第4話

「準備が整ったと聞いたが、本当にこの短時間で……大丈夫なのかね?」

「見縊らないで頂きたいですねミスター・クライアント。私達はプロですし、うちの技術者は優秀ですよ。勿論この演算機だってね」

「優秀、とは言っても――」

 そこでスート氏は、イクォールに身体を飲み込まれるような状態になっている僕を見る。相変わらずの変装でここまでやって来て、それをさっき応接室で解いた彼は、やっぱりシャツの所々を汗で透けさせていた。あの変装は明らかに季節に合っていなくて怪しさ満点だということに気付かないというのは、案外この人天然なのかもしれない。辣腕企業家って案外可愛いのかな、なんて適当に考えながら、僕はイクォールの微調整を進めていた。演算は完全に終了しているけれど、……正直これはあまり気が進まないかもしれないと思いつつ。

 こんな子供に優秀さを求めるのはまあ確かに間違いだと思うけれど、ラベルちゃんの言葉に間違いはない。僕は自分を自賛するわけではないけれど、ラベルちゃんの評価はいつだって妥当だ。それは僕に対してのみでなく、お隣のノアさん達も含まれるし、このイクォールだってそう。僕は最初イクォールが邪魔だからデリートしようと思っていたのだけれど、ラベルちゃんが残して置けと言った。その結果がこれなのだから、まあ、……良くも悪くも彼女の眼力は妥当で、本物なのだ。

 演算機に右腕を突っ込み、左手でコンソールを弄る。時間は動き続けているから、正確に過去の因子を再現するためには、直前も最中も関係無く微調整が重要だ。僕は二人をあまり気にしないようにしながら演算装置の様子を見詰める。と、ディスプレイにイクォールの姿が現れる。

 生物のような滑らかさを持つ、イルカのグラフィック。少しだけ身体をひねってみせて、僕に耳打ちするように、文字を走らす。

『ちょっと嫌な予感がするよ、タイム』

『……それはどういう意味?』

『そのままの意味。演算機は演算機のままだからね、未来演算だって出来ないわけじゃない。少し嫌な演算結果が出てるから、注意はしておいてね』

『それは誰が危険なの?』

『社長もあんたもよ。社長はあたしの恩人だし、タイムだって大事なエンジニアよ。あんた達二人はあたしにとって大事だから、お願い、本当に警戒はしておいて』

 二人は勿論僕達のタイピング会話に気付いていない。ラベルちゃんは僕に対して訝しげな視線を向けるスート氏にやれやれと肩を竦めて見せた。その様子に、彼の眉が片方上がる。ラベルちゃんは自分のポケコンで演算の様子を見ながら、映像装置を確かめているようだった。タッチパネルでの確認を続けながら、面倒臭そうに言葉をこぼす。

「確かにうちの社員は年も若くボッケーではありますが、見掛けで判断すると痛い目に遭いますよ、ミスター・クライアント……彼は弱冠十二歳にしてこの巨大演算機を設計した。このカンパニー設立の切っ掛けを作ったようなものですからね。あのドクトル・A8の著書を十歳の時には完全に理解し読破していた。まあ、世間に出ればそれなりに天才と呼ばれる程度には、頭の良い子ですよ」

「ドクトル・A8の?」彼は僕を先ほどまでとは違った眼差しで見上げる。「何故そんな子供がこんなところで――」

「こんなところとはまた失礼な。こんなところに彼がいるからこそ現在あなたはこうして娘さんの消息を調べられるわけでしょう? さて、信用していただけたところで、そろそろ本題に入りましょうか――演算機を動かすのもただではありませんからね」

 ラベルちゃんの言葉に、彼はその表情をこわばらせた。期待と不安とが入り混じったその視線を受け取ることなく、ラベルちゃんはイクォールの下部にある起動パネルに向かう。僕の前のモニターからイクォールが消え、ラベルちゃんの顔が映し出された。正確にはその眼がズームされている――金色の眼と、黒い瞳。左手でコンソールを弄り、その網膜を分析する。認識が済んだ瞬間、最低限の起動状態からスタンバイに移行が済んだ。稼動音が一際大きくなり、あちこちでランプが点灯する。もちろんすべてグリーンランプ。

 企業秘密の塊であるシステムのロックは厳重だ。待機状態から起動状態に移行するには社長であるラベルちゃんの網膜がロックになっているし、その後は――絶えず、指紋照合が行われている。僕の左手が突っ込まれた演算機の中で。

 つまり、イクォールを動かせるのは、この世界で僕達二人だけ。

 まあ盗まれようも無いと思うんだけれどね、こんな文字通りのタワー型コンピューターなんてさ。

「タイム、映像構築開始」

「了解、社長」

 僕は左手でコンソールをはじく。

 どろり、と。

 周りの空間が液体のように崩れた。


 二十歳代程度だろうか。綺麗な栗色の長い髪を靡かせる女性は、その髪にマニキュアで綺麗に塗られた指先を突っ込んで整える。面立ちは少しきつめで、データ検索の際に見つけた数年前のスート氏によく似ていた。顔に似合わず物腰はやわらかで、いかにも育ちが良さそうだと伺える。それは着ている服の様子からも判った。僕の横、氏が息を飲む音が聞こえる。娘――なのだろう。

 彼女の隣にいる男は、対照的に完全に俗……と言うか、チンピラ然としている。派手な色と柄のシャツ、その腕に抱えた巨大なバッグは彼女のものなのだろう、上等なブランドものだ。煙草の煙をゆらゆらとさせながら、二人は落ち着かない様子だった。どこかそわそわしている、ような。

「遅いわね、ジャックったら」

 呟いたのは女性。

「ねぇ、もう時間は過ぎてるわよ、ソロ」

「ああ、そうだな」

「ジャックがチケット持ってきてくれなきゃ汽車に乗れないわ。早くしなきゃ、メイド達があたしの不在に気付いたら大変なんだから。パパは今日も帰らないと思うけれど、兄様や母様はいつ帰るか判らないもの――」

「判ってるって。だから二人がパーティに行ってる日を狙ったんじゃねぇか、それよりちゃんと当面の資金持ってきたんだろうな?」

「もちろんよ。宝石なんて山ほど持ってたし、他にもドレスとか、色々ね。売れば良い資金になると思うわ」

「へっ、良いねぇ金持ちってのは」

 ハッ、と彼女は鼻で笑う。

 ラベルちゃんはその様子を無感情に眺めていた。彼女にとって、過去は商品以上の価値はないのだし――どうせ僕達は、一度演算結果を見ている。声も出ないほどに驚いているのはミスター・クライアント、スート氏その人だけだ。

「金持ちねぇ、金持ち金持ち……ハッ。パパは金を掻き集めるのに夢中で家なんか知りもしないのよね。自分の事に精一杯、贅沢させとけば家族は自分に感謝するだろうって考えてるんだわ。まあ、実際その点には感謝してるけど、人間としてのパパには敬意なんてこれっぽっちも感じないわね」

「ははっ、そりゃ随分だな」

「娘の誕生日も知らないよーな父親よォ? 集金マシーンみたいなものじゃない。自分が貧民街でどれだけ陰口叩かれてるかも知らないし、家族が何を思っているのかだって知らないのよ? 家になんかめったに寄り付かないでさ、なのにあたしには完璧なレディを要求して。ばっかみたい。あたしが成金の娘って社交界ではじかれてることなんて知りもしないで、パーティだなんだって……」

 苛立たしげに彼女は、ベンチに腰を下ろした。木製のそれが軋む音が響く。人数少ない、終電間近の駅の中。この広さと路線の多さは、多分中央駅だろう。これからどこに向かうつもりなのかはまだ判らない。

「どうせ親なんて義務でしか子供を愛しちゃいないのよ」

 吐き捨てるように彼女が呟く。

「自分の子供は自分の責任、だから愛さなきゃいけないんでしょうよ。でもそんなのきっと偽物ね、義務で愛してるだけだからいくらだって無関心になれるんだわ。何も感じなくて良いのよ。何も感じなくたって何にも責められないんだわ。最悪、最低……だったら子供なんて作らなきゃ良かったんだわ。寂しい思いさせるだけじゃない。いつもパパは帰ってこない。あたしが居なくなったって何も気にしないで切り捨てるでしょうよ。良いわ。別に構わない。あたしだって、パパのことなんてなんとも思ってないんだから」

 本音かどうかなんて判らない。

 そんなことは知らない。

 僕達の仕事は。

 ここで過去を展開するだけ。

「親の金で遊びまわって結局それかよ、お前は」

「だって街の方が面白いじゃなーい? ソロはあたしに優しくしてくれたわ、みんなあたしがパパの娘だからって遠巻きにしてたのに、ソロはあたしに優しかった。ふふっ、これからはずっとソロと一緒にいられるのよね、あたし達一緒なのよね?」

「そーだぜ、ずぅっと一緒だ」

「あははっ、嬉しいー……ねぇ、エノヴァってどんな街かなあ。あたし達上手くやれるかしら?」

「さあな。取り敢えず金があれば当面苦労なく暮らせるだろうよ、お? ジャックの奴やっと来たみてぇだな」


「もう……いい」

 低い呟きが聞こえる。

「もういい。こんな茶番はたくさんだ。あの子は、ラウディアはこんな子供じゃない。世間知らずで、過保護に育てられたから、汚い言葉なんて何一つ知らない、こんな女は私の娘では――」

 血走った目、焦燥を強く浮かべる表情。汗が身体中から噴出しているのか、白いシャツはべったりとその体躯に張り付いている。

 僕とラベルちゃんはそんなスート氏を、無感情に眺める。

 もしかしたらほんの少しの哀れみを浮かべながら。

「真実ですよ、ミスター・クライアント。過去は過去、思い出は絶対です。この演算結果に狂いなどない。私達に言えるのはこれがあなたの求める三年前の四月の出来事で、娘さんは男と一緒にエノヴァに向かった。あなたの依頼はこれでオーバーです」

 過去は進んで行く、駆け寄ってきた男が二人にチケットを渡す。スート氏はそれから目を離せずにいながらも、わなわなと身体を震わせていた。僕もラベルちゃんも見ていない、白い杖が床をカタカタと鳴らしている。それを握る手は力みすぎて、関節の部分からは白く骨が透けて見えていた。

 子供を幻想のフィルターを通してしか見ていなかったのか。まあ、しょうがないことなのだろうと思うけれど。僕は彼を眺める、哀れみながら眺める。可哀想な父親を眺める。

「こんな、こんな――あの子は、あの子はそんな、子供ではッ」

「あなた娘さんをそんなに注意深く観察していたんですか?」

「私はッ」

「していなかったんでしょう? ならば何も判断できない。私に言えるのは、これが事実、現実にあったことだと言うだけです」

「こんな、こんなものッ!」

 真っ赤な顔で彼は杖を振り上げた。

 過去の、逃避行にはしゃぐ娘に向かってそれを振り下ろす。

 剥ぎ取られた平常心の裏側。

 ――それは、空を切った。

「な」

「『タイムトラベルとは未来への片道切符でしかない』――かのドクトル・A8の言葉です」

 ちらりと、ラベルちゃんが僕を見る。

 僕はこくりと頷く。

「過去に干渉すれば現在にも影響します。場合によってはその所為で、自分の行動がキャンセルになるかもしれない。グランドファーザーパラドクスというものです、ミスター・クライアント。だから過去へのタイムトラベルは出来ない、それは絶対です」

「では、これは――」

「だけど抜け道が無いわけではないんです。自分が過去で行動を起こしてしまえばメビウスの輪が発生する、だけど何も行動しなければ、そんなものは発生しない。つまり、『歴史に干渉しなければ』、過去を『見る』だけに留めれば、それは可能なんです。システムは時間旅行機と言うよりも、巨大な映写機にして計算機。現在に広がる因子を収束させ、過去を演算する。逆算する。そして構成する、それが、『過去への時間旅行』の正体」

 現在に広がる因子を辿り演算し、正確な過去を構築し映像として展開する。

 それは仮想現実空間の構成。

 ここは、現実ではない。

 ここは、現在ではない。

 ここは、過去でもない。

 ここは、どこでもない。

「ならばここは、ここは――」

 狼狽した様子で辺りを見回す彼に、ラベルちゃんはやれやれと肩を竦めて見せる。僕はそんな彼女が心配で、視線を向ける。ラベルちゃんは出来そこないの『親』を心底から軽蔑する人だけど、こうして平常心を失ってしまっている相手にそういう態度を取るのはあまり賢くない、ような。ポーカーフェイスで判らないけれど、もしかしたらラベルちゃんは相当怒っているのかもしれない。

 自分の子供の真実を見詰めようとしない、彼に対して。

「ここは仮想空間ですが、期待は持たない方が良いですね。ここが偽物でも、情報は真実です。演算結果は狂いようもない。あなたの娘の言葉が過去に無かったことにはならない」

「だ、黙れ、何をッお前達があの子の何を!」

「少なくともあなたが恣意的情報選択を行っていることは判りますよ――最低の親ですね」

 彼はまた杖を振り上げる、ラベルちゃんに向かって杖を振り上げる。

 僕は。

 僕は――。

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