第3話

 タイムトラベルとは未来への片道切符でしかない――僕の尊敬する前世紀最大の科学者であり物理学者であり天文学者である、アルベルト・アリサ・アウグスタ・アイソポソス・艾璃・アクラム・亜衣・アジモフ博士の言葉だ。

 タイムトラベル。時間を航行する旅行。理論上その技術がどれだけ発達したとしても、過去へのトリップは不可能だと言われている。理屈を簡単に説明するなればこんな感じだ、自分が過去に飛んで行って自分の祖父と祖母の結婚を壊す。もしくは祖父を幼いうちに殺してみる。するとその子孫である自分の行動は一切がキャンセルされる、と言うのも自分自身の存在がキャンセルされるからだ。だがそうなると祖父は死なないことになるし、自分は生まれるし、だけど自分は祖父を殺すし――という、なんとも不毛なメビウスの輪が生まれることになる。だから過去へのタイムトラベルは不可能だ――いわゆるグランドファーザー・パラドクスというもの。


 蛇足ながら未来へのタイムトラベルには別段特別なマシンの開発は必要無い、冷凍睡眠装置があれば十分だ。中の人間にとっては数十分で、百年後にも千年後にも行くことが出来る。ただし目覚めれば現在は未来であり元居た場所は過去になるので、やっぱり不可逆……未来への片道切符には、変わり無い。


 まあ、過去へのタイムトラベルというのも抜け穴をつかえば可能になる――のだけれど。


 その抜け穴を使ったのがタイムトラベルカンパニー唯一の財産であり、エンド・プロダクト。全長十二メートル、全幅十メートル、全重量五百二十一トン。怪物のように巨大な機械の塊、時間旅行機『イクォール』。数年前の夏に僕がラベルちゃんから出された宿題として作ったもので、このタイムトラベルカンパニー設立の要因になったものでもある。ラベルちゃんは守銭奴だから、金になるものはなんでも商売に投入するんだ。十七歳ってもうちょっと他のことを考えていても良いようなものだけれどな、考えながら僕は演算機のメンテナンスをする。前に依頼があったのは半年前だから、内部時計の時間は半年前で止まっているみたい。装置の中の時計をくるくると螺子で調整し、年号と月と時間の針を合わせる。


 そんな僕の隣で、ラベルちゃんは自分のポケコンをいじっていた。虎の子の自家発電で動かしているらしい。ふんふん、鼻歌交じりに見ているのは、銀行の口座だろう。僕は手を止めて汗を拭い、息を吐いて、彼女の肩越しにディスプレイを覗く。すっからかんのゼロ表示の残額。ラベルちゃんは軽いペンタッチで手元の小切手の番号を入力し、リーダーでサインと金額を転送すると――おお、ゼロの行列。そして先頭に三が。

 だけど入金を確認した一瞬後、またそれはゼロに戻る。


「……ラベルちゃん」

「ちっ。電力会社とガス会社と水道局が一気に未納分を取って行きやがったわ……まあ、それでもこれで今月は電気ガス水道つかえるってわけねっ」

「そうだけど……天国と地獄が一気だよ」

「男の子がうじうじしないの! ほら、空調も動き出したじゃない、涼しいじゃない!」

「あ、ほんとだ」


 ゴゥン……低音の響きでファンが回り出す。

 ビルの地下から屋上の一歩手前までを突き抜ける装置を見上げながら、僕は溜息を吐く。これだけの装置だと廃熱がひどいし、熱気を吸えばかなりの暖房効果も発揮してしまうから、空調は本当に不可欠だ。液体窒素を一トンかけたところで、一瞬で何事も無かったかのように稼動する。ベークライトだって止められやしないだろう。自分で言うのもなんだけれど、よくこんな化け物作ったな、僕も……あの頃はまだ子供だったから考えなしに設計してたんだろうな。

 ラベルちゃんは自分の髪の先を軽く弄りながら溜息を吐く。僕はそんな彼女に背を向けて、また整備を始める。僕は一応技術士としてこの会社に登録されているわけだから、これは僕の仕事だ。いや、ラベルちゃん頭は良くて構造も設計もしっかり理解してるんだけど、小手先が不器用すぎる。だからメンテ一つも任せられない……なんてことは、決してないのだけれど。


「ねぇタイム、こいつさぁ……『イクォール』、もう少し燃費良くならないの?」

「と言われても……」

「一度の稼動に掛かる電気代が馬鹿にならないし、空調だってフル稼働してまだ足りないぐらいだし? 夏はもちろん冬もやってられないぐらいに不便よっ。今のあんたならもうちょっとぐらい改良出来る物なんじゃないの? えーと……四年前だから……十二歳の時よりは応用だのなんだのに磨きが掛かってるんじゃない?」

「ちょこちょこメンテついでの改良はしてるよ……四年間手付かずにしてるわけないでしょ、ラベルちゃん。これでも必要最低限に機能を縮小化してるんだから。未来演算だってメニューからは外したんだし。結構儲かるシステムだったんだよ、あれだって。自分の未来の婚約者を見たがる御令嬢御令息は結構いたんだから。一応苦情が一件も着てないってことはそれになりに正確だったって事なんだからさ。ラベルちゃんみたいな自分で未来を切り開くのに躊躇いの無い人は来ないから、夢見がちなお客さんで一儲けで着てたんだよ。三年前まで」

「不確定因子が多すぎる未来像なんて天気予報よりあてにならないじゃない。そんなもので金は取れないわ。ローリスクハイリターン、それが商売の鉄則よ!」

「正しくはローリスクローリターン、ラベルちゃんのそれは理想だよ……詐欺師の」

「タイム。あたし揚げ物が食べたいわ」

「こ、この暑さの中で僕にあの熱気の篭る台所に立ち揚げ物をしろと……?」

「どっちにしろ炊事洗濯掃除家事全般はあんたの仕事っ! あたしはちょっと隣に色々頼んでくるわ」

「隣? ノアさん達に?」

「そ。なーんか波瀾の予感がするからね」


 ふっ、と。

 彼女が一瞬見せる厳しい表情に。

 僕は、イクォールの下に潜り込む。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 熱気の篭った機械の中、僕はコンソールとポケコンとを交互に操作する。シートに深く腰掛け、周りの計器すべてに目を配りながら、微調整を進める。演算機の中に手を突っ込み、指先で数値の設定を。三年前の四月九日の計算。曜日は、……水曜日かな? カレンダー計算はあまり得意じゃないけれど、多分合ってるだろうと思う。

 シートに凭れ掛かっている時、僕は考え事をしてしまう。メンテナンスなんてルーチンワークみたいなものだ、ボーッとしていても出来る。下らないこと、つれづれな思考、考え込んでしまうのはたくさんのどうでも良いこと。


 依頼人のことなんてどうでも良いのだけれど、むしろ感情移入なんてしちゃいけないんだけれど。

 娘の身を案じる父親。必死の形相。人物照会から呼び出した写真の中の人物はもっと不遜な眼差しをしていて、もっと恰幅が良くて。目の下に隈なんか作っていなかったし、髪にも白いものは一筋だってなかった。いつも葉巻を手放さないとデータにはあったけれど彼は持っていなかったし、けっして人に頭を下げることをしないとのデータに沿わず、彼はこの貧民街の人間達に対して謝意と誠意を持っているようだった。

 娘の失踪が彼を変えたのだろうか。親としての心が彼を変えたのだろうか。親としての心。親。

 世の中には子供を捨てる親なんていくらでも居る。小さな子供を物のように投げ捨てる親なんて、この貧民街にはたくさん居る。だから浮浪児はたくさん居るし、夏や冬には脱水症状や凍傷で死ぬ子供がたくさん出る。鼻からつららを垂らした死体を事務的に回収して行く役所の人間なんて、彼は見たことも無いんだろう。同じ人間で子供なのに、親が見捨てただけでそこまで不幸になってしまった子供のことなんて、知らないんだろう。


 自分の責任である自分の子供にだけしか感情を動かせないのだろうか、彼は。

 娘の捜索に掛けた資金の何分の一かでもこの貧民街に寄付してくれたなら、何人の子供が死なずに済んだかなんてことも、彼は知らないのだろう。

 それでもこの街を見て心を痛められるようになったのならば、彼はそれなりに合格なのかな。人間として、親として。

 僕は親の顔なんか知らない。

 いや、知っているかな。

 どうなんだろう。

 どうなのかな? ラベルちゃん。


「イクォール、以上の日付の演算を頼むよ」

『了解なんだよっ』


 陽気な電子音とディスプレイに表示される薄紅色のイルカ。何世紀か前に絶滅した、アマゾンカワイルカっていうのを模しているらしい。ラベルちゃんが四年前にジャンク屋から引き取ってきた機械の塊の中にあった、データ管理人格プログラムだ。製造元は特定できないけれど、そのスペックは十二分に理解している。三年前、と今回は随分近い時間だし、多分三日以内には演算を終えるだろう。

 僕はシートから腰を浮かし、階段を遣わずに飛び降りる。二メートルぐらいなら怪我もしないだろう、案の定着地は成功した。固まっていた身体をほぐすように、肩をぐるぐると回してみる。腕から伸びていたコードを外し、上着とズボンについている無数のポケットの中に一本ずつ入れていく。ラベルちゃんはまだ帰って来ていないみたいだから、丁度良いかな。


「さて……今のうちに揚げ物作らないとね」


 僕のお母さんはとてもとてもわがままだけれど。

 子供をちゃんと理解してくれる素敵な人ですから。


「きゃーフライドポテトにエビフライ! さっすがタイム、あたしの好きなの解ってるう!」

「フライヤーはお隣で借りたから、実質作ったのはノアさんみたいなものだけどね。代わりに最近手に入れた洗剤渡しておいた。油汚れによく効くやつ」

「ちっ、タイムへの嫌がらせだったのに……」

「嫌がらせって。隠す気も何もないタイミングであんなこと言われたら流石に僕だって防御するよ……良いからほら、舌火傷するうちに食べて」

「あんたもあんたで良い性格になったじゃないの。食べるけど」

「そりゃお母さんの子ですから」

「言ったわねー、あたしほど清廉潔白な美少女はいないって言うのに」

「自分で美少女って言う」

「タイム。あたしエビフライにはソースよりお醤油が良いわ」

「地下の貯蔵庫から徒歩で持って来いと!? 僕にだって熱々を食べる権利があるよ、ラベルちゃん!」

「流石に冗談よ。でもおいしーっ。二・三日は出してくれて良いからね、タイム!」

「太るよラベルちゃん……ぽっこりおなかのお母さんはちょっとどうかと思う」

「大丈夫、頭脳労働はしてるから!」

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