第3話 手繰り寄せた仄暗い物

ゆっくりと目を開けた。


部屋が暗い。まだ朝になっていないのだろうか。


今日の授業はなんだったかなとぼんやりとした頭で考える。


体を動かそうとしてうまくいかない。妙に体がだるく重い。


徐々に目が慣れてきた。


あれ? ここ。見たことがない部屋だ。


そこまで考えたところで急激に脳が覚醒を始める。


確か、堺さんの家でガラスが割れたのを見にきて家の中で意識を失ったんだ。


慌てて飛び起きようとして体が思い切り後ろに引っ張られてベットから転げ落ちた。


両腕に鈍い痛みを感じて自分の両腕を見る。


「なんだよこれ」


思わず呟いていた。僕の両腕には手錠がかけられていた。


よく見ると本物というわけではないようだ。金属製ではないしどこか作りもお粗末だ。


とはいえ、両腕を後ろでつながれている状態では簡単に壊すというわけにもいかないだろう。


試しに思い切り腕を動かして見たが手錠はがちゃがちゃと物音を立てるだけで壊れるそうな気配はなかった。



手錠の輪の中からワイヤーが伸びていてワイヤーの片側はベットに輪をかけるようにつながれていた。


こちらは金属製の物でとても素手でどうにかできそうには思えない。


「一体どうなってんの……」


ぐったりとうなだれてベットにもたれかかる。


どうなっているも何もこの家に不法侵入したのは僕なんだけどね。


思わず自嘲してしまう。


しかし、まさかこんな状態になるとは思ってもいなかった。



部屋の中を見回す。随分暗闇にも目が慣れてきたのか。何となく辺りが見えるようになってきた。


全体的にファンシーな部屋だった。


ふりふりとした装飾が付いているシーツやソファ。小さな女の子が好みそうなぬいぐるみがちらほら置かれている。


箪笥にはデフォルメされたウサギのキャラクターシールなんかが貼られている。


暗いからはっきりとは分からないが全体的にピンクの色調がそろっているようだ。


どれも新品というわけではなくどれも古いものなのだろうか、くたびれて見える。


「女の子の部屋なのかな……」


でも、堺さんの部屋にしてはちょっと内装が幼すぎる気がする。しかし堺さんに妹はいなかったと思うのだけれど。


ギッと扉が軋む音がして目の前の扉がゆっくりと開かれた。


光が部屋の中に入ってくるかと思い目を細めたが光は室内には入ってこなかった。


扉が開いた先も電気はついていないようだ。


扉から入ってきた人影はゆっくりと僕に近づいてくる。


僕は這いずるように座ったまま後ずさる。


すぐに背中がベットにぶつかって止まる。


人影が僕の行動には特に変化は見せず変わらずゆっくりと一歩一歩近づいてくる。


僕の目の前で立ち止まった。視線を合わせるようにしゃがんで右手で僕の頬を触った。


冷たい手の感触を感じながら僕は目の前の人物を眺めていた。この距離ならたとえ暗くても顔は認識できた。


「ごめんね。こんな事して」


堺さんだった。


無表情に謝られる。背筋が寒くなった。


本当に申し訳ないとこの子は思っているのだろうか。


どうやら僕をここに軟禁したのは堺さんのようだ。


口では確かに謝っているけれどもその表情には何も感情が浮かんで無い様に見える。


ただ、言われたことをやっている。そんな印象を受けた。


「僕に謝るんだったら、これ外してくれないかな」


手を前には出せないので顎で自分の両腕を指し示す。


「それは無理だと思う」


はっきりと断られた。とはいえ、はいそうですかと諦めるわけにはいかない。


「別に逃げたりしないからさ」


「嘘だよ。それは」


眉一つ動かさずに否定される。


まぁ、確かに嘘なのだけど。


「これ軟禁だよ。というか監禁だよ。犯罪じゃないか。こんなの警察に見つかったらただじゃすまない」


ほとんど脅しだが、それぐらい言わないと聞いてくれなさそうだ。


「先に家に不法侵入をしたのは斎藤君」


反論の余地もなかった。確かにその通りなのだ。ガラスが割れて心配だったのは確かだが、僕が家の中に勝手に入ったことには違いがない。


「そもそもなんで私の家に入ってきたの?」


首を傾げながら聞いてくる。


「さっき、この家のガラスが割れるような音がしたのを聞いたから気になって」


素直に本当の事を言う。


「ああ、それはさっき私が転んで窓ガラスを割っちゃたんだ」


確かに堺さんの左肩の洋服は少し破れていたし、血も少しにじんでいた。


でも、やはり違和感を感じる。転んで割ったなんてとても信じられなかった。


「堺さん」


「何?」


「本当に転んだの?」


「そう言ってる」


「お母さんにやられたんじゃないの?」


僕は思い切って踏み込む。初めて堺さんの表情がこわばった。


ガタンと奥の部屋から大きな物音がした。


堺さんの体が一瞬跳ねるようにして硬直した。


「静かにしててくださいね。私も斎藤君にできるだけひどいことはしたくないので」


早口でそれだけ言うと堺さんはそそくさと立ち上がり部屋から出て行ってしまう。


「待って」


呼び止める声も聴く耳持たず扉を閉められた。


がちゃりと外から鍵がかかるような音がした。


「どうなってんの」


僕は思わず呟いてぐったりとベットに背中を預けた。


とりあえず頭の中を整理しようと思った。何が起こっているのか考える必要がありそうだ。


ガラスが割れる音を聞いて僕は堺さんの家に来た。玄関の鍵はかかっていて庭の裏手に行くと割れたガラスがあって、僕はそこから家の中に入った。


室内で堺さんを探していたら後ろから何か衝撃? 何かを押し付けられた? よくわからないけれど何かをされて僕は意識を失った。


目が覚めるとこの部屋で手錠とワイヤーでベットにつながれていた。


これが今僕の身に起こっているすべてだ。


確かに勝手に家に入ったのがまずかったのかもしれない。


誰だって自分の家に人が入り込んで来たら警戒するのが普通だろう。


でも、いきなり監禁するのは普通か?


普通警察を呼ぶか警告するかそのあたりが普通の行動じゃないのだろうか?


僕がここに来たのは僕が今日、堺さんの家のガラスが割れることを知っていたからだけれど堺さんは僕が今日この家に訪れるとは知らなかったはずだ。


それなのにこの用意周到さはなんだ?


そもそも普通の家に手錠やワイヤーが常備されているというのはすでに異常だろう。


まるで過去に誰かを監禁したことがあるような準備の良さと手際の良さじゃないか。


背筋に冷たいものが走る。いや、そんなことがあるわけがないと思いなすように首を振る。


この部屋だって監禁するにはちょっとおかしな部屋だ。


僕をはじめから閉じ込めるつもりならこんな子供部屋のようなところに閉じ込めたりはしないだろう。


もう一度部屋の中を見回す。ファンシーとしか言いようがないような部屋だ。


ただ、少しキャラクターが古いような気もする。


僕が子供のころに流行ったものというよりはもっと前に流行っていそうなそんなキャラクターのぬいぐるみが多いような気がする。


「ごめんなさい!」


突然、大きな声が響いた。おそらく堺さんの声だ。


断定できないのは聞こえてきた声には確かに恐怖の感情が混じっていたからだ。


僕が知っている堺さんの声とは違う。


直後に何かがぶつかる音がして陶器が割れる音が続いた。


そこからは何度も何度も物と物がぶつかる音と割れる音が連続して響く。


それはどれぐらいの時間続いたのかはわからない。ただ気が遠くなるほど、嫌になるほど続いた。


耳を塞ごうにも両腕をつながれている僕にはそれすら許されない。


物が割れる音の合間合間に奇声と悲鳴が混じる。


この家では異常な事が起こっている。


それを理解するには充分すぎる事態だった。


「堺さん!」


僕はできる限りの大きな声で叫ぶが当然返事はなく物音が止まることもなかった。


「香澄さん!」


名前で呼んでみる。変化はない。


僕は背中をベット押し付けながら立ち上がると扉に向かって歩く。


扉まであと三十センチ程度のところでワイヤーの長さが限界に達し僕の体がそれ以上扉に近づけなくなる。


一度深く深呼吸をして息を止めると僕は思い切り扉に向かって走る。


両腕が後ろに引っ張られて手錠が手首に食い込む。


ぎりぎりと手首が締め付けられて肉にめり込んでいく。


それでも歯を食いしばって前進する。ほんのわずか体が前に動いた。


ベットがわずかだが動いているのだ。


「ぐぅぅぅ」


うめき声をあげながら両足に力をこめる


本当に僅かずつ扉に体が近づいていく。


らしくない事をしている自覚はあった。こんなことに必死になってどうするという考えもある。


でも、もう僕はここにきてしまっている。すでに監禁されてしまっている。


こんな状況になっても何も変えられないなんてのは許せなかった。


自分が意を決して踏み出した行動に意味がないなんてのを認めたくない。


本当は知っている。自分の意志なんて覚悟なんて事実には何の影響もないなんてことは。


覚悟を決めても意を決して勇気を出しても結果がついてくるとは限らない。


いい方向に転がるとは限らない。


悪い方向に行くことだってままある。


行動を起こす前ならそれでもいい。


やって悪くなるぐらいならやらないという選択肢を選ぶことは大きな停滞であり大いなる選択だ。


それが間違っているとは思わない。


僕はむしろ停滞を選ぶ人間なのだから。


ただ、行動を起こしたのなら。もう停滞しても仕方がない。


もう選んでしまったのだから。


賽は投げられているのだから。


自分の選んだ行動が自分の望むのとは別の方向に転がらないように。


別の出目がでないように。


必死になるしかない。


肩が扉にぶつかった。両手首がじんじんと痛む。


痛むなら大丈夫だろうと楽天的判断を自分に言い聞かせて内側の鍵に口を近づける。


「ぎぎぎ」


自分でも意味不明なうめき声を漏らしながら咥えたシリンダー錠を体全体を捩じって解錠する。


がちゃりという音がして鍵が開く。


扉のノブは幸いL字型の下に下げれば扉が開くタイプのものだったので肘をノブに乗せて下に思い切り下げた。


ノブがおろされたことで扉を閉めているものがなくなり、あとは扉を押せばこの部屋の外が見えるはずだった。


どん。


どん。


どん。


何度体重をかけても扉は開かなかった。


どん。


どん。


どん。


扉は確かに僅かに外側に開いている。


しかし、数ミリの隙間以上扉は開いてはくれなかった。


「どうなって……」


僕は扉の上の方を見つめる。その扉と壁の隙間に信じられないものを見た。


南京錠。


金色の鍵がぶら下がっている。


スライド式の錠が扉の外に取り付けられていて、そこに南京錠が取り付けられている。


中から鍵を開けたところでこの扉は外には開かない。


「何だこれ」


思わずつぶやく。用意周到なんてものじゃない。


この部屋は間違いなく。


誰かを監禁できるように改造されている。


誰かを監禁した過去がある。


「……ッ」


ドアの隙間から誰かがのぞき込んでいた。


顔は隙間が狭すぎてわからない。まるで虫けらを見るようなまなざしが僕を見つめていた。


僕はとっさに扉から飛び離れた。


どん。


直後、思い切り扉が閉められた。


そして、家に静寂が訪れた。


家の中から一切の物音が消えた。


薄暗い部屋からすでに完全な暗闇へと変貌した部屋は僕の身じろぎする音しか聞こえない。


静かすぎて耳鳴りがする。


静寂がうるさいと思ったのは初めてだった。


それからどれぐらいの時間静寂が続いたのかはわからない。


暗闇の中、音もない状態が続くと人間の感覚はこんなにも鈍くなるのかと思う。


それどころか、自分が今立っているのか座っているのかさえ自身がなくなってくる。


意識が暗闇と溶け合うように混濁してくる。


どれぐらい。何時間。何分。


時間の感覚が狂って、自分が起きているのか寝ているのかも分からない状態になってきたころ。


唐突に部屋の扉が開かれた。


開かれた扉からは光が差し込み部屋に入ってきた人物は後光がさしているようにさえ見えた。


「堺さん……」


僕は突然差し込んできた光に目をすぼめながら入ってきた人物の輪郭からその人物を予測する。


堺さんは目の前に食パンの乗った皿を置くと僕の表情をうかがう。


「これが朝食ってことなのかな?」


僕は今にも落ちそうな意識を何とか保ちながら質問する。


堺さんは無言でうなずいた。


「僕、両手ふさがってるんだけど」


そこで、ああ初めて気が付いたといった表情を浮かべた堺さんがパンを両手で持ち上げると僕の口元まで持ってくる。


「はは。女の子に食べさせてもらえるなんて光栄」


皮肉のつもりで言ったのだが堺さんには通じなかったらしく、無理やりパンを口の中に詰め込まれた。


「私は学校に行ってくるから大人しくしててね」


それだけ言って立ち上がりこちらを振り返りもしないまま部屋を出て行った。


「おいおい本当?」


どういう神経しているんだ?


クラスメイトを自分の家に監禁しておいて自分は普通の生活を送るように学校に登校する?


背筋が寒くなるような行動だった。


あまりに普通すぎる。


あまりに自然すぎる。


まるで当たり前のことを当たり前のように繰り返しているような行動。


異常が通常になっているような言動。


「やっぱり似合わない事なんてするもんじゃなかったかな」


自分のとった行動にすでに後悔し始めていた。


なんとか脱出を図らなければ。


そう改めて決意したときふと違和感を覚えた。


さっき堺さんが出て行ったとき、鍵がかかる音がしなかった。


普通に扉を閉めただけだったような気がする。


体を起こしてまた扉に向かう。


ぎりぎりと締め付けられる痛みを我慢して扉に近づく。


やはり鍵はかかっていなかった。


ノブに手をかけ扉を押し開ける。


がちゃりと音がしていとも簡単に扉は開いた。


何なんだ? これは?


昨日は用意周到に準備されていたのに今日のこのずさんな管理は。


手錠があるから僕が逃げ出すことは不可能だと思っているのだろうか。


僕は一度ベットの位置まで戻る。


このワイヤーさえどうにかなればこの場所から逃げ出せるのだけれど。


そう思ってベットをもう一度よく調べる。


「これ……」


僕は唖然とした。


昨日は監禁されたことに同様していたのだろう。


こんなことにすら気が付けなかったなんて。


ワイヤーは確かにベットに取りつけれらていた。


しかし、それはベットの足がワイヤーの間に入っているだけで

ベットを持ち上げることができればワイヤーは簡単にベットから

外すことができるのだ。


ベットの大きさはシングルサイズより少し小さいぐらいだった。


女の人や子供なら持ち上げることはできないかもしれないが、男の僕なら片足を持ち上げることならできそうだった。


ベットの横にしゃがみ後ろ手でベットの足を掴む。


「ふっ」


小さく息を吐いてベットをゆっくりと持ち上げる。


重い。想像していたよりはベットは重かった。


しかし、それでも僅かだが数ミリ持ち上がる。


それだけの隙間があれば十分だった。


体を思い切りひねるとワイヤーの輪がベットから外れた。


ワイヤーを引きずって部屋の入口に向かう肘でノブを下げて押し開ける。


細い廊下が奥へと続いていた。


一日無理な体制でいたせいだろうか前進が鈍く重かった。


短い廊下を突き当たって先は玄関につながっていた。


扉には鍵がかかっている。僕は扉にもたれるように体を預けてサムターンを回す。


ノブを回すと扉は軽快な音を立てて普通に開いた。


昨日とは打って変わって簡単に外に出ることができた。できてしまった。


家の外へと足を一歩踏み出して、ほっと安堵する。


これで家に帰れる。


そう思ったときに体が痺れたように硬直する。


家に帰る?


誰が?


僕が?


一体何のために。


僕はこの家に足を踏み込むと決めたのだ。


僕は何をしていない。


何も知りえていない。


何をしにきたのかわからない。


いや、逆に言えばここで引き返すべきなのかもしれない。


ここでしか引き返せないのかもしれない。


「リテイクだよ」


呪詛のように僕の頭に響く。


はは。まるで人のせいだ。


神楽に責任を押し付けている。


僕がこんな目にあっているのは神楽のせいだと考えている。


でも、それでいい。


全部神楽のせいだ。


このまま堺さんを放っておけないと思うのも全部神楽のせいだ。


僕の意志なんかじゃない。


全部神楽のせいだ。


それでいい。


僕は踵を返すと再び堺家に足を踏み入れる。


部屋の中を勝手に調べさせてもらおう。


堺さんには悪いとは思うけれど僕を監禁したのも堺さんなのだし


その辺りはお互いさまだと思ってもらおう。


ワイヤーを引きずりながら家の中をあるく。


普通の一軒家だった。


4LDKの二階建て。僕が閉じ込められていたのは少し離れた場所にある個室だったようだ。


玄関から左手の部屋、昨日ガラスが割られた部屋をのぞくとすでにガラスは片づけられていた。


掃除をしたのだろうか綺麗に片づけられていた。


リビングとキッチンを覗く、リビングの中央に大き目のテーブルが置かれていた。


特に目立った物は見つからない。


キッチンも数少ない調理器具と食器棚がある程度だ。


あえて言うなら食器が少ないぐらいだ。


サイドボードの上には前来たときにも見た親子で写っている写真が飾られている。


写真の中の二人は仲がよさそうに見える。


父親に酷い目に合わせれた分母親と仲が良かったのかもしれないと以前なら思えた。


しかし、現実はそうじゃない。堺さんは母親にも虐待を受けていたはずなのだ。


それを知ってからこの写真を見るとまた違った風に見えてくる。


確かに一見仲がよさそうに見える。


しかし、それは堺さんが、堺だけが母親と仲がよさそうに見えるとも言える。


どの写真も堺さんが母親と肩に手を回してたり抱き着いていたりピースサインをしている。


母親はどれも暖かくそれを見守っているようにも見えるがただ無表情に堺さんと一線を引いているようにも思える。


恐ろしく異様だ。


母親はどんな気持ちなのだろう。自分が暴力を振るっている娘が自分になついてくるというのは。


それは恐怖なのか。畏怖なのか。


少なくとも好意的な感情ではないだろう。


だからこそ母親はなおさら堺さんを殴るのかもしれない。


目の前の写真立てを伏せる。それ以上見ている気持ちになれなかったからだ。


リビングを出て二階に昇る。


なるべく物音を立てないようするのに気を使った。


今の今まで気が付かなかった自分が信じられないが、この家には堺さんの母親がいる可能性があるのだった。


堺さんが学校に行ったので母親も働きに出かけていると思い込んでいたが、もしかしたらまだ家の中で寝ていたりするのかもしれないと遅まきながら思い至ったのだ。


一階に寝室はなかったので二階に寝室がある可能性は高い。


なるべく足音を立てないように気を付けても気の階段がミシミシと音を立てるので気が気ではなかった。


結局、誰かが物音に気が付いて様子を見に来ることもなく二階にたどり着くことができた。


階段を上ると短い廊下の左右に扉があった。


左のドアをゆっくりと開けて中をのぞく。


電気はついていなかったが窓から入ってくる明かりが部屋の中を照らしているので暗いというほどではなかった。


その部屋はやはり寝室だったらしくベットが一つ置かれていてクローゼットと化粧台が置かれていた。


反対側の部屋の扉を開ける。こっちは物置というか本棚や箪笥が所狭しと置かれていた。


部屋の中には誰もいないことを確認して扉を閉める。


やはり、母親は出かけているらしい。


今、この家には僕一人しかいない。


人ひとり監禁した割には随分ずさんなものだ。


全ての部屋を見終わって僕が感じたことは普通だということだ。


特に変わったことのないどこにでもある一般的な家庭。


母親と二人暮らしということで一軒家にしては家具が少ないとは思うがそれだけだ。


「どうなっているんだ?」


僕はひとり呟く。当然だが返事はない。


確かに何も変なところはない。


変なところがなさすぎる。


この家は本当に問題が起こっているのか?


そう疑ってしまいそうだ。


昨日、確かにガラスが割れているのを僕は見たし堺さんが言い争っているのも聞いている。


あまりにも綺麗すぎる。


全ての部屋に埃ひとつ落ちていない。


いや、すべてにおいて僕が監禁されていた部屋だけが例外だった。


あの部屋だけは埃が落ちていたし家具もかなり傷んでいた。


明らかに中にいる人間を外に出さないように閉じ込めるようにできているあの部屋だけが例外だった。


そして、前回来たときと今回感じた違和感。


一つの結論が頭に浮かぶ。


しかし、頭を横に振る。


そんなことがあるだろうか。


僕は元の部屋に戻ってベットにもたれかかるようにして座り込んだ。


天井を見上げる。


この部屋は長く使われていなかったのだろうか?


四隅ひ蜘蛛の巣が張っていた。


僕は覚悟を決める。


ベットを持ち上げてワイヤーを再びつなぐ。


そして、僕はゆっくりと目をつぶった。


「斉藤君。斉藤君」


自分の名前を呼ばれて僕は目を覚ました。


「よく眠れますね」


目の前の堺さんがあきれたような表情を浮かべる。


「監禁した人に言われたくないよ」


堺さんがまっすぐに僕の目を見つめてくる。


「逃げようとか思わないんですか?」


「思っているよ。ただこれじゃ逃げられないだろ?」


視線を自分の背後に送る。


「それもそうですね。どうせそのワイヤーを外せたところでこの部屋の外には鍵がついてますから逃げられませんけど」


僕は無言で何も答えない。


「……食事です」


目の前にコンビニで買ってきたらしいパンを突き付けられる。


「口開かないと食べられませんよ?」


「口に突っ込む気かよ」


「同級生の女子にあーんしてもらえるんだから嬉しいでしょう?」


「こんなにうれしくないあーんは稀にみるね」


とはいえ、小腹が空いてきているのも事実だったので


口を開けると手で半分に分けられたパンを突っ込まれた。


食べさせてくれたのではなく文字通り突っ込まれた。


瞬間的に吐き出しそうになるのをこらえてパンを咀嚼する。


半分食べ終わると残りも口に突っ込んできた。


全てのパンを食べ終えるとこれもコンビニで買ってきたらしいペットボトルのお茶を突っ込まれた。


そのお茶も飲み終えると堺さんは無言で立ち上がり部屋から出ていこうとする。


「ひとつ聞いてもいいかな?」


「なに?」


「トイレは? トイレはどうすればいいのかな?」


切実な問題ではあった。一応僕の世話をするつもりではあるようなのでトイレのことも聞いてみる価値はあると思ったのだ。


ああ。と今気が付いたというようにうなずく。


「床でも叩いてくれればいいよ。この家古いからそれぐらいの音でも聞こえるから。私がトイレに連れて行ってあげるよ」


「堺さんが学校に行っている間にトイレに行きたくなったら?」


「我慢して」


「そうですか……」


トイレに簡単に行けないといういことは、一日一食の現状は逆にありがたいのかもしれなかった。


それから僕は四日間この部屋に監禁され続けた。


堺さんは学校から帰ってきたときに僕に食事を与えに来るのと僕がトイレに呼んだ時ぐらいしかこの部屋にはやってこなかった。


一度堺さんが学校に行っているときにもう一度ワイヤーを外して部屋の扉に近づいてみたが今度は外から鍵がきちんとかかっていた。


初日に鍵をかけ忘れていたことに気が付いたのだろう。


この四日間この家にいて思ったことは静かだということだ。


人の話し声もテレビの音も聞こえない。


聞こえるのは時折聞こえる堺さんが歩いているであろう音ぐらいだった。


母親らしき人の声も聞こえなければ言い争う人の声も聞こえなかった。


そして、週末の金曜日の今日。玄関が開く音がして、堺さんが帰ってきた。


バタバタと足音がする。今日は随分と慌てているなと思っていると


扉が開いて飛び込んできたのは桜だった




「明」


桜は部屋に飛び込んでくると同時に僕に抱きついてきた。


「よかった。よかった」


と何度も耳元でつぶやく。


「心配したんだから」


桜の髪の毛が僕の頬を撫でて妙にくすぐったい。


「意外だ」


「何が?」


「桜がそんなに僕のことを心配してくれたことが」


「起こるぞ」


真顔で僕をまっすぐ見つめて言った。


「ごめん」


「素直でよろしい」


桜は目にうっすらと涙を浮かべながら笑った。


「本当に心配したんだから。一週間も学校に来ないし」


「ああ。ごめん。監禁されてた」


後ろ手にかけられている手錠を見せながら言う。


「逃げられるのに逃げなかったのは監禁とは言えないんじゃないの?」


桜があきれた顔をする。


「あれ? どうして分かったの? 僕が自分の意志でここにいるって」


「香澄が言ってた。脱出できるようにわざわざしておいたのに逃げなかったって」


ワイヤーのが外せたのも鍵がかかっていなかったのもわざとだったのか。


「いや、そう言われるとちょっと恥ずかしいな」


監禁二日目の日学校から帰ってきた堺さんはそうとう驚いたに違いない。


まるで、逃げられることを知らなかったかのような顔をして居座っている僕を見て。


僕はあえて逃げなかったことを悟られないようにしていたけれど、堺さんにバレバレだったと思うと顔が赤面しそうになる。


「で、明はここで何をしようとしていたの?」


「人助け」


桜が怪訝な顔をする。


「らしくないにもほどがあるね」


「僕もそう思うよ」


「助けてほしいなんて言った覚えはないんですけど」


部屋の入口近くに立っていた堺さんが冷たい言葉を投げかけてくる。


「まぁ、頼まれてないからね」


「迷惑です」


「知ってるよ」


「人に迷惑をかけないようにって親に教わらなかったんですか?」


「堺さんなら迷惑をかけてもいいと思ったんだ」


「どうしてですか」


堺さんが心底嫌そうな顔をする。


「友達だからね」


「最低ですね」


「よく言われるよ」


僕は自嘲的な笑みを浮かべる。


「最低ついでに僕から君に言わなきゃいけないことがあるんだ」


「なんですか?」


「嘘をつくのはやめよう?」


「私は誰にも嘘はついていません」


僕は首をいやいやと首を横に振る。


「人には嘘はついていないけど、自分に嘘はついているでしょ」


「明」


桜が僕の言葉をさえぎろうとする。その視線には力がこもっていた。


きっと桜はもう気が付いている。


というか、前回来た時に気が付いていたのだろう。


「君は母親に虐待なんて受けていないね」


「ええ。受けていませんよ。そんなこと言った覚えもありません」


そう。彼女は母親から虐待を受けているなんて僕たちに言ったことはない。


「君はお母さんと二人ぐらししているんだよね」


「それがどうしたんですか」


「君のお母さんはもう死んでるよ」


さらりと僕は告げる。

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