第0話―B 『黒鷲』の〈殺人人形〉

 一年を通して穏やかな気候に包まれる、ルデア大陸の中央部。年間を通して肥沃な大地が広がるアゼルハイト王国の草原を、三台の馬車が並んでゆっくりと進んでいた。

 緑豊かな、初夏の草原を貫いた道を進む馬車。その御者を務めているのはどうやら商人のようで、馬車を取り囲むように歩くのは新米の冒険者だろうか。八人のまだまだ年若い少年少女は、成人――十五歳――にもなったばかりにも見える。


 ――――そんな彼らを、黒ずくめの集団が森の中から見張っていた。


「カモが来ましたね、団長」

「団長と呼ぶな、バカタレが」

「へへっ、いーじゃないッスか。盗賊団なんだから、団長でも間違ってないでしょう?」


 一人の若い男が声をかけると、壮年の男が眉根を寄せながら嘆息した。


「それでもだ。その呼び方は盗賊らしくない」

「じゃあお頭ッスか?」

「フッ、まだその方がマシだ。――しかし、この時期にあのような三台も連なる馬車で移動、か。しかも護衛は若い冒険者ばかり……罠か?」


 初夏を迎えたアゼルハイト王国内を行き来する馬車が商隊を組むのは珍しくない。しかし、あれでは襲ってくれと言っているようなものではないかと、団長と呼ばれた男は訝しんでいた。


「この辺りに俺達がいる、という情報はすでに有名なはずだ。なのに護衛がたったあの程度で商隊を出すなど、あまりにも不自然過ぎる」

「そうですかね? 俺は正直、俺達――『黒鷲』が有名だからこそ、あの程度の護衛なんだと思うんッスけどね」


 団長とは打って変わって、男は肩を竦めてみせた。


 盗賊団――『黒鷲』。

 人攫いを行わず、争いの中でも圧倒的な武力を用いて制圧し、人殺しも起こさない盗賊団。それ故に危険度としてはあまり高くないと見られており、勝てるかも分からない高いランクの冒険者を雇うより、安い冒険者を雇って襲われたら荷物を明け渡す方が賢い、とまで町では噂されている程である。


 そんな背景は団長と呼ばれた男も理解しているが、それにしても薄気味悪さを感じるような、本能が警鐘を鳴らしているかのような居心地の悪さは拭いきれなかった。


 悩んでいる間にも馬車は予定通りに街道を進み、もう間もなく襲撃予定地点へと進もうとしていた。


「で、お頭。どうするんで?」

「……まぁ、いざとなったらコイツがいる。作戦の変更は無しだ」

「へへっ、了解ッス。――野郎共、聞いてたな? 手筈通り、〈暗殺人形キリングドール〉が一発ぶちかます。それを合図に一斉に包囲するぞ」


 男は手に持っていた、遠話の水晶球越しに仲間達に指示を出すと、団長の横に静かに佇み、真っ黒なマスクをつけた黒い髪に黒い瞳を持った青年に視線を向けた。


「おい、人形。しっかりやれよ?」


 男の声など聴こえていないかのように、黒髪の青年はじっと佇んだまま虚空を見つめている。正しく人形といった表現が相応しい姿に嘲笑めいた笑いを浮かべて、男もまた自らの配置へと向かった。


「そろそろだ。やれ」


 団長の短い合図を聞き、先程まで身動ぎ一つ取らなかった青年がすっと手を前方に翳した。

 緑色の光が虚空で手のひらよりも大きな陣を描き、木々の立ち並ぶ向こう側――真っ直ぐ馬車に向かって、強烈な空気の砲弾が飛び出した。


「――ぎゃっ!?」


 森の手前の街道を進んでいた馬車を護衛していた、一人の少年が突然短い悲鳴を上げ、物凄い勢いで横に飛ばされた。そのまま守るはずの馬車へとぶつかると、その勢いを殺しきれずに馬車が横転する。

 三台の中心にあった馬車への攻撃に、先導していた馬車も後続の馬車も慌てて動きを止めた。

 本来ならば一台を見捨てて他の馬車は逃げるものだが、しかし『黒鷲』はそんな隙をわざわざ与えてやるつもりなどない。僅かな瞬間を見計らって、森の木々から、草原の背の高い草の間から、一斉に黒ずくめの男達が立ち上がり、馬車を包囲した。


「クソッ、ホントに出やがった!」

「噂通り真っ黒ね。しかもこの動き、やっぱりただの盗賊とは違うわね……!」


 悪態をつきながらも抜剣し、槍を向け、杖を構える者達。

 優勢を保つ『黒鷲』の者達ではあるが、盗賊団ならばこんな場面では下卑た笑みの一つでも出そうなものだというにも関わらず、誰一人として油断や慢心の様子を見せず、一瞬たりとも油断する気配を見せずに冒険者達との距離を詰めていく。


「――やれやれ、やっぱり本物だな。盗賊団なんて軽いモンじゃねぇな」


 野太い男の声が聴こえてきたのは、その時だった。

 後続の馬車からのっそりと姿を現したのは、筋骨隆々とした坊主頭の持ち主。巨躯と同じく、大の男一人分はあろうかという巨大な大剣を手にした浅黒い肌の男は、身長にして二メートル半は軽く越えている。


「……〈巨人族タイタン〉だと……?」

「浅黒い肌に左眼に傷跡……! 貴様、まさか『巨人の行進タイタン・パレード』のゼフかッ!」


 その名を『黒鷲』の一人が叫んだ瞬間、初めて『黒鷲』に動揺が走った。


「――あら、ゼフったらすっかり有名ね」


 同じ馬車から姿を現した、青色の髪を靡かせる妖艶な〈森人族エルフ〉。紫紺色のローブに身を包み、胸元まである長い杖を構えた女性は、ゼフのもとへとゆっくりと歩み寄った。


「ハッ、有名なのはお前さんも同じだろうが。――ミーティア」

「一緒にしないでもらえる? 私は基本的にはフリーの冒険者なんだけど」

「フリーも何も、お前さんは柵が嫌いなだけだろうに」

「ふふっ、それはそうだけどね。でも、私は私の目的の為にフリーで渡り歩いているだけよ」

「……やれやれ、お前さんに目をつけられる男も大変だろうな」

「ちょっと? それってどういう意味かしら?」

「勘弁してくれや。『黒鷲』だけならどうにでもなるがよ、お前さんと闘り合うような準備はしてねぇぞ」


 大剣を地面に突き立てるゼフと微笑を湛えたミーティアの二人。彼らの態度は、まるで町中で談笑しているかのように一切の緊張は見られない。


 ――――冒険者とはそもそも、冒険者組合を通して依頼を受ける者達だ。

 依頼の内容は町の雑事から魔物退治、素材採集や護衛など、非人道的な行い以外ならなんでも行う何でも屋、といったところである。

 日頃から見知った仲、利害関係の一致によってパーティを組んで行動する者達もいるが、そういった身内の集まりが大きくなり、Fランクから始まる冒険者ランクにしてAランク以上の者が一名と、Bランク以上の者が三名以上いれば作れる大きな組織――ギルドと呼ばれる組織を形成する事ができる。

 ギルドの活動は冒険者組合からの直接的な依頼の受注や、組合本部ではなくギルドのホームにて仕事の受注や達成を可能にし、その代わりにギルドホームのある町を守る役割を与えられる。


 交易都市アシュタットを守る、四つのギルド。

 その最古参にして最強の呼び声高いギルド――『巨人の行進タイタン・パレード』のマスターにして最強の〈巨人族タイタン〉、ゼフ。

 更に、フリーの冒険者でありながら、あらゆるギルドが欲している精霊魔法の使い手としてその名を知られている、ミーティア・アルシェリア。


 アゼルハイト王国だけではなく近隣諸国にまで名を轟かせる巨人と、美しき天才魔導士が今――『黒鷲』の前に姿を現した。


「う、うおおおぉぉぉッ!」


 まだ若い『黒鷲』のメンバーの一人の気が逸り、矢を射った。

 中空を切り裂いた矢はミーティアの頭部へと吸い込まれるように進むが――しかし、何かに弾かれるようにあらぬ方向に突然曲がり、地面へと突き立つ。

 唖然とする男へ、ミーティアは微笑を湛えて視線を向ける。


「私がいる以上、矢は通らないわ。かと言って近づこうものなら――」

「――俺が相手になってやるぜ、『黒鷲』よ」


 堂々と宣言してみせる二人にたじろぐ、『黒鷲』の一行。ゼフとミーティアの二人の姿に、気勢を再び取り戻す若い冒険者達。完全に空気が変わり、『黒鷲』はいつしか自分達が追い込まれているような錯覚さえ覚えていた。

 そんな中、団長と呼ばれた盗賊団の長が一歩前へと歩み出た。


「まさかこんな所で大物と出会う事になるとは……。やはり自分の勘は信じるべきだったと今更ながらに後悔しているところだ」

「ほう。だが、そういうお前さんもなかなか腕が立ちそうじゃないか。そこいらの連中とは纏ってる雰囲気ってもんが違う」

「『巨人の行進タイタン・パレード』のゼフにそう言われるのは光栄だな。是非とも一戦交えてみたいものだが、我々もここで無為に壊滅する訳にもいかない。ここは退かせてもらおうか」

「できると思っているの? こうして見つけた以上、逃がすつもりなんてないわ」

「――ッ! ミーティア、屈めッ!」


 ゼフが気が付いたのは、この場所が幸いにも視界が広く、かつ太陽の陽光が辺りを照らしてくれていたからだった。一陣の黒い疾風が視界の隅を横切り、ミーティアへと瞬時に肉薄していた。

 咄嗟にゼフの声に反応したミーティアが屈んだ刹那、ミーティアの首があったその場所を銀閃が通り過ぎる。停滞しつつあった空気そのものを斬り裂いた一撃は、『殺人人形キリングドール』と呼ばれていた黒髪の青年によって齎されたものだった。


 勢い良く飛び抜けて着地した黒髪の青年は、二本の短剣を逆手に握った腕をだらりと倒したまま、ミーティアを真っ直ぐ見つめた。


「やってくれたわね……! 風の精霊よッ!」


 ミーティアの指示に従った風の精霊が突風を放ち、不可視の砲弾が青年へと向かう。

 しかし青年が一切の身動ぎをする事さえなく、強烈な衝突音を奏でて風が辺りに霧散した。


「な……ッ、無詠唱で精霊魔法を打ち砕いたの……?」

「下がれ、ミーティアッ! おおおぉぉぉッ!」


 大剣を振りかぶったゼフがミーティアの横から青年へと肉薄――大気を割るような横薙ぎの一撃を繰り出した。


 短剣と大剣ではそもそも重量も違う。〈巨人族タイタン〉であるゼフと〈普人族ヒューマン〉である青年とでは膂力も大きく異なる。

 ――さぁ、どう出る? 躱せば次の一撃で仕留めてやるぞ。

 闘争心に滾るゼフの思惑は、飛び上がったまま短剣を大剣の軌道上に残すという青年の奇抜な動きによって、見事に打ち砕かれた。ゼフの一撃を両手の短剣で受け、そのまま空中で回転した青年が回転の勢いのままにゼフへと袈裟懸けに短剣を振り下ろし、反撃してきたのだ。


 しかしゼフも然ることながら、その一撃を身体を捻って躱してみせた。

 互いに再び距離を取り、睨み合う。


「おい、ミーティア。今の見たか?」

「……もちろん。魔法の扱いは私の精霊魔法に対抗できるぐらい。短剣を使ったあの身体能力も、〈獣人族セリアン〉も真っ青なぐらいに長けているわね」

「こりゃ厄介な相手だ。だが、何より気になるのは……」

「えぇ。あの子、殺意も闘志も感じられないわ。ちょっと確かめたい事があるのだけど、もし反撃に来たらフォロー頼まれてくれるかしら?」

「おう」


 小さな声でゼフと意見を交わし合い、今度はミーティアが僅かに口を動かした。


 本来、魔法は術者を中心に引き起こされるものだが、発動位置を変更するなど精霊と意思疎通が可能なミーティアには容易い。そうした特性を上手く利用し、精霊魔法――【風刃】を使って奇襲を仕掛けた。不可視の風の刃が、青年へと放たれた。


 それでも青年はすんでの所で咄嗟に横に避けてみせた。

 それだけでも驚愕だが、ミーティアとゼフは異なる箇所に注目していた。

 風の刃が掠め、青年の口元を覆っていたマスクと首周りを隠すようにつけられたマフラーが切り裂かれ、喉元を露わにしたのだ。


「――まさかとは思ったけれど、やっぱり。最低ね。万死に値するわ」

「……フザけた真似しやがって、『黒鷲』ッ!」


 凍える程の冷たい物言いのミーティアの静かな怒りの声と、大気を震わせるようなゼフの怒声が響き渡る。先程までとは打って変わって、憤怒の形相を浮かべたゼフは、大剣を地面に叩きつけ、大地を割るように一歩前へと足を踏み出した。


 青年の首に巻かれていたのは、黒い首輪だった。

 魔法言語が刻まれ、薄っすらと赤く光を発しているそれが一体どんな代物なのか、ゼフとミーティアの二人は知っている。

 心を破壊し、ただただ愚直なまでに言う事を聞かせる魔道具――『隷属の首輪』だ。


「チッ、面倒なものを見られたな。ますます捕まる訳にはいかなくなったか。〈殺人人形キリングドール〉、ここは任せる。時間を稼いだらいつもの場所へ来い」


 団長と呼ばれた男に、黒髪の青年はこくりと頷いた。


「テメェ、待ちやがれッ!」


 ゼフの怒声が響く中、『黒鷲』は一斉に包囲を解いて逃走を始めた。

 それでも追いかける事ができない。

 黒髪の青年が両手に短剣を携えたまま今も全員に下手に動けば襲いかかるとでも言いたげに佇み、縛り付けているからだ。


「チィッ、クソが……。ミーティア、残して行ったって事はあの噂は本当なのか?」

「『隷属の首輪』を無理に解けば装着者は死ぬっていう話なら真実よ。運が良くても、心が壊れてしまって一生まともに喋る事もできないわ」

「見殺しにしろってのか?」

「……これなら、って手がない事もないけれど試した事はないわ」

「なら、一縷の望みに賭けるか? っつっても、これ程の実力者相手に手加減してとっ捕まえるなんて真似するにゃ、ちょっとばかり苦労しそうだがな」

「正直言って、【風刃】さえ避けるような相手を殺すだけでも難しいわ。まぁさっきは致命傷を避けるつもりで魔法を放ったけれど」


 生気のない瞳に、感情の感じられない挙動。ミーティアはそういった青年の姿から『隷属の首輪』の可能性を感じ取り、それを確認する為に魔法を放ったのだ。もっとも、無傷のまま確認してあげようなどと殊勝な考えがあった訳でもなく、攻撃のついでといった具合ではあったのだが。


「……腹ぁ括るか。おい、新人共。こっからは俺とミーティアだけでやる。お前さんらは先に町に帰ってな」

「そうね。あなた達、ゼフの言う通りに引き返しなさい。多分そこの子は、追いかけようとしない限りは追ってきたりしないと思うわ」

「お、俺達だって戦えますッ!」

「馬鹿野郎。俺とミーティア以外、足手まといだって言ってるのが分からねぇのか?」

「……ッ、それは、そうかもしれませんけど……」

「『黒鷲』の連中に逃げられちまった以上、仕事は中止だ。心配すんな。結果はこうなっちまったが、お前らはしっかり仕事をやり遂げたさ。アシュタットに帰ったら、俺から組合には話を通してやるさ。見習いは卒業だ」


 歯噛みする若い冒険者の少年の頭を、ゼフの大きな手が撫でた。


 行商人に扮して『黒鷲』をおびき寄せ、ゼフとミーティアが『黒鷲』を捕まえる。至ってシンプルな作戦ではあったが、相手は人を殺めないとは言え巨大な盗賊団である。冒険者の見習いである少年少女は、この任務を成功させる事で見習いを卒業するため、組合から派遣されたのだ。

 アシュタットの最強ギルド、『巨人の行進タイタン・パレード』のギルドマスターであるゼフがそう言ってくれるなら、普段ならば納得できただろう。だが、この状況で自分達だけが逃げるような選択を選べと言われて、素直には頷きたくなかった。

 見れば、黒髪の青年は自分達と同い年ぐらいに見える。なのに自分達では手が届かない相手なのだと、先程の一瞬の攻防を目の当たりにしたからこそ、理解させられる。ちっぽけな矜持を胸に抗おうとすれば、間違いなくゼフとミーティアの邪魔になってしまうだろう、と。


 しばしの逡巡の後で、若い冒険者達と行商人に扮した冒険者達は町に向かって動き出す。予想通り、黒髪の青年は深追いするような素振りをせず、立ち止まったまま残ったゼフとミーティアを虚ろな瞳で見据えていた。


「ミーティア、本気でいくぞ。サポートは頼んだぜ」

「……殺さないつもり?」

「あぁ。あそこまでの実力があるってんなら、俺が本気を出したところでそうそう死んだりはしねぇだろう。それに……――」


 ゼフの瞳が細められ、青年へと向けられた。


「――アイツの心、まだ死んじゃいねぇだろうよ」

「……そうね」


 見れば、黒髪の青年は一筋の涙を無表情のまま頬を伝わせていた。






 ――――その闘いは、地面を砕き、草原を穿つような爪痕を残した。

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Identity ~異世界冒険譚~ 雨弓落葉 @rainy333

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