代弁

笹山

代弁

坂口高明先生

                               新草新十郎



 前略

 突然の手紙失礼いたします。先日の葬儀への参列は真にありがとうございます。私は彼女――鳥海悠理と数年にわたり同棲し、交際していました者であります。私がこの手紙を差し上げますのは、先生が彼女の訃報に際し、大変にお気を患ったとお聞きし、ショックのために医院の仕事を妨げられはしないかと考えたからでございます。また先生は、私と悠理の両親を除いて唯一真摯に彼女と向き合ってくださった方でございますから、事の顛末と、彼女のあの不可思議な才覚につきましてご説明申し上げなければならないという私の義務感から筆をとらせていただいた次第でございます。


 鳥海悠理、彼女の才覚はまさにその観察眼、洞察力、判断力でありました。悠理のあの真黒の瞳は、人間の知らず知らずの所作、腕の組み方や口角の動き、視線の流れ、そうした諸々から逐一他人の思考を読み取ることに進化しておりました。こればかり言うと現代のマジシャンだとか奇術士がやる手口に似て思えますが、悠理は生まれながらこの才能を持ち、また意識せずにそれをすることが出来たのです。彼女にとっては相手方から送られる一方通行のテレパシーのようなものでした。そして、その才覚のために悠理は地獄ともいうべき苦悩を味わい、やがて死に追いやられたのであります。


 彼女の神秘的才覚のもたらした地獄を知るためにはまずは彼女の過去に遡らなければなりません。私が悠理と出会うまでの話は、全て彼女自身や、彼女の両親、また先日葬儀にてお会いした彼女の少なき知人に知らされたものであります。私が先日初めて知ったこともいくつかありますが、話の誇張などは無く、むしろ手紙にては綴り尽くせぬ深い思いの交錯や事態の裏側があったことでしょう。

 彼女は幼いころから口数の少ない子であったそうです。小学校に入学したころから他の児童とは一風変わった雰囲気を持った少女で、達観した黒い眼に見つめられる学校の先生方は、時に気持ち悪いと彼女に面と向かって毒を吐いたこともあったということですが、この時すでに彼女はその才覚を十分に発揮し、彼女の同窓はもとより、両親や先生方、会う人すべてが心を見透かされているような心持がして薄気味悪さを感じておりました。やがて高学年に進級すると、悠理の一際浮いた存在感は度を増してきました。彼女が友人から話しかけられた時には、彼女には友人の考えだとか気持ちだとかが丸見えでしたが、しかし彼女は思う通りに言葉を紡ぐことが出来ませんでした。生まれながらに人間の考えや気持ちのやりとりを目にしてきた彼女は、かえって自分にそのやり取りを置き換えることが出来なかったのであります。悠理は、人を喜ばせればいいのか、また悲しませればいいのか分からなかったと言います。平凡な私には彼女のそうした苦悩が明瞭にはわかりませんが、この先彼女は、人間関係において彼女から発信することが出来ないという障害によって深い混乱に陥れられてしまうのであります。

 次第に周りの人間は、悠理から距離を置くようになりました。悠理自身から言葉を発することはないにもかかわらず、彼女は周りの人間の考えていることすべてが分かりきっていたのでありますから、周囲の人々がそれを気味悪く思い、遠ざかってしまうのも仕方のないことだったのではないかと思います。しかし、周囲の人間は彼女から遠ざかり、無視することに飽き足らず、やがて彼女を迫害するようになりました。今でいういじめでありましたが、中学校に進学してからは、いじめという言葉の範疇を超えた暴行や誹謗に発展してゆきました。また、彼女の学業上の秀才ぶりも、同級生の癪に障ったのでしょう。口数の少なかった彼女は、何度か同級生と和解をしようと試みたこともあったそうでしたが、彼女が見透かす相手の心を鎮めるための手段や方法を、彼女は持ち合わせていませんでした。学校から帰宅する彼女はいつも生傷が絶えず、何度か転校を繰り返したそうですが、事態は一向に好転することがありませんでした。


 中学三年生の夏、悠理は声を失いました。

 悠理が初めて坂口先生のもとを訪れたのはその時だったと聞いております。心因性失声症。両親に連れられて先生の精神科を訪れた彼女は、酷くやせ細り、もとより白い肌も青みが差して、ほとんど死んだようでありました。彼女は自分の声では人の気持ちを変えられない、分かっているのにどうしようもできない絶望に声を手放したのです。

 しばらくして彼女の両親さえも、彼女の存在を世間から遠ざけようとし始めました。親子で外出することもなくなり、家の中でさえ彼女がいないかのように扱ったそうです。


 それからの中学生活を周囲の罵声ともに過ごした悠理は、それでも高校への進学をしました。高校に入ってからも彼女は話すことが出来ませんから、それをからかう人が出てくるのは当然でした。彼女が声を出せないばかりか、聞き取ることもできないと勘違いをしていた人間もいたそうですから、彼女への罵倒はより公に行われるようになっていきました。

 悠理の才覚は、人に忌まわしがられることがあっても、尊重されるようなことはありませんでした。それでもなお彼女が暴行と中傷に耐え忍び、成人するまで生きてきたのはただ彼女の精神力のみのためであったのではないかと思います。彼女に頼みの人はなく、孤独のままに地獄を過ごしてきた彼女の精神はすでに破綻していたのではないかとも思うのです。


 私が悠理に初めて会ったのは四年前のことになります。

 彼女は高校を卒業したのち、家を出て、小さな印刷会社の作業所に就職しました。彼女は秀でた頭脳を持っていましたが、失声症による弊害はその発揮を妨げました。作業所では作業の工程を覚えて、指示に従えばよいだけでしたから、声が出せなくとも彼女には十分に務まったのです。

 それから二年後、私は悠理の勤める会社の親会社に就職しました。仕事のさなか、下請けであるその会社に出向いたときに初めて彼女に会いました。朝からひどく冷え込んだ、冬の日のことです。先方の上司と契約を終え、時間が余ったので会社内を見学させていただいていた最中、作業所で黙々と事務作業に取り組む彼女の横顔を垣間見たとき、私は思わず息をのみました。したたかに心を打たれ、彼女に見入りました。私の視線に気付いたのか、彼女が面をこちらに向けると、再び私は妙な衝動を感じ、目を見開きました。彼女の美しさ…。すらりとした鼻梁に、長い睫毛に包まれた真黒な瞳。雪のように真白な肌のなか、小さな唇が赤く映えておりました。

 どれくらい私と彼女が視線を交わせていたのか、一瞬とも永久とも思えるその時間は、彼女が目を伏せて終わりました。

 それから私は、そばにいた同僚に彼女のことを問いましたが、同僚は口角をゆがませただけで何も教えてはくれませんでした。その後何度か私的に印刷会社の人々に話を聞いていくうち、彼女の境遇が知れてきたのです。彼女は会社においても、やはり迫害されていたのです。


 初めて悠理に会った日から数週間後、再び印刷会社に赴いた際に、私は彼女に話しかけました。作業所には彼女一人でした。

「あなたは、話せないと聞きましたが――」

 彼女は私の顔を一瞥すると、目を伏せてじっと考え込みました。やはり気を害してしまっただろうかと、私は身を引くそぶりを見せると、彼女は取り乱しながら、手元のメモ帳に震える手でペンを走らせて私に示しました。

『あなたは私を助けてくれるのですか』

 私は戸惑いも隠さずメモ帳の字を追っていましたが、突然聞こえてきた嗚咽に、今度は本当に混乱するばかりになってしまいました。彼女は唇を噛みしめ、目尻から大粒の涙を流しながら私をジッと見つめていたのです。私は何も言えず、彼女の顔と、メモ帳の字を何度も見返しておりました。


 彼女の美貌に惹かれて言い寄る人間は少なくはなかったという事です。しかし、彼女の心を見透かす瞳に耐え切れず、あるいは彼女と交際することで自身にも迫害が及ぶリスクに怖気づき、彼女に寄り添おうとする者はいなかったのです。

 私と悠理の交際も、長く続くかどうかは全て私にかかっておりました。彼女の才覚は制御できるものではありませんでしたし、すでに彼女に付きまとう迫害の影は払拭のしようがなかったのです。

 ですが私は、彼女に心から惹かれていました。たとえどんな地獄を味わおうとも、彼女と共にいれるのであれば、と。そう思っていました。

 交際から一年半ほど経ち、私は彼女と同棲を始めました。1LDKのアパートの角部屋で、私たちは静かに暮らし始めました。その頃になると、私が彼女と交際している事が社内の人間にも知られはじめ、私の立場も不安定になってきており、この先の生活の支えが無くなりかねないと不安に駆られていましたが、悠理にはそれを隠しておりました。もちろん彼女は私のこうした危機感を察していたことと思います。ですが彼女にはそれをどうする手立てもありません。私に隠れて泣いていたのを見たことも何度もありました。


 私たちは、別々に孤独のうちの仕事を終えて帰宅すると、リビングのソファに並んで座り、言葉少なにぼんやりとするのが日課でありました。そうして互いの心が癒されるような心地がしたのです。

 彼女との会話は筆談が基本でした。私が話し、彼女はノートに一言二言返事を書いて私に見せる。私は彼女の書く、細く流れるような文字が好きだったので、無理に手話などを覚えさせようとは思いませんでした。筆談と同じゆっくりとしたスピードで、私たちは仲を深めていきました。

 彼女から坂口先生のことを聞いたのも同棲を始めてからです。中学の時分から数か月おきに通院して現状の報告と、洞察の制御の試行錯誤をしているという話でした。彼女がそれほど長く通院しているのですから、先生は彼女にとって信頼のおける方であると思いました。ですから、この後の顛末も決して先生に責任はございません。かえって私にこそ責任があるのです。私が彼女と関わったばかりに、彼女は地獄に屈してしまったと。もし私が彼女のことを知らないままでいたならば、やがて彼女はその才覚の制御を身に着け、それまでの人生を取り返さんばかりに生きることが出来たのではないかと。


 私は仕事を辞めました。悠理の地獄の一片を私は身をもって実感し、それに耐えきれなくなってしまったのです。会社の同僚はみな昇進したり成果を上げたりする一方、私はどれだけ頑張っても注目を浴びることはなく、孤立して、実のならない仕事ばかり請け負うようになっていました。肉体と精神が擦り減り、耐えられなくなった私が辞表を出すと、二つ返事に了承が下されました。

 私が仕事を辞めて帰宅すると、いつも私の後に帰るはずの悠理が待っていました。彼女の穏やかな顔を見ると、私はふいに目頭が熱くなり、倒れ込むように彼女を抱きすくめました。それからソファに腰掛け、彼女の顔をゆっくりと愛撫すると、くすぐったそうに微笑みながら彼女は私の肩に頭をもたせかけました。じわりと染み込んでくる彼女の体温は今でも思い出せるのです。

 それから私は、昔なじみの友人の伝手で雑誌の小記事を書く仕事にありつきました。趣味の延長線上のようなもので、小説の批評だとかを書く仕事でした。また、悠理に仕事を辞めさせました。私の小さな稼ぎと、それまでの貯金でしばらくの生活は保てる見込みがありました。1Kの安アパートに引っ越し、私の執筆も数社から依頼が来るようになりましたが、二人の生活を支えるには賃金は足りず、思った以上の早さで貯金が底をつきかけました。


 そして、先月の末のことになります。悠理と初めて出会った時のような朝から冷え込んだ日でありました。私は居間のテーブルから伏せていた顔を上げました。いつの間にか眠ってしまっていたようで、昨夜の寝るまでの記憶がぼんやりとしております。若干鈍痛のする頭を振り、部屋を見回しましたが、彼女の姿がありません。私の動悸は急に激しくなりました。嫌な臭いがしました。生臭いような、鉄臭いような…。私は戸が開け放された薄暗い浴室に駆け込みました。


 悠理は、冷水が張られた浴槽の中で、手首を切って絶命していました。

 彼女の赤かった唇からは全く血の気が失せており、代わりに浴槽の水が薄赤く濁っていました。私が彼女の冷たい体を抱き起すと、だらりと首が私の胸に倒れました。


 それから私が何をしていたのかは記憶に曖昧です。通夜も火葬もほとんど彼女の両親に任せきりでありました。私があの日、机に突っ伏して眠っていたのは、彼女が普段使う睡眠薬のせいであったと思い至ったのは、葬式の翌日のことでありました。

 悠理は遺書を遺していました。十数枚の便箋には、彼女が私と出会う前からの思いや苦悩がはじめに綴られておりました。それから、私との思い出、私への愛情。遺書というにはあまりに美しく、慈愛に溢れた、ラブレターでした。

 彼女は、その愛情のために自ら命を絶ったのでありました。彼女は、彼女自身が地獄を視ることには耐えられても、私が彼女の地獄に寄り添う事には耐えられなかったのです。

 私はいまだ後悔にやまれません。ですが、彼女はその才覚によって、最善の手段を選んだのだと考えると、もはや私にできることなど何もありはしなかったのだと思うのです。唯一私にできたこととすれば、もし、私が悠理に出会うこと自体が無ければ…


 以上が悠理の死の顛末であります。

 私は生きてゆかねばなりません。地獄に落ちるところを彼女に救われた私は、生きてゆかねばなりません。

 できることなら、彼女の声を一度でも聴きたかった。




一九七五年三月四日

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