03 探検
だいたいどんな地域においても、色んな機能を兼ね備えている分だけ、総合病院っていうのはデカい。とにかく馬鹿デカい。
ましてここ東都病院ともなれば、それはそれは果てしなく巨大だ。
通常の病人を収容する病棟は、メインビルディングである『新病棟』の他にもさらに二棟あるそうだ。外来患者の受付をする区画が並ぶ『外来棟』が隣接していて、その奥には病院の運営が行われる『管理棟』が建っている。それ以外の大小様々な建物も合計すると、この病院の所有する建造物は十五を軽く超えるらしい。
──『そういうわけで、館内はとっても広いの。一般の患者さんには立ち入りを禁止している区画もあるから、決して病院内を探検したりはしないこと。約束よ?』
入院生活の説明をしていた時に松山さんはそう口にしたけど、残念ながら待てと言われて素直に待つ泥棒なんていないんだよ。俺は行くぜ、院内探検。だって退屈で退屈で仕方ないんだもん。
深夜、二十二時。それまでスマホでネットを見ていた俺は、画面を落とすと充電器を突き刺して、静かに起き上がった。
病室の中は真っ暗で、入り口の常夜灯やベッド脇の非常通報ボタンだけが不気味な色の光を漂わせている。野塩さんの姿は確認できない。けれどたぶん、寝ているだろう。
音を立てないようにして地面に降り立ち、館内移動用のスリッパを履いた俺は、ドアをそっと引き開けた。さすがに廊下には煌々と電気が灯っていて、特に彼方のスタッフステーションからは眩しい蛍光灯の光や話し声が漏れ出している。
トイレに行くふりをして階段に向かい、そのまま一階まで一気に下りていく。想像してはいたけれど、一階にはやはり電気は点灯していなかった。
いいじゃん、この方がスパイ感も気分も出るぞ。空調もしっかり効いているから、寒くもないし。
ほくそ笑んだ俺は、壁に沿って探検を開始した。
一階の隅には、『ICU』があった。
「あっ、これ」
思わずつぶやいてしまった。一年の時に医療漫画で読んだことがある名前だったからだ。確か、集中治療室のことだったかな。
『手術中』の赤いランプが、闇に呑まれてひどく恐ろしい色に変わっている。ここに担ぎ込まれたくはないな、なんて思いながら、俺は前をそっと通り過ぎた。
『中央材料室』というのもあった。薬剤を管理しているんだろうか。いや、でもこことは別に隣の外来棟に『薬剤科』があったような……。ドアから中を覗こうとしたけど、すりガラスになっていてよく見えない。
ガーゼとかギプスとか、そういう消耗品を扱っているのかもしれないな。──こういう推理をしていると、自分が少しはスパイっぽく思えてきて楽しくなる。
バケツやほうきの置かれた通路の先には、『エネルギーセンター』というネームプレートが見えた。窓から外を見ると、コンクリート色の箱型の建物がどんとそこに据えられている。ははあ、この病院の電気とかガスとか水道を、この建物が一括管理してるんだな。よく分からない管がたくさんあって、探検したら面白そうだ。
そう思いはしたけれど、やめておいた。もし何かを下手にいじって狂わせちゃったら、大変なことになりそうだもん。
そうやってどのくらい、探検し続けていただろう。
「…………」
俺はひたすら黙ったまま、まだ病院をうろついていた。
本音ではもう部屋に戻ってもよかったんだけど、うろついていた。というか、そうせざるを得なくなっていた。
しまったな、闇雲に歩き回りすぎたのが災いした。すっかり居場所が分からなくなっちゃったよ……。
ここ、どこだろう。さっきの建物には『リハビリテーションセンター』って書いてあったけど……。辺りを少し見回した俺は、そこに貼られていた札を見て、戦慄が全身を走るのを鮮明に覚えた。
『【危険】放射線使用区画につき、関係者以外立入厳禁』
ご丁寧に、お馴染みの原子力のマークのステッカーまで貼られている。
ほ、放射線って何だ? それって原子爆弾が放出するやつだよな!? なんでそんなものが、病院に!?
頭が真っ白、いや真っ黒になった。訳が分からないけれど、とにかくとんでもないところに紛れ込んでしまったと思った。一刻も早く、ここを離れた方がいい。理性が発した警告に従って、俺は元来た方向へ逃げるように戻ろうとした。
そしてそこでまた、足が止まった。懐中電灯らしき光の輪が、俺の行く手で輝いているのに気付いたんだ。
しまった、警備員だ! 迂闊だった……!
どーする、俺。警備員との距離は数十メートルはあるけど、照らされてしまえばそんなものはいくらあっても関係ない。見つかったら大目玉を喰らうだろう。
でも、いつまでもここにいるわけには……!
真横で禍々しい威圧を放つ『放射線』の文字と、前方から徐々に迫り来る懐中電灯に囲まれて、俺は動けなくなった。
くそ! 誰か、誰かこの状況を、何とかしてくれ……!
その時。
一瞬、激しい既視感が、俺の頭の奥をぱっと照らし出した。
「──こっちだよ!」
わざと圧し殺された声が耳に飛び込んで来たのは、次の瞬間だった。
俺は声のした方を見た。警備員からは死角になりそうな影の場所から、ふたたび、どこか聞き覚えのある声がした。
「早く早く! 大丈夫だよ、警備員はすぐにはここを通らないから!」
疑っている余裕はない。俺は何も考えずにその声を信じて、影になっている場所まで静かに駆け込んだ。
ドアの部分が十数センチほどへこんでいる。その脇には何かの大きな機械がどんと据えられてて、それが死角を作り出しているた。
「ねっ、見えないでしょ」
俺にそう笑いかけたのは──病室で眠っていたはずの、野塩さんだった。
「なんで……!?」
言葉を失った俺に、野塩さんは指を立てた。静かに、の意だろうか。
そして様子を窺うように後ろを見て、囁いた。
「深夜二十三時半の巡回はね、放射線科は後回しにして先にリハビリテーションセンターへ向かうの。だからここにいれば、ひとまず大丈夫だよ」
警備員の巡回経路、野塩さんは知っているのか? なんで? と言うかそもそもどうして、俺がここにいるのを知っていたんだ?
疑問まみれの俺と、笑顔を消し去った野塩さんは、警備員の行く先を物陰から見守った。野塩さんの言葉通り、警備員は俺たちのいる建物には入ることなく、右折して別の棟へと歩いていく。
さ、と野塩さんに促されて、俺は建物をそっと抜け出した。野塩さんが忍者のような静かな足取りで、後ろについてきた。
さっきは気付かなかったけれど、入り口には確かに『放射線科』と書いてあった。野塩さんの言うことに、ウソは今のところ一つも混じっていないや。
ああ。頭が、くらくらする。
さっき放射線を浴びたからか。いやいや、そんなまさか……。俺の頭が、心が、混乱してるからだ。野塩さんのイメージの変貌に。
病室に戻ったところで、ようやく俺は野塩さんを振り向いた。彼女は俺と同じ部屋着の姿で、微笑んでいる。髪はほどかれていて、目も夕食の時とは違ってぱっちりと開いていた。
「……その、言い方は悪いんだけどさ」
俺は訊いた。「俺のこと、
「うん」
野塩さんはあっさりと肯定した。ああ、外見からも内面からも、さっきまでの病人然とした野塩さんのイメージが崩壊していく……。
「ごめんね、黙っていて。でも竹丘くん、この病院の裏事情、何も知らないでしょ? 放っておいたら警備員さんに簡単に捕まっちゃうだろうと思ったから、いざという時になれば手を貸そうと思ってついて行ったの」
探検中のことを、俺は思い返してみた。人の気配なんてあっただろうか。いや、微塵もなかったはずだ。
もし本当だとしたら、野塩さんはどれだけ自分の気配を消すことに慣れているんだろう。
「野塩さんも、俺みたいに探検したことがあるの?」
「あるよ、何度もね。かれこれ三十回にはなるかな」
指を折りながら野塩さんは答える。
「三十回……!?」
「うん、そのくらい。だから警備員さんの巡回経路と通過時刻も、ばっちり覚えちゃった」
「……てっきり野塩さんって、すっごい病弱で動きたがらないんだと思ってた」
「普段はそうだよ。でも、今日は何だかね、元気なんだ」
「…………」
何から聞けばいいのか、いや突っ込めばいいのか、もう俺にはさっぱり分からないよ。
だから、そうだ、と野塩さんが楽しそうに口にした時、俺は一瞬警戒してしまった。
「面白い場所を知ってるんだ。ね、竹丘くんも、一緒に行こうよ」
君と俺が、生きるわけ。 蒼原悠 @shakefry
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