第5話

「聞いた、タイム?」

「え? 何を、ラベルちゃん」


 冷たい氷、冷たい麦茶。デスクにそれをのせようとしたけれど、ラベルちゃんは直接それを僕から受け取った。電気が通ってるって良いなあ、快適だし……空調装置ってこんなに素晴らしいものだったのか。文明の利器って素晴らしい。どうして僕の作る機会は排熱ばかりに効率が良くて冷却が中途半端なんだろうと泣きたくなるぐらいだ。冷気を出す機会だってあって良いと思う。と、エアコンを見た。

 ……限りなく冷気を吐き出してくれてはいるけれど、外に排熱しているだけだから、あんまり役に立っていないともいえる。いやいや、でもそれで恩恵を受けている今があるのだから、ぶーぶー言う事ではない。イクォールが異常なだけだ、単に。あれがデータ管理プログラムで動いているからには、排熱だって強いに決まってる。直撃を受けるのは僕だけれど、お陰で僕は寒がりになった。冬はあの中でジャケットも着る事があるぐらいだ。


 ポケコンで銀行の口座に成功報酬を振り込んでいるラベルちゃんは、その手を休めて一口麦茶を飲んだ。ノアさんのようにアイスコーヒーとかクリームソーダとかは出せないけれど、それでもラベルちゃんは気持ち良さそうに笑みを浮かべてくれる。水分の取り過ぎはあまり推奨できないのだけれど……ラベルちゃんは僕と逆で暑いのって苦手だしね。ここは大目に見ておこう。お腹壊さなきゃ良いけれど。おへその出る服を常用しているからそれは心配だ。まあ夏だし、よっぽどのことが――再びエアコンを見る。リモコンを取って、二十八度に設定した。誰が決めたかは知らないけれど、このぐらいが丁度良いらしい。


 ふぅっと息を吐いたラベルちゃんは、深く椅子に身体を沈めたままに僕を見上げる。巨大なオークの机の上に乗せた脚を組み替えると、少しスカートの裾が捲れた。僕の前でも、もう少し恥らって欲しいものだなあ……そんな僕の心情を見透かしたように、彼女はくすッと笑みを漏らす。


「スート氏の元にね、娘さんが帰って来たそうよ。男に遊ばれてぼろぼろの姿だったみたい」

「へぇ」

「門前払いを食らわせたらしいけれどね。街中その噂で持ちきりよ、今の今まで必死になって娘を探していた彼に何があったんだか、ってね。まあ、あの過去を見た後となると、そんなところだろうけど」

「……少し、可哀想かもね」

「まあ、良い薬じゃないの? 自分がどれだけ恵まれてたかも判らないで飛び出した世間知らずのお嬢様なガキにはさ」

「ラベルちゃんは厳しいなぁ……」

「甘やかすのは好きじゃないのよ。愛されることや愛することを判ってないガキに関しては特にね」

 僕は自分のグラスに口をつける。冷たい。温度一つで身体と言うのは誤魔化されるものなのかもしれない、寒いときは温かいものならなんでも良いし、暑いときは冷たいものならなんでも良い。かもしれない。味を楽しむのは春と秋で良いや。


 ……あの時。

 僕はとっさに映像装置を落とし、視覚映像を現実に戻した。急激な視覚情報の切り替わりに氏が混乱した一瞬、その腕が振り上げていたはずの杖は持ち手ギリギリの部分で切り落とされた。カランカラン、と音を立てて落ちたその杖を拾ったのはラベルちゃんで、呆然とした彼に向かい合っていたのは――ノア兄さん、だった。

「お久し振りですね、ムシュー」

 柔和な笑みと聞き惚れるようなボーイソプラノ。清潔そうな白い絹のシャツに、脚のラインをぴったりと浮かべる黒い革のパンツ。いつもの格好、違うのは、その両手に黒い皮手袋を嵌めていて――指先に鋭利な、鉤爪状の刃物が付いている。

 バグナクっていう武器らしい。僕はよく知らないけれど、人を傷付けるために設計された凶器だ。

 その姿を見止めた途端に、氏の表情が強張る。紅潮の後蒼白になり、振り上げられていた腕は、だらりと落ちる。

「き……霧戒壇、ノアール・オージェ……」

「ご記憶頂いていたようで光栄です。さてムシュー、契約違反はいけませんね……こちらのカンパニーはあなたの依頼をきちんと果たしたではありませんか。その上での無体、いけませんね、いけません。納得出来ませんね、まったく出来ません」

「ぐ、ぐぐぐ」

「私達を敵に回したいのですか? 霧戒壇の異能、よくご存知と思いますが」

「何故――お前がッ」

「おやおや、おやおやムシュー。あなたも人の親の端くれならば判るでしょう? 人の子供の端くれならば判るでしょう?」

 ノアさんが笑う、肩を竦めて笑う。その後ろで、ラベルちゃんが溜息を吐く。

 僕は彼らを眺めながら、ディスプレイに映っているイクォールとタイピングで会話を。


『なんだ、ノア君を呼んでたの?』

『僕達も嫌な予感はしていたからね』

『一人だけ? 黒君達は?』

『いないよ』

『ふーん、まあヴァル君を呼ばなかったのは正解だと思うけど、今隣のカフェってすっからかんなんじゃない? 防犯的に大丈夫なのかしら』

『平気じゃないのかな、別に。防犯が必要なほどじゃないと思うし。心配ならイクォール、あっちの管理お願いするよ』

『うい、了解なんだよー』


 霧戒壇。お隣のビルに住むノアさん達の名称。

 僕達が時間旅行斡旋会社であるように、彼らも仕事をして暮らしている。

 人を傷付けるお仕事を。

 ノア兄さんは笑いを収め、スゥと目を細める。


「親が子供を愛する、子供が親を愛するのは当たり前ですよ。だから守るんです。何も見返りなど求めずに、私は、この母を守ります」


 ラベルちゃんがいつノア兄さんを拾ったのかは知らない。

 ラベルちゃんがいつ母親になったのかは知らない。

 ただ一つ。

 ラベルちゃんは僕達の母親だ。


「あなたやあなたの娘さんの愛しかたは違ったようですけれどね、ミスター・クライアント」


「僕は彼女の――ラウディアさんの言葉は本音なんかじゃなかったと思うよ、ラベルちゃん」

 僕の方を見ず、ポケコンを机に放り出したラベルちゃんは窓に臨む。

「悪ぶっていたかっただけなんじゃないのかと思う。子供って、親に心配されたかったり……探して欲しかったりして、無理をすることってあると思うし。心にも無いことを言う事だってある。でも、それって、心の底で本当は親に許してもらえると信じているからだと思うんだ。だからどんなに我侭になることも出来るんだよ」

 ラベルちゃんは黙っている。

 僕は続ける。

「理由があるから愛するなんて馬鹿げてるよ。親は無条件で子供を愛するし、子供だって無条件で親を愛してる。それが時間を重ねてどこに転がって行くかは確かに判らないけれど、でも――どんな形であっても、愛していたのは本当だと思う」

 ラベルちゃんは何も言わない。

「きっと二人とも不器用だっただけなんだと思うんだ。今なら二人、多分分かり合えるんじゃないかと思うよ。だから、門前払いなんてあんまりだと思う。……どうにか、出来ないのかな。ラベルちゃん」


 クス、と。

 笑みが聞こえた。

 ラベルちゃんが振り向く。


「本音かどうかは判らないわ。真実かどうかもわからない。判らなくたってどうでも良いのよ、あたし達の仕事は終わったわ。The work is over、これ以降は完全に職務規定外、どうでも良い。完全にどうでも良いことよ、タイム」

「でも、ラベルちゃんッ」


 それはあんまりだ。

 僕が食い下がろうとしたところで、ラベルちゃんは自分の口元に人差し指を立てて見せる。言葉を引っ込めた僕に、ラベルちゃんは続けた。くるくる、巨大な椅子を回しながら。

「でもね、自分が如何に愛されていたかに気付くためには、自分の愛し方が相手にどう思われていたか気付くためには、こういう方法もそれなりに有効だったんじゃないかと思うわよ。どれだけ恵まれていたのかを知るためには、お互いに一度や二度突き放されることを学ばなければならない。だから――」

 ひょい、と。

 ラベルちゃんは窓の外を指で示した。

 僕は窓から外を見る。


「あの子を連れて来なさい、タイム。どれだけ父親が焦燥して狼狽していたのか見せてあげなきゃならないんだからね」

 歩いていたのは――ふらふらと、ボロボロの衣服を身に纏ってやつれた姿で貧民街を歩いていたのは、ラウディアさんだった。

「で、でもラベルちゃんっ」

「職務規定外、だけどまあ、たまにはこんなボランティアも良いでしょ……あたしだって人の親の端くれよ? 父親の気持ちが判らないわけじゃない。あの姿を見せてやれば、自分に向けられていた愛情を信じることが出来たのならば、自ずと事態は戻るわ。大体あの父親、必ず娘を迎えに来るわよ? 切り捨てる度胸なんか絶対に無いわ。それに――親って、そーゆーもんよ」

「どういうもの?」

「子供を放っておくなんて絶対出来ない」

 ぱちん、と片目を閉じて見せたラベルちゃんに。

 僕は肩を竦めて、溜息を吐いて。

 笑った。

「それじゃ、行ってきます、お母さん」

「いってらっしゃーい」


 十年前、季節は覚えてない。

 小さな僕は小さな彼女に拾われた。

 小さな彼女の大きな子供になった。

 何も知らなかった僕は彼女にたくさんの事を教えられた。

 親を知らなかった僕に、あの日からは小さな母親が出来た。

 我侭で不器用で人遣いが荒くて守銭奴で家事なんて全然してくれないけど。

 それでも僕が間違ったときは正してくれて、僕が正しいことをすれば誉めてくれた。

 傷付けば抱きしめてくれたし、

 愛すれば愛してくれた。

 愛さなくても愛してくれた。

 僕に親と言うものをくれた彼女の夢の為に、僕は今日もカンパニーで働く。

 この貧民街の浮浪児すべての母親になりたい彼女の夢の為に、僕は動く。

 親、というものは、すごいのかもしれない。

 親になりたい、と思う彼女は、すごいのかもしれない。


「あー……涼しいー」

「タイムくん? 先日のスート氏からの成功報酬はどうしたんです? 三ヶ月分ぐらいの生活費にはなったでしょうに、また電気を止められているんですか?」

「ちょっと、慈善事業しちゃって……」


 氏は貧民街に毎年一定の寄付を決めたらしい、と聞いたのは、彼と娘が仲直りしたらしいという噂が流れてから数日後のことだった。

 そして僕達は相変わらずの振り出しに戻り、隣のビルの冷房を満喫している。

 夏の終わりまでは、もう少し。

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