短編・ホームセンター物語
鳥辺野九
ホームセンター物語
ダクトテープがなくなった。
そんな訳で、多賀は日用雑貨売り場行きの無人電気バスに乗り込んで、ダクトテープを探し求める旅に出たのであった。
ここはホームセンター・ジョイトコ。世界最大のホームセンターである。その延べ床面積は東京都渋谷区に匹敵する15平方キロメートルに達し、『世界中のありとあらゆる商品を在庫する』をコンセプトに経営される倉庫型巨大店舗だ。
ジョイトコに行けば欲しい物は何でも必ず手に入る。欲しい物がなくてもジョイトコに行けば必ず何かが欲しくなる。
そんな謳い文句で展開される複合式多層倉庫型店舗は、そのすべてがオートメーションで経営されていた。従業員数は社長を含めて六名のみ。店舗運営は自動販売機スタイルの販売システムと接客ロボットの手に一任されていた。
広大過ぎる店舗内には集合的コンピューティング技術により独自に発達した自動交通網が敷かれている。買い物に訪れたお客様は無人運転の電気バスで店舗内のメインストリートを巡回して、四人乗りの自動走行電動カートで、もしくは物好きなお客様は徒歩で、目的の商品を売っているエリアまで移動する販売システムだ。
まるで絶海に孤立した無人島の生態系のごとくに、販売接客ロボットと店舗内監視ドローンが自己の縄張りを主張するかのように絶えず買い物客の姿を探している。ひとたび迷っているお客様を発見しようものなら、天井付近を旋回するドローンからの情報伝達で地上部隊である接客ロボット達が我先にお客様の元に馳せ参じ、息つく間もなく商品を売り付け、次の商品エリアへ案内する。
巨大過ぎる店舗内において、冒険のように商品を探し回る大勢のお客様の動線をも完璧に管理するために店内にレジコーナーは存在しない。商品を手に取って、商品棚から一定の距離を置けばそれは自動的にお買い上げとなり、入店時に登録したクレジットカードで決済される。返品したければ元の棚に戻せばいい購買システムとなっている。あまりに広い店内で迷わず元の場所まで戻れれば、の話だが。
巨大店舗がまるまる一個の自動販売ロボットであるようなまさしく世界最大のホームセンター、それがジョイトコである。
ジョイトコ良いとこ一度はおいで。
ジョイトコの店内すべてを見て回るには二週間を要すると言われていた。店舗内で消息を絶ったとある冒険家の言葉がある。
「このホームセンターは人類にとって最新で最後の秘境だ」
『次は、日用雑貨街、日用雑貨街。粘着シート式カーペットクリーナー替え芯エリア前です』
多賀が降車ボタンを押すと、電気バスは緩やかな慣性を感じさせてかすかなタイヤ音を立てて停車した。
年中無休24時間営業とは言え、夜の十時を過ぎればさすがに買い物客の姿も疎らになる。多賀は無人運転のバスを降りた途端に暇を持て余していた接客ロボットに捕まってしまった。
『いらっしゃいませ。お客様は何をお探しですか? 商品探しをお手伝いしましょうか?』
玉乗りをする幼女のような形状の接客ロボットが小首を傾げる仕草で言った。接客ロボットは全高1メートル程度の大きさで、そのせいか本当に小さな子に見上げられてる錯覚に陥ってしまう。一体一体それぞれ髪型や髪色、ボディカラーのパターンも変えてあり個体差を持たせているのも接客戦略の一つだ。
「いや、売り場を知ってるから一人で大丈夫だよ」
『そうですか。では御用がありましたらお声がけください』
それだけ言い残して玉乗り少女の接客ロボットは次の獲物、お客様を求めて器用に玉を転がして走り去った。
多賀は玉乗り少女ロボットの背中を見送ると、天井を仰ぎ見るように大きく伸びをした。店舗内バス通りは言うなれば買い物客の動線のメインストリームとなる。そのため通りは天井がやたら高い吹抜け構造となっていて、何体ものドローンがかすかなハム音を響かせて飛び交っていた。
この日用雑貨通りに来るのももう慣れたものだ。監視ドローンの飛行パターンさえ覚えてしまうほどだ。目的のダクトテープは200メートル続くコロコロ粘着シート替え芯エリアを抜けて、交差点を左に曲がって、さらに拭き取りクリーナー取替え用シートエリアを100メートル歩いた辺りだ。
古今東西、大型、小型、絨毯用、畳用、家庭用、業務用、お徳用、雑多に入り乱れたコロコロ粘着シート替え芯を眺めながら交差点まで歩き、多賀は商品棚からそうっと顔を覗かせた。よし、玉乗り少女の接客ロボットの姿はなし。また捕まったら追い払うのがめんどい。
吹抜けを見上げればドローンがふよふよと浮いている。在庫管理ドローンと監視ドローンとを見極めなければ巨大ホームセンターでは生きていけない。監視ドローンにサーチされたらあっという間に接客ロボットに包囲されてしまう。
よし。ドローンはクリアだ。いざ、隣の拭き取りシート取替え用エリアへ渡ろうとしたが、多賀は向かい正面の商品棚に隠れるようにして吹抜けを見上げている女の姿を見つけて踏みとどまった。
自分と同類さんかな。多賀は直感的にそう思い、隠れる女をこっそりと観察した。
歳はまだ若そうだ。癖のない真っ直ぐな黒髪を肩のラインで切り揃え、明るい柄のネルシャツにデニムのロングスカートを合わせている。ちらっと伺える横顔に黒縁の丸眼鏡が見えた。はて。見覚えがある丸眼鏡の女だ。
多賀は思い出した。同じゼミの学生じゃないか。あまり親しく会話を交わした事はないが、控え目でおとなしい性格の眼鏡っ子で、名前は
ダクトテープよりも彼女の行動に俄然興味が湧いた多賀は、吉野をこっそり尾行してみようと思った。吉野は夜十時過ぎの巨大ホームセンターで何をコソコソとしているのか。
吉野は拭き取りシートの取り替え用シートを一袋購入し、メインストリートに出て背伸びをするようの手を上げて自動運転バスを停めた。
多賀は吉野を乗せたバスが静かに走り出したのを見届けると、すぐに後から走ってきた自動走行カートを捕まえた。
「あのバスの後ろについて」
音声認識で多賀の指示をすぐに理解したカートはするすると走り出し、バスの後方にぴたりくっつくとゆるゆるとした速度に合わせてその後を追った。
多種多様な商品が理路整然と碁盤の目のように陳列された区画の日用雑貨街を抜け、バスはやたら明るい照明器具街に到着した。
広大な店内でもここだけ降り注ぐ光量がまるで違った。夏の陽射しのようにジリジリと照り付ける室内灯コーナーを抜けて、LED電球がたわわに実ったブドウのように吊り棚からぶら下げられている光景を眺める。まるでフランスのワイン名産地のブドウ畑を見ているようだ。
ここだけ見てもとんでもない電力消費量だろう。その膨大な電力をまかなうためにこのホームセンター専用の発電所も稼働していると言う話だ。そしてそこで発電された電気も、やはりここで売られている。
多賀は電動カートのナビゲーターをタッチし、吉野を乗せたバスの行き先を調べてみた。バスは食糧品街に向かっているようだ。
世界中の商品と言う商品をすべて在庫していると言われるジョイトコにも置いていない商品があった。それは生鮮食品だ。
さすがの商品管理ロボットでも食品の鮮度を判断する機能は持っていないようで、ジョイトコでは消費期限が長い缶詰類やレトルト食品しか扱っていなかった。
それでも缶詰だけでアメリカンフットボールの試合ができそうなぐらいの売り場面積を誇り、アレルゲンフリーのベビーフードから取扱厳重注意のシュールストレミングまで缶詰なら何でも売っていた。
吉野は幾つか不慣れな手付きで缶詰を見比べて、ようやく一個これだと言う一缶を見つけたようでにっこり笑顔で一個の缶詰をデイパックへ投げ込んだ。
吉野が缶詰の棚から鼻歌交じりで離れたのを確認すると、多賀はその空いた棚を覗き見てみた。鯖缶だ。傾斜のついた棚を新しい鯖缶がスライドしてきて空いた一缶分をすぐに埋める。
ゼミでも目立たない立ち位置の地味な格好をした女子大生が、こんな遅い時間に世界最大のホームセンターに鯖缶を買いに来る。これがどれだけ非日常な出来事か多賀には解りすぎるほど十分に理解できた。
これは決まりだ。多賀は死活問題のダクトテープ購入よりも、吉野の奇妙な行動の方が断然面白いと判断し、彼女の後を追いかけ、その細い肩をとんとんと叩いて呼び止めた。
「やあ、吉野さん。こんな時間にお買い物か?」
「ひゃあっ、えっ、あっ、多賀くん?」
甲高いとんきょうな声を上げて振り返った吉野は細い身体を放り投げるようなステップで飛び跳ねて多賀と一気に距離を置いて、それから丸眼鏡をくいっと直してそこで始めて背後に立つ人間が多賀だと気付いたようだ。
「驚き過ぎだぞ」
「多賀くんが何でこんなとこに?」
まるで格闘技の試合開始前のように小さな胸の前に腕を突き出して構える吉野。まだ声が裏返っていた。
「何でって、俺も買い物中だよ」
「ロボットには気を付けていたけど、人間はノーマークだったわ。まさかここで顔見知りと出会うなんて、油断し過ぎだ」
「ああ、わかる。ロボットのマークを外すのは意外と簡単だよな」
そう言う多賀の表情を眺めて、吉野はふと周囲の様子を見回した。あまり長く一箇所に留まっていると接客ロボットに包囲されてしまう。それは多賀もよく知っている事だ。
「ロボットが集まって来る前にどこか移動しよう」
多賀は商品棚から太い通りへ抜けて、手を挙げて自動運転カートを一台捕まえた。
「何か多賀くん、ジョイトコ詳しそうね」
「ま、よく利用してるからな」
一定時間商品の購入がないお客様や、一箇所のエリアに留まってウロウロしているお客様には手助けが必要だと接客ロボット達がワラワラと寄ってくる。それがホームセンタージョイトコの営業システムだ。そのシステムの逆をつけば、つまり一定間隔で商品を購入し続けるか、絶えず移動し続ければロボットやドローンにターゲット捕捉されにくくなる。それを多賀はよく知っていた。しっかりと研究済みだ。
「次はどこか行きたいところあった?」
カートに乗り込んで、シートの隣を空けて吉野に声をかける。吉野はちょっと照れ臭そうに多賀の隣に座り、えーっとね、と小首を傾げて見せた。
「さっきの鯖缶を食べるならオススメはフライパンの実演販売コーナーだな。持ち込みの食材を調理実演してくれる」
「えっ、実演販売してるなんて知らなかった。ってゆーか、何で私が鯖缶買ったって知ってんの?」
「さあ、何でだろな」
多賀の声に反応して電動カートはするすると走り出した。コンパネにはフライパンの実演販売コーナーまでの道のりがマップ表示されている。ゆっくりとしたカートに10分ほど揺られた場所だ。
「いつから後をつけてたの?」
「さあ、いつからかな」
多賀の隣でモジモジと居心地悪そうに座る吉野に、多賀はズバリ確信を突いてみた。
「なあ、吉野さん。君って、いまジョイトコに隠れ住んでるだろ?」
「えっ」
慌てた様子で多賀を見つめる吉野。顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
「なっ、なんの事よ? わかんない。私わかんないっ」
ふるふると丸眼鏡が吹き飛びそうになるまで首を横に振る吉野。多賀はコンパネをタッチしてフライパン実演販売コーナーの売り場情報を呼び出して言った。
「実演ロボットが擬似キッチンにいて、フライパンの性能チェックをやってくれるんだよ。食材はジョイトコではろくなの売ってないから、こっそり持ち込んだりして実演ロボットに料理させるんだ。そうやってジョイトコに隠れ住むんだって」
「そ、そんな事出来るんだ」
「ああ。ジョイトコチャレンジって言うらしい。接客ロボットや監視ドローンに見つからず何日間ジョイトコに隠れられるかってバカバカしいゲームだ」
吉野はさらさらとした前髪を指でねじりながら、真っ赤にさせた顔でちらっと多賀の方を盗み見てとっておきの秘密を告白するようなか弱い声で言った。
「……私は、寝泊まりしてまだ、三日目」
ああんっ、と吉野は小さな手で顔を覆った。そして多賀のリアクションを伺うように指の間から丸眼鏡を覗かせる。
「やっぱりな」
世界最大のホームセンターにて、夜の十時過ぎに一人で鯖缶を買いに来るミステリアスな女子大生なんている訳がない。多賀の想像通り、吉野はジョイトコに隠れ住んでいた。
「でもでも、私は大学の帰りにいったんうちに帰ってお風呂と着替えを済ませてジョイトコに隠れるから完全宿泊組じゃないのよ」
完全宿泊組か一時帰宅組か、そんなに差はないと思うぞ。多賀はそんな感想をぐっと飲み込んだ。調理器具街のフライパンエリア実演販売コーナーまでまだまだ走るのだ。吉野の初々しいリアクションをもう少し楽しむとしよう。
「どこで寝てるの? やっぱり寝具街? ベッドの下?」
「うー、モデルルームあるじゃない? そこの子供部屋コーナーの一部屋」
確かに、実際の間取りに家具を配置してコンセプトごとにまとめたモデルルームエリアがある。一部屋まるまる家具が揃っていて住みやすい環境と言えるが、それだけ人通りも多く接客ロボットも頻繁にチェックしに来るはずだ。
「二段ベッドみたいにデスクとベッドが一体化してる学習机あるでしょ? あのデスクをちょっとずらすと、ベッド下にちょうどいい空間があるの。まさに子供の秘密基地みたいな」
「なるほど。悪くない寝床だな」
「平日の夜に子供部屋のモデルルーム見に来る人もいないしね」
面白い着眼点だ。隠れ家としての選択基準もちゃんと理屈も通っている。多賀は照れまくる吉野にますます興味が湧いた。もっと彼女の話を聞いてみたい。
「面白いな。吉野の事をもっと知りたくなった。なあ、今から俺の部屋に来ないか?」
「ええっ」
そんな、いきなりっ、と吉野は驚いてまたも裏返った声を上げてしまった。男の人に部屋に誘われるなんて初めての事だ。しかもこんな夜更けに。彼女の小さな心臓がドキリと跳ねた。
「俺の部屋は収納棚エリアに作ったんだ。接客ロボットの二次元化視覚を誤魔化して、監視ドローンの立体視高度センサーを撹乱できる店舗設備と一体型のステルス性ダンボールハウスだ」
「えっ。じゃあ、多賀くんも?」
「ああ。俺は完全宿泊組、三週間目だ」
三週間目。ジョイトコチャレンジの先輩なんてものじゃない。師匠レベルだ。吉野は多賀に興味が湧いた。そもそも店舗設備一体型ステルス性ダンボールハウスとはどんなものなのか。そっちも気になる。
「部屋は広いの?」
「うん。二人問題なく入れる。それに今ちょっと増築中でさ、ダクトテープが切れちゃって買いに来てたんだ。そうそう、ダクトテープだ、ダクトテープ。少し寄り道してもいいか?」
「うん、行っちゃおう」
今、暇を持て余した若者達の間で、世界最大のホームセンターに何日間隠れ住む事が出来るか、ジョイトコチャレンジが静かなブームとなっていた。
短編・ホームセンター物語 鳥辺野九 @toribeno9
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