第25話 光の羽根の雛
海の波に揺れる甲板の上から、遠くなっていく陸地をいつまでも見つめて。
章子たちは高い船縁にある手摺から動かなかった。
周囲を飛び交う潮風は鳥の形となって、
章子たちの帆船の航跡を追うようにして、片時も離れようとはしない。
「……離れて……いっちゃうね……」
名残り惜しそうに呟く章子は、
今も彼女たちが見送ってくれているかもしれない、出港したあとの港の方角を見る。
見送りに来ていたサナサ・ファブエッラの何とも言えない寂しさを表わしていた顔は、
今もまだ忘れることが出来ないでいた。
「あそこまで、たくさんのサーモヘシアの人たちが見送りに来てくれるなんて思ってもいなかった」
そう口にしたのは端にいたオリルだった。
今まで、彼女たち第一世界の住人たちの存在が、無条件に歓迎されていたものではない事は自覚していたらしいのだが、
それが今回ほど、逆の印象で彼らの行動を目の当りにしたことは、オリルたちにとっても驚くべきものであったのかもしれない。
「てっきりあたしは、
今回も、やっと厄介者がいなくなった。というような別れ方になるんだろうなって思っていたのに……」
「オリルっ! 失礼ですよ。その発言は慎むべきです!」
間髪入れずに通りかかったリ・クァミスの乗組員に窘められ、オリルは思わず姿勢を正す。
「は、はいっ。すみませんっ」
居住まいを正すオリルを見て、傍で見ていた真理も小さく笑った。
「彼らも成長の過程にある……という事でしょう。
あなた方に対する彼らの接し方も、これからは違ってくるかもしれませんよ?」
「そうだと、いいんだけど……」
まだ第五世界のサーモヘシアの大陸を遠く眺めているオリルは、感慨深くその場から動こうとはしなかった。
それはオリルから三人分ほど離れた所で、同じ方角を見ている半野木昇も同じようだった。
それを見とめて、真理は薄く白いケープを広げると羽織り、船内の方へと歩こうとする。
「どうやら私は潮風に当たり過ぎたようです。
どこか、風よけになるところで休んでいますので、しばらくしたら、船室にでも合流しましょう」
真理の言葉に三人が頷くと、真理は一人だけ船内の入り口の方へと遠ざかっていこうとする。
そんな様子を伺っていた章子は、
そのまま手摺際に残るつもりでいる昇やオリルに断りを入れると、真理に追いつこうと小走りに走った。
「まって、真理!」
章子が呼び止めると、呼ばれた本人も意外そうに足を止めて優雅に振り向く。
「どうしたんですか? 章子。
意中の彼をライバルのそばに置いてきたままで……」
「それはあなたも同じでしょ?」
章子が返すと、真理は嬉しそうに微笑んだ。
「まったく我が主には敵いませんね。
それで、私に何か御用ですか?
咲川章子」
踵を返す真理は、入り口に向かう足の向きを変えると、
カンカンカンと傍らにあった金属製の階段を昇り始め、
章子も促すように、操舵室がある階より一階ほど低い船首艦橋の裏手へと回り歩いて、
暗がりの甲板廊下の切りのいい所で立ち止まった。
「ここでなら、人目もそれほど気にすることはないでしょう。
向かい風も背後にある船首艦橋棟が引き受けてくれる。
それに丁度、オリルや昇の姿も見下ろせられる。
私やあなたにとって、これほどの隠れ場所もそうそうありはしないでしょうね」
言うと、真理は艦橋棟の裏手、後部の船体全体を見渡すことができる、
手摺の中程で手を添えた。
「さて、
では、どうされましたか?
私に何か、御用があったのでしょう?」
真理は艦橋の裏側にある二階の甲板廊下から、
一階下にある船縁までを見下ろすことができる鷹の目を用い、
遠く、特に会話もしていない素振りの二人を遠慮なく監視している。
「火山から戻った時に、わたし言ったよね?
変なものを見たって……」
章子が恐る恐る言うと、真理も静かに頷く。
「そんな事をおっしゃっていましたね。
黒い山羊と白い羊の、人型をした獣のような者を見た、と」
訝しんで言う真理に、章子も頷く。
「しかし、何度も確認しましたが、
私の記録していた
あの時、あの火山の周辺に存在していたのは私たち五人と他の登山者数名、それと、現地の一研究者の数人だけです。
それは間違いない」
そんな……。と言いたい言葉を章子は飲み込む。
真理が言うのであればそうなのだろう。
であるのならば、
あれはやはり章子の見間違えだったのかもしれない。
「……しかし、問題は残る」
「え?」
真理の突然の指摘に、章子は顔を上げた。
「問題は残ります。
まず第一に、その者たちが地上ではなく、空にいたという事実です。
空、
空中にいた、という事は、
その者たちは間違いなく、
あの火山の所在地である第五世界に由来する存在ではない。
航空機などの機械的な物を用いずに、単独で空中に滞在できる科学技術を持つ世界は、
第一紀の初代時代世界であるオリルたちリ・クァミスと、
次に目指す地である第二紀ヴァルディラだけです。
それが
その二つの時代世界以外に、
生身のまま空中で長時間滞在できる科学技術を持った世界は存在しません。
そして、更なる問題がその者たちの外見です。
羊や山羊のような獣の外見、体表であるにも関わらず、
人型、いうなれば二足歩行型の四肢、輪郭、姿形を取っている……。
私の知る限り、
その様な生物の形をとっている種族が存在している世界は一つしかない」
真理は真剣な表情で章子を見る。
「それが第六です……」
「第六……」
真理と同じ単語を復唱する章子は、特に驚きは感じなかった。
やはりそうかという憶測が、ついに確定されてしまったという感想しか湧き上がってこない。
「ですが如何に第六とはいえ、
第一や第二の科学技術を既に手に入れ、更にこんな短期間に、
それをそこまで実用化しているとは、非常に考えにくい」
「そういうものなの?」
章子の意外な疑問に、真理は頷く。
「それはそうですよ。
彼らの科学技術でも、いくら「否数法」を知ったからと言って、それがすぐさま魔法や魔術などの超科学技術の入手に直結するなどということは不可能です。
普通に考えればね。
だから、聞きかじったリ・クァミスの原理学やヴァルディラの摂理学を、彼らの生物生体工学に転用するということなら、まだ説得力はありますが。
それを独自に磨き、独学で同等のものにして手に入れようとするなどとは、とても無理な相談です。
それを可能とするには、
まだまだ、その為に経過しなけらばならない時間の量は圧倒的に足りない」
だが、
そこまでを断言する真理にも、引っかかるものはあるようだった。
「……しかし他に可能性があるとすれば……」
「すれば……?」
章子が促すと、真理も返す。
「他に「提供者」がいる……。
という可能性ですね。
その可能性ならば、現時点では最も有力となる。
それでも、信じ難い根拠というものが必要になりますが……」
「信じがたい根拠……」
「そうです。
まず第一に、その提供者は、
この私、
この私に気付かれずに接近し、
この私に悟られずに盗視を続行し、
この私に察知されぬままに逃げおおせることができる能力。
それほどの力があれば、あなたが実際に見たというその光景は説明することが出来る。
しかし、それほどの力を持つ者など、それこそ本当に至極、ごく数人に限定される。
私の知る限り、そんなことが出来る者など、現時点では三人しか思いつかない」
「三人……」
真理は頷く。
「そうです。三人です。
それが我が母、ゴウベンであり、
我が姉、
そして最後の残り、一人、
この新惑星を創った我が母ゴウベンの過去の人でもあると予想される、
三枚目の券、
ガラスの
ですよ……、章子」
「ガラスのチケットを持つ、……子……?」
「そうです。
おそらく、その人、
その少女は十中八九、リ・クァミス人でしょう。
そして、リ・クァミス人ならば、
すでにこの時点で、栞の力を使い私の真理学適性値を超えていても不思議ではない。
それほどの感性さえあれば、です。
だから、
リ・クァミスの人口の中でも特に最優秀の成績を持つオワシマス・オリルは現時点での最重要被疑者ですが、
彼女が今までそれらしい行動をとったことは一度も無かった。
私の知る限りの、この転星に来てからの一度もです。
ですから、最も疑わしいオリルでさえ、
その提供者である可能性は極めて低い……」
「でも、
わたしは確かに……」
なおも食い下がる章子が、現実に目にしたという光景を、
真理も、もちろん完全に否定することはできない。
「だとすれば……、
もっと根深い、根本的な所で、
想定している可能性を根底から間違えている、ということになりますかね……」
「根本的な所で……?」
「そうなるでしょうね。
それは例えば、
三枚目のチケットを持つ者が実はオリルではなく、我々のまだ知らない他の第三者である。
という可能性か。
はたまた、それ以外であれば、
その黒い山羊と白い羊の人物たちは、実は、
我が母ゴウベンの『使いの者』であった。という可能性も考えられない事ではない。
しかし、前者はともかく、
後者は、私でもそんな者は見たことが無いし、聞いた事もないし、母から感じ取ったことも無い」
「……無い、の?」
「無いですね。
母は常に独りだった。
私たち姉を含めた姉妹と一緒に過ごす時でも、そんな者を見かけたことは欠片もありません。
仮に私たちの与り知らぬところで、会って、召し抱え、控えさせていたとしても、
あの時、あの場所で、わざわざ、あなたの目に触れさせるようなことをするとは、とてもだが考えにくいし、
第一、
それをしたところで、何を意図しているのかが分からない」
「まあ……言われてみれば、
確かに……」
力が抜けていく章子の声に、真理も同調して苦笑する。
「ただ、
一つだけ、確実に言えることがあるとすれば、
『監視されている』ということだけは、あるのかもしれないですね……」
「監視……」
「そうです。
それが〝誰〟であれ、我々はその誰かの興味を惹いている。
そういう興味を惹く行動をとっている、ということは意味しているのかもしれない。
そんな気が、私にはします……」
らしくもなく、
遠くを見つめて言う言葉に、章子はそれ以上追及する言葉は持てなかった。
実際、いつまで待っても、それ以上の答えは返ってこない。
だから章子は頭の片隅にあった、もう一つの事を訪ねてみた。
「じゃあ、もう一つのことを聞いてもいい?」
「なんですか?
今度は」
「……昇くんの……ことなんだけど……」
章子の口からその名が出たことに真理は驚く。
「おやおや、今度は彼のことですか?
それならば私ではなく、直接本人に聞けばいいでしょうに」
「その前に確かめておきたいの。
昇くんが、
未来〝予知〟を経験したことがあるって……、
本当なの?」
章子の過去の夢を問いただす質問に、真理はますます目を丸くさせたかと思うと、
直ぐに、目を細く睨み据えて、黙ったままでいる。
「真理……?」
いつまでも沈黙を続ける真理に、章子は顔を覗きこむ。
「それこそ、
私は言った筈ですよ。
それはご自分で確かめてください、と……」
意味深げに口元に当てた指を立たせて見せ、いたずらっぽく笑う真理を見て、章子はついに自覚する。
「じゃあ、やっぱり、
あの夢は……っ」
「うひゃあっ!」
章子がそこまでを言うと、
突然、下の階下から大きな声が上がった。
章子が身を乗りだして艦橋裏の二階廊下から、下の様子を見下ろすと、
声の主はどうやら、甲板床の上で慌てふためいている様子の半野木昇だった。
何かに驚くように、左右の足を交互に上げ下げしている昇の奇怪な行動を見て、
章子は怪訝に眉根を寄せる。
「なに、やってるの……?」
章子がさらに目を凝らして、昇の周囲をよく観察すると、
その傍にはオワシマス・オリルもいた。
オリルの髪型は、この船に乗り込む前に、あの腰まで伸びていた長い髪をスッパリと切り、
あのサナサ・ファブエッラの髪型を意識したショートカットに似せている。
そんな短い髪となったオリルがなにやら行い、それを昇に見せているようだった。
「何してるの……?
あの二人……」
章子が言うと、今度は真理も悪い顔で、指をアンテナの様にして立てる。
「では、ちょっとだけ、
盗み聞きをしてみましょうか……」
「ちょ、
ちょっと、盗み聞きなんて」
「いいではないですか。
あなたも気になるでしょう?
あの二人が私たちを差し置いて、
あそこで何をイチャついているのかを……」
「それは……でも」
章子が躊躇っている素振りも、
真理は無視すると、
立てていた指から光の光学線を円陣の輪のように発生させ、
光の魔方陣の指環さながらにはめて回転させる。
回転する光の指環はさらに速度を上げるとアンテナとなり、
章子たちの周囲に、離れた所で交わされる会話を伝え始め、音響させていた。
〝ちょ、ちょっと、
なにやってんの?
オワシマスさんッ?〟
慌てふためきながら叫ぶ半野木昇の声が、管の中を伝う音の如く響いて伝わる。
〝ね、驚いた?
驚いたでしょ?
あたしもまさか、こんなこと本当にできるとは思ってもいなかったものっ〟
これは軽やかなオリルの声だった。
この会話の内容からすると、
オリルがあそこで何かをし、
それに昇が大きく驚いていることは理解できた。
「いったい何を……?」
それをよく確認する為に、
章子が二人のやり取りする仕草に目を凝らしていると、何やら赤い明かりが途中にチラチラと見える。
「なに……あれ」
〝わぁッ!
ダメだってっ! オリルさん!
ちょ、ほんとにダメッ!
燃えてる、燃えてるからっ!〟
「燃えてる……?」
周囲から伝わる昇の叫びと、遠くで見る昇の挙動が一致しているのが分かる。
その昇が何度も飛び跳ね、逃げ回る中では、何かゆらゆらと揺れる赤い明かりの様なものも同時に飛び跳ね、
それがはしゃぎまわり昇を追いかけていた。
「なに……、あれって……」
目を凝らしていた章子の視界に、輪郭がハッキリとなって飛び込んできたのは、
火の玉だった。
赤い火の玉が跳びはね、逃げ回る昇を追いかけまわしている。
それはまるで、飼い主にじゃれつくペットのように……。
(……違う)
章子は茫然となった。
あれは、違っていたのだ。
あの赤い火の玉のように見えるものは、火の玉ではない。
『犬』だった。
正真正銘の犬だったのだ。
犬が子犬の大きさで、炎の躰をもって、はしゃぎ回っている。
炎の犬だ。
炎の犬だったのだ。
炎の、
メラメラと燃え盛る火の体をもった、幼気な子犬。
それが逃げ回る少年を追いかけ回して、
遊び相手を求める行動を発揮している。
「そんな……なんで……」
章子はただ茫然とその光景を凝視していた。
章子には理解できなかった。
犬が、炎を身体として生きて動き回っている。
その光景が信じられなかった。
風ならばまだ分かるのだ。
それに水でもまだ辛うじて理解できるし信じられる。
それはさきほどまでいた世界、
第五世界のサーモヘシアで嫌というほどに目にしてきたのだから。
だが、それでも「風」や「水」どまりだった。
よくいっても「光」の躰。
それ以外の形をもった命を、章子は
だから、かつて現地の少女サナサから聞いた言葉を思い出す。
彼女サナサ・ファブエッラは以前、こう言っていた。
〝火や電気、大地にも命を宿すことはもちろんできます。
でも、それだけではその命は長続きできないのです。
それでは与えた瞬間に命は消えてしまいます。
なぜなら火や雷は、発生させてもすぐに発散されて霧散してしまうから……〟
だから第五世界でも火や雷の生命は全て瞬間的にしか発生できないのだと、
サナサはそう言っていた。
それは生まれた瞬間に死を迎える。
「それなのに……、
どうして……?」
そんな章子の疑問には、隣の下僕が答えを出していた。
「とうとう、
やってしまいましたね……、
彼女は……」
「え……?」
「やってしまったんです。
彼女は……ついに。
過去のギガリスがどうしても達成できず、
何処までも迷い、
何処までも探し求めて、欲していた……、
瞬間を……っ」
真理は、
まるで下階で繰り広げられている奇跡を、我が子を見守るように言う。
「ギガリスはね……。
アレができなかったのです。
どうしても、
あれができなかったんですよ。
いえ、思いつかなかったのです。
ギガリスにはあの発想が思いつかなかった。
燃え盛る炎を、
流れる水を、
迸る光を、
それらの動きに、命という新たな1つの挙動を与え吹き込む。
そういう発想が思い浮かばなかったのです。
なぜなら彼らには分かっていたから」
「分かっていた?」
「そうです。分かっていたんですよ。
そんなただのありふれた自然現象に、一つの命を宿したところで、
それらは全て、
何の変哲もないただの命だという事を。
どのような形であろうと、命は命なのです。
それが血を流す生身の身体に宿った意識だろうと、
メラメラと揺れる火の身体に芽生えた意思だろうと、
1つの命にしか見えなかった。
見えなかったんですよ。
だから彼らは、それを試すという事さえしなかった。
出来なかったんです。
彼らにはそれが全て同じ命にしか視えなかったから……」
そして真理は、天高い空を仰ぐ。
「しかし、それをとうとう彼女がやった。
やってしまった。
今の、この時に、
覇都ギガリスの前身。
原理学の終わりにもまだ辿り着けていなかったこの第一文明世界、リ・クァミスがです。
そして、
この出来事は、それ以上の重大な意味までも持ってしまう……ッ!」
「え……?」
疑問に思う章子を、真理は強く注意を促す。
「よく覚えておくことですよ。
咲川章子。
これは重大な事なのです。
第一世界である最初の文明世界が、
第五世界だけにあったはずの技術を使って、
命に、魔法の体を与えて、
新たな形態をもつ生命体を出現させる。
これはね……?
実際の太古にあったリ・クァミス……、
いえ、
あのオワシマス・オリルの元ともなった、
実際の過去で生まれて死を迎えた本当のオワシマス・オリル本人でさえも、一度も実行できなかった未到達の不可能性な可能性だったのです。
それを今、あそこにいる、あの現在の模倣された命でしかないオワシマス・オリルが実現し達成させてしまった。
この事実は、
過去にいたオワシマス・オリルと、
現在のオワシマス・オリルという人間が、
過去の太古にいたオワシマス・オリルはあれが出来なかった。
あれが出来ずに、リ・クァミスがギガリスに変遷する中ですり減っていく天寿を全うした。
私は、母から与えられた情報の波から、その記録を見つけたのです。
しかし、それが真実、鵜呑みに出来るほど正しいのか、はたまた虚偽なのかは別のお話。
今の問題は、それを現在に生きるあのオリルという少女が実際に実行した。
それだけなのですから。
過去の魔法使いの一人でしかないオワシマス・オリルが出来なかったことを、
現在のオワシマス・オリルが
これはつまり、
今現在のリ・クァミスという国の世界のこれからが、
過去のリ・クァミスという世界の未来である覇都ギガリスという姿さえも超えた未来となってしまう可能性も秘めている……ッ!
という事でもある……っ!」
「それって……ッ?」
真理の言葉に、章子は心を大きく驚かせる。
「そうです。
これからのリ・クァミスという未来に、あのギガリスという絶望の結果は訪れない。
変わるのです。
これからの先の未来が。
彼らは手に入れつつある。
過去の世界に確実に在ったはずの彼らの
そのギガリスが最も欲していた多様性という可能性を。
そしてそれが恐らく、これからの新世界の鍵にもなる……」
「……鍵……?」
「そうです。鍵です。
これから先、
我々や、リ・クァミスは、あの第五世界も含めた他の世界とも交流を深め、
接触を重ねて、
あらゆる科学技術を獲得し、吸収していくでしょう。
それは何もリ・クァミスに限ったことではない。
第二紀ヴァルディラも、
第三紀ルネサンセルも、
第四紀グローバリエンも、
第五紀サーモヘシアも、
そして第六紀、
あなた方、七番目の人類の人間という形を仕込みこんだ、
ウルティハマニも。
それら全ての世界が、魔法を、魔術を、エネルギー工学を、機械工学を、発生学を、
生体工学を、それぞれに吸収していき、
新たな世界を創造させていく」
そして、真理はその結果を言う。
「
章子」
「世界……合併……?」
「そうです。
旧世代にあった六つの世界が全て合併され、
新たな新世界が誕生するっ!
世界合併!
世界が……新たな一つの新世界になろうとしている。
その始まりの合図、狼煙なのですよ。
あの……オワシマス・オリルがやった事はね……」
だが、そんなオリルたちを見つめる、真理の視線はどこか厳しい。
「……しかし、……あのままではいけない……っ」
「え……?」
章子はもう一度、驚く。
「なんで……?」
「あのままではいけません。
あのまま、あの生まれたばかりの火の命を維持させていくには、
今のオリルには余りにも負担がかかり過ぎている」
真理が言うと、
一つ下の甲板階で今も戯れているオリルと昇の動きに変化があった。
それはパッと見、どこも変化が無いようにも見えた。
だが、離れた所では確実に変化が起きていた。
見れば、はしゃぐオリルと追い立てられる昇の構図は変わっていない。
しかし、それでも離れた所で、一筋の電光が奔った瞬間を、
咲川章子は見逃さなかった。
「あれは……」
それは、追跡をやめない火の子犬に逃げ惑う昇の背後から遠く、
甲板の舷側廊下を、船首へと向かう方角、
操舵室の在る艦橋の側面が影を作る寸前の部分で起きていた。
一瞬、奔った電光は、
更にバチバチと何度も続いて、そこにちょこんと頓挫した形を創って現われた。
現われた頓挫は、すぐに産まれると、
正面でその気配にさえ気付かない無防備な逃亡者を捉えて離さない。
その様子を見て、
章子は直ぐに、その頓挫するものが何なのかが分かって見て取れた。
電光は揺れる、尻尾のようにゆらゆら揺れる。
いや、実際にその電光の先から伸びるものは尻尾だった。
電光が迸る背を丸めた本体からは、やはり細い電光の尻尾が伸び、それがゆらゆらと火花と共に揺れて狙いを定めている。
昇は気付かない。
背後でそれが産まれている事に気づかない。
そして最後、バチンと盛大に雷音がなった所で、半野木昇は振り向いた。
時は止まった。
半野木昇は逃げる身体を止めて、それを見つめた。
凝視していた。
新たに産まれたそれが、昇を獲物として見ている事に。
「え……?
ええっー……ッッ」
昇は新たな絶驚の叫びをあげる。
少年の天敵が二つに増えたことを自覚した瞬間だった。
甲板先で鎮座するそれは、昇を美味しそうに魅つめている。
「まって……っ、
ちょっ、ほんとうに待って……」
背後からは、ジリジリとにじり寄ってくる炎を感じ。
そして正面では、ゆらゆらと電光する尻尾をくゆらす雷がいる。
その火と雷に挟まれた昇は、ゆっくりと波裂く舷縁の端へと追い詰められていた。
「オリルさんまずいって、
これ、本当に不味いってっ……!」
哀願を繰り返す昇を、オリルは微笑んで見る。
「……何が……?」
「何が? じゃないよぉぅっ!
これっ!
コイツらっ!
あっ、
ちょ、
ま、
ほんと、くんなっ!
くんなぁっぁっぁっぁぁぁぁっぇぇっぇ!」
あつぅい!、
ぎゃ、バチバチいうっぅん!
などと、意味不明な阿鼻叫喚を繰り広げ、
理解しがたい挙動反応を反射反応的に重ねる昇の一部始終を、ため息混じりに見下ろしていたのは章子と真理。
「……では、ちょっと行ってきますか……。
これ以上、むやみやたらに何も知らない命が産み出されていくのは見るに堪えない」
言うと、真理は手摺から身を乗りだして大きく声を張り上げた。
「オワシマス・オリルッッッ!」
それが叱責と、怒号の意味を孕んでいる事は明瞭だった。
そのたった一言で、
階下で絶叫する昇と、はにかむオリルは愚か、昇の足や背に飛びついていた炎の子犬や、
雷の子猫の動きまでがピタリと停止する。
「じゃあ私はちょっと彼らを吊し上げてきますから、
あなたも折を見て降りてきてくださいよ」
言って、艦橋側面の廊下から階段の手前まで来ると、一旦止まる。
「ああ、そうそう」
言い忘れた事があった。
そう言いたげな真理の顔は屈託なく笑っている。
「あなたに一つだけ、伝え忘れていたことがあります」
真理は当然と、口元に秘めた指先を当てる。
「なに?」
章子は顎を引いて真理を伺った。こういう時の真理に油断をしてはいけない。
「実はギガリスが誇る超科学技術「真理学」の中にある、
「
章子の鸚鵡返しに真理は頷く。
「そうです。
そしてその裏数法なのですが、これはあの否数法と性質はほとんど一緒です。
しかし、ある一つの動きだけがまったく逆なのです」
章子は黙って言葉の先を待つ。
「通常、数の計算上では、繰り上げた数、
例えば、9と1を足して10という答えとなった時のこの「10」の中に在る1の数字がある桁。
これは通常、0がある桁の左の桁、
つまりあなた方の計算時の表現法なら、左側にある次の位にその繰り上がった「1」が加算されますよね。
しかしこの裏数法は、その逆で成り立たせて見ようとする数理論法なのですよ」
「逆で?」
「そうです。逆です。
例えば、です。
9と1を足して「10」とするなら、それはそのまま「10」として置くのではなく。
裏数法としては「0」を一の位にあると基準して「0.1」として置くのです。
つまり、繰り上がった「1」という数字は「0」の左の桁ではなく、「0」の右の桁に1として加算する。というややこしい方法になるのですね。
そして、この裏数法を否数法と同じ、肯数を否数訳で捉え直して見た場合、
「0」の否数、つまり「10」の中にある「1」という数字は、「0」の左の桁にではなく、右の桁に与えられ、
繰り下がってしまう」
章子はその言葉を聞いて、微かにだが息を止める。
「そうです。
これを円周率など、無限に続くあらゆる現実世界にある肯数に当てはめて見た場合。
肯数界にある「0」の後ろに「1」が存在した分だけ、
円周率数の否数界の中にある数字もそれだけ「0」として消えていくのですよ……」
「それは……」
章子の追及しかけた言葉に、
だから尚更、真理は麗しい口元に強く秘めた指を当てて塞いで見せる
「……。
残念ですが……。
これより先の
そして、あなた方、現代人類の手で確かめることも絶対に強く、禁止とさせていただきます。
なぜなら私は過去に言った筈ですから。
そんな事をしてもキリがない、と。
これはね、可能性を掲示しただけです。
あなた方に可能性を見せているだけ。
こういう考え方もある。
こういう数字の挙動もある。
という事をお伝えしているだけなのです。
だから、わざわざそれを確認する必要も絶対にない。と私はあなた方に忠告しておく。
あなた方のこれからを生きる人生の為には、
世界の「思わぬ動き」は知っておいた方がいいが、同時に、
それを深く追求することも全く必要ではないのですよ。
なぜなら、
あなた方にはそんなことよりも真っ先に最優先で探求すべきことが、他にいくらでもあるのですから。
だから私は、「裏数法」という動きが確実にどこかで存在している、ということだけを、
あなた方に今ここでお知らせしたのです。
その動きを詳しく知る必要はないが、存在さえ知っていれば、
突然現れた未曽有の未来への障害も取り除きやすくはなる、のですから」
真理は笑って、今度こそ階段の一段目に足を降ろす。
「それでは、さっさと彼らをドヤしてきます。
あなたもなるべく早く来てくださいよ」
章子に背を向け、
カンカンカンと、やはり甲高い音を響かせて階下へと降りていく真理を見送って、
残された章子は手摺の上で頬杖をついた。
酷く気怠い気分だった。
もう、この世界の何もかもが分からない。
そんな気分になっていた。
そして、そんな空虚な心のままでいると。
心が空になっていた分、周囲の声も耳ざとく拾ってしまう。
〝ね、あの子が来る前に早く決めて……〟
そのねだるような少女の黄色く甘い声で、
章子のおぼろげだった意識はハッキリと現実に目覚めた。
〝決めてって……、
なにを……?〟
戸惑う少年の声もすぐに響いてくる。
気づけば、もはや真理のいなくなった隣の空間では、
真理という少女の行使した、人の会話を盗み聞きする魔法、
光の指環状の魔方陣だけが、ポツンとひとりでに何もない空中空間で自転しており、まだ傍受を続けていた。
〝決まってるでしょ?
名前を付けるの〟
〝名前っ?〟
少女の声は明瞭に言う。
〝そうよ。
この子に名前を付けて欲しいの。
そうすれば……〟
章子はその声を盗み聞きして、衝撃を受けた。
遠目に、雷の子猫を優しく抱き上げる、少女の輪郭が見える。
〝そうすれば、この子たちは本当の命になるでしょ?
あたしが産んだこの仔に、あなたが名前を付ける……。
そうすれば、この子たちは望まれてこの世界に生まれてきたんだって証になる。
だから、ほら、ね?
あたしの産んだこの子に、名前を付けて。
あたしはそうして欲しい。
そうしてくれれば……、
この子は、あたしとあなたの間にできた初めての
「……っっ!……」
章子は堪らず、空中で自転していた光の指環を手で払った。
それでその先の言葉もかき消された。
その先に続くはずだった言葉はなんとなくだが想像はつく。
だから、章子は努めて二人の辺りを見ないようにしていた。
見れば自分が負けたと思ってしまうからだった。
そう思う前に、俯いて、階下で二人の少年少女に、下僕が怒鳴り込む瞬間を待っていた。
それが今の章子の姑息な自己保身の方法だった。
「オリルッ! 見ていましたよ。まったくあなたはそうやって……」
やっとたどり着いた章子の下僕が怒号に吠える声が聞こえてくる。
章子はそこで少しばかり安堵した。
自分の心は、ここまで矮小で醜くなるのか。
そう自覚せずにはいられない。
だからおもむろに、ポケットにしまってあった生徒手帳を逃げる様に取りだした。
それは今や、章子の手元に残った唯一の地球からの持ち物だった。
章子が通っていた中学校の生徒手帳。
その薄いページの厚さの中に、一つだけ挟んでいた物があった。
思い出す章子は捲ったページからそれを摘まみ取ると、小さく空に掲げて見せる。
それは光の羽根だった。
柔らかく優しく光る、章子が偶然に手に入れた第五世界の白い奇跡。
それを眺めることが一時の慰みになる。
第一世界の少女が雷や火の命を産むのなら。
章子にはこの光の羽根があった。
章子はそれを手元でクルクルと回す。
その光の羽根は、学校で寄付した募金の換わりに受け取る赤や緑色の羽根によく似ていた。
その事がどこかで心の中に在ったのだろう。
自然と羽根の芯根を摘まむ手は左胸に寄っていき、そこにそっと光る
その流れを自然に実行して、章子は不思議に感じた。
別に羽根に接着できそうな箇所があったわけではない。
あったわけでもないのに、光の羽根は章子の左胸に見事に密着されると服に差し込まれ、
強い風が吹いても飛んでいかなかった。
「一緒に……いてくれるんだ……」
章子の心には、微かだが光が差し込む。
それは仄かな温かい光だった。
章子はその暖かさに包まれた雛鳥のまま、夕暮れに星々の瞬き出した空を見上げる。
そんな章子は一人だけ気付いていなかった。
階下で、真理から激しく激怒を受けている時に、
オリルと真理が気付くほど、
半野木昇が大きく口を開けて、
章子の左胸で強く白に輝く光の羽根を、羨望の眼差しで見上げていたことを……。
地球転星 挫刹 @wie
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