第15話
「そういえば手鏡の真犯人が見つかったそうだよ」
本日のおやつである砂糖漬けのフルーツを食べ終わり、思い出したかのようにカイルが言うとシンシアはちょうど林檎を口に入れる寸前で固まった。その林檎をどうしようかとフォークを軽く揺らし、皿に戻す。
「えっと誰だったの?」
「ダグとか言う少年だったんだ。ほら、ドーラに森の中に行くよう言った……」
「ああ、あのタチの悪そうな5人組だったわね」
実際にシンシアが彼らを見たわけではない。ドーラから聞いた情報から引っ張ってきたのだ。しかし彼はドーラに危険な場に行くよう指示をしたにも関わらず、助けようと助言もしてきた男である。何を考えての行動なのかと考えるが、カイルの話を聞くのを優先した。そして進むうちにどんどんと不快感を表した眉が寄っていく。
「茶番すぎる……馬鹿らしいというか、何というか」
「期待通りの言葉だな、ありがとう」
「どういたしまして」
気分が悪くなったと先ほど食べ損ねた林檎をシンシアは取った。甘い香りで不快感もほぐれ落ち着いたところ、ふと思い出したかのように顔を上げる。
「犯人であったダグと持ち主のジャスティンが仲直りをしたとか言ってたけど、許せるものなの? 随分と生ぬるい関係なのね」
「長く一緒にいると縁というものは簡単に切れないものなんだよ。君だって俺と言い合いになっても絶交だとは言えないだろう?」
「まあそう、だけど。でもドーラもドーラだわ。怒ればいいのに」
「それはドーラは性格の問題じゃないのかい?」
「ああ……そうね」
一度会っただけだが、ドーラには楽観でお人好しな印象を持てた。人に強く反抗するのを嫌う、言い方を変えれば関係を変えることを怖がり拒んでいるのだ。しかし、人間のほとんどが違いはあれど似たような性格だろう。自分の考えを押し切る方が難しいのだ。一般的な性格だと表現していいのかもしれない。
シンシアもそうだ。平穏が続くように、静かに暮らせるように今までしてきた。深い森の中、毎日、歌って掃除をしてご飯を食べて。だからこそ、シンシアはドーラの気持ちは少し理解できる。
けれど所詮、少し。カイルにはできなくても、自分を放っておく父親や魔導師に対しては強く気持ちをぶつけることができた。関係が悪化しても、多少の支障で済む。
ドーラに関しても言えることではないだろうか。ダグは自分に害をなし、命の危険にさらした。十分遠慮することはないだろう。
「結局は……ただの臆病なのよね」
そうはなりたくないと心の中で付け足す。でもわかっていた。シンシアとドーラは、どこか似ていると。
※※※※※
「ね、これでいいと思う? やっぱり紅茶の香りはオレンジの方がよかったかしら? それともハーブ? ハーブは苦手という人もいるって聞いたことがあるから、こちらでいいと思うのだけど。あと茶菓子もいるわよね。ああ! 花を摘んで飾ってきた方が見栄えいいわね!」
シンシアは朝から、慌ただしいほど駆け回っていた。茶葉を比べてみたり、テーブルクロスを敷いてティーカップとの見栄えを聞いたり、外に出たと思ったら花はどれがいいか迷ってみたり。
ドレスはいつもの暗い色ではなく淡い桃色を選んでいた。スカートの部分はゆったりとしたドレープと重ね合わせた薄く透ける生地。フリルの端には銀の刺繍がされていて、着る者の歳を考慮している大人びいた印象をもたらしていた。
そして白いレースの髪飾りは、流れる黒髪に映えている。長年一緒にいたカイルでもあまり見たことのない姿だったので驚きつつも、助言をしながら彼は朝食を作っていた。
「少しは落ち着いたらどうだい? 楽しみなのはわかるけど、ドーラが来るのは昼過ぎなんだし。朝食を食べたら君は歌いに行くんだろう」
「楽しみとかじゃなくて、伯爵令嬢としてお客様をもてなすのは当然でしょう。歌いに行くのはそうだけれど今から準備したって遅くはないわ!」
「はいはい、そうだね」
出来上がった朝食をテーブルに運び行くついでにカイルが宥めるが意味はないようで、他人が屋敷を訪ねに来るのが楽しみで仕方ないようだ。あれやこれやと応接間の飾り付けをしているシンシアにほどほどにするように言う。
カイルの素っ気なさへの文句をもらすが、微笑を返して彼は厨房へと姿を消してしまう。そんなカイルに膨れつつ、シンシアは飾り付けを再開した。
しかし、カイルの準備が終わったのか朝食だと呼ばれてしまった。食べてしまうと、数時間屋敷から出て行かなくてはいけないので続きが出来ない。仕方なく後ろ髪を引かれる思いで退室すると、その不機嫌さがどこからか現れていたのかカイルに笑われてしまった。
食堂には大勢が使える大きな机が置かれており、十ほどの椅子が設置してある。しかし二人では寂しいもので、決まって机の端のほうで食事をしていた。
壁の一部はへこんでおり、暖炉があるのだが夏なので必要がない。今では丁度いい飾り棚に使われていた。
本日の朝食は苺ジャムの入ったマフィンと胡椒を利かせたオムレツ。そしてもちろん、カイルのお手製の紅茶だ。どちらの料理も形も見た目も崩れてはおらず、実に美味しそうに温かな湯気を挙げている。相変わらず料理が得意だなと女として悔しいところでもあるが、何も言わずに席に着いた。
いくら引きこもりだとしても、シンシアも伯爵家の令嬢らしく優雅な動きなのは変わらない。幼い頃に厳しいほど作法を教えてくれた魔導師に恨みと感謝を混ぜつつも、シンシアは食事に取り掛かった。
「…………また腕上がったわね」
ナイフとフォークの音を鳴らさぬよう注意しつつオムレツを切り分けると、やわらかな感覚と共にとろける生地。口に運べば胡椒と卵の香りが上手く混ざり、溶けていくように喉を通っていった。
マフィンの苺ジャムは大粒の実が入っており酸味と甘みが絶妙で、簡素な味の生地を逆に引き立てている。焼き方も均等になっていて食感も硬すぎず、文句のつけようがない。気分でスコーンも作ってくれるカイルだが、それもまた美味しいのがシンシアにとって嫁をもらった気分であった。
紅茶の種類は多くあるが、シンシアは柑橘系の香りが強い茶葉を好む。カイルがよく淹れてくれるのは、シンシアが気に入っているものばかりだ。彼は特に一番というものがないと言うが、食事をするという概念のない吸血鬼なので仕方ないのだろう。普段は牙を隠しているが彼の主食は血か魔導師が送ってくる薬なのだ。
それらの料理何口か食べ、こちらが本業でも生きていけるのではとシンシアは感想を抱く。思わず「美味しい」とこぼすように言えば、様子を見ていたカイルは嬉しそうに笑顔を浮かべてようやく料理に手を出した。
そんなカイルをシンシアは『過保護な保護者』と表していた。兄のような存在である彼は、シンシアの親よりも彼女に気をくばっていると言っていいだろう。しかしシンシア自身も拒む気はなく、むしろありがたく受け入れていた。
「初めはあんなに下手で、私の方がまだマシだったのにね」
「俺も成長したんだよ。君の料理も底の底だったし、俺が努力しなければと思ったし。割と本気でさ」
「悪かったわね」
カイルが屋敷へ来た頃、料理をどこからか持ってくる魔導師は彼と入れ替わるように出て行ってしまった。自由な彼らしいともなるのだが問題は生活面で料理や掃除、洗濯など。使用人のいない広い屋敷の全てを六歳と八歳の子供が行うことになってしまったのだ。
どう分担しようかとあれこれ考えたところ、掃除と洗濯はシンシアが。そして買い出しはカイルの役目で他はその場で分担となったのだが、料理が決まらない。どちらも料理の経験はないので、下を争う出来栄えだったのだ。
しかしここからカイルの『過保護』の予備軍は始まっており、シンシアに包丁などで怪我をさせたくないとか何とかで言いくるめ強引に担当が決まってしまった。
いつの間にか洗濯も歌に行っている間に済ましてしまっていて、今ではカイルが行っている。仕事を奪われたくないとシンシアは掃除だけは死守しているが、この屋敷での掃除は労力が激しく、一部はカイルがこっそりと行っているのもまた事実だ。
「シンシア、もう八時だ。そろそろ出た方がいいんじゃないかい?」
食後に紅茶を味わっていると、カイルが懐中時計を取り出し言った。銀色の薔薇の蔓が描かれている表面は外からの光を反射し、眩しく輝いている。それはカイルが来た時からずっと大事そうに持っているものだ。
「あ、本当ね。行ってくる。ドーラが来るまでには帰るわ」
それじゃあと急ぎ足で外に出ると、涼しい風が吹いた。日の光も以前よりは強く、心なしか暖かいような気もしてくる。もう夏なんだと思い知ったシンシアは湖などで涼みに行ってみたいなど無茶を考えながらあの、時のとまった空間へと足を進めた。
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