--/--/--:--――日常と呼ばれるもの

 九月くがつはいる――。

 夏休なつやすみをえて、おにいさんの訓練くんれんけていたたちもかえり、また日常にちじょうまわす。どちらかといえば平坦へいたんで、何事なにごともなく平和へいわで、ともすれば退屈たいくつともべるような日常にちじょうなかちいさな出来事できごとだけで、あたしは満足まんぞくできてしまう。

 でも、ちゃんとっている。

 そんな日常にちじょうが、ずっとつづくわけがないなんて、わかりきっていることだ。


 十月じゅうがつになって、おねえさんがいなくなった。

 沙樹さきちゃんから連絡れんらくがあってっただけで、事情じじょうっているひとはいなかった。唐突とうとつに、それこそ失踪しっそうしたかのようにいなくなって――その喪失感そうしつかん気付きづかないまま、あたしのところにおにいさんがかおせた。


「――あずかってくれ」


 そうってされたボードを、あたしはそれを義務ぎむのようにる。それがどういう意味いみか、よくわからなくて。


「すまんな、仕事しごとる」


 そうってくれただけ、おねえさんよりもかったのかもしれないけれど、でも、それはおねえさんがかかわっているのかどうかまでは、けなくて。

 すぐもどってますかと、できるだけかるいたとき反応はんのうは、苦笑くしょうだった。

 それが、返事へんじだった。ではなと、それ以上いじょううこともできず、おにいさんもはなすことはなく、みせってしまって、あたしはただみせとどまって、背中せなか見送みおくることすら、できなかった。


 あたしは、それしかできなかったのだ。


 でも、そうだ。かなら結果けっかして生還せいかんするのがおにいさんたちだと、以前いぜんいた。だからいつかりにもどってくるはずだと――あたしはそのときおもったのだ。

 かんがえてみれば、数ヶ月すうかげつまえもどっただけだ。それだけ――なのに、やっぱり、二人ふたりがいなくなっただけで、どこか物足ものたりなさをかんじてしまった。ナナネりょうまりにけば、そんな雰囲気ふんいきに、苦笑くしょうしてしまう。

 昔話むかしばなしをするほどじゃなく、おもばなしをするほど過去かこでもなくて。

 仕方しかたないよねって、沙樹さきちゃんとわらった。


 一年いちねん経過けいかした。

 あたしの学年がくねんひとがって、瑞江みずえさんが卒業そつぎょうして、ナナネをった。わりにあたらしいがナナネりょう一人ひとりきて、すこしだけにぎやかなもどってくる。

 ふゆさむさをやりごせば、ちょっとかぜつよはるからボードの活躍かつやくはじまる。もちろん、あたしたちはふゆあいだでも移動いどう使つかうけれど、やっぱりあたたかくなってからのほうたのしくなってくるものだ。

 去年きょねん大学生だいがくせいたちに、おにいさんがもういないことをつたえると、落胆らくたんえた。あたしがやろうかとも提案ていあんしたが、そこまでにはおよばないと、自分じぶんたちで訓練くんれんをするようになる。もちろん、あたしも店長てんちょうとして、すことにした。


 二年にねん経過けいかして、けいさんと――それから、金代かなしろさんが、いなくなった。

 いや、いなくなったんじゃなく、卒業そつぎょうした。金代かなしろさんは転勤てんきんだとっていたが、実際じっさいにどうなのかはらない。そんなものかとうなずいて、でも、やっぱりさびしくなって――それを実感じっかんしたくなくて、あまりりょうにはいかなくなった。

 もちろん沙樹さきちゃんはまだいたし、穂乃花ほのかさんもみせかおせてくれることもあった。でも、たまにりょうってまれば、やっぱりひとすくないことがつたわってきて、ああ。

 やっぱりあたしは、だれかがいなくなることが、こわいんだなと、あらためて実感じっかんしてしまう。

 でも――仕方しかたないじゃないか。


 ずっとおなじものがつづくなんて、ありはしないのだ。


 三年さんねん経過けいかした。

 結局けっきょく、あたしは、っていく沙樹さきちゃんを見送みおくって、ボードてんつづけることを選択せんたくした。あずかっているボードもおおく、おにいさんのボードもそこにはふくまれていて、あたしくらいはここにいれば、ってったかれらもまた、かおしやすいんじゃないかともおもう。

 それだけじゃなくて、責任せきにんもあった。

 卒業そつぎょうしたからやめると、そんな簡単かんたんにはえない。もちろん、可能性かのうせいかんがえて準備じゅんびはしたけれど――それでも、やっぱり、あたしの居場所いばしょはここなんだと、おもわずにはいられない。

 おも沢山たくさんまった、このみせを、つづけたいとおもったのだ。


 五年ごねんぎた。

 毎年まいとしのようにあそびにていた、かつては大学生だいがくせいだった遠藤えんどうさんにプロポーズされたあたしは、それをけた。いはながかったし、そういう雰囲気ふんいきでおさけんだこともある。おたがいにいろいろっていて、どちらかとえばすのをあたしがっていたのだ。ちょっと意地悪いじわるかも、とおもったけれど、そんなものだ。

 遠藤えんどうさんは教職きょうしょく仕事しごとき、学校がっこう科学系かがくけいおしえて、あたしはいつものよう、ボードのてんはたらく。やすみのにはボードで一緒いっしょあそんだり、経営けいえい相談そうだんをしたり、それはきっと、たのしい毎日まいにちだった。


 二十年にじゅうねんぎた――。

 三十さんじゅうえた年齢ねんれいになってしまえば、日常にちじょう埋没まいぼつした過去かこおもは、やはり風化ふうかしてしまう。それはかなしいことではなくて、いことだ。それだけ、ばれるものが充実じゅうじつしていた証拠しょうこだから。

 ただ――たのしかったと、そんなおもは、あった。

 なにがどう、ではなくて、いまはもうかおもよくおもせないおにいさんとおねえさんがいた、一時いっときともおもえたような、にぎやかな時間じかんが、確実かくじつ過去かことして、そこにはあったんだ。

 それを旦那だんなはなせば、そうだったなとわらう。よくおぼえているのは、やっぱりおにいさんの無茶むちゃ訓練くんれんなことで、それをいて、当時とうじはどうだったとか、いろんなはなしをして、――それがおもであることを、おたがいにみとめて、わらいあった。


 四十年よんじゅうねんぎて。

 ――旦那だんなが、くなった。

 五十歳ごじゅっさいえて、また一人ひとりになってしまった。子宝こだからにはめぐまれなかったのもあって、当時とうじ虚脱感きょだつかんはかなりのものだったけれど、心配しんぱいして毎日まいにちのように、わりわり、いま学校がっこうかよっている子供こどもたちがかおせれば、んでいる様子ようすなんてせられない。まだまだがんばらなくてはと、るようにしてみをせる。

 大丈夫だいじょうぶ

 あたしにはまだ、このたちがいる。そして、かれらが卒業そつぎょうしてっても、またあたらしいたちが、ボードをもとめにこのみせる。だったら、まだまだめられない。

 それにこのみせには、旦那だんなとのおもだって、いっぱいまってるじゃないか。

 さびしさもかなしさも、一緒いっしょんで、つづけてこうとおもえた。


 そして――。


 あたしは、いつのにか七十ななじゅうものよわいを、かさねていた。

 この年齢ねんれいになると、さきのことをよくかんがえる。といっても、来年らいねん経営けいえいはなしではなくて、いわゆる跡継あとつぎの問題もんだいだ。ただそのけんかんしては、いまはまだ学校がっこう二年生にねんせいをしているおんなが、どうやら意欲的いよくてきのようで、いろいろと手伝てつだいながらも、みせ経営けいえいおぼえつつあった。

 あのなによりもボードが大好だいすきで、てるときもボードを手放てばなさないんじゃないかと、ちょっと心配しんぱいになるようなだけれど、本当ほんとうたのしそうにボードにる。

 そうそう、ボードも人気にんきになって、限定的げんていてきではあるけれど、競技きょうぎなんていうのもできた。あたしが現役げんえきだったころはまだなかったけれど、いまたちは、それによって勝敗しょうはいえるから、より一層いっそうつよむことができるのかもしれない。

 それをフォローするのが、ボードてん役目やくめだ。

 あたしはいつものように、ボードをみがく。最初さいしょあずかりものを、つぎ店頭てんとうディスプレイようのもの。しゃがみながらやるのはつらくなったので、ちいさな椅子いすこしろしてやるのだ。

 そういえば、穂乃花ほのかもまだ現役げんえき寮母りょうぼをやっている。あっちは結局けっきょく独身どくしんなままで、寮母りょうぼっていう年齢ねんれいになったねえ、なんてちびちびとさけみながらはなしたこともあった。

「ただいまー……って、すーばあちゃん!」

「はあい、おかえりなさいねえ、あーちゃん」

「じゃなくって、またボードみがきしてる!」

 微笑ほほえみながらかえれば、ボードを片手かたてにしたあーちゃんは、あたまよこふたつくったかみいきおいよくらしながらちかづいてきた。

「あたしがやるってったじゃん!」

「そうだったねえ。でもねあーちゃん、日課にっかなの、これ。おばあちゃん、なにかしてないとすぐに、ぼけーっとしちゃうからね」

「それはわかるけど、そうやっていっつもすーばあちゃんが全部ぜんぶみがいちゃうんだもん!」

「そのぶん、ボードであそんでいればいいと、おもうんだけどねえ」

「そこはそれ、これはこれ! まったくもー……」

 ばたばたとおく自宅じたくにボードをいて、すぐにもどってたあーちゃんは、専用せんようのエプロンをつけて、カウンターにあるノートがた端末たんまつとした。

「うん、重要じゅうよう案件あんけんはきてないかなー」

「あらそう? じゃあ今日きょうはもうひまかもしれないねえ」

「ばあちゃんがかたづけちゃうから……」

「ふふふ、うごけなくなったら、あーちゃんにおねがいするからね、大丈夫だいじょうぶよ。でもおばあちゃん、あーちゃんが卒業そつぎょうするまでは、ちゃんとやるからね」

 まだまだ、このみせゆずるには、経験けいけんりないから、安心あんしんできないねえ。

「それよりも、今日きょう練習れんしゅうはどうだったんだい、あーちゃん。浜辺はまべだったね?」

「うん。六人ろくにん編成へんせいで――あ! すげーじいさんがあらわれた!」

「あらあら、なあに、それ」

「こっちの様子ようすをね、ずーっとてたのはってたんだけど、どうしたのかなーってこえをかけたら、いきなりね、貴様きさまらは下手へたくそだ! とかうの」

「あらまあ」

 なんだか、むかしおもすような光景こうけいだ。

「でね、なんだこんにゃろー、っておもってたら、あたしのボードをせってうの。でもこれ、結構けっこう調整ちょうせいれてて、あたし専用せんようだよってったら、かまわん! とか大声おおごえってね、ったかとおもえば、いきなり――」

 ――いきなり?

「バランサーをったんじゃないの?」

「へ? あ、うん、そうなんだけど……」

 あはは、むかしのあたしをてるみたいだね。

てたかい?」

「それがね、すっげー上手うまいの! わざ途中とちゅうでキャンセルとかれるし、ボードにってるのにからだって、なんかたおされちゃうし! もどってきたら、どれだけ貴様きさまらが下手へたくそでかんがえなしかわかったか! とかってさ!」

「ふふ、そうなんだねえ……」

 期待きたいなんて、していなかったし、もうずっと――わすれていた。

 最初さいしょは、そうだ、こうおもったじゃないか。


 ――いぬは、かならず、帰還きかんするものだって。


 いつわすれたのかも、おぼえてないけれど、それでもいいのかもしれない。

「――あれ?」

 ほそめて、そとあかるい場所ばしょかげができて、白髪しらが目立めだつすらっとしたおとこが、みせぐちからなかはいってくる。

 逆光ぎゃっこうで、あまりよくかおえないけれど、でも、きっとかおたってわからない。

 ただ、その態度たいどが、どこかえらそうで――。

 ――以前いぜん、そうだったように、そのひとくちひらくのだ。


たぞ!」


 はいはい。

 ちゃんとこえていますよ、おにいさん。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

想い祈り希い 雨天紅雨 @utenkoh_601

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ