呪われた召喚体験

菜花

日本に帰して

 その異世界では数年に一度、異界からくる『何か』 が悩みの種だった。

 磁場が歪み、空間に異様な穴が空き、そこから異世界の何かが落とされる。

 大昔なら、それが知識を持った人間で神と呼ばれたこともあった。

 しかし近年、その何かが原因で病気の流行を生むことが多く、触る前に抹殺せよとの命令が各地の王国で共通の法となっていた。


 落ちてきた動物を食べたら治療法もない病気を。物に触れば、見たこともない液体がついており、そこから爛れて死亡。そして人間も、過去に難病を持った者が落ちてきた時には、世界の数パーセントが死んだと言われた。


 だから、異世界人の宮崎紫苑(みやざきしおん)が平原に落ちてきた時、磁場の歪みを監視していた兵士により捕らえられ、その国の王宮の地下にある牢屋に押し込められたのは、世界を守るための対策にすぎなかった。少なくとも、そう命令した若い王子はそう思っていた。




「ここ……どこ? お父さん! お母さん!! ねえ、トイレは? ねえ、ご飯は? いつまでここにいればいいの? ねえ、ねえ! 誰か!!」


 普通の女子高校生の紫苑には現状が理解できない。ただ乾き死にさせられるなんて夢にも思わない。しかし丸一日誰も訪れないのを知って、声が嗄れるまで叫ぶが、喉が余計に渇くだけだと悟り、しまいには部屋の隅にあったバケツで自分の汚物を泣きながらすすって生き延びた。


「うう……うっ……」


 涙はバケツの上に落とした。汚物よりはまだ飲める。


 三日目になると、紫苑の体からはほとんど生気が失せていた。紫苑が死を覚悟していた時、牢屋の壁の一部が崩れる音がした。


「うっ、すげえ臭い。人間一人発酵させたらこうなるのか。おい、生きてるか?」


 目が霞んで誰か認識できない。耳もあまり聞こえてない。だが本能で唇を動かす。


「タ、スケ、て……」

「うーん……こいつは病気は持ってないのか? だったら、王に相談する必要もあるし、連れて帰るか」




 紫苑は、最初にいた国とは別の国の王に助けられた。何でも、病気を持っていればそれであの国を壊滅させて、領土を奪ってやるつもりだったらしい。そう、看護を受けて立てるくらいに回復したころに言われた。でも先遣隊が無事に帰ったということは、そういう作戦は実行不可ということだ。解放したものの、さてどうするか……。


 紫苑は、髪と目の色が同じな人間がいないこの世界で、異質の存在だった。本人は生きるのにやっとで気づきもしなかったが、そんな紫苑の世界では当たり前のことが、この国の王子の目にとまった。


 オリアス王子。金の髪に水色の目をした人間だった。彼は紫苑を珍しがり、召使いに言ってよく傍に置いた。


「可哀相に。こんなに痩せて……。あの国はやはり滅ぼすべきだ。こんな綺麗な存在を簡単に殺そうとするなんて。せめて少し調べるくらいすればいいものを。何でもかんでも殺さないと気がすまないのか」


 ここに来る直前、異世界人が原因で病気が世界的に流行することもあるという話を聞いた紫苑は、だから落ちてきてすぐ閉じ込められたのかと察した。だがだからと言って飢え死にさせられそうになって「仕方ないですよね」 と納得出来るほど紫苑は聖人ではなかった。あの国の若い王子――兵士はムルム殿下とか言っていた――あのムルムに一泡吹かせてやりたい。人に屈辱の日々を送らせたあの外道に! 手始めに根は良い人らしいこいつを手玉に取る必要がある。



「ありがとうございます、オリアス様……。でも、オリアス様の口からそんな言葉を聞くのは心苦しいですわ。誰かを傷つけようなんて仰らないでくださいませ」


 のちに、紫苑はこの国の学者に、『王子を誑かした傾国の美女』 とあだ名されることとなる。


「何て優しいんだ。殺されかけたというのに。こんな心優しい女は我が国にも滅多にいない。けど、やはりあの国は憎いだろう? 戦争になって、俺が傷つくといけないからそう言ってるだけで」

「そんな……。きっと私が何かの罪を犯したからだと思ってましたので」


 実際、そう思うことで発狂しそうになるのを抑えていた。


「それにもう助かりましたもの。だからどうか、滅多なことは……」

「本当に清らかな女だな。でも、怖くはないのか。あの国は」


 紫苑は少し大げさに震えて見せた。もちろん計算だ。


「それは、その……。でも、オリアス様にもしものことがあると考えるほうが、よっぽど怖いですわ」

「もういい。みなまで言うな。……お前の復讐はやってやる」



 数ヵ月後、オリアスの熱心な要望に負けて、オリアスの国とムルムの国は戦争をした。結果は、勝ったのはオリアスの国だが、出費が国費を圧迫するまでになり、おまけに王は殺したが王太子だったムルムには逃げられた。とても勝ちだと胸を張っていえる現状ではなかった。負けたムルムの国は言わずもがな。


 そんな状況で紫苑は冷酷だった。オリアスに貢がれた品物をこっそり売って金にし、研究都市と言われる国に逃亡した。


 当たり前でしょう。勝ち負けなんて分からないんだから、どう転んでもいいように手を打っておかなきゃ。多少汚いからって何。私はもう生きるのに手段は選ばない。

 そう、絶対生きて、元の世界に帰ってやる。



 研究都市では、召喚の研究がどこよりも進んでいた。そして来たものを帰す研究までされていた。そんなものが道に落ちているような新聞にまで書かれているのだから。言葉の壁が奇跡的にないのは幸いだった。


 年をごまかし、ひったくった免許証のようなもので身分証明してバイト。酒場で情報を集めつつ、お金が溜まれば研究員に金を渡して何とか帰る方法を聞きだそうとした。

 しかし、意外にもチャンスはすぐに巡ってきた。酒屋の常連の一人がその手の研究をする学者の愛弟子で、紫苑にぞっこんだったのだ。その愛弟子の名はタリオンと言った。


「あらタリオン様、また来てくれたの?」

「うん。アイムちゃんの顔が見たくて……」

「まあ、嬉しいわ。でもお仕事中だと、そんなお喋りは出来ないのが残念ね」

「あ、じゃあ、今度一緒に遊ばない?」


 アイムと名乗る紫苑はニコニコと了承した。翌日、店を休んでデートに乗り出す。ふと、これが異性との初デートなんだと思うが、いちいちそんな感傷に浸って元の世界に帰れるかと考え直す。



「タリオン様の研究って凄いのね。じゃあ、異世界人を元に戻すのはどうしたらできるか知ってる?」


 紫苑の頭ではさっぱり理解できないような話をしているタリオンを、ニコニコと聞いて持ち上げる。気分を良くしたタリオンはあっさり口を滑らせた。


「これは王族とその道の研究者しか知らないんだけど……ある国にストーン・ヘンジがあってね。そのストーン・ヘンジ、超古代の魔法が関わってるんじゃないかって話なんだ。それでね、ある時期に召喚者がそこへ行くと、番人が現われ、帰還の意思を問う。はいと答えればそのまま帰れるらしい。でも、さすがに動物や無機物はだめっぽいね。過去に一回だけ人間で試したけど、利用価値があると考えていた当時の王家は猿轡をして返事をさせなかった。一分間番人は待ったけど、帰る意思無しと判断して消えたって。そして召喚者は猿轡を外された後、よほど帰りたかったのか、無念で舌を噛み切って死んだらしい」


 紫苑は具体的な話に目を輝かせた。それを自分の話が面白いからだと思ったタリオンは、紫苑の質問に次々答えてしまう。


「そうなの。博識なのね。ねえ、じゃあその時期って?」

「春分と秋分の日だから、あと一月後だよ。あと真夜中に発生するらしい」

「じゃあ、そのストーン・ヘンジの場所って?」

「それはね……」


 それだけ聞ければ十分だ。紫苑はさらにタリオンを気分良くさせ、彼の一人暮らしの部屋に上がり、睡眠薬を仕込んで眠らせたあと、金目のものを奪って逃げた。


 目指すはムルムの国。……皮肉なものだ。二度と踏みたくなかった地に、帰る方法がある。





 馬車と船をつかってストーンヘンジに着く頃には、ちょうど当日になっていた。無我夢中で走って、着いた頃には夜になっていた。でも真夜中ではない。


 間に合った、表情を緩ませた瞬間、紫苑は叫び声をあげた。


 ムルムにオリアス。二人が並んで立っていた。何故ここに……。


「何でって顔してるな」


 見透かしたムルムがそう言った。


「王家なら知ってて当然だからね。帰る場所くらい。だから今日来ると思った。ムルム? 殺さない程度にならどう扱ってもいいって契約でね。……あんなに可愛がってやったのに! お前のせいで、俺は廃嫡されたんだ!」


 復讐する気満々でじりじりと紫苑に近寄ってくる二人。一時撤退を考えたその時、二人のすぐ前で強い光が地面から出た。色素が薄い目の彼らには耐えられなかったのか、目を押さえてうずくまっている。チャンスだ。石の輪の中にもぐりこむ。光に続いて出てきたのは、美しいけれど、何ともやる気のなさそうな女精霊だった。


「迷い子よ、我が名はセーレ。貴女は帰るおつもりですか?」


 もちろんそうだ、と答えようとして、左腕をムルムに掴まれる。


「逃がすか、このっ……お前のせいで、俺の国は……!」


 いまだ目は閉じられているが、手はしっかりと私の腕を握っている。そしてその左腕だけが、石の輪の外に出てしまっている。それを見たセーレは、面倒くさそうに紫苑に質問した。


「帰りますか? でも左腕が出ていますけど。条件はこの石の輪の中にいることなのですが」


 紫苑は迷わなかった。こんな悪夢みたいな世界にいたくない。左腕なんか、無くなったところで、元の世界なら障害者だって生きていく権利がある!


「腕を切っても帰る!!!」

「承知」


 ふっ、と、左腕が軽くなった感触のあと、紫苑の意識が飛んだ。

 ストーン・ヘンジでは、残された二人が、紫苑の左腕を手に呆然としていた。




 気がつくと、血みどろで自分の部屋にいた。ここが自室であることを何度も確認したあと、ふと前にある姿見を見る。

 片腕になった自分がバランスを崩してみっともなく横になっていた。

 でも、命があるだけマシだ。


「あなた、紫苑の部屋から音が」


 物音に気づいて駆けつけてきた両親に、救急車を呼んでもらって、病院で手当をされながら、紫苑は生きていることの幸福を噛みしめていた。

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呪われた召喚体験 菜花 @rikuto

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