でそう答え鼓を打つ手を止めた。縄を解いて革を張り直すのは一人では出来ないし時間がかかる、幸いイイガは要領が悪いので普段よりも時間をかけて革を張り直す事が出来るだろう。案の定、縄をろくに結べないイイガのおかげで鼓の皮張りで夕方近くまで時間を潰す事が出来た。広場の周りには集落の女衆や外の集落から来た大人たちがちらほらと集まって来た。巫女の一人が俺たちの所に来て弐にしろと言った。弐とはさっきまで出していた音の調子の速さを二倍に、音の大きさを二倍にするということだ。馬鹿馬鹿しい、ただ祭祀を盛り上げる為だけに子供の手を砕くというのか。イイガの方を見ると奴は歯を食いしばって低く唸りながら手を鼓に打ち下ろす速度を上げた。それに合わせるかの様に他の連中の鼓や笛から出る音は次第に弐になった。

 夕日が差し始めると大人達も鈴や鼓、笛で音を鳴らし出した。時折混じる甲高い音はトーイの音色だろう。外の集落から来た者が用いる楽器だ。縄の先に特殊な筒を括りつけ、縄を回して音を出すのだ。気がつけば日は沈み広場の中心で巫女達は火を焚き始めていた。大人が鼓を代わってくれたので俺は席を立って見物人達の群れに入った。一層やかましくなってきた音に女の叫び声が割って入る。これは焚かれている火の前に座っている、集落で一番老いていて序列の高い巫女の声だ。小枝のような身体から甲高い声を火に向かって絞り出し続けている。屋敷から顔に墨の入った男衆が出てきて叫ぶ巫女の後ろに一列になって座り一緒になって声を出す。これが暫く続くのだ。

 叫ぶ言葉にもこの祭祀の行程にも色々と意味があるようだが、まあどうでも良い。群がる人の群れが広場の端に動き始めた。俺もそちらに向かう。人混みをかき分けて進むうちに焼いた肉の匂いがしてきた。地面に広げられた大きな朱色の布には大皿に様々な種類のゆがいた芋や米、外の者が持ってきた魚や貝、肉が高々と盛りつけられている。大皿は集落の各家屋から次々と運び込まれてきている。渡された小皿に俺は夢中で肉や魚を載せて人混みから離れた。

 味付けされた魚の白身を口に含む、口の中で崩れる魚の肉と広がる脂の触感は本当に久しぶりだ。近くの川で採れる淡白な味の魚と違い外の者が運んでくる海の魚の身は大きく脂がありとても美味い。厚切りにされた猪肉もまた普段口にしている鹿の肉と比べて脂肪が多く付いているし何よりこの猪肉独特の臭みが俺は好きだ。皿の肉と魚をすぐに平らげまた人混みの中に戻る。大きな瓶にどろっとした白い液体がある、これは集落の米から出来た酒で祭祀の時に飲むものだ。皿いっぱいにそれを掬い喉に流しこむ。その隣の瓶に気づき俺は外から来た男にあれは何かと尋ねた。

「ああ、あれもそれと同じ酒だ。ここよりずっと北の方の集落で作っているやつで、木の実を潰して作るらしいな。」

その瓶に満たされている赤い汁を少し掬って飲んでみる、苦い、不味い。米の方の酒で口を直す。再び大皿に向かい、皿に肉と魚を載せた。

 あらかた満足するまで食べたので片手で干し芋をかじり、朝から鼓を叩いていた仲間たちと話しながら広場の方に戻った。広場の中心では男衆が輪を作り抜歯を行っていた。今回の祭祀では俺の兄を含めて六人の男女が抜歯をすることになっている。抜歯をすれば男は正式に狩りや戦に参加ができ、寄り合いに参加することが出来る。女は小屋を持ち子供を産むことが出来る。祭祀の度に寄り合いで誰が抜歯するかが決められる。

 輪の方を見るとちょうど兄が抜歯を受けている。兄は地面に膝まずき上半身を起こしている。巫女の一人が兄の顎と頭を掴み顔を上向きに固定する。もう一人の巫女が紐を犬歯に括りつけ、兄の背に足をかけて紐を引いている。抜歯を受ける兄は身体を固くさせ青白い顔になりながら痛みに耐えている。紐を引く巫女が声を出して力を入れる度に兄は顔色が変わり地面に垂らした手の平を震わせながら開けたり、閉めたりしている。抜歯の儀式中に痛みで声を出したり、威厳のない振る舞いをしたら囲んでいる男衆に石棒で頭を割られて殺される決まりになっている。兄も必死だろう、必死でとてもみっともない格好だ。兄の目からは涙が垂れ、必死に押し込めているようだが、はあっと微かに弱々しい声が漏れている。俺が男衆だったらもう石棒で頭を割っている。頭を割る決まりなど建前に過ぎない。集落で生まれる子供の大半は病や飢えで死ぬのだからここまで育ちこれから働き盛りの兄を殺すのは集落にとっては不利益だから石棒は役目を失っている。巫女が地面に尻もちをつき何やら叫ぶ。歯が取れた。鼓や笛は参になり人々は手を打ち鳴らす。兄は放心状態でその場に膝立ちでいた。一層音の増した狂乱の渦の中で俺が驚いたことはいまだにイイガは一心不乱に手を鼓に打ち付けていた事だった。


 遠くから耳障りな音が耳に響く。頭が重い、鼓の調子での不快な目覚めだ。腹には誰かの腕、両足には女の身体が載っている。少しずつ体勢をずらしながら上半身を引き上げた。狭い、ここは俺の家ではない。入り口の簾の隙間や天井の換気穴から日が差している。囲炉裏は潰され狭い家屋の中にみっしりと女、男、子供が狩られた鹿の様に動かずに横に転がっている。屋内に充満する汗と酒と肉の匂いが不快だ。顔に手をやると口の周りが食べた肉や魚の油でべたついている。兎も角ここを出よう。狭い小屋の狭い出口を身体を屈めてなんとか抜ける。集落の通を通り抜け、門をくぐり川の方へ向かう。あんなところで寝たせいで腰と首が痛い。川岸に近づくと人の声がする。俺と同じように起きがけに水を浴びに来た者たちが数名いるのだろう。河原には兄がいた。昨晩一緒に抜歯の受けた女達と何やら楽しそうに話をしている。兄は俺に気が付き手を振る。

「おい、昨日なんで家に帰って来なかったんだ。家には祝の酒や熊の肉とかがきてたぞ。」

「そうか。」

「どこに行ってたんだよ。母が気にしていたぞ。」

「酒を飲んでいた。起きたら狭い家で人の間に埋まってた。」

なにがおかしいのか女達は何やらクスクス笑う。

「それより兄さんどうっだった熊の肉は。」

また女が笑う。抜歯をしたかもしれないが俺と歳は対して違わないだろうに。石棒でこいつらの頭を割りたい。

「ああ、熊肉か。今回の熊肉は臭みがきつかったな。少しだけお前の為にとっておいたからな。それよりお前に見せたいものがあるから早く水を浴びて俺と一緒に来いよ。」

そう兄に急かされ俺は水を浴び、兄と二人で集落に戻る。広場では相変わらず鼓と笛が鳴らされ巫女が石を使って何やらやっている。広場の奥の高床の屋敷に入る。普段であれば子供の俺は絶対入ってはならないが今は祭祀中で抜歯をしたての兄が連れて来ているので大丈夫なのだろう。

 屋敷には序列の高い男衆が何人か寝転がっていた。兄は屋敷の奥へ進み木箱の前で立ち止まった。俺は奥へ行っていいものか迷っていたが兄が手招いたのでその木箱の前に進んだ。細かい紋様の細工が施された縦長の木箱の紐を兄が解く。中には朱色の漆が塗られ、艶やかな光を放つ大弓が入っていた。弓は綺麗な反りを描いていて、朱色の弓の幹には細かく細工され光沢を帯びた角が接着されている。兄が弦をかけ弓を張る。湾曲された弓の曲線は見たこともない形を描いていた。上下で二箇所反りがあり握りの部分は弓の下方に寄っていてそのせいか上方の反りは大きくなっている。弦を張った状態でも身長の高い兄の上背を弓は越している。自然と俺は弓を手に持ち左手で弓の握りに手を当てていた。右手で弦に触れる。この弓の力はかなり重い、引いてもいないのに弦から弓の力を感じ取れる。弦を肘の辺りまで引いてみる、弓の幹は音も立てずにスッーと湾曲を広げる。弦を引く右手の手先に弓からの強い力が掛かる。左手の手の内の輪の中には弓の握りが巻き込まれてゆき、手の内の上下を結ぶ線と虎口と呼ばれる親指の付け根にこれまで感じたことの無い弓の圧力を感じる。弦を弾くと澄んだ弦音が屋敷に響き、弓は手の内の中で風を巻き回転した。腹から深い息が漏れた。

「すごい弓だろ。」

気づくと横には男衆の一人が立っていた。

「これは昨日、南の都から送られて来た弓だ。南の都の長は弓に凝ってるからな。しかし、弓の引きが重いしでかい弓だな。お前使えるのか。」

「いやあ、分かりませんねえ。しかしこの角の細工が本当に見事ですね。これ程の弓を狩りに持っていくのが勿体無いですね。」

兄はしげしげと弓を眺めてから弦を外し箱に仕舞った。

「けどお前は本当に運がいいな。今回の祭祀じゃなきゃ南の都から弓は来ないし、抜歯されれた中で序列が一番高い家に生まれたからこの弓貰えるんだぞ。」

そう言って男は兄の口に指を入れ右側の犬歯のあった跡をいじる。兄は痛みで、はああっっーっと悶え顔を歪ませた。俺は箱の中の大弓の朱色の幹や角を指でなぞる。

「この弓の幹になってる木はなんの木材何ですか。こんなに引きの力が強い弓は見たことが無いんですけど。」

俺は振り返り男に尋ねる。

「俺にはわからねえな。都で作る弓だから相当珍しい木材だろうよ。」

「どうだすごいだろ、お前はこれ見たら喜ぶと思って特別に屋敷に入れてやったんだぞ。」

そう言って兄は木箱の蓋を閉め丁寧に紐を縛った。


 俺は弓のことを考えながら鼓を叩き続けた。あの朱色の幹と角の光沢を、美しい曲線。肘までであれほどの力が掛かるなら矢をつがえて口まで引き絞ったのならどれ程の力が掛かるのだろうか、矢速も威力も集落で一番の弓引きになれるだろう。かなり遠くまで矢を飛ばせるのだろうし、あれ程の弓ならかなり大きな鏃を付けた矢でも軽々と飛ばせるだろう。集落で今まで使っていた矢では不釣り合いだ。あの弓の為の矢を拵えるべきだ。どうにかしてあの弓を俺のものにしなければ。狩りや戦には興味がなく毎日水田を管理して水路を整備しているあの兄が持つような弓ではない。どうやったらあの弓が俺のものになるのか、屋敷に入って弓を持ち出し集落を出ようか。いや、この近辺の地域ではうちの集落は一番の規模だから必ず見つかって殺される。それでもあの弓で戦えるのならば本望だろう。おい、と声をかけられる。疲れただろうから交代だ。と男衆の一人に言われた。気づけば日が沈んでいた。

 食事を済ませ家に帰る。皆外に出ているようで家には誰もいない。囲炉裏の縁にあった小皿に載せられた乾いた熊肉をかじりながら横になる。何よりもあの弓が欲しい。俺は良く狩りに行く男衆について行き狩りの手伝いをする。狩りは獣を追う勘は大事だが何より弓と弓の腕前が重要だ。戦でも良い弓を持っている者が良い結果を残す。あの都から来た朱い弓を狩りも戦にも興味の無い稲作のことしか考えていない馬鹿に渡す訳にはいかない。家に妹や弟が何人か帰って来た後も俺は黙って横になりながら囲炉裏の火を見つめ、思案を巡らし続けるうちにある結論に至った。

 身体を起こし家を出る。空は白み始めていて朝霧の中を広場に向かって歩く。通りの脇の家屋からは僅かに話し声が聞こえるが夜中の騒がしさはもう無い。広場では火は焚かれておらず鼓が二人、笛が一人音を出していた。中央では巫女が一人座って水盆を使い儀式を行っていた。俺は巫女の目の前に立った。巫女は集落の巫女の中では一番若く兄より少し歳が上だ。


 手を上顎の左の犬歯に手をかける。巫女は訝しげに俺を見上げた。人差し指と親指ではさみ力いっぱい親指を外側に向けて押し出す。少し動いた。もう一度外に押し出す、また僅かに動く。元の方向に歯を戻す。動く、挟んだまま下の方向に犬歯を引き抜く、動きはするが中々抜けない、挟む力を強め歯を掴む右手の肘を左手で強く押すと犬歯が抜けた。


 あいつらはこの一本で済んでいたが俺は違う、右の犬歯に手をかける。一度済んだので要領は分かった。押す、戻す、力を込めて下に抜く。


 口の中は穴からの血で溢れている、目の前の巫女の方に掛からないように後ろを向き血を吐き出す。下顎の犬歯に手をかける、両指と歯が血のせいで滑って掴みづらい、服で手を拭う。


 ふと遠くに目をやると鼓を打つ人衆が増えており広場には人が集まり何やら叫んでいる。天を仰ぎ親指に力を込めて歯を押しこむ、動く。この状態では抜く方向が難しい、押し戻しを繰り返す、口の血を吐き出す。ゆるくなったそれを両指で捻るように抜き取る。


 あと一本だ、服は口から滴った血で染まっている、巫女が立ち上がり水盆を差し出す。痛みのせいか、周りの鼓や叫び声のせいか巫女が何を言っているのかがわからない。両手で水盆を持ち飲む、水が穴に染みる、あまりの痛みに飲むのをやめ水盆を巫女に戻すがこの水を吐き出してはならないのだろう、水を喉の奥に送り込む、水が歯の跡に刺さる。声は絶対に上げてはならない。右足を振り上げ左足の親指の付け根を蹴る。口を開け息を吸い込み身体を屈ませ地面に息を吐く。すぐにでも終わらせたい。力をこめ親指を残った歯に当てて、左手で肘を地面に向けて一思いに引く。歯が地面に転がった。最後の一本を口の肉ごと割いて抜き落とした。


 顔に墨の入った男衆が俺に寄ってきた。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祀りの塔 さかな亭きんときだい @tazawa0azusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る