第16話
扉が開く、独特の音がした。続いて男性と少女の話し声が重なる。それは屋敷の前で待っていたカイルが、間もなくやって来たドーラを引き入れた証だ。奥へ進む足音と、何をやらかしたのかガラスのような物が割れる音と倒れる衝撃が床に走る。
「えっと……大丈夫?」
床にうつ伏せで倒れているドーラと同じく転がっている割れた壺を見比べた。これも去年の誕生日に父親が送ってきたものだが、やはりセンスが悪い。黒の背景に秋桜と頭蓋骨の模様が描かれており、どこで買ったのかと聞きたいぐらいだ。しかし貰ったものを全てしまっておくわけにもいかないので、一年間だけとあまり使わない出入口近くに飾っておいたのだ。
ドーラを出迎えるのに当たって、どう現れるか戸惑っていたのだがまさかこんな形になるとは。水や花など生けていなくてよかったと溜め息を吐き、シンシアは破片を避けて彼女の横に座り込み背中をつつく。
「ごめんなさいぃ〜! 滑って転んじゃって!」
「それは見ればわかるわ。貴方って怪我しやすいみたいだから、足元には注意しなさいな」
恥ずかしさか己への呆れからか起き上がろうとしないでドーラは足をバタつかせた。
いきなり壺を巻き込んで倒れたドーラに反応できずにいたカイルに、やっとの事で手を引き起こされる彼女を観察する。すると彼女のポケットが異様に膨らんでいた。不思議そうにしていたのに気づいた彼女は頭もぶつけたらしく頭をさすりながら、誇らしそうに胸を張って笑みを浮かべる。
「これは私の戦利品なの!」
「戦利品?」
「働いて稼いだお給料なんです」
オウム返しで聞くカイルにドーラは満足げに答え、ポケットに手を入れる。そして取り出したのは銅貨である。しかも十枚ほど握られていた。平民で、その中でも貧乏なドーラにとっては大金なのだ。けれど、シンシアとカイルからは期待した反応を得られなかった。二人とも真顔なのである。貴族の家に住む二人にとって銅貨は安いものなのだ。
「貴族様はいいですよね! これで一ヶ月は生きられるのに!」
「あら、そうなの。でも先ほど貴方が壊した壺は何百倍にも高いものなのよ。弁償してもらえるかしら?」
「えぇ! こんな悪趣……いやごめんなさい。一生かけて返します!」
「冗談よ」
本気にしたドーラにシンシアは可笑しそうに吹き出した。ドーラの間抜け面が更に面白いようで声をあげて笑い出す。珍しく他人に無防備なシンシアだが、どうもいい気はせずドーラはすっかり膨れてしまった。そんな彼女にシンシアは目尻に浮かんだ涙を拭き取って、心底思っていなさそうな侘びを入れる。
「シンシア、欠片は俺が片付けておくから君たちは応接間に」
「掃除は私の仕事なのだけれど?」
「今日だけはいいじゃないか。せっかく来てもらったのに、そんなのに時間をかけていられないだろう?」
タイミングを狙ってカイルはシンシアにそう切り出した。さあと急かされて少女二人は促されるままに応接間へと向かっていく。どうやら二回目とあって緊張は解けたようでドーラは慣れたように歩き、積極的にシンシアに話しかけていた。
扱いにくそうに軽く眉をひそめているシンシアだが、朝の慌ただしさを考えればそれもすぐに解けるだろう。心配はいらなかったようだと一度目を瞑ったカイルは、床に散らばった破片を集めるため道具を取りだした。
※※※※※
ドーラには前に入った応接間の記憶は皆無と言っていい。あまりの緊張とこれからの恐怖で部屋の様子を楽しむことができなかったのだ。今度こそはとシンシアに促されて応接間に踏み入る。そこにはやはり、ドーラには見たことのない世界が広がっていた。
中央の丸いテーブルにはおそらく手編みであろう純白のテーブルクロスが敷かれ、その上で咲き誇るのはみずみずしい向日葵だ。テーブルと同じデザインになっているソファは暖炉と向き合う形で置かれ、冬にはさぞ居心地がいいのだろう。眩しいほどの夏の陽を差す大きな窓の傍には、クリーム色のカーテンがまとまっていた。
ぼけっと部屋を眺めているドーラに苦笑しつつ声をかける。
「ほら、座ってちょうだい。何をするか決めていなかったわね、チェスでもする? 教えてあげるわよ」
「その前にカイルさんが来たら自己紹介しないと。お互いのこと知らないし!」
「ああ、そうだったわね」
ドーラの計画ではシンシアと少しずつ距離を縮めていくために、話を絶やさないと決めている。チェスなど頭を使うゲームをしては黙り切ってしまって会話が繋がらないだろう。シンシアにはいいかもしれないが、彼女と仲良くなってみせると誓ったドーラには不都合だ。
片付けが終わったカイルが戻ってくるにはそう時間はかからず、それぞれ席に着いた。向かいに座るシンシアの言葉は前回より柔らかいが、どうも心からの笑顔は見せてくれない。先ほど笑ったのを最後に、彼女は曖昧に口角を持ち上げているだけだ。どうやらドーラに対しどう接していいのかわからず戸惑っているらしい。
猫が手から餌を食べてくれて懐いたと思ったら食い逃げしていったような、あのなんとも言えぬ気分をドーラは味わった。
出された香りのよい紅茶を飲むシンシアを見つた後、気を取り直して顔を上げる。
「ドーラ・メルヴィルです。先月十四歳になりました。近くのフィーノ村に住んでいて、お父さんは数年前に亡くなったのでお母さんと暮らしています。特技は走ることで、村一番早いです。よろしくお願いします!」
わざわざ立ち上がり、背筋を正しすドーラ。元気にはつらつと続けるが、最後には頭も下げるところを見ると基本の礼儀は備わっているようだ。その部分に感心しながらもシンシアは応えるべく、彼女と同じように立ち上がりドレスの裾を持ち上げた。
「伯爵家長女のシンシア・ブラッドリーと申します。来年の二月に十八となりますので貴方とは三つ差でしょうか。どうぞ仲良くしてくださいませ」
シンシアは社交界などと言う場からは離れているが、これでも令嬢である。伯爵なので地位も高い方だ。家の名に恥じぬような礼儀ぐらいは出来るとシンシア自身も自負していた。
必要以上のことは述べない、簡素だが最上級の礼に受けた本人は見慣れないようで目を白黒させている。思わずなのか、先ほども口にしたのにも関わらず「よろしくお願いします」と消え入りそうな声で返してきた。
「カイル・クラクストンです。シンシアとは八の頃から過ごしてきました。どうぞよろしくお願いします」
普段、他の男性と比べると少々冗舌なカイルだが本日はシンシアと同じく簡単な情報しか言わなかった。特に語る内容がなかったわけではなく自分達の身の問題を考慮して、である。魔物である他に、何故肉親でも支えているわけでもないカイルが彼女と一緒に暮らしているかも伝えなかった。
疑問に思って質問されるかとシンシアは予想して身構えたが、特に何も感じなかったようでドーラは律儀にもう一度頭を下げただけだった。
「そういえば手鏡の件、大変だったわね。まさかとは思ったけれど完璧のなすりつけだったなんて」
「ああ、でもそれのおかげで給料が増えたんだから恨んではいないよ」
給料とは先ほどの戦利品と言っていたものだろう。数多くの仕事を抱えているドーラは当然のようにダグの家の手伝いもしていた。だから侘びを入れるつもりで普段の額よりも多めに入れておいたのか。
巻き込まれる迷惑行為を受けたにも関わらず、滅多に見ることのできない銅貨の量にドーラは嬉しそうだ。細かいところは気にしない性格なのかもしれない。
そうと何も追求することなく頷き、シンシアは棚の前に移動した。取っ手をつかみ開ければ一段目にはアクセサリー類が。二段目には紙と万年筆やガラスペンなどと日常使う道具がしまわれている。しかし目当てのものは見つからず、シンシアは振り返った。
「チェス盤ってどこに置いたかしら、確かこのキャビネットに入れたと思うんだけど」
「去年大掃除をして隣のチェストに移動させたよ。……ほら」
カイルがチェストからチェス盤と駒を入れた箱を取り出す。しまう場所を変えたのを忘れていたシンシアは納得したように一瞬瞬きをし、それらを受け取った。
魔物の唄を聴いたなら 紫月涼香 @shiduki1380
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔物の唄を聴いたならの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます