自分の頭で考える。それを念頭に置いたうえで読むべき作品

まず、世界観の構築を怠っている作者が多い、と言う点については大いに同意するものであると言っておきます。
その上で、個人的に言いたいこととしては、結局のところ、冒険者、ギルド、武器屋。これらのような非常に使い勝手のいい設定が使われているのは単純に言ってそこが本題ではないからであると思っています。
作者は冒険者のルーツに触れたい訳ではない。ギルドと言う存在を誰が結成して、なぜ一大組織になるまで大きくなったかを書きたい訳ではない。武器屋と言う商売が何故成り立つかということを書きたい訳ではない。
作者が書きたいのは主人公の活躍、テーマの体現です。世界観そのものをアウトプットする作品も魅力的ではありますが、それをやるには食器の形レベルで細かい部分を決める必要があるため非常に難易度が高くなります。
故に、そういう"どうでもいいもの"は読者がイメージしやすく、こちらも描写しやすいものに頼ることになります。これは悪いことではないかと。

ですが、"そうでもいいから"と思考停止してしまうは非常によろしくありません。その世界に魔法が存在する理由一つとっても複数の理由があるように、ただ冒険者ギルドがある。それだけで終わらせるには惜しいものだと考えています。

例えば、本来山賊、傭兵として活動するであろう人間を纏める為に冒険者ギルドを結成することになり、それに国王が一枚噛んでいた。
一人前の兵士を作るのにも金がかかる以上、国からしても維持費も養育費も払う必要がない兵士がいることは悪いことではない。国の手先としての冒険者ギルドが完成。
そして、その冒険者の武器を調達するための元は非合法であろう武器商人が表立って店を構えることで武器屋が出来上がる。ほら、ゲームだから存在してると言われた三つの設定が存在する理由が出来上がりましたでしょ?

即興で考えましたから割とガバガバですが、その理由が正しかろうが間違ってろうがいいのです。何せ、現実ですら「国内に勉強をしたことがある人がいなくなれば国が平和になる」と考えて現代で300万人虐殺した指導者だっているんです。全員が全員最適解を行えるワケがないのです。
だからこそ、それが何故あるのか。という問いを忘れてはいけないのです。
本来、設定というモノは互いが互いをフォローしあうようにして存在しているものだと考えています。物事の本質は一つであっても、その要因は一つではないように、設定が他の設定を深くしてくれるものだと考えています。
ファンタジーの金字塔と言える『指輪物語』の原作者はホビットという架空の種族の設定だけで小説一冊くらいの文章量を書いています。
その過剰ともいえる設定は、世界観に深みを持たせることに成功しているのです。それが明らかに本編で使わないような設定であったとしても。

最後に一つ。本文見てイラッと来たそこのあなた。心配しないでください。自分もです(笑)
控えめに言って喧嘩を売っているとしか思えない書き方をしている(それも意図的に)のですが、言っていることは十分に筋が通っています。
○○だから当たり前、と言う考えから離れるべきという結論は"ゲームファンタジー"に限らず、創作活動をするならばまず意識すべきことなのでしょう。