母娘
1
わたしの一日は
布団をたたみ、身支度をし、竈に火をいれると、わたしは家の裏手の井戸へ向かいます。桶いっぱいに水を汲み、納屋から鉞と砥石を取り出して、庭先に出て鉞を研ぎ始めます。そうしてようやく、わたしの一日は始まるのです。
季節は夏で、朝ではあっても手桶の水が心地よく感じられます。桶の底に沈めた砥石を取り出し、鉞の刃をひやりと冷えた石にあてます。
まずは円を描くように。それから刃の形に沿うように弧を描いて研ぎます。これは、昔甚六さんに教えてもらった研ぎ方です。あのとき教わっておいて本当に良かったと思います。
父も母もまだ起き出していないので、朝靄のなかには刃と砥石がこすれ合う音だけが響いています。
鉞を研いでいると、不思議と静かな心持ちになってきます。それでいて、一日一日が待ち遠しく、じっとしていられないような気分になってくるのです。
この鉞は、もともと甚六さんが使っていたものです。
甚六さんは集落の北にそびえる山の麓に住んでいて、山からとってきた薪を炭にして、それを売って暮らしていました。そういうわけで、甚六さんの家には斧や鉞がいくつもありました。そのうちのひとつをわたしが頂いたのです。
甚六さんは、奥さんと娘一人の三人家族で細々と、けれど幸せそうに暮らしていました。
いま、その家には誰もいません。
けれどそのうち、甚六さんは戻ってきます。その日が一日でも早く来ればいい。そうわたしは思っています。
2
甚六さんの娘は
文とわたしは歳が七つはなれていました。
文と同様ひとりっ子だったわたしは、幼少の頃からきょうだいに憧れていました。そんなわたしにとって、文はまさに妹のような存在でした。実際、甚六さんの家に子どもができたと聞いたときのわたしの喜びようは目に余るものがあったと聞いています。わたしは文のためなら大抵のことは我慢ができました。
文もとても素直な優しい子で、わたしのことをお姉ちゃんと呼んで慕ってくれました。
ただ、文はあまり多くを望まない子で、その点がわたしにとっては少し残念でした。ですが、あまり高望みしすぎてもいけません。そうでなくともわたしの毎日は文のおかげで満ち足りたものだったのですから。
文の母親は清美さんといいました。
文はたいそう清美さんを慕っていて、わたしも何度かお世話になったことがあります。清美さんはあまり体が丈夫ではなく、臥せっていることが多かったのですが、とてもきれいな方でした。
わたしは、甚六さんがどうして集落から離れた山の麓に住んでいるのか、ずっと不思議に思っていました。
何かを買いにいくのにも不便だし、勾配のきつい土地では作物も多くは育てられません。集落のほうにも家や土地は余っているのに、どうしてわざわざそこに暮らしているのか、わたしには不思議でなりませんでした。
あれは確か、去年のこと。日差しも暖かくなってきた、春先のことだったと思います。文と散歩していたわたしは思わぬことを知ることになりました。
わたしと文は、春のうららかな日差しのなか、川沿いの小道を手を繋いでゆっくりと歩いていました。吹く風はいまだ肌寒くはありましたが、その薫りのなかには確かに暖かいものがありました。
あの日の文は、妙に落ち込んでいるようでした。
最初のうちは尋ねても何も答えなかった文は、とうとう根負けしたのかようやく閉ざしていた口を開きました。
いま思えば、ずっと、誰かに相談したかったのかも知れません。たしかにその話は、年端もゆかない子どもがかかえるにはあまりに重すぎる話でした。
ひどく深刻な色をその目に宿し、わたしがそれまで聞いたことの無いくらい真剣な調子で文はわたしに尋ねました。
「だれにも言わないって、約束してくれる?」
わたしは、もちろん約束する、と答えました。
文は、こう言いました。
「お母さんの親戚にね、人を殺しちゃった人がいるんだって。その人はお母さんの従兄だったんだけど、幼馴染みの女の人を殺しちゃったって、お母さんが言ってた。だから、わたしたちは村でみんなと一緒に暮らせないんだって」
わたしは、何も言うことができませんでした。
先程まで霞んでいた川のせせらぎが、妙にはっきりと聞こえてきます。春の陽射しはあくまで穏やかで、どこからか鶯の声が聞こえていました。
繋いでいる手にぎゅっと力がこもって、文は続けました。
「お母さん、泣きそうになりながら、ごめんねって言ってた。わたしのせいで寂しい思いさせてごめんねって。でもね、わたしね、平気だよって言った。お父さんやお母さんやお姉ちゃんがいるから平気だよって。でもお母さん、それでも泣きそうな顔してた」
わたしは、この日のことを一生忘れないでしょう。
あの日、この子のためにしてあげられることは何でもしてあげようと、わたしは心に決めたのでした。
3
夏が過ぎ、空の青が薄くなり、吹く風のなかにかわいた秋の薫りがまざり始めた頃、急に清美さんの体調が悪くなりました。おそらく、気温の急な変化に耐えられなかったのでしょう。
折りの悪いことに、村を不景気が覆っていました。米価やその他の作物の値がひどく落ち込み、その日の食にも困るというのは当たり前でした。そのせいで田畑を棄てて夜逃げする人も多く、わたしたちの村にも荒れ果てた土地と民家が目立つようになっていました。
そんな時流ですから、とても炭などが売れようはずがありません。甚六さんは薬代を稼ぐどころか、その日をしのぐことも難しそうでした。
ですが、それはわたしの家も同じでした。
結局、わたしにはただ見ていることしかできなかったのです。
せめてもの足しにと、わたしは足繁く甚六さんの家に通い、両親に頼み込んでなんとかひねり出した食材やお米を分けていました。清美さんは、かすれた声でわたしに礼を言い、その度にわたしは申し訳ないような気持ちになるのでした。
何度となく甚六さんの家を訪ねましたが、甚六さんの姿を見たことは数度しかありません。たいてい奥の部屋に閉じこもっていました。家族の顔を見るのもつらかったのでしょう。
あまり長居すると清美さんに迷惑になるので、わたしはいつも文を散歩につれだしました。
道々話すのは大体が清美さんのことでした。
「お母さん、もうすぐ死んじゃうのかな」
「大丈夫よ。春になれば暖かくなるし、きっと治るわ」
ちからなく頷き、
「どうして村のほうに住んじゃいけないのかな。別に人を殺しちゃったのお母さんじゃないのに。お母さんはなんにも悪くないのに。村に住めば、お母さんの病気もきっと良くなるのに」
わたしは、こう言うしかありませんでした。
「大丈夫。お母さんの病気はきっと良くなるから。村に住んでなくたって、きっと治るから」
文はわたしがそう言ったのが聞こえているのかいないのか、不服そうに口をもごもごと動かし、けれど結局黙り込みました。
あの言葉は、嘘になってしまったのだけれど。
清美さんは冬まで持ちませんでした。
いつものようにわたしが甚六さんの家に向かうと、玄関先に文がいました。
秋の陽射しが明るく文の姿を照らしていたことを、やけにはっきりと憶えています。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、しゃくりあげる声で文は懸命に言いました。
お母さんが起きない、どうしよう、たすけて、お母さんが、お姉ちゃん、たすけて。
どうすることもできませんでした。
その後帰ってきた甚六さんは、遺体の前で茫然としていました。あらゆる表情がその顔からは抜け落ち、もう泣くこともできないのだ、とわたしは思いました。甚六さんの後ろ姿は、ひどく小さく見えました。
文は、土間の上がり框に座り込んで、お母さんは悪くない、なんにも悪くないのにと、いつまでも繰り返していました。
その後、甚六さんは堪えきれない悲しみを紛らわすように、お酒を飲むようになりました。無い金をしぼって酒を買い、昼間から飲み暮れていました。
鉞は、研がれることもなく、土間に転がっているだけになりました。
文はぼんやりとすることが多くなりました。散歩をしているときもあまり喋らず、どこか遠くを見つめているのです。そんなとき、わたしは文がどこかに行ってしまうのではないかという得体の知れない不安に駆られました。
そして、冬が過ぎ、春になったころのことです。
甚六さんが警察に捕まりました。
その罪状は、実子を殺した、というものでした。
4
村の巡査によると、その日の夕刻、青白い顔をした甚六さんがふらふらと詰所にやって来て、文を殺してしまったといったそうです。
ともかくも真偽を確かめるために甚六さんの家へと赴いた巡査は、文の死体を発見しました。
文は、土間で首を切り落とされて死んでいました。
傍らには、よく研がれた鉞が西日をうけて輝いていたと聞きます。
その後、甚六さんを連れて再び詰所へと戻った巡査は警察署へ連絡を入れ、それから甚六さんに事情聴取を始めました。それによれば、文は自ら望んで殺されたらしいのです。
その日、部屋で寝ていた甚六さんは、おかしな物音で目を覚ましました。西日に目を細めながら見回すと、薄く開いた襖の隙間から、土間で鉞を研ぐ文の姿が見えました。
差し込む西日のなかで一心に鉞を研ぐ文には、表情がありませんでした。
襖を開け、何をしているんだと尋ねると、文はぼんやりと甚六さんを見て、
もう生きているのもつらいから、いっそお父さんの手で殺してほしい。
そう言って、土間に山と積まれていた薪を一本とってそれを枕のようにして、文はそこに横たわりました。
正気じゃなかったのだ、と甚六さんは言ったそうです。
文のその姿を見て前後不覚に陥り、気づいたときにはもう鉞を振り下ろしていたと、甚六さんはそう言いました。
甚六さんとの面会は許されませんでした。
その日のうちに甚六さんは留置場へと連れていかれました。
わたしは、甚六さんが極刑に処されてしまうのではないかとそればかりを心配し、同時に文に対する後ろめたさのようなものも感じていました。
一ヶ月後、隣町で最初の裁判が開かれました。証人として喚問されたわたしも裁判所へと赴くこととなりました。
不安でたまらなかったわたしは、村の法律の勉強をしている書生さんを事前に訪ね、いくらか裁判や法律について教えてもらい、それから証言台へと立ちました。
一ヶ月ぶりに会った甚六さんは、時間がたって混乱が薄れたせいか、お巡りさんに聞いていたよりも悲痛にまみれているようでした。ただ、お体のほうは以前とあまり変わりはなく、むしろ少し顔色もよくなったように見えました。それを見て、わたしは少し安心しました。
証言台に立ったわたしは、甚六さんが当時おかれていた状況、愛妻を失ったことによる心労、それから文に対して甚六さんが深い愛情を抱いていたことを、わたしが思っている通りに証言しました。
緊張するにちがいない、と道中思っていたのに、法廷に入るときなど足が震えてさえいたのに、証言台に立つとそんなものはどこかへ行ってしまいました。
すらすらと、考えもしなかった、それでいてわたしの率直な思いが口をついて出てくるのです。証言をしている間、わたしはただひたすらに、甚六さんに与えられる刑が少しでも軽くなって、少しでも早くあの家に帰ってこられるようにと祈っていました。
文も、そう祈ってくれているに違いありません。
村ではもっぱら、甚六さんのことが噂されました。
どこから伝わったのか、清美さんの親戚の話も幾度か耳にしました。
やはりあの一家はそういう血筋なんだ、あの母親があってあの娘さ、恐ろしい、親に自分を殺させるなんて。それを聞き入れた甚六も甚六だ、あの一家は呪われているんだよ。
おおかた、そんなところでした。
そうして、甚六さんの家からは誰もいなくなりました。
5
甚六さんには三ヶ月の重禁錮刑が言いわたされました。
判決から一ヶ月たつと村でのうわさも廃れ、この一件は「終わったこと」になりつつありました。
けれどわたしは、別のことを考えていました。
文は、生きるのもつらいと言いました。
ですが、あの行動の理由がそれだけとは、わたしにはどうしても思えないのです。
文は母である清美さんを慕っていました。その清美さんを不幸にしたと文が信じて疑わなかったのは、殺人という行為だったに違いありません。なのに、その殺人という大罪を、許されざる呪いの行為を、自分の父親にやらせるでしょうか。
そして、文には甚六さんの行動がどのように見えていたのでしょう。
わたしにはもちろん、妻を失った悲嘆にくれているように見えました。
けれど文には。
文には、母が苦しんでいるにもかかわらず、仕事もせずに一日中部屋にこもってとうとう母を死なせ、しまいには酒に溺れる、ろくでもない父親に見えたのではないのでしょうか。
散歩につれだしたときに言っていたあれは、村はずれに住むことを強いた世間だけでなく、そこに甘んじた甚六さんにも向けられたものだったのです。
多分、文は殺したいほどに甚六さんを憎むようになっていたのでしょう。
わたしの脳裏には、散歩をしているとき、不服そうに、声を出さずにわずかに唇を動かした文の姿がうつっています。
その唇は、こう言っているように見えました。
死んじゃえ。
けれど、それは許されませんでした。文自身が許さないのです。母を不幸にしたその行為をすることは、文にはどうしてもできませんでした。
しかしだからこそ、文は甚六さんに自分を殺させたのです。
甚六さんに、その最も許されざる行いをさせて、母と同じ、あるいはそれ以上の不幸に落としたかったのです。
清美さんが亡くなってからというもの、文は死ぬためだけに生きていたのでしょう。
文はあちらで、清美さんに会えたのでしょうか。
6
その後一度だけ、わたしは甚六さんの家へ行きました。
鉞をいただくためです。
本当は文の首を落としたあの鉞がよかったのですが、警察に押収されてしまっていました。仕方なく、わたしは別の鉞を持ち帰りました。
その鉞はわたしにとって文の形見のようなものです。
最初、鉞には錆が浮き、刃も少し欠けていましたが、毎日研いでいると次第に鈍く輝きだすようになりました。それを見てわたしは、甚六さんに斧の研ぎかたを習っておいて本当によかったと、つくづくそう思うのでした。
甚六さんに三ヶ月の重禁錮刑が言いわたされてから二ヶ月がたちました。
あと一ヶ月。
あと一ヶ月で、甚六さんは帰ってきます。
こうして鉞を研いでいると、本当に一日一日が待ち遠しくなります。
わたしは、文のためなら何でもしてあげようと心に決めています。
文はこれまで、何かを望んだことはほとんどありませんでした。そして、わたしには清美さんを助けてほしいという望みを叶えてあげることはできませんでした。
ですがこれなら、わたしにもできます。わたしが不幸に陥るとしても、文のためならなんでもないことです。とうとう、わたしの願いが叶う機会がやって来たのです。
甚六さんは、わたしが何のために甚六さんを擁護するような証言をしたのか、わかっているでしょうか。
村の書生さんはたいへん気前の良いかたで、突然訪ねてきたわたしに対しても少しも機嫌を損ねることもなく、懇切丁寧に教えてくれました。女だてらにと眉をひそめるかたも多いのですが、ありがたいことでした。
わたしが尋ねたのは、たったひとつだけでした。
実子を殺した場合、死刑に処される可能性はあるのか、と。
答えは、否でした。最大でも一年の重禁錮刑だとその書生さんは教えてくれました。
そのときのわたしの安心しようといったらありませんでした。
まだ文の望みを叶える機会が残っている、と思ったのです。
そして、法廷で甚六さんを見たわたしが安心したのは、甚六さんが元気そうだったからです。おそらく、留置所のほうが衣食が充実しているからでしょう。
それは、間違いなく、文が想像していた不幸とはかけ離れたものです。
だからわたしは法廷で、なるべく甚六さんの刑期が短くなるようにと祈りながら証言をしました。できるだけ早く、甚六さんが帰ってこれるように。
できるだけ、早く。
手桶の水面にうつるわたしの口許は緩んでいます。
立ちこめる朝靄のなか、静かな音を響かせながら、わたしは甚六さんの帰りを待っています。
供物 弥生 久 @march-nine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。供物の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます