最終章 名探偵にバラを

「まず……先々週の土曜日、兼崎かねさきさんの家に、丸山まるやまさんを誘拐したと書かれた脅迫状が届く。犯人が直接ポストに投函したものね。これを投函した人物、すなわち、誘拐事件の犯人は、丸山さん自身よ」

「丸山さん? じゃあ、狂言誘拐ってこと?」


 丸柴まるしば刑事の声に理真りまは頷いて、


「そう、そして丸山さんは、そのまま兼崎邸の見張りを続ける。兼崎さんが警察に通報するかどうかを確認するために。通報したなら、宅配業者を装うか何かして、警察が家に来るはずだからね。そうでしょ?」


 丸柴刑事が首肯したのを見て、理真は続ける。


「指定通りの午後十二時、兼崎さんがひとりでタクシーに乗り込む。その間、兼崎邸を訪れたものはいない。丸山さんは、兼崎さんが脅迫状に従って警察に通報は行わなかったということを確認した。もし通報されていたら、この計画は中止することになっていたんでしょうね。警察が動いている中で狂言誘拐なんて、危険すぎるもの。

 丸山さんは近くに停めていた車に乗り、兼崎さんよりも早く指定した公園に向かう。兼崎さんが公園に行く行程までも脅迫状で詳細に指定したのは、兼崎さんが家を出たことを確認してから出発しても、確実に自分が先回り出来るようにするため。兼崎邸から公園までは車なら三十分くらいで着くわ。十二時に兼崎さんが家を出ても、電車の時間まで指定しているから、必ず自分が先回りできる。

 公園に到着した丸山さんは近くの路上に車を置き、兼崎さんが下車する新崎にいざき駅に向かった」

「え? 公園じゃなくて?」


 私の声に理真は、「多分ね」と頷いて、


「兼崎さんが北口と南口、どちらに下りるか確認するためでしょうね。兼崎さんが北口に下りて、脅迫状通りに〈阿賀野川ふれあい公園〉に行くか、それとも間違えた振りをして南口に下りて、よく似た名前の〈阿賀野川公園〉に行くかを確認するため」

「やっぱり、兼崎さんは、わざと行き先を間違えたって言いたいの?」

「恐らく」


 言いながら丸柴刑事の言葉に頷いた理真は、


「続けるね。で、新崎駅を下りた兼崎さんは、南口を出て〈阿賀野川公園〉へ向かった。脅迫状に指定されていた〈阿賀野川ふれあい公園〉とは反対方向へ。それを見た丸山さんは、決心したんじゃないかな」

「何を?」


 との私の問いに理真は、


「兼崎さんを殺すことをよ」

「えっ? じゃあ、丸山さんが狂言誘拐なんて真似をしたのは、兼崎さんを殺すため?」


 私の更なる問い。理真は、


「正確には、兼崎さんを試すため。兼崎さんが脅迫状通りに阿賀野川ふれあい公園へ向かっていたら、殺意は具現化しなかったでしょうね。兼崎さんが違う公園へ向かったということは、人質を、つまり自分を見殺しにするということだからね。丸山さんはそれが許せなかった。でも、本当に兼崎さんが間違えてしまった、ということも考えられる。だから丸山さんは尾行を続けた。

 その兼崎さんが公園に入って取った行動は、持っていた鞄を犯人の指定場所のトイレの用具入れではなく、ゴミ置き場に捨てることだった。そして、そのまま帰ろうとした。それを見た丸山さんは兼崎さんの企みを看破したんじゃないかな」

「兼崎さんの企みって?」


 今度は丸柴刑事が問う。理真は少し間を取って、


「誘拐事件にかこつけて、兼崎さんは自分を見殺しにするつもりだ、と。兼崎さんは二千万円を持ってきてなんていなかった。あの鞄の中身は古新聞か何かだと。公園は本当に間違ったんだとしても、鞄の置き場まで間違えるなんてことはないだろうからね。あのケチな兼崎さんが二千万円もの現金の置き場所を間違えるわけがない、って」

「古新聞?」


 私は叫んでしまった。丸柴刑事も驚いた顔をして、


「でも理真、森川もりかわ巡査がみつけた鞄には確かに現金が入っていたわよ」

「そう」


 理真は丸柴刑事を見て、


「でも、それについてはちょっと待ってね。兼崎さんと丸山さんの問題に決着を付けるから。兼崎さんは最初から身代金を払うつもりなんてないから鞄は空でもよかったんだけど、中身が空の鞄だと、持っている感じからばれるかもしれないと考えたんでしょう。鞄は徳田とくださんくらいにしか見られる可能性はないけれど、念を入れてね。

 で、古新聞が入った鞄をゴミ置き場に捨てて悠々と帰ろうとする兼崎さん。その前に姿を現す丸山さん。兼崎さんは驚いたでしょうね。丸山さんは兼崎さんの行動の意味を問い質す。もしくは、兼崎さんのほうでも、これが丸山さんの狂言だと悟った可能性が高いわ。『どうしてこんなことをしたのか』と、お互いに責め合い口論になる。先に激高したのは丸山さん。用意していたナイフを出して兼崎さんを襲おうとする。しかし……」

「返り討ちに遭った、と」


 丸柴刑事の言葉に理真は、


「そう。兼崎さんがナイフまで用意して行ったとは思えないからね。兼崎さんは丸山さんの死体を橋の下に隠して、今度こそ帰ろうと堤防道路を歩いていた。そこを配備についた警察に発見されて保護された」

「丸山さんが狂言誘拐を計画した動機は何?」


 私は訊いた。


「恐らく……会社のことで対立があったんでしょうね。兼崎さんはあの通りのドケチだし。会社の脱税も発覚したわよね。そこのところで何か対立があったのかも。それで、丸山さんは社長の自分に対する信頼を確認するつもりだったのかも。人質となった自分のために、あのケチな社長が二千万円という大金を差し出すかどうか。脱税して自宅に隠してある二千万円を使うかどうか。

 脅迫状をみつけるのが兼崎さんだったら、そのまま握りつぶしてしまうかもしれないから、丸山さんは徳田さんが脅迫状を発見するように買い物帰りの時間を狙ってポストに入れたんでしょうね。そこまでやっても、もし、兼崎さんが先に脅迫状をみつけたら。そして、それをそのまま握りつぶしていたら。丸山さんはどんな行動を取ったのか、それは分からないわね」


 夜道でいきなり後ろから鈍器で殴りつけていたかもしれない。理真は話を続け、


「首尾良く脅迫状は徳田さんに発見させ、警察が来た形跡もなく、兼崎さんが鞄を持ってひとりでタクシーに乗り込んだのを見て、丸山さんは車で先回りした。そこで、兼崎さんが新崎駅の南口から出てくるのを見て、兼崎さんが指定したのとは反対方向の公園に向かうのを見て、しかも公園に着いてトイレの用具入れじゃなくてゴミ置き場に文字通り鞄を捨てて帰ろうとするのを見て、丸山さんは確信したんでしょうね。身代金の受け渡しにわざと失敗して、自分を誘拐犯に殺させるつもりだと。

 兼崎さんの考えたその企みの概要はこう。

 身代金を持参した兼崎さんは、ちょっとした勘違いから犯人指定場所の公園を間違えてしまう。指定した公園に兼崎さんが来なかったことで逆上した犯人は丸山さんを殺害。指定場所を間違えるというポカをしたことはある程度責められるでしょうけれど、それで誘拐犯が丸山さんを殺してくれるなら、それくらいの汚名は喜んで被ると。そもそも、そこまで警察は世間に公表しないしね。

 鞄をゴミ置き場に捨てたのも、もちろん計画のうち。あとになって結局警察に通報することになっても、正直に鞄を用具入れに入れたら、回収されて鞄の中身が現金じゃなかったってばれちゃうもの。鞄をみつけた誰かが持ち去ったのだろう、っていうことにするつもりだったんでしょうね。ゴミ置き場のゴミは、じきに回収されるから証拠も隠滅できる。

 もし、回収される前に鞄がみつかっても、捨てる寸前のボロ鞄に中身は古新聞だからね。ゴミ置き場にあっても誰も怪しいとは思わない。兼崎さんの考えでは、すぐに警察に通報してはいないから、公園に捜査が入るのはずっとあとのことだと思っていたはず。その間に誰かが持ち去ったっていうのは十分通用する言い訳だと思うもの。

 その架空の取得者は、現金二千万円を拾ったことになるけれど、誰からも届け出がなくてもおかしくない。兼崎さんの感覚から言ったら、大金を拾ってわざわざ届け出る人なんているわけがない」

「でも、予想に反して、兼崎さんが家を出た後すぐに徳田さんが通報してしまった」


 私の言葉に理真は頷いた。丸柴刑事は、


「で、鞄の中に二千万円が実際に入っていた謎は?」


 そうだ。その謎が残っていた。


「それについてはね」


 理真は、ふう、とひと息ついてから、


「時間を戻して、徳田さんが誘拐事件発生を警察に通報したところから。

 警察は、兼崎さんをマークするため、写真と服装、持ち物を本部と周辺所轄の警官全員に通達したわ。まだトイレの用具入れに鞄を置く前に兼崎さんを発見するかもしれないから、持ち物も通達されたわよね。現金二千万円が入った黒いビジネスバッグを持っているって。それを聞いたある人物は、これは使える、と思った」

「ある人物って?」


 丸柴刑事が訊いた。


「丸姉が言っていた、龍神会のスパイ警官だよ。これは絶好の機会だと思ったんじゃないかな。覚醒剤の代金として銀行員から受け取ったお金は紙幣番号が控えられてて、出ていくお金は組対が徹底マークしてるから、おいそれと表に出せない。これをそっくり取り替えてしまおうと」

「兼崎さんが持っている身代金と?」

「そう、一種の資金洗浄マネーロンダリングだね。番号が控えられた紙幣は千五百万円。ここに五百万足して、黒いビジネスバッグに入れて、兼崎さんの鞄とすり替える。スパイ警官は、思いついたその計画を龍神会に話したんでしょう。身代金受け渡し場所の公園の近くに龍神会の関連会社がある。行動が早いから、うまいことその千五百万円はそこの会社に隠してあったのかもね。

 龍神会は番号を控えられた紙幣に五百万足して二千万円にして、用意した黒いビジネスバッグに入れる。構成員の指紋が出たらまずいから鞄は丁寧に拭いたんでしょう。そして、用意した鞄と構成員たちを公園へ向かわせる。兼崎さんは指定場所とは逆方向の公園に行くことになるんだけど、龍神会は駅から指定公園までの道中に兼崎さんがみつからなかったため、捜索範囲を広げて発見したんでしょう。

 鞄すり替えの方法だけど、襲いかかって無理矢理鞄を取り替えるなんて乱暴なことは出来ない。いくら中身が同じ現金二千万円でも、まあ、兼崎さんの鞄の中身は古新聞なんだけど、そんなことされたら、兼崎さんが必ず警察に話すもの。ターゲットが鞄を置いた後にこっそりとすり替えるという計画を取るしかない。

 で、兼崎さんを尾行して様子を伺う龍神会。兼崎さんが向かっているのは、犯人の指定とは逆方向の公園へなんだけれど、そんなのは龍神会が疑問を持つことじゃない。公園に着いた兼崎さんはゴミ置き場に鞄を捨てて帰る。兼崎さんが十分離れたところでゴミ置き場へ向かう。兼崎さんが身代金を置く場所はトイレの用具入れだってことも龍神会には伝わってなかったのかも。伝わっていたとしても、やっぱりそこに疑問を持ってる場合じゃないからね。

 もしかしたら兼崎さんと丸山さんが口論しているところを目撃したかもしれないけれど、そんなのにも構っていられなかったでしょうね」

「でも、理真の推理だと、兼崎さんが捨てた鞄の中身は古新聞か雑誌なんでしょ。龍神会はその場で開けて中身を確認しなかったのかしら?」


 丸柴刑事の疑問。理真は、


「そこで徳田さんの証言だよ。龍神会は、スパイの話ですぐに警察が公園に急行することは分かってたから、一秒でも早く逃げたかったんでしょうね。その場で中身の確認は当然しようとしたけれど、チャックが開かなかったんじゃないかな。兼崎さんの鞄はチャックが完全に開かない。開くのにもコツがいるそうだし、うまく開いても拳が入る程度まで。早くしないと警察が来る、と焦っている状態だと、特にそういう作業ってうまくいかないでしょ」

「そういうことか!」


 丸柴刑事は、ぽん、と手を叩いて、


「理真の推理通りなら、兼崎さんが捨てた鞄は今、龍神会が持っていて、警察が発見した鞄は龍神会が用意したもの。だから、鞄をみつけた巡査に話を訊いたのね」

「そう。徳田さんに聞いたわ。あの日兼崎さんが持って行った鞄は、チャックに問題があって開きづらいものだったと。でも、森川巡査は言ってたわよね。鞄のチャックは難なく開いたって。で、こう考えると、身代金が戻ってきたって聞いたときの兼崎さんの異様な驚きようにも納得いくよね」

「ああ、そうだ!」


 丸柴刑事は額に手を当て、


「兼崎さんにとってみれば、鞄の中身は古新聞なんだものね。それが、現金二千万円に化けた」

「兼崎さんは警察から鞄を受け取ったとき、これは自分の鞄じゃないってすぐに気付いたでしょうね。突然二千万円もの現金が目の前に現れて、訝しがりもしたでしょう。でも、何食わぬ顔でちゃっかり、そのお金をいただいてしまったと」


 それを聞いた丸柴刑事は、ため息をついて、


「はあ、何て人なの……でも、それが仇になって龍神会との繋がりを疑われてるのね。あ、じゃあ、兼崎さんの周りに龍神会の人間がうろつくようになったっていうのも」

「そう、龍神会にしてみれば、二千万円と古新聞を交換したことになるからね。でも大っぴらに、あの金は俺たちのものなので返せ、なんて主張できるわけない。何とかいい方法はないかと、兼崎さんの自宅や会社の周りを探っていたんでしょうね」


 理真は説明を終えた、と言わんばかりに、大きな息を吐き出した。


「で、理真。どうすればいい?」

「龍神会はまだ兼崎さんが捨てた鞄を持っているでしょうね。兼崎さんが身代金を入れた鞄を拭いたっていうのは、自分の指紋が出なかったことに対する言い訳だろうから、そっちの鞄にはまず、兼崎さんの指紋が付いてるはず。どうしてそんなものが龍神会にあるのか。そこから突いてみるといいんじゃないかな。龍神会としても、二千万は戻らなくとも、こんな目に遭わせた、というか、龍神会の独り相撲なんだけど、兼崎さんに一矢報いたいと思ってるはずだから、喜んで鞄を提供するんじゃないかな」


 それを聞いた丸柴刑事は、


「そうね。それと、理真の推理が正しいなら、兼崎さんの当日着ていた服から丸山さんの血液反応が出る可能性が高いわね。返り血をまったく浴びなかったとは考えがたいから……よし」


 丸柴刑事は立ち上がって、


「サンキュー理真。由宇ちゃんも、またね」


 ドアへ向かった。


「今度、ご飯おごってね」


 理真の言葉に、丸柴刑事はウインクで答えた。



 その後の捜査で警察は龍神会から兼崎の鞄を押収。やはり結局チャックを開くことは出来なかったようだ。鞄は無残にもチャックの横にナイフか何かで切り込みを入れられていた。

 鞄、そして中身の古新聞からは兼崎の指紋が出た。龍神会の構成員の何人かは、鞄をすり替えるときに遠くで鞄を置いた男と誰かが言い合いをしているのを目撃したとも証言した。


 兼崎が誘拐事件の当日着ていた衣服も調べられ、わずかだが血液反応が検出された。丸山のものだった。徳田の証言によれば、翌日曜日、その服は兼崎自身の手によって全て洗濯されていた。旦那様が自分で洗濯をするなんて珍しい、と雹でも降るかと思ったという。

 洗濯をしたくらいでは血液反応は消えはしない。さっさと捨ててしまえばよかったのだろうが、元来ケチな兼崎は、丸山の血液を洗い流した服をまた着るつもりだったのだろう。

 あきれたことに、とっくに処分したと理真が思っていた、龍神会が用意した鞄も会社の社長室からみつかった。


 結果、覚醒剤取引の代金千五百万円と自腹の五百万円の合わせて二千万円をフイにしてしまった龍神会は、余計な情報を入れてくれたスパイ警官の名前をあっさりと白状した。それを知ったクロさんがスパイにどのような〈指導〉をしたのかは知らない。


 マルサが兼崎金融のガサ入れに動いた決定的な証拠は、丸山の妻から投函された一通の封書に入っていた。

 丸山は誘拐事件のあった日、家を出る前、「もし自分が明日になっても帰らなかったり、何か起きた時はこれを投函してくれ」と妻にその封書を託していたのだという。その日のうちに夫の死を知った妻は、すぐにそれをポストに投げ入れた。同時にこの郵便のことは固く口止めされてもいたため、警察にも話すことはしなかった。

 その郵便が投函された消印が丸山の家の近くからだったため、何度か丸山の妻に聴取するうちに白状したのだ。

「奥さんを巻き込みたくなかったのでしょう」城島じょうしま警部が、丸山が郵便のことを口止めさせた理由を推測して聞かせると、妻は涙を流して崩れ落ちたという。


 逮捕された兼崎は、丸山を見殺しにしようとした動機を語った。そろそろやばくなってきたため脱税から手を引こうと考えていたが、今までやりすぎたため無傷で終わらせることは出来そうにない。その始末の付け方で丸山と言い争いになることが多くなっていたという。


 兼崎は、丸山が誘拐されたという脅迫状を受け取り、千載一遇のチャンスだと考えた。もし脅迫状を先に発見したのが自分であったなら、そのまま握りつぶしていただろうとも語った。

 徳田が先に脅迫状をみつけ、一緒に内容を確認したため、脅迫状を無視して丸山を見殺しにすることは出来なくなった。そのため、犯人の指定場所を間違えるという一時の汚名だけを負って、誘拐犯に丸山を殺してもらおうという計画を咄嗟に考えついたという。

 新崎駅で周辺の案内看板を目にし、よく似た名前の二つの公園のことを知ったとき、天命だと思ったと語った。脅迫状を持参しなかったのもわざとだ。指定場所を間違える言い訳の一環にするつもりだったのだ。


 丸山はその選択を与えるため、よく似た名前の公園が近くにある〈阿賀野川ふれあい公園〉を身代金を置く指定場所に選んだのではないだろうか。看板を見て兼崎が北へ進めばそのまま去る。社長の右腕として、二人で脱税の始末をなんとかつけようと考えを新たにしたかもしれない。だが、兼崎は南へと足を運んでしまった。


 兼崎は、丸山の死が確認できたら、彼に脱税の全ての罪を着せるつもりだったという。

 しかし、古新聞の入ったボロ鞄をゴミ置き場に投げ捨てるように置いて帰途につく途中、丸山が目の前に姿を現した。そのときすでに丸山はナイフを手にしていた。それを見た兼崎は、この誘拐事件が丸山の狂言だと悟ったという。

 激高して何を言っているか分からない丸山の声を聞くうち、こんな手の込んだ真似をして自分を試したことに腹を立てた兼崎は丸山と揉み合いになり……


 当初の計画とは違い自らが手を掛ける形となってしまったが、丸山が死に、兼崎は彼に脱税全ての罪を着せるための工作の準備に取りかかった。その最中にマルサのガサ入れを受けたのだ。

 やはり兼崎は脱税金の二千万円を自宅に持ち帰っており、それは五百万円ずつ四分割されて家中からみつかった。自室の天井裏とベッドの下、居間の兼崎指定席の畳の下、そして兼崎の中古高級車のシートの中からそれぞれ。

 丸山の家からも一千万円がみつかった。こちらは寝室の妻のベッドの下に「自分にもしものことがあったら、怪しまれないように少しずつ使って欲しい」という書き置きと共に隠されていたという。



「はいこれ、おみやげ。城島警部から」


 理真の部屋を訪れた丸柴刑事は、紙袋の中からケーキの箱を取り出してテーブルに置いた。


「お、青山ハウスのじゃん」


 舌なめずりをする理真。今、新潟で大人気のケーキハウスのものだ。


「城島警部、あんな顔して、乙女心を分かってるね」


 理真が箱を開けると、中からはかわいい装飾が施されたケーキが三つ出てきた。あんな顔、は余計だ。好意的に見れば渡辺謙わたなべけん似で、私は好きだぞ。


「そのケーキ屋、有名なの?」


 と丸柴刑事。


「駄目だよ丸姉。こういうお店はチェックしておかないと。そんなだから女子力上がらないんだよ」

「私は忙しいですから。どこかの暇な恋愛作家と違ってね」

「なにおう。こちとら、雑誌コラムの仕事が一本来たんだからね」

「どこから?」

「『月刊土木技術』」

「その雑誌に恋愛作家が何を書くのよ」


 編集長が県人で、恋愛小説好きで安堂あんどう理真のファンでもあることから実現したと聞いた。その編集長は御年六十二歳の男性だそうだ。


「あ、それと、こっちはクロさんから」


 丸柴刑事は、さらに紙袋に手を突っ込む。ケーキだけが入っているにしては、異様に大きな紙袋だと思った。


「……」

「……」


 私と理真は無言でそれを見つめた。

 丸柴刑事が手にしていたのは薔薇の花束だった。添えられた白いかすみ草が真っ赤な薔薇に程よいアクセントを与えている。


「はい」と丸柴刑事は固まる私と理真に無理矢理花束贈呈した。


「おおかた……」


 理真は自分の腕の中に咲き誇る薔薇を見て、


「女の子には花でも贈っておけば間違いない、とか、誰かに吹き込まれたんでしょうね」

「クロさん、女の子にプレゼントなんてしたことないだろうからさ。許してやってよ」


 丸柴刑事は微笑んだ。


「許すも何も」


 理真は薔薇の花びらに顔を近づけて香りを楽しんで、


「ありがとうございます。感激しました。ってクロさんに伝えておいて」


 私からも、と私は理真の言葉に付け加えた。


由宇ゆう、花瓶どこにしまったっけ?」

「理真、花瓶なんか持ってた? 私が管理人室から持ってくるよ」


 私は花束を理真に預け、ケーキと薔薇の香りに満たされた部屋を一旦あとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あらわれた身代金 庵字 @jjmac

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ