十三、南越王陵墓

       

 この数十年来、広州市内や近郊から漢代の墓群が数百ヶ所、発掘されている。そのうち華僑新村・二望崗・王聖堂・淘金坑などで漢初、南越国時代の墓群も多く発見されている。出土した「梁奮」「臣奮」「辛偃」「臣偃」「趙安」「李嘉」「趙望之」など南越国官吏の印章から確認できるのである。


 一九八三年五月、広州駅まえ流花湖公園の西側、西村シーツンの鳳凰崗で大型の木槨墓もっかくぼが発掘された。これまでに発見された南越国時代の木槨中、特に大きな墓例であった。

 墓坑内はすべて砂で埋まっていたが、長さ十三・八メートル、広さ五・七メートル、傾斜のある墓道の広さは三・二メートルあった。

 槨室の中央部に大きな盗掘用の坑道があり、古い時代、すでに盗掘されていた。

陶器・玉器・玉璜ぎょくこう(身に帯びる半円形の玉)・玉環・せん(死者の口に含む)・玉舞人・玉珮飾(帯につけた飾り玉)・玉製の剣飾り(剣首、剣格―鞘の鯉口、剣珌けんひつ―鞘の末端のこじりにはめる玉具)など、残された出土品はわずかではあったが、その内容の品質と墓の規模の大きさから、墓主は高貴な身分の男性、さらにいえば三国時代、呉の呂瑜によって発掘されたという南越国第三代国王趙嬰斎の墓ではないかと推断された。


 広州市の地勢は、東北に高く、西南に低い。東北の郊外は一面の丘陵地帯である。

 南面には珠江が滔々と流れている。珠江、中国三大河のひとつである。英文名では、パールリバーの美称で知られる。

 北面には白雲山がひときわ高く屹立し、それにつらなる越秀山が市内を間近に見おろしている。白雲は広州市の象徴である。旧国際空港は白雲山の西麓にあり、白雲空港と呼ばれていた。花都に移ったいまも、白雲新国際空港としてその名を引き継いでいる。

 越秀山は旧番禺城内に取りこまれていた。石英砂岩質の七つの山から構成されており、主峰の越井崗えっせいこうで海抜七十八メートルである。その西側の突端、大北門の外にはりだしているのが象崗山ぞうこうざんである。海抜四十九・七一メートル、南北縦長で、象の形に似ているところからこの名がある。


 一九八三年六月、象崗山中で南越国王のものと見られる墓陵が発見された。

 国有建築物の基礎掘削工事中、地表から一七メートル掘り下げたあたりの山腹で、整然と並べてある石板にぶつかり、その石板の裂け目から大きな洞穴が垣間見えたのである。異変に気付いた現場主任が、率先して確認作業にあたった。洞穴内の形と構造は比較的はっきりと識別でき、そのなかに散乱する器物もおぼろげながら存在することがわかった。

「古墓、それもかなり大きな石室墓ではないか」

 幸いなことに、その現場主任には考古学の基礎知識があった。

「現場保存が必要である。これ以上掘ってはならない。即刻、作業を中断する」

 広州駅に近い、もとの広州交易会のメーン会場のあった市内繁華街の一角である。いまの交易会は琶洲パージョウに会場を移している。

 おりしも隣接する敷地では、中国大酒店チャイナ・ホテルの建築中であった。電話をかけるため、主任はホテルの工事現場事務所まで、息せき切って駆け下りた。


 広東省政府の弁公庁がこの通知を受け、ただちに省文物局の専門家による勘察かんさつ(実地調査)が実施された。その結果、尋常ならざる結論に達し、火急を告げる電文が、北京の中国国家文物局に報じられたのである。

「広州象崗で彩色の石室大墓を発見。墓葬は完全かつ良好、副葬品がきわめて豊富なことから、被葬者は南越王あるいは南越王家近親者の可能性が高いと、推断される」

 中国科学院考古学研究所 夏鼐かだい所長は、広州市文化局副局長と広州博物館々長をいそぎ北京へ招致し、詳細な報告を受けた。具体的状況を把握するにおよび、夏鼐所長もまたことの重大さを知り、興奮を禁じえなかった。

「二千余年の封印を解くことができるかも知れない。隠された歴史の秘密が解明できるのだ。千載一遇、いや両千載一遇にせんねんにいちどの好機といっていい」

 そうと決まれば、ことは迅速を要する。国務院に発掘の許可を請求、まもなく承認され、同年八月二十五日、古墓発掘工事が正式にスタートした。


 墓道は、まったく盗掘の被害を受けていない処女道である。掘り進んだ発掘隊のメンバーは、周到な盗掘防御の措置に舌を巻いた。墓道全体が巨石で塞がれていたのである。もっとも重いものだと二トンもある。大型クレーン車が出動し、フル回転した。

墓道は、長方形で傾斜した坂である。長さ約十・五メートル、寛さ約二・五メートル、深さ約三・二メートル。墓道が尽きるあたりに、大量の青銅器や陶器などの副葬品が積み重なっていた。墓室の入口である。衛士であろう。二人の殉葬者が確認された。

 巨大な二枚の石門が、二千余年のときの経過を無言で伝えていた。門柱はすでに亀裂し、すこしでも動かすと倒壊する危険があった。そこでまたクレーンの力を借り、巨大な石門と門框もんかまちの横石を吊って、墓室から切り離した。

 門が退けられると、緻密に描かれた比類なく美しい彩色の巻雲紋けんうんもんが、眼前いっぱいに飛び込んできた。墓室入口の四壁と天井は赤と黒の渦巻状の雲の紋様で彩られ、もくもくと湧きおこる雲の動きを思わせた。「叱咤しった風雲」――ひと声発すれば風雲まき起こる、乱世の英傑を彷彿とさせる雰囲気があたり一面にみなぎっている。勢いあふれる動的情景を目にしながら、一方では、飄々ひょうひょうと世俗を超越した捉えどころのない別の空気が感じとれる。

 被葬者の威風堂々の生涯を物語っているのであろうか。あるいはそれに反して、世間に囚われない、軽妙洒脱な人生をこそ望んだものであろうか。魂が極楽往生することを寓意しているといわれる割には、この巻雲紋からは生身の意識が連想される。

 もっともその意識を被葬者のものとせず、描いた作者、あるいは陵墓の結構をプロジュースした人のものとみれば、矛盾は生じない。


 二十四枚の大石で墓頂を覆われた墓室の内部は、あたかもミニチュアの地下宮殿といった趣である。墓室へ通じる参道をくぐると、前室・主棺室・後蔵室が前後(南北)にならび、前室の右左みぎひだりに東西の耳室じしつ、主棺室の右左に東西の側室が配置されている。墓室の全長(南北幅)は十・八五メートル、もっとも広いところで(東西幅)十二・五メートル、総面積は約百平方メートル、室内の高さは二・一から二・三メートルである。

 平面図にして北側からみると、左右対称の「士」の字型で、前後両部分に分かれる。南側からだと「干」の字型になる。南側の前半部に三室、北側の後半部に四室の合計七室ある。出土した副葬品は一千点を超えた。

 さまざまな玉器・玉璧・鉄剣・玉製の剣飾り・玉佩・玉印など玉関係だけで二百点以上出土しているほか、銅・鉄・金・銀・鉛・陶・石・水晶・瑪瑙めのう・玻璃・生糸・竹・漆木・象牙・皮革などを用いて作られた器物・装飾品・鑑賞品・愛玩物・飲食用品・楽器・車馬幌幕・宝剣・弓簇・甲冑・日用品・実用品の類まで、それは多岐にわたっていた。

 殉葬者は十五名。そのうちわけは、妃嬪四名、下僕七名、衛士二名、楽師一名、家臣一名である。


 墓室は、前半部・後半部とも、各室異なった用途である。

 前室は、前述したように赤と黒の巻雲紋が四壁と天井に描かれている。巨大な銅鼎に、玉佩・玉璧・鉄剣、さらに「景巷令印」という銅印などが発見されている。ここは、ご出御にそなえ、「景巷令」(宮中の廊下を取り締まる宦官、永巷令ともいう)が漆木の車で待機する場である。朽ち果てたものか、車の残骸は見出せなかった。

 そして前室の後方、主棺室につらなる通路のまえに、守護神を思わせる殉葬者がひとり、剣を抱いて道を塞いでいた。首がなかった。

「胴首そろって、はじめて天にゆける」

 情のある発掘メンバーは、職務を超えて懸命に探し回った。しかし墓室内に、首は見つからなかった。


 東耳室は、宴会場兼奏楽堂である。青銅の編鐘へんしょう・石の編磬へんけいなど各種の古代打楽器がならんでいる。銅瑟どうしつ(おおごと)・銅琴・漆木琴など置かれた楽器の種類も多い。膨大な量の楽器のまえに立つと、いまにも演奏がはじまるかのような錯覚に陥る。

 その楽器のひとつには「文帝九年楽府工造」と銘刻されていた。文帝九年といえば前一二九年、伝説の越王台「歌舞の夜宴」の二年まえである。

 編磬のかたわらに殉葬者の骨が発見されている。約十八歳とみなされた。楽師であろう。損傷は認められなかった。生きたまま殉葬され、窒息死したものであろうか。

 ほかに六博漆盤りくはくしつばんおよび六博子りくはくしという当時流行のすごろくゲームの盤やコマ石がある。

 酒を盛る銅製の提桶(手提げ桶)などの飲酒セットもおいてある。ミニバー付きの娯楽室も兼ねている模様である。客はみあたらない。


 西耳室はさながら王府の倉庫である。飲食用具・生活用陶器・虎節(割符)や鎧兜など軍事用品・祭具、さらに絹織物などの副葬品がうずたかく積まれている。埋葬当時は木製の棚に整然と安置されていたものが、棚が朽ちて乱雑に積み重なってしまった態である。 

 出土した絹織物は、きぬうすぎぬあやぎぬにしきなどである。中原から伝わったものもあれば、嶺南で自製したものもある。南越国初、嶺南にはまだ絹を織る技術はなかったが、中期以降は克服し、内製化に成功している。

 金銀の飾り物・青銅の儀礼品・玉石印章・玉舞人などに混じって五色の薬石と杵臼などの薬研やげん用具もみつかっている。五色の薬石は、辰砂しんしゃ(硫化第二水銀)・鉛塊・紫水晶・硫黄・孔雀石で、不老長生の仙薬の原料とみていい。ほかに中草薬や丸薬なども出土している。

 象牙・香薬・瑠璃製品・銀の小箱など、はるかかなたのアフリカやペルシャ湾地域からもたらされたものもある。


 後半部の中央、主棺室におかれた被葬者の棺槨かんかく(内棺と外棺)は、すでに朽ちていた。棺槨のなかで散乱した陶片をひとつずつ丹念に整理していた発掘隊員は、ときならぬ叫び声をあげた。

「玉衣だ。ほんものの玉衣だぞ」

 四角に削られた薄い玉片のかたまりが見つかったのである。玉片は二千余枚、小さな穴のあいたものと穴のないものとがあった。出土した少量の頭蓋骨と歯から、被葬者は四十から四十五歳の男性と推定された。

 玉片の痕跡から復元すると、被葬者は頭を北に、足を南に向けて仰向けに寝せて安置されていた。身につけた玉片の殮服れんぷく(埋葬衣)は手足と頭部が赤いシルクの糸で綴じあわされ、からだの部分は裏あての布に貼りつけてあったとみていい。絲縷しる玉衣ぎょくいと判断できた。

 玉衣の両脇に透かし彫りの円形玉飾があり、胸には玉の佩飾をつけ、金・銀・玉・銅・玻璃などの珠でできた首飾りをかけていた。

 腰間の左右に佩剣が五振りずつ置いてあった。六振りは玉造りの宝剣である。竜虎鳳の精緻な紋様が彫られている。そのうち一振りは刃渡り一・四六メートル、漢墓中でもひときわ長い鉄の剣である。その他棺槨内からは大量の銅製弩弓、銅製と鉄製の鏃、鉄矛・鉄戟などの武器が出土した。

 被葬者を特定する決め手は、同時に発見された印章 印璽いんじである。きわめて稀なことだが、この墓陵からは合計三十六個の印章が出土している。金・玉・銅・水晶・瑪瑙・象牙・緑松石りょくしょうせきなど材質も異なり、遊竜・螭虎ちこ・亀・魚・覆斗ふくとなど印鈕いんちゅうの種類もさまざまである。

 被葬者の遺体の上から見つかった九個の印章のうち、最大のものが「文帝 こう 」の竜鈕金印である。玉刻覆斗鈕の「趙眜ちょうばつ」名の印章と螭虎鈕玉印の「帝印」、「泰子たいし」の亀鈕金印と覆斗鈕玉印から、被葬者は南越二代目国王文王趙眜であることが証明された。

 しかし『史記』『漢書』に記されている南越二代目国王、趙佗の孫の名は趙胡である。印章名の趙眜とは異なる。史書の書き誤りということもありうる。専門家のなかでさまざまな解釈が飛び交っているが、いまだ定説はない。念のため、聞きなれない単語に注釈を加えると、鈕はつまみ、覆斗はつまみのかわりに枡形の上蓋、みずちは角のない竜の意である。


 墓室の後半部、主棺室に平行して右左に東西の側室が配備してある。

 東側室には四名の夫人が漆棺におさめられ殉葬されている。精緻で美しい金玉佩用装身具と印璽が八個、確認されている。亀鈕金印の「右夫人印璽」、鎏金りゅうきん亀鈕銅印の「左夫人印」「泰夫人印」「□夫人印」などである。鎏金は上質の金をいう。「□夫人印」の□の文字は削られた痕跡がある。

 覆斗鈕象牙印の「趙藍印」が、右夫人印と同じ棺から出土している。趙藍は右夫人の姓名とみなされる。四名の夫人印の付近から銅鏡・薫炉・帯鈎たいこう(バックル)・玉佩組飾りなどが出土している。右夫人のものがもっとも多く、またもっとも精緻なつくりである。右夫人は皇后に次ぐ夫人であろう。


 西側室は後宮の厨房を模してある。副葬品は二種類に分けられる。ひとつは墓主に供える牛豚のいけにえであり、いまひとつが殉死者と、いわゆる副葬品である。殉死者は七名、厨房の料理人など身分の低い下僕らであろう。棺がなく、銅・鉄・陶器、金・銀・玉・漆器と封泥などの副葬品が出土している。


 主棺室の最後部に後蔵室がある。備蓄倉庫といった態で、食糧や厨房用品を納めている。大型の銅器や陶器にくわえて、鳥や家畜の骨、海産物や貝殻などが出土している。

 出土した器物のうち数個の銅器に「蕃禺少内」という文字が銘刻されていた。漢代、武帝が南越を滅ぼしてのちは「番禺」の文字を用いていたから、南越国では「蕃禺」と表示していた証であろう。「少内」は内史に属する官名である。銘刻が意味するものは、少内官署備品あるいは少内官署制作を明記したものか。


 第二代南越国王趙胡(あるいは趙眜)の墓は二千年の時空を超えて、失われた多くの歴史を語ってくれている。残る秘境は、初代国王趙佗の陵墓である。

 趙佗の陵墓が発掘されるとき、嶺南王国の歴史もまた甦るに違いない。


                (完)


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南越王国の最期 ははそ しげき @pyhosa

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