つかのまの、温かさ。

 ぼろぼろで血まみれの……黒き印章の鎧。

「命からがら逃げてきたというのに運悪くゴルノアに遭遇したらしい。生きているだけ幸運だが……しかし、医者を呼ぶのも憚られるな……」

「父様はもともとアライにいたのでしょう? この方たちは、ゴア……」

「今はそんなもの関係ないさ。ミノアは中立だ。俺は……戦からは逃げた身だ。そして、助けられるものは助けたい」

 だがおそらく、ゴアの兵士を助けたなどということが少しでもアライに伝われば、たちまちアライは攻め込んでくるだろう。

 中立といってもミノアの立場はそうとう危ういものなのだった。

 だから、どちらの兵士が助けを求めてこようと、ミノアの者はうかつに助けることなどできないのだ。しかしだからと言って、アクセルには見捨てることができなかった。

「このことは誰にも悟られてはならんな。治療も最上のものはしてやれないが、できるだけのことはしてやりたい……。小屋に運ぶわけにもいかんからこの岩窟で我慢してもらわねばならんがな……」

 アクセルは苦い顔をして呟く。

「エリルも頼むな。できるだけ世話をしてやってくれ。……こんな戦争で、傷ついていく者を見捨てるのは、もう、たくさんだ……」

 父の身に何があったのか、エリルは詳しく知らない。

 エリルが物心付くころには父はこの山でソワ飼いをやっていた。

 そして母の顔も知らない。

 けれどエリルは聞かない。

 触れてはいけないことのような気がした。

 ただ、父が昔は旅の傭兵をやっていて、アライに長いこと忠誠を誓い留まっていたこと、母とはその頃に出会ったということなど、そのあたりは薄ぼんやりと察していた。万が一の時に少しでも生き延びられるようにと、剣の稽古や兵法・戦略等々傭兵の知識と技術を叩き込まれてきた中で、父の後ろにそんなものたちを見た。

「……ッ……こ……こ、は……?」

「……! 気が付きましたか」

 ふと声を上げた兵士のもとへ、エリルは駆け寄った。

 横たわる三人の中では一番若い……と言うよりも幼いとすら言える青年だった。

 若い分丈夫にできているということだろうか。

「ここは、ミノアです。ザザ平原東に位置するシノイ山群の中のひとつ、エル山です。あなたがたは逃げてゆくところを運悪くゴルノアに遭遇されたようで……」

「……ゴ……!! ……俺たちは、生きて、いるの、か……?」

「えぇ。まだ危ないかたがたもいますが、きっと、助かります。ですから、今はごゆっくりお休みくださいませ」

「……ありがとう……俺たちなど助けたら、君たちが危ないだろうに……」

 その若い兵士は苦痛に歪む顔を更に歪める。

「いいえ、お気になさらず。助けられる者を見過ごして、何が人間でしょうか。今は、もう、お休みくださいませ」

「……すまない……」

 安心したのかもしれない。青年はそのまま眠りに落ちていった。

「……とりあえず、今は小屋に戻ろう。誰が来るか分からんしな」

「はい、父様」

 二人は静かに岩窟を出た。




「俺たちのいた隊は本隊から分断され、じりじりと追い詰められて……気付けば俺たち三人だけになっていた。本隊との合流も望めそうになかった……。どうすることもできなくて、結局山に向かって逃げた。五日ほどずっと東へ東へ進路を取って、山の中を彷徨っていたんだ……」

 一週間ほど経つと、三人はだいぶ回復していた。

「そして気付いたらここにいた。ゴルノアなんかに遭遇していたんだな……本当に、助けてくれてありがとう」

 エリルはにこりと微笑む。

 包帯を変え、体を拭いてやる。

「……けれど、未だにあの平原での衝突は続いているのか……」

 ゴルノアとの遭遇によるものか、戦闘によるものかは分からないが、右目を失った精悍な中年の兵士が呟く。

「はい。今でもまだ、あそこで」

 今日もソワの群れを誘導しながら戦場を眺めていた。

 ゴアの兵士である彼らには悪いが、ゴアには士気がなさすぎるのが見るだけで分かる。

 それでも際限のない援軍の投入により、無謀に衝突は繰り返されていた。

「……あなた方は、何のために戦っておられるのですか」

「……エリル」

 思わずそう呟いたエリルをアクセルが諌める。

 だが三人の兵士たちは苦々しく苦笑しただけだった。

「……何のため、か。百五十年以上前の開戦理由なんかもう意味をなしていないのだろうがな。私は……強いて言えば自分自身のために戦っている。アライにゴアを潰されるわけにはいかないんだ。お偉方の領土争いなど知らない。ただ、思想の違うあの国に負ければ、確実にゴアは迫害される。それだけは……」

 そこにあるのは決意と信念。けれど圧倒的戦力差の前に勝てると言う希望すら持ちえていない彼ら。アクセルは苦いものを感じるが何も言えない。自分は、耐えることができずに、戦場から、逃げ出した……。

「傷が癒えたら、また戦場に行くのですか」

「……あぁ。もちろんだ」

 そんな彼らが痛々しく見えて、エリルは悲しくなった。

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作られた聖女と造られた軍神 千里亭希遊 @syl8pb313

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