数秘術師アレイスターの個人授業
小林稲穂
第一時限 魔術師と半群《セミ・グループ》
「『
「それは、
アレイスター先生はもう何年も前から答えを用意していたかのようにきっぱりと答えた。この人はいつもこうだ。答えられることには、まるで作りおきの果実飲料でも出すみたいにすんなり答えが出てくるし、答えられないことは曖昧な助言すらしない。一か。ゼロ。まるでこの人そのものが数秘術のようだ。
「
『我々が寿命を全うしたあとも』などといういうわりに、その『
快楽、幸福、充足感、そういったものを数百分の一にする代わりに、生命を数百倍に伸ばしているということらしい。何を食べても美味しいと感じないし、何をやり遂げても達成感はない。どんな音楽も小説もこの魔術師を楽しませることはなく、ましてや恋の喜びと悲しみなどというものとは全くの無縁である。配偶者はもとよりいないし、親兄弟や幼なじみの友人さえ、とうにこの世を去っているという。時間に置き去りにされた者の手の中に最後に残るのは、数だけというわけである。
アレイスターは時折にこりと笑って見せるが、それは喜びや可笑しみの表現ではなく、現在の
「それで、今日は何を学ぶのですか」
「
「ええと、
私は
「そうね。しかしもっと高度な数学になると、扱う対象は数以外のものにも及ぶわ」
「え?
「すごい、かどうか別として、あなたもすでに幾つか知っているはずよ。たとえば、
「確かに、
「そこで、これらの対象を別々に研究するのではなく、それらの共通点に注目していくのが
そう言って、アレイスターは次のように書いてみせた。
(a + b) + c = a + (b + c)
「
「ええ、
(1 + 2) + 3 = 1 + (2 + 3)
「
「この
({1, 2, 3} + {4, 5}) + {6} = {1, 2, 3} + ({4, 5} + {6})
「
「ここでは記号が何かは問題ではないのよ、スー。これを表すのに別の
そういうと、アレイスター先生は次のような式を書き始めた。たしか、私も外国語の授業で習ったことがある文字だ。
("色は" + "匂えど") + "散りぬるを" = "色は" + ("匂えど" + "散りぬるを")
「これも
「ちゃんと公理を定めて曖昧さなく扱えれば、たとえこんな文字の操作でも数学の対象よ。この場合、
アレイスター先生は、黒板に式を書き足してゆく。
("色は" + "匂えど") + "散りぬるを"
= "色は匂えど" + "散りぬるを"
= "色は匂えど散りぬるを"
"色は" + ("匂えど" + "散りぬるを")
="色は" + "匂えど散りぬるを"
="色は匂えど散りぬるを"
「これで、文字列が計算の対象でも、さっきの式のような結合法則が成り立つことがわかったでしょう。こんなふうに、
まさか数学の授業で古典文学が出てくるとは。もっとも、これはどんな文字列にでも言えることだ。数学が扱う対象は、まさしくこの世のすべてに及ぶ。
「そして、この
『
「これは普段は数や
「……どうでしょうか」
私にはまだそれだけの覚悟はない。まだやってみたいことも、行ってみたい場所もあるし、できたら恋のひとつくらい経験してみたい。でも、そうやって個人的な願望を抱く者に、
数秘術師アレイスターの個人授業 小林稲穂 @kobayashiinaho
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