2―変貌の日

 昨日、この世の出来事ではないことに、誰かに話そうものなら入院を勧められるであろう出来事に巻き込まれたものの、無事戻ってきた俺は、シャワーも浴びずに死んだように眠っていた。

いつもより少し早めに目が覚めた俺は、あれが夢であったと願いつつよろよろとシャワーだけ浴びると、再び学校に向かう。


―…


 授業中、はあ、と大きなため息をつく。もちろん目線は窓の外。桜はまだ咲き誇っているが、心なしかつけた花弁の数が少なくなっているような気がした。

心細さを勝手に感じていると、斜め後ろの席から、くしゃくしゃに丸められた紙が机の上にポイと投げ入れられた。開くと、その紙には、―今日どうするの?一緒にやってくれるの?あとで話しましょう。ゼッタイ。沙織―と書かれていた。

チラリと斜め後ろの席を見ると、爛々と輝く2つの光がこちらを見つめていた。期待に溢れているようだ。おいおい勘弁してくれよ。

今度は心の中で大きなため息をつくと、俺は軽く首を縦に振り、再び目線を桜に戻した。

…さて、どうしたものか。彼女らにはなんて説明すればいいのか懸命に考えても答えが出ない。この問題をクリアするには、自分だけの知能ではとてもじゃないが無理だ。

だが、他言してはいけないし…となるとカナーリスとエリスしかいないな。

とはいえ、行き方がわからない。

鏡か?でもあの鏡おかしなところにあったしな…とりあえず、今日は乗り切るしかないだろう。

俺が決意を新たにした時、既に授業はすべて終わっていたが、それを認識すると同時に俺の横には西条の姿があった。

「行くわよ。」

それだけ俺に話すと彼女は歩き始めた。

「あー放課後だけどなんか余ってるだろうし購買行ってから寄る。先行っててくれ。」

「そう、それなら私も行くわ。」と西条も横にぴったりとくっついてきた。

「なんでだよ。」

「んー、なんでだろ。でもなんとなくだけど、とにかくついていきたいの。」

「あーなるほど、さてはなにかおごってほしいんだろ。その手には乗らんぞ?」

冗談めかして言うと西条は「バレたか」と笑ってみせたが、表情はなぜか暗く、さきほどの期待に満ちた顔とは打って変わって神妙な面持ちだった。いうなれば、大切にしていた何かを失くしたような。


 購買で適当に菓子パンと飲み物、それから西条にオレンジジュースを買ってあげた。

「ほれ、オレンジジュース、嫌いか?」

そう言いながら紙パックに入ったオレンジジュースを手渡す。

西条は、好きか嫌いかではなく、ましてや普通と答えるわけでもなく、「ありがとう」とだけ呟くとオレンジジュースを受け取ってくれた。

「さ、行こう。先輩が待ってるぞ」

「うん、行こう。あんまり待たせちゃ悪いしね」

そうして、俺は西条を先導する形で歩き始める。そのとき、後ろから「すっぱい」と聞こえた気がしたが、確かめることはなかった。


……


「お待たせしてすみません。大切な用事がありまして…」

と言いながらドアを開け放つと、そこには既に土浦と氷沢、そして、初めて見る女子生徒が座して待っていた。

「おお、来たか。宗弥君。座ってくれ。」

宗弥君?いつからそう呼んでいたのかと聞きたい気持ちをぐっと抑え、土浦に、見知らぬもう一人の生徒の説明を求めた。

「彼女はどちら様でしょう?初めて見る方ですが。」

「彼女は一年生だよ。ほら、自己紹介して。」


一年生という彼女は、さも自信がなさそうに自己紹介を始めた。

「あ、あの…栞木詩織しおりぎしおりと言います。土浦先輩がおっしゃったように一年生で、特に部活などはやっていませんが、趣味で絵を書いていて、漫画が好きです。血液型はA型です。家族は両親と姉、犬のサニーがいます。えと、あと、図書委員の書記を担当していて、さっき漫画が好きだって言いましたけど、小説も好きです。特に好きな作家はフィリッ…」

「わかった!もういいから、ね。ありがとう。また今度、ゆっくり聞くことにするよ。君のことはもっとこれから知っていくことにしますから栞木さん。よろしくね。」

とんでもなく長くなりそうなので自己紹介を終わらせてもらう。彼女は大きなおさげの少女で、身長はこの部屋にいる誰よりも小さいが、正直に感想を述べさせてもらえば、出るところが出ており、良い意味でアンバランスだ。

「さて、宗弥君、彼女に鼻の下を伸ばすのはそこらへんにしてくれ。」

誰が伸ばしているか。俺の理性はトラフよりも深いことで有名だ。チラリと栞木を見ると、彼女は顔を赤らめて俯いてしまった。誤解だぞ。俺にそんなつもりは、無い…ぞ。

「彼女も例の件に参加してもらうことになったの。参加してもらった理由は、追って話すとして、それよりもどう?宗弥君。あなたも手伝ってくれるの?」

手伝うも何も、俺はそのお探しの品の管理者になってしまっている。かといって実在することは話せないし、話せないなら、俺は逆にそれを隠さないといけない立場に立ってしまった。俺にできることは、彼女らをなるべく、目的地から遠ざけることだ。申し訳ないが、樹海の中のコンパスにならせてもらおう。

「わかりました。存在するとは欠片も思えませんが、参加するだけなら、まあ、いいんじゃないですかね。やります。」

俺は参加を表明した。しかし、これは建前だ。本心じゃない。なにもしなければ暴かれることも無いだろうけど、放っておいてもなにをするのかわからないし、行動は把握しておきたい。

「ふふ、そうですか。ありがとう。君が入ってくれてとても嬉しいわ。」

意外にも最初に感謝の意を述べたのは、氷沢だった。面食らったのはどうやら俺だけではないらしく、この部屋にいる全ての人が一様に呆気に取られているようだった。

「そ、そうだな。とても嬉しい宣言だったよ宗弥君。」

続いて土浦が話すと、西条も頷きながら顔を緩め、こちらを見ていた。

「ですが、俺は何もできる気がしませんよ。なにも知らないし、そもそも無いと思ってるんですから。」

俺は、建前で塗り固めた言葉を発したが、皆にさして効果は与えられなかったようだ。

「大丈夫。そこらへんは抜かりないよ。宗弥君参加も正式に決まったことだし、もうちょっと踏み込んだ話をしようか。」

土浦はにっこり笑ってゆらりと立ち上がると、窓から差し込む夕陽が彼女に遮られ、部屋全体に大きな影を作った。

「前に誘った時に話してないことを教えよう。まず、私が昨日言ったこと覚えてる?」

「あー、確か、スクープとしてすっぱ抜くって…」

「違う、そっちじゃなくて、なんであると思ったのか、よ。」

「それだったら、ある人に教えてもらったんでしたっけ?大切な人とかなんとか。」

「そう。私は小さい時、大切な人にアカシックレコードがあるって教えてもらったの。でも、その人は行方知れずで…。でもアカシックレコードがあるならその人のことがわかるでしょ?だから探そうと思ったの。」

全てのことが記録されてるなら、当然他人のことも記録されているはずで、土浦はそれに賭けたということか。まあ、わからんでもないが、俺には理解できん。過去なんて知れば知るほど、身動きが取れなくなっていく。言わば海に深く沈んでいく錨のようなものだ。それと一生向き合わなければならないのはとても辛いことだと、彼女は知らないのだろうか。

知らなくていいことは絶えず存在し、増え続ける。これが俺の自論だ。これは、アーカイブの管理人になった今でも変わらない。

が、俺の心境など知ったことかと、土浦は続ける。

「私はその人のことほとんど覚えていないけど、彼はこの街に住んでいたようなの。だから、この街の学校とか、図書館とか探していれば、その人に辿り着けそうな情報もあるかもしれないって思う。最初の一歩を踏み出すのは、容易くないかもしれないけど、試してみる価値があるとは考えられない?出来そうなことからやっていく。」

アーカイブのことを知っているということは、関係者か、もしくは前任の管理人だった可能性もある。エリスたちに聞けばわかるかもしれないな。そこは俺も多少は気になる。そもそもなぜ管理人が空席になったのかもわからないからな。

「わかりました。それでいきましょう。ですが、いくらこの街って限定されてもしらみつぶしに探すのは時間がかかりませんか?」

そう、この街は思った以上に広い。東京の中でも田舎だと揶揄されることはあるが、栄えているところは栄えているし、学校施設や商業施設もいくつか隣接している。

「それを地道に潰すのもジャーナリストとしては重要だけど…ちゃんと精査はしていきましょう。まあ、まず女子校は除外していいでしょうね。そもそも男性だしね。」

「というか、その土浦先輩の大切な人っていくつくらいの人なんですか?」

「正確にはわからないけど、当時で30ちょっとくらいじゃないかしら。」

「あら、土浦さんの趣味は意外と年上好き、なのね?」

「やめなさい。私は普通よ。あの人のことは憧れてはいたけど、無理だってことはわかってたし、あの人も私のことを娘のように接してくれたからそんなことは思わなかった。だから宗弥君は勘違いしちゃだめよ?」

土浦は笑いながら否定する。俺がなにを勘違いするというのか。

「ま、まあ、それはともかく、土浦先輩のおっしゃるように、各学校などを探していけばいいんじゃなかろうかと思います。でー、早速ですが、この学校から調べていきませんか?叶入学園から。」

「…そうですね、私もそう思います…。でも私は一番下っ端なので…先輩たちのご判断に従います…」

そんな卑屈にならんでも…

「私も、そう思います。もちろん判断は先輩方にお任せします。」

栞木と西条は俺に賛同してくれた。そして少し間を置いて、氷沢も無言のまま顔を縦に振った。

「それじゃ、決まりね。行きましょ。まずは図書館ね。」

土浦は、一番に席を立つとドアを開け、皆に退室を促した。皆がぞろぞろと部屋を出ていき、俺が最後に椅子から立ち上がろうとすると、ドアの前に立っていた土浦は俺に

「宗弥君、さっきから言おうと思ってたけど…私のこと先輩って呼ぶの、禁止ね。名前で呼びなさい。」と話した。

土浦がなぜ、こんなことを言ったのかはわからない。だが、やけに真剣な顔の彼女に圧され、無条件でそれに従うことにした。

「わかりました。」

よろしい、とだけ言うと葵は微笑んで先に行ってしまった。廊下に出ると、土浦の後ろ姿は階段に差し掛かるところで、すぐに吸い込まれるように消えてしまった。

「さて…どうなるかな。」

そう呟き、俺は気合いを入れた。


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