最終章 少女の恋

 高島たかしまは結局、犯行を認めた。

 今なら自首扱いになり、殺人ではなく過失致死にできるという諏訪すわ刑事の言葉が背中を押したのは間違いない。

 諏訪刑事が突き止めた油木あぶらきへの借りをネタに、高島は恐喝に近いことをやられていたと語った。といっても金銭的に不自由のない油木であるから、その要請はもっぱら使いっ走りのような雑用であった。しかしプライドの高い高島には耐え難いことと感じていたようだ。

 中には、さくらを呼び出して自分と二人きりにさせろなどという命令もあったという。これはさすがに何かと口実をつけてかわしていたが、それも何度も続くと油木の腹に据えかねたらしい。事件の夜、勝手口裏に呼び出したのは油木が高島を、であった。そこで油木は、今夜桜に夜這いをかけるからその手引きをしろと命じたという。断れば洗いざらい全てを上一色かみいっしき建設にばらす、と。そこでかっとなった高島は……

 牧田まきたが聞いた、決着を付けるのにいい機会だ、という言葉を言っていたのは油木であった。桜と高島、ふたりの問題に一度に決着をつける気でいたのだろうが、決着をつけられたのは自分のほうだったのだ。

 諏訪刑事に連れられてパトカーに乗る高島を見送った一同の表情は神妙なものだった。

 高島くん、と泰蔵たいぞうはパトカーに乗り込む直前の高島に声を掛けたが、振り返ることもなく、高島はおとなしくパトカーに乗り込んだ。


「さあ、次は桜ちゃんだね」


 サイレンは鳴らさず、赤色灯だけを回転させて遠ざかるパトカーを見送って理真りまは呟いた。


 ノックの返事はなかったが、構わず理真はそっとドアを開けて、桜の部屋へ私と一緒に入った。

 部屋の明かりは消されていたが、ベッドに伏せていた桜が布団の隙間からこちらを窺うのが窓から差し込む月明かりで分かった。


「桜ちゃん――」

「帰って下さい」


 桜は突き返すように言ったが、


「高島さんが捕まったわ」


 理真のその言葉に、桜は布団から顔を出した。


「高島さんが……?」

「そう、油木さんの殺害容疑でね」

「あれは、高島さんが……」

「そう、もういいんだよ桜ちゃん。終わりにしよう」


 理真は静かにベッドへ歩み寄る。いつかと違い、桜は拒否する声を発しない。上半身を起こして理真の目を見ている。ベッドのそばで立ち止まった理真は腰を屈め、ゆっくりと桜を抱き寄せる。


「ひとりで頑張ったね。でも、もういいの。誰も桜ちゃんを責めたりしないから。桜ちゃんは大切なもののために頑張っただけなんだよね」

「全部、分かってるんですか?……」


 桜の問いに理真は頷いた。桜の目元に煌めくものを月明かりが照らした。


「私が全部話をつけてくるから、ちょっとだけ、指輪を貸してくれないかな」


 理真は腕をほどいて桜の体を離す。桜は枕の下に手を入れて何かを取り出した。

 それは指輪だった。赤いガラス玉、いや、世界一のルビーがはまった、小さな指輪だった。



 応接室では、泰蔵とマキの二人がソファに腰をおろしている。牧田はドアのそばに立ち、稲葉いなばは所在なげに壁にもたれて腕を組む。松波まつなみの姿はない。

 テーブルの上には、ハンカチを敷いて桜の指輪が置かれている。


「……そんなことが……」


 事件の真相が理真の口から語られる間、一同は終始無言だったが、話が終わると一番に泰蔵がそう漏らした。


「それで桜は、桜はどうなるの? 殺してないんだから罪には問われないのよね?」


 マキが懇願するように理真を見る。


「そうはいきません。死体損壊罪で起訴されることは免れないでしょう。もっとも、未成年ですので、それ相応の対応はされるはずですが」

「どうして……」


 マキは顔を伏せた。そんな妻をちらと見て、泰蔵は言葉を吐く。


「桜のやつ、どうしてそんな馬鹿な真似を――」

「そうさせたのはあなたたちですよ」


 すかさず放たれた理真の言葉に泰蔵は、


「しかし、だからといって――」

「いいですか」理真は泰蔵の言葉に構わず続ける。「子供を大切にすることと自由を奪うことは違いますよ。好きになった人がいても、それを誰にも言えない。デートも大っぴらにできない。そして、その人が亡くなっても誰にも悲しみを打ち明けることができない。自分の胸に押さえ込むしかない、そんな桜ちゃんの気持ちを考えてみて、どうです。貴方たちは一度でも桜ちゃんの悲しい顔を見たことがありますか、ありませんよね。だって、彼女はそんな顔を見せるわけにはいかなかったから。少しでもおかしな素振りを見せたら、またどんな介入をされるか分かったものじゃないから」

「しかし、私たちは、桜のためを思って、悪い男に引っかかりはしないかと――」

「しないかと?」


 理真は泰蔵の反論を許さない。


「あなたは自分の娘がそんなに信じられないんですか。自分の娘は、おかしな男の甘言に簡単に引っかかるような規律のない人間だと? 油木さんのしつこい誘いを毅然と断り続けていたのをずっと見ていたのに? そりゃ楽ですよ、信じることをしないで管理さえしていれば。何不自由ない金銭と物を与えて自分の目の届く範囲だけで遊ばせておけば、子供に気を遣うことなく存分に仕事や趣味に没頭できますものね。でも、そんなにうまいこといきはしませんよ。現に桜ちゃんはあなたたちの知らないところで恋をして、恋人と会っていたんですから。そんな人の目を盗むような真似を憶えさせて、うちの娘は清廉潔白な汚れを知らない乙女でございと高をくくってたんですか。信用して下さいよ、自分が手塩に掛けて育てた自慢の娘を。それで道を誤りそうになったときに正してあげればいいじゃないですか。桜ちゃんが選んだ男は、お金はないけれど立派な青年でしたよ」


 菅田彰。桜の誕生日にプレゼントをしようと無理なバイトの掛け持ちをして、それが原因で命を落としてしまった。だが、桜にはそんな高価な贈り物は必要なかったのだ。土産物屋で売っている安い小物で十分だったのだ。そこに心がこもっていれば、それでよかった。


「大体、恋なくして何が青春ですか。自分の子供に恋のひとつもさせないで、青春を謳歌させていると言えるんですかあなたたちは。ご自身の学生時代を思い出してみて下さいよ。誰もが抱いた淡い恋心をそこからさっ引いたら、それは青春だったと胸を張って言えますか? 恋のない青春なんて、マグロの入っていない海鮮丼みたいなものだと思いませんか?」


 その例えはどうかと思う。神妙に聞いていた一同も、そのときばかりは、おや? と顔を上げた。理真も空気を感じ取ったのか、こほん、とひとつ咳払いをする。部屋は沈黙に支配された。


「桜が、罪に問われる……」


 泰蔵は真相を受け入れられないとでもいうように口にすると、テーブルの上の指輪に視線をやり、


「こんなおもちゃのために……」

「言っておきますけど」


 その言葉は看過できないと、理真は再び口を開き、


「桜ちゃんにとって、この指輪と比べたら、どんな高価な宝石もただの石ころですよ。物の価値は主観が決めるんです。桜ちゃんにとって、この指輪はもはやただの物じゃない、心そのものなんです」


 理真はテーブルからハンカチごとそっと指輪を取り上げると、


「行こう、由宇ゆう


 そのまま応接室を出た。私も追いかけ、ドアの前で振り返り一礼してから退室した。

 応接室の外の廊下には、松波に肩を抱かれた桜が立っていた。理真は指輪を桜に返す。桜は理真の胸に顔を埋めた。すすり泣く声がする。そっと桜を抱きしめた理真のその表情が憂いを帯びた。真相を突き止めたところで、桜の想いを両親に分からせたところで、桜の罪が消えることはない。こればかりは探偵にもどうしようもない。

 理真と目があった。これでよかったのかな? そう訴えているような目だった。



「長野県警からお礼の電話があったわよ。理真と由宇ちゃんにもよろしくって」


 コーヒーショップのオープンテラスの丸テーブルを、丸柴まるしば刑事、理真、私の三人は囲んでいる。


 私と理真が上一色家を発った翌日に再現場検証が行われ、殺害現場の庭石のひとつから血液反応が出た。高島が、油木を突き飛ばして頭を打ち付けたと証言した庭石からだった。


 桜もようやく事件当夜のことを口にした。

 自室の窓から夜空を見ながら指輪をいじっていたところ、誤って指輪を落としてしまった。急いで外に出ると、そこには油木がいた。恐らく木陰かどこかから桜の部屋の様子を探っている最中だったのだろう。指輪は油木にいち早く拾われてしまっていた。

 返すよう言い寄る桜の様子がいつも以上に真剣味を帯びていることに気が付いたのか、油木は、こんな安物がそんなに大事なんだ、と指輪をもてあそび返そうとしない。激高した桜は、汚い手で触らないでよ、と言い放った。それを聞いた油木は、触る以上のことをしてやるよ、と桜の目の前で指輪を飲み込んでしまう。油木が高島を呼び出したのは、そのあとすぐのことだ。

 高島の話によれば油木は、桜の弱みを握ったから今なら好きに出来る。お前は誰も来ないように別棟の外で見張っていろ、と言われたらしい。当然高島は断ったが、油木は今度は高島の弱みをちらつかせ強要した。怒り心頭に発した高島は油木を思い切り突き飛ばして……


 桜はショックの余り茫然自失となり部屋に閉じこもっていた。雨が降り出したのはそのすぐあとだ。あれは桜の涙雨だったのだろうか。

 泣きはらし、涙と同時に雨も止んだ時分、櫻は指輪を返してもらうよう油木の部屋に交渉に行く決心をした。懐中電灯を持って油木の部屋へ向かうその途中で死体を発見したという。

『神様が天罰を与えてくれたんだと思いました』油木の死体を発見したとき、桜はそう思ったと語った。勝手口を開ければすぐに台所だと当然知っていた桜は躊躇わず台所に上がった。油木の腹から指輪を回収するための刃物を取りに。一瞬でそこまで判断した桜だったが、さすがに死体を発見した直後は悲鳴を上げてしまったそうだ。松波が目を覚ます原因となった音は、その時の桜の悲鳴だったのだ。


「桜ちゃんはどうなるんですか?」


 私の問いに丸柴刑事は、


「未成年だし、情状酌量の余地ありと判断されるだろうからね、そんなにきついことにはならないんじゃないかな」


 ストローに口をつける。もう十月も半ば、陽光はやわらかだが、時折木枯らしが吹き付けると一気に体の周りから暖かい空気を奪い去られてしまう。

 オープンテラスには私たちの他には客はもうひと組しかいない。ほとんどの客は屋内の席に座っている。今年のアイスコーヒーはこれで飲み納めかもしれない。


「あ、そうそう、長野県警から書留が送られてきてたよ」


 丸柴刑事は懐から茶封筒を取り出し理真の前に置くと、


「なにこれ?」


 理真が視線を落とした。


「調査料よ、上一色家から。理真、報酬も貰わず帰っちゃったんだって?」


 そうなのだ。あのあと、大急ぎで荷物をまとめて上一色家を出て歩きながらタクシーを呼び、長野駅から新幹線に飛び乗り、高崎で上越新幹線に乗り継いで新潟へ帰ってきた。最終の新幹線になんとか間に合ったのだ。もし間に合わなかったら駅近くのビジネスホテルで一泊しなければならないところだった。

 ひと息ついた新幹線の車内で、どうしていきなり飛び出たのかと理真に聞いたら、だってそのほうがかっこいいから、だと。呆れるやら何やら。

 昼間の運転、聞き込みの疲れもあり、新潟駅からタクシーでアパートに着くなり、私たちは倒れ込むようにして寝てしまった。


「今度の事件の発端は、あの夫婦にもあるんだからね、そんなことで……」理真は封筒の中を覗き込み、「……ありがたく頂戴しておくわ。丸姉、住所教えて、領収書送るから」封筒を丁寧に鞄にしまった。


 私は改めて事件のことを考えた。

 人食い少女の汚名は濯がれたが、桜の罪が消えるわけではない。

 桜の証言は、ほぼ理真の推理通りだったわけだが、心の内は本人にしか分からない。もしかしたら、桜は油木を殺すつもりで外へ出たのかもしれないのだ。私には、むしろそのほうが自然に思えてしまう。

 恋人の形見を取り返すため殺人も辞さない。期せずして油木はすでに殺されていたが、その腹を裂いて形見を取り出すその覚悟は並大抵のものではない。

 そうまでして取り戻したい形見があるほど人を好きになった桜のことが、私はすこし羨ましいとまで思ってしまった。


「丸姉、今度の休みいつ?」


 理真の声が私を現実に引き戻した。


「ん? いつだったかな、どうして?」

「このお金で三人で食事に行こうよ。おいしそうなステーキ屋、見つけたんだ」


 理真は私の顔を見て笑った。

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カニバル少女 庵字 @jjmac

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