遥か冬の空

藤島 楓

第1話

    3/1 0:00



ぴんと張りつめた夜の空気の中で、僕と彼女はじっと待ち続けている。懐中電灯の光に時計をかざして見ると、時刻は午前零時。そろそろ時間だろう。

じかに芝生の上に座っているせいで、下半身が凍りつきそうなほど冷たい。でも、そのおかげで、真夜中にもかかわらず頭がすっきり冴えている。ふと空を見上げる。今日は新月。替わりに、冬の大三角形がはっきりと見えた。低い。手を伸ばしたら、届くような気がする。

僕は隣の彼女に首をむけた。真っ暗で顔を見ることは出来ないけれど、きっと彼女は前だけを見つめているんだろう。まっすぐに。僕みたいにちらちら余所見をせずに。まっすぐに。


「そろそろ時間だよ」


と、僕が言うと、


「うん」


という素っ気無い返事が返ってくる。

自分で言っておきながら、本当に「そろそろ」なのかわからなくなった。このままここでじっとしていたら、朝なんて来ないんじゃないかと思った。腕時計を耳元に近づける。

かち。かち。かち。かち。

小さく聞こえてくる秒針の音。少しも淀むことなく、停まることなく、目で見えていなくても、確実に時間は減っていく。



    2/28 5:30



一俟村立一俟中学校分校。俟という字は「まち」と読んで、期待するとか、必要とするとか、そういう意味らしい。けれども、この名前が使われることは、もうない。町村合併のために、この村は隣の町に吸収されることになったのだ。その一環として、中学校も廃統合されることになった。明日、僕たちが卒業する日、一俟村も一俟中学校もなくなる。

だから、なんだろうか。こんなに寒い日に、外でじっと夜を待ってしまったのは。

僕が芝生の上で一人、夕日を眺めていると、不意に影がさした。それが同じクラスの女の子だとわかる前に、「なんだ、あんたも来たんだ」と声をかけられた。


「隣、いい?」


「……どうぞ」


僕の許可を待つまでも無く、彼女は芝生に腰を下ろす。彼女は確か、有名な絵描きさんの一人娘だったはず。あまり話したことは無いけれど、彼女自身、絵が好きで美術部に所属していたはずだ。


「随分早くから待つんだね。たぶん、あれは真夜中だよ」


「そういうあんただって、こんな時間からあれを待ってるじゃない」


彼女は素っ気無く返して、スケッチブックを開く。随分厚いスケッチブックだったけれど、もう最後の一ページだった。


「なんだ、もう終わりじゃん」


 何の気なしに僕が呟くと、


「じゃあ、新しいスケッチブックを買って、また一から始めれば良いだけの話でしょ」


 彼女がぶっきらぼうに答える。でも、すぐに優しい目になって


「でも、やっぱり、少し名残惜しいかな」


と、スケッチブックの縁を撫でた。夕日が彼女の顔を紅く染め上げる。


「君は、確か高校には進まないんだよね。何で?」


不意に沸いた質問。


「私は、少しでもたくさん、絵を描いていたいから」


 彼女は簡潔に述べた。


「それで、少しでも郁さんに……母さんに追いつきたいから」


その声には、妙に熱がこもっていた。彼女はじっとスケッチブックを眺めていたけれども、その眼には僕には見えない何かが映っているような気がした。


「あんたは? 高校に進学するの?」


「うん………両親に、そうしたほうが良いって言われたから」


僕はスケッチブックに描かれた彼女の絵を眺める。素人の僕の眼から見ても、上手いことが判る作品だった。


「ふぅん。『両親に』、ね」


彼女はどこか見下したように言い直す。

ふっ。と、あたりが暗くなる。日が沈んだのだ。沈む直前、彼女が何かを言おうとしていたような気がしたけれど、彼女はそれきり黙ってしまって、何を言いたかったのかはわからなくなってしまった。



    3/1 0:15



「あっ・・・・・・」


彼女があげた小さな感嘆は、夜の闇に吸い込まれていった。彼女の方向を見つめながら物思いに耽っていた僕は、慌てて視線を前に向けて、同じように感嘆の溜息を漏らした。

ポツリと、青白い、小さな光が微風に揺れていた。最初は点でしかなかった光が、見る見るうちに増えて、僕たちの眼前を真っ白な光に染め上げていく。

『妖精の遊び場』――――年に一度、冬の終わりのひと時だけ、そして真夜中のこの瞬間だけ見ることが出来る、一俟村の名物。この地域にしか咲かない、蛍光成分を含んだ小さな花は、村と同じ名前で、一俟草と呼ばれている。


「ねえ、もし、村が無くなってもさ」


ふと、彼女が口を開いた。


「この草の名前は、変わらないんだよね」


少しだけ、不安を滲ませた声。


「変わらないよ。村が無くなっても。中学が無くなっても。僕たちがどんな道を進んでいったのだとしても。今は確かに、ここに僕たちが居るんだし、それは一俟草が証明してくれる」


僕は、はっきりと言い切った。

彼女は、絵を描き続ける。

僕は、高校へと進む。

まだまだ未来のことはわからないけれど、僕も彼女も、今だけは同じ場所に居る。

一俟草が有る限り、僕たちはここに戻ってこれる。


―――それは、冬の終わり、卒業の日の夜のこと。

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