その後
あの時は、どうして俺の体が勝手に動いたのだろう。考えれば考えるほどに、わからなくなる。
感覚としては、手招きをされて近づいていく子供のようなものかもしれない。何かがあると思い、好奇心が警戒心を抑えてそういう行動に至ったのだろう。
退屈な世界に刺激を、という気持ちに、よりいっそう強い力が加わったのかもしれない。それはストッパーをことごとく壊し、誘導させられていったのだ。
考えられるところとしては、こんなところだろうか。
(そう、そうなのだ。そうでなければ、憑依はできない)
「おい、日比谷」
古賀が話しかけてきた。俺ははっとしてそちらに向く。
「お前の知り合いってのはどれよ」
今日は中学の同級生が、サッカー部の練習試合でここに来ることになっていた。この町の南にある高校の生徒だ。
今は古賀と教室におり、二階からグラウンドを見下ろして試合を観戦していた。
「今ボールを持っているやつだ」
長身のフォワードであり、その鋭いドリブルは自分の高校の守備陣を次々と抜かしていった。目の前がキーパーだけになると鋭いシュートを放ち、ゴールを決めた。仲間が次々と集まり、祝福をしていた。
彼は人当たりもよく、友達も多い。クラスメイトの秘密やゴシップ、都市伝説などそういった類のものを聞くのが好きなのだ。
(そう、だからチャンスだ)
「モテそうだな。どうなのよ」
(あの高校は南に位置している。だから滅多にあそこには行かない。この辺りにはもう噂が立ち警戒されている。だから今回はチャンスだ。また新しいえ――)
「おい、聞いているのか」
今……俺は何を考えていた?
「どうした。汗びっしょりだぞ」
「ああ、いや。何でもない」
自分では気づいてはいなかったが、顔には異様な汗が流れていた。それを袖で拭う。
考えていた内容はわかる。しかし、そんな思考を自らしようとは全く思っていない。チャンス? なんのことだ。
そこでふと思い出したことがあった。Dが都市伝説を話したときのこと。右肘が痛くなくなったということ。そして――。
自分が自分ではないと感じるときがあるということ。
まさか、本当に操られているのか? 今まさに、憑依されている状態なのか?
「おい、大丈夫か?」
「あ、うん、大丈夫だ。ちょっと顔を洗ってくる」
俺はぎこちない返答をして、廊下へと出た。水飲み場は右に曲がって真っ直ぐに行くとある。しかし俺はなぜか、途中右に曲がってすぐの階段を下りていった。
なんだ? 何が起こっている。俺は水飲み場に行きたいだけなのに、どうして階段を下りようとするんだ。
本当に俺は、操られているのか? こんな感覚を味わうから、もう信じざるを得なくなる。足は勝手に進み、思いまでもが乗っ取られている感覚だ。
まさかこんな、こんなことになるなんて。嘘だ。こんな馬鹿なことがあるか。憑依とか、幽霊とか、全部架空の話だったんじゃないのか?
こんな世界は、現実にはないと思っていた。あるのは退屈な世界で、しかし居心地はよく、幸福な日常だった。そんな日常の、はずだった。
だが今ならわかる。
日常のどこに、異世界への口がぽっかりと開いているのかはわからない。自ら突っ込んでいくのもあるだろう。知らないうちに片足を突っ込んでしまったということもあるだろう。
はっきり言えることは、そんな世界は、間違いなくあるのだ。何気ない日常からそこに転落することなど、容易に考えられるのだ。
Dも、その前のC、そのまた前のBやAもこんな体験をしたのだろうか。きっと彼らは、俺と同じように平穏な日々を送っていたに違いない。そして俺と同じように、直前の被害者の事件から好奇心を刺激されあそこに行った。そんなふうに、常識が容易く破られる感覚に陥ったのだ。
今回でようやくわかった。こんな非現実があることを、そして、そこの住人に誰でも成りうるということを。
(好奇心は猫を殺す。動けないから、それを利用し、憑依する。そして充分操れたら、そこで血を……)
まただ。またあの感覚だ。どうしたんだ、本当に……。
一階に着くと、俺の足は勝手に玄関に向かった。玄関前に着くと、内履きのまま外にでる。するとちょうど試合を終えたあいつがこちらを見て手を振った。
(来るぞ)
チームメイトに何やら話しかけ、そこから俺のところに来る。
やめろ。来るな。
(いや、来い)
来るな。
(来い)
来るな!
声にならない声は、体の中で消化された。音も響かず、恙無く処理だけされた。あいつはニコニコしながらこちらに近づいてきた。
「おう、久しぶりだな」
俺は少し見上げて、笑った。たぶん、自分の意志ではない。それすら判別もつかなくなってしまった。
「久しぶり」
そこから近況などを話す。Dのことも話そうと思ったが、もう自分の言葉ではないため、全く話せずにいた。そして俺はこんなことを口にする。
「お前にはいい話を持ってきたぜ」
相手は、俺が意図せずした言葉に、興味深そうに相槌を打っていた。
「へえ、おもしろそうだな。しかし――」
相手が少し眉をしかめた後、からかうように笑って言った。
「どうしたんだよ。そんな目ギラギラさせて」
その単語に、はっとする。しかしその感情を反映した表情は、俺の顔には全く出なかった。
代わりに、俺は操られるように笑みをつくり、そのギラギラとした目でこう言い放った。
「なあ、こんな都市伝説があるのを知っているか?」
Fと成りうる者 初瀬明生 @hase-akio
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