わかんないか、もしくはわかったつもりで読む

現代アートを現代アートの文脈じゃない場所で評価するのはものっすごい勇気がいることです。だって現代アートじゃないかもしれないもの。

単純に狂気かもしれないし、または何らかの物語や意図を見いだせるかもしれないし、それはもうわかんないんですよ。誰かが保証してくれるもんじゃないから。森タワーの美術館みたいに「これは現代アートだよ」って言ってもらえる安心感とかはないんです。

それでもこの小説からこの作者(作者だろうか?)とたどっていって、報われるかどうかわかんない宝探しみたいなちょっと不思議な体験そのものが、この作品だと理解することにしておきましょう。
この葛藤や体験そのものが現代アートなんですよきっと。

長々書いたけど、つまりは観に行って何らか思ってきてください。その感情そのものがこの作者(作者だろうか?)の意図だと思うんですよ、自分は。

ではそれはこの場所で許される文脈か?
自分は受け入れたいと思うのです。