ショート・スプリンターズ
皐月双葉
プロローグ
「第1レーン、荘内第2。宮田くん、吉田くん、桑田くん、野田くん。第1レーンは荘内第2。第2レーン、横田北――」
競技場内に各学校と出場選手が紹介され、いよいよスタートが間近に迫った。アナウンスされた選手は挙手して深々と頭を下げる。それと同時に応援する部員や親達が一斉に声を張り上げた。最終レースとあって既にレースを終えた選手を含め、全ての人の目が400メートルリレーに注がれていた。
マーキングの最終確認、スタート練習を終わらせ、それぞれのスタート位置につく。紹介せれている間、選手達は体を動かしたりストレッチをして筋肉の活性化を促す。冷え切った寒空のコンディションを考えれば当然だろう。だが、俺は緊張の為か、それらの動作もせず、ただアナウンスを待つだけだった。
他校を応援する歓声だけが俺の耳に入っては消え、また入っては消えを繰り返した。緊張と集中が入り混じるこの瞬間、決まって欠伸をするのも、俺の中で確立されたルーティンであった。欠伸は同時に深呼吸に繋がるから、やっても損はないはずだ。
「第5レーン、東海付属――」
そのアナウンスの瞬間、俺の集中がぷつりと途切れた。体を震わせる大歓声が沸き起こり、まるで自分達を応援しているかのような錯覚を覚えた。
この地区でリレー最強の中学校である、東海付属中。先発メンバー全員が100メートルの記録、12秒を切ってくる。バトンパスもミスなく滑らかで、中学チームでは珍しく、ほぼ完成されていると言って過言じゃない。今日の100メートル決勝を見ても、彼らの調子は良さそうだった。
走る前から結果が目に見えている――誰もがそう思うに違いない。積み上げた実績から考えれば今日のレースも東海付属が勝つ。たとえコンディションが悪くてもだ。でも、残念ながら今日の主役はお前らじゃない。今日だけは俺達、光が丘中が主役だ。
隣のレーンで青地に白いラインをデザインしたユニフォームが映える。2走を走るのは龍ヶ崎。100メートルで2位に入った奴だ。長身の体格を活かし、ダイナミックなストライド走法が出来るうえ、瞬発力にも優れていた。俺にとって圧倒的な速さの相手とまではいかないが、こいつには一度も勝った事がない。だが、今はリレーだ。4人の走力を合わせ走る、団体競技。先にゴールラインを超えれば勝ちなのだ。
最終確認としてもう一度、自分の立ち位置とマーキングをそれぞれチェックした。
第2コーナー出口にかけて設定されたグリーンの大きな三角マークが2つ。距離にして10メートルのバトンゾーン。それはバトンを受け渡すゾーンであり、走者はそのゾーンの中でのみ、バトンを受け渡す。ゾーン手前から更に10メートル、ブルーのラインが引かれてた助走を開始出来る、ブルーゾーン。ちなみに東海付属はブルーゾーンの内側に立ち、数メートル後ろにマーキングが見える。
走力のあるチームはブルーゾーンを使って、速い走者を少しでも長く走らせるようとするのがセオリーだ。ウチも同じようにしたいが生憎さま、走力が極端に違うメンバーを揃えたウチは別の作戦で攻めるつもりだ。したがって、俺が今立っている位置はバトンゾーンの内側、マーキングは丁度ブルーラインに付けている。この場合、1走がコーナーを攻め込み、数メートル分を多く走る事になる。200メートルで何度もコーナースタートを経験している拓巳の走力を考えての作戦だ。
「第6レーン、光が丘。向井くん、虎牙くん、羽柴くん、柊くん。第6レーンは光が丘――」
「せーの、光が丘ぁぁぁ!!!!」
バックストレートの掲揚塔付近に部員が集まって俺達を鼓舞した。俺は高く拳を振り上げ、その声援に応えた。気付けば、拓巳や翼、一番離れたところにいる4走の陸も同様に拳を向けた。
俺達4人の額にはそれぞれ赤い鉢巻が巻かれ、風に揺られるたびに結束の証を印象づけた。
「――以上、八チームの出場で男子400メートルリレー決勝です」
選手紹介が終わり、いよいよ出番だ。
「位置について……」
スターターの合図に一斉にスターティングブロックについた。緊張した面持ちで拓巳がバトンを片手に脚の位置を確認している。さっきまでの歓声から一転、しんっと静まった辺り、全ての人が緊張の一瞬に備えていた。
「よーい……」
俺は目を閉じ、スタートの合図を待つ。スターターの約1秒間の沈黙に全神経を集中させた。
パーン!
静寂を破る乾いた音が鳴り響いた。無事、フライングもなく一発でスタートをきれたようだ。
目を見開き、視線の先には低姿勢の1走が向かって来ている。コーナーから向かってくる1走は各レーンで差がついているように見え、自然とスタートに焦りが生じる。だが、そこは冷静にマーキングポイントと拓巳の動きだけに視界を狭め、
他の動きは一切無視だ。
スタートからほんの数秒でマーキングを超えてくるので、あれこれ考えている余裕はない。全ては体に浸み込ませた経験に頼り、絶妙なタイミングでスタートをするだけ。
俺は利き足の右を前に、レーンの外側で前傾姿勢の最終ポジションについた。バトンの受け手にもよるが、俺は外側で構え、左手でバトンを貰う事にしている。そうする事によって、拓巳はわざわざ外側に走行ラインを変える必要なく、最短の内側ラインギリギリを走れる。
拓巳の脚がマーキングを超え、歯を食いしばった怖い拓巳の顔が目に映った。
――今だ!
つま先立ちでトラックに引っ掛かったスパイクがブチっという鈍い音共にオレンジの大地から離れる。表面をゴムチップで覆われたトラックは足を離す度、スパイクのピンが抜ける音がリズムよく奏でた。そのリズムは徐々に速さを増し、やがて複数のリズムに呑まれた。
ほんの一瞬、視界の片隅で隣のレーンを走る東海付属の2走が並走しているのが見えた。気にしないと頭で言い聞かせるが、聴覚はハッキリと東海付属の1走の力強い声を拾い、無意識に脚へ力が入った。
前方には外側レーンを走る他校の1、2走がリレーションを完了する様子が映る。俺は一切振り向かずに拓巳の声だけを待った。
だが、既に1つ目の三角を超え、バトンゾーンに侵入しているというのに、拓巳の声が聞こえない。このままではバトンを貰わずにゾーンを抜けてしまう。
スピードを緩めようか躊躇したその時、
「は、はいっ!」
全力で走って声を出すのも限界なぐらい、と言うよりは無理にでも出さなければいけないような必死な声だった。
俺は素早く左手を後ろへ振り上げ、加速を続けた。バトンはすぐに手のひらに乗り、力強く握り締めた。バトンの端を持っていた為、危うく落としそうになるが、バトンを持ち直した。
バトンゾーンを超える。
練習の時よりギリギリのタイミングだった。助走の出だしが早すぎたのかもしれない。だが、結果としてトップスピードの到達を早められ、東海付属との差が開かずに済んだ。
前には外側を走る他校の2人と体1個分離れた龍ヶ崎の大きな背中が映る。
ストライドでは劣る龍ヶ崎にピッチで対抗する俺。龍ヶ崎の背中は小さくなることなく、ピッタリ張り付いたまま残り50メートル程になる。
なるべく空気抵抗を受けないように顎を引き、上体がブレないように腹筋に力を入れる。一連の慣れた動作も最終レースとなってくると、どうしても疲れによって鈍ってしまうものだ。しかし、今日は絶好調を維持、脚も腕もよく動いてくれる。
冷たい風に目が渇き、痛みのあまり目を細める。自然と眼球保護の為、涙があふれ出す。揺らぐ視界の中、3走を走る翼がスタートの構えをしているのが分かった。
スピードを緩める事なく、バトンゾーンへ突っ込む。隣の龍ヶ崎との距離が一瞬縮まったように見えた。
手を伸ばせば届きそうなぐらい翼と接近。助走し始めた翼とのスピードが合わず、背中にぶつかりそうな勢いだ。
――詰まりすぎか。
迷ってる暇はなかった。翼との距離はどうであれ、とにかくバトンを渡さなければいけない。
「ハイッ!」
俺の合図に翼が腕を振り上げた。
前を向く翼には俺との距離が分かっていない事もあり、大きく伸ばされた腕がぶつかりそうになる。走りながら、しかも胸の前に出された手に戸惑いながらも、バトンを無理矢理ねじ込ませた。
なんとか落とさずにバトンが渡り、スピードを緩めていった。遠ざかっていく翼と隣の東海付属を交互に見やる。差が出来てしまったかと思ったが、意外にも差が無かった。何が起こったのか分からないが、向こうもバトンミスをしてしまったのかも。
――これは、イケる!
確信……ではないが、この展開は俺達に有利に働いていると感じた。ミスをしながらも、勝つチャンスがまだ残っているのは偶然が重なった結果に違いなかった。自分達の力量で負かすつもりの作戦から逸脱してしまったが、これはこれでラストの陸にいい形でバトンが渡るはずだ。
鬼門の3走、ウチで一番走力が劣る翼がどこまで東海付属の3走についていけるかだ。出来れば現状維持がベスト。
「翼! ついてけぇー!」
俺は声を張り上げ、行方を見守った。
俺達は東海付属よりも外側のレーンを走っている関係上、第3、第4コーナーで差をつけられるのは分かっていた。その為に俺が稼いだマイレージがある。
翼は徐々に引き離され、ラストのアンカーへバトンパスへ。翼から陸へのリレーションは練習でもミスが無いほど、安定したパスが出来る。ここまで想定内だ。
先にバトンゾーンに入ったのは勿論、軽快な動きをする東海付属。向こうのアンカーは確か、100メートルで4位に入った村上だ。中間疾走に課題がある奴だとは聞いていたが、それでも手強い事は変わらない。遅れるように翼と陸がバトンゾーンに入る。他校の3位、4位とほぼ同時のタイミングだ。
「いっけぇぇぇぇ!! 陸ぅ!!」
アンカーの陸の手には青いバトンが握り締められ、上手く加速出来ていた。
ここからが俺達の本番だ。猛追する陸に全てを託す。
作戦通り、陸にバトンが渡ってから追い付いてきた他校を引き離し、逆に村上との差がみるみる縮まっていった。陸が抜かせるギリギリの射程圏内まで拓巳と俺、そして翼が踏ん張ったおかげだ。
残り50メートルを切る。あと少しでゴールラインを超えてしまう。
陸は村上と並び、一気に抜きに掛かった。しかし、村上も最後の力を振り絞り、陸と並走しながらゴールへ突っ込む。
ホームスタンドの歓声に後押しされ、お互い譲れない想いを胸に必死に駆け抜けた。
「ラストォォ!! ガンバァァ!!」
手に汗握る展開に、大歓声に混じって声を張った。
ゴールに飛び込むリアクションはほぼ同時。走り終え、200メートル地点に待機する俺にはどっちが勝ったか分からなかった。
寒空に響く熱い歓喜はどちらに向けられたものか、俺は速報を伝えるアナウンスを待った――。
ショート・スプリンターズ 皐月双葉 @salvator
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