第6話

 私、木々 公実(きぎ くみ)は、六枚のディスプレイを舐めまわすように見つめる双子の姉、公美を後ろから無表情で見つめていた。

 姉は脂ぎったハムのような指で、ディスプレイに写る兄の顔を撫でている。ゆで卵のような両目がギョロ付いて、さっきまでいじっていたノートを、嬉しそうに眺めていた。

 どうやら昨日、私が収集した兄の髪の毛は、気に入ってくれたようだ。

「お姉ちゃん。私、他にすることある?」

「うるせぇ! 今私がお兄ちゃん見てんのわかってんだろうがっ!」

 そう言って姉は、近くに置いてる飲みかけのペットボトルを投げつけた。中途半端にしか閉められていなかったせいか、キャップが外れ、中身が飛び散った。肝心のペットボトルは私に届く前に床に落ち、プラスティック特有の軽い音を立てて、私の足元まで転がってくる。

「その汚れも、ちゃんと綺麗にしとけよっ!」

「……うん。わかったよ、お姉ちゃん」

 私は姉の指示に従い、零れた液体と空になったペットボトルを片付ける。

 私たち三人の兄弟関係は、小さい頃は中が良かったように思う。でもいつだったか、兄の放った一言で、全てが変わってしまった。

『あの子、可愛いね』

 兄にとって、なんてことないその一言に、姉は過剰に、異常に、尋常に反応した。

『私の方が綺麗だよ、お兄ちゃん』

 姉はそう言って、兄が可愛い、綺麗だといったものを、全て自分に取り入れようとした。

 自分以外の女の子に可愛い、綺麗と言う兄に、ただ構ってもらいたかっただけなんだと思う。ひょっとしたら、若干の嫉妬も入っていたのかもしれない。

 身内びいきかもしれないが、実際姉は何を着ても可愛かったし、何を履いても似合っていた。

 だから兄は、おめかしした姉を褒めた。

『うわぁ! その服、可愛いねっ! 公美』

 そしてその後必ず、こう言うのだ。

『じゃあ、公実も一緒の服着ようか!』

 兄にとって、私たち双子は二人で一つ。いつも一緒、いつも同列、優劣なんて存在しない。そういう認識だった。

 姉はそれが、いたく気に入らなかったらしい。

『私の方が、公実よりも可愛いでしょ?』

『私の方が、公実よりも綺麗でしょ?』

 姉はいつからか、兄に自分と私を比べさせるようになった。だが、兄の答えは決まってこうだった。

『公実も、公美と同じぐらい綺麗だよ』

 ある意味、当たり前の答だったのかもしれない。双子なのだから、外見上見かけの区別はつかないのだから。

 でも、姉は諦めなかった。

『どう? お兄ちゃん。私の方が可愛いでしょ? 公実より私の方が、理想の妹でしょ?』

 姉が兄に問に行く度、私も一緒に付き合わされた。

 兄にしてみれば、悪い気はしないだろう。妹であっても、着飾る女の子が二人もいるのだから。

 そしていつしか、兄にとって妹とは、自分のためにおめかしをする、自分の理想を体現する存在になっていた。

 でも、兄の答えは、いつも変わらなかった。

『公実も、公美と同じぐらい理想の妹だよ』

 だから姉は、壊れてしまった。

『ど、どうしたんだ公美!』

『うふふ。お兄ちゃん、私と公実、どっちが可愛い?』

 ある日姉が、髪の毛を全て剃ったのだ。

 兄は丸坊主になった姉に、大層驚いたことだろう。

『そ、それは、公実の方だけど……』

 何もわかっていない兄は、平然と姉にそう言った。

 兄の言葉を聞いた姉の表情は、今でも覚えている。

 嫌悪、憎悪、厭悪が入り混じり。

 愉悦、満悦、法悦が溶けていて。

 人は辛いのに楽しくて、苦しいのに嬉しめる生き物なのだと、私は知った。

 それから姉は、私をいかに魅力的な、兄の『理想の妹像』に近づけることに心血を注ぐようになった。

 反対に姉は、自分の体を腐葉土にするかのように傷つけ始めた。

 激しい体重の増減。リストカットは当たり前。酷い時には、自分の体に電極を刺し、電流を流す時すらあった。

 まるで自分を傷付けることで、私が輝けるのだと信じているかのように。

 では肝心の兄はというと、日に日に醜くなる姉を遠ざけるようになった。姉がこうなってしまった原因は、誰の目にも明らかなのに。

 いや、自分でもその認識はあったのだろう。そうすることで、自分の中から姉の存在を消そうとしたのだ。

 そして今の姉は、体重百二十キロ超えの、脂肪の塊となっている。たるむ皮膚にはリストカットによる分厚い山脈が出来、場所によっては傷口が開いて、トウモロコシのような黄色い脂肪が見えるところすらある。

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」

 豚の鳴き声のように、いや、泣き声と言った方がいいだろう。姉は涙を流し、涎を垂らし、鼻水をすすりながら、六枚のディスプレイに写る兄の顔の輪郭をを、一枚一枚丁寧に指でなぞっていた。

 私たちの兄妹関係は、異常だ。

 兄はすすべてを忘れて、ありもしない『理想の妹像(虚像)』を追い求め。

 姉は兄に振り向いてもらえないが故引きこもり、逆に監視するしかなく。

 私は私がいないと成り立たない兄と姉に依存する形で、自分の存在意義を見出している。

 だから私は、夜な夜な兄が私の部屋に忍び込み男物の下着を盗んでいくのを黙認していたし、姉が兄に近寄る女を遠ざけたいと言えばそれに協力した。

 あぁ、何て完璧なんだろう。

 完璧な兄に、完璧な姉。そこに私が入ることで、完璧に異常な世界が出来上がる。

 あぁ、この世界は完璧だ。

 でもたまに、こう思ってしまうのだ。

 自分がいなくなったらどうなるだろう、と。

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兄が妹を見ている時、妹もまた兄を見ているのだ メグリくくる @megurikukuru

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