供物

弥生 久

供物

 

 

  1


 友太郎さんの葬儀は初夏の日差しの中執り行われました。


 当日はよく晴れたので、生前晴天が好きだった友太郎さんも喜んでおられることでしょう。若年での死ということで、やはり葬儀に参列する方々の悲しみは大きいようでした。わたしにとっても長年実の兄のようにお世話になってきた友太郎さんの死は一通り以上の感情を抱くことでした。

 


 貧しい農村に農家の末女として生まれたわたしには、同年代の遊び相手がほとんどいませんでした。上には兄が三人、姉が二人いましたが、いずれも年がはなれていて小さな子供の遊びに付き合えるほど暇ではなかったのです。そんなわたしの遊び相手が同い年の善次とその兄の友太郎さんでした。


 友太郎さんと善次は年が三つはなれています。友太郎さんは長男で善次は次男、今時めずらしく二人兄弟でした。


 友太郎さんはがっしりとした体つきで、顔もきりりとした眉が印象的な好青年でした。対して善次は、とくに幼少の頃は体が弱く、色白で中性的な風貌をしていました。何よりもその特徴は寂しそうなその目で、見た人をはっとさせるような美少年でした。


 そんな二人ですから、並ぶととても兄弟には見えないのですが、とても良い仲でした。兄は体の弱い弟を気遣い、そしてまた弟はそんな兄を敬愛しているのが傍目からでもよくわかりました。善次は常々、兄さんのためなら死んでもいい、というようなことを言っていました。直接聞いたことはありませんが、友太郎さんもまた同じ気持ちだったのではないかと思います。それほどまでに仲の良い兄弟でした。


 幼少の頃は何をするにも三人一緒で、毎日顔を付き合わせては色々なことをして遊びました。


 例えばこんなことがありました。

 わたしが九歳頃のことだったと思います。友太郎さんから山へ山菜を採りに行こうと誘われて三人で集落のすぐ近くの山へ行きました。集落では伏矢山と呼ばれている山です。

 

 伏矢山には様々な山菜がありました。わらびぜんまい山独活やまうど明日葉あしたば。毒草である鳥兜とりかぶと毒空木どくうつぎ秋唐松あきからまつなども自生しているので注意が必要だということを教えてくれたのも友太郎さんでした。彼は、一応味でわかるが判別は難しいから気を付けるようにと言っていました。幼心にやはり年上というのはすごいものだと思ったのを憶えています。


 山菜狩りが初めての経験であったわたしは夢中になって採りつづけました。そしてふと気がつくと、出掛けるときはあれほど晴れていた空が今にも雨が降りだしそうに暗くなっていました。しかし友太郎さんが天気を心配してそろそろ帰ろうと言ってもわたしは聞く耳を持たず、あともう少し、もう少しと駄々をこねました。

 

 そしてとうとう雨が降り始め、最初はぽつぽつといった勢いであったのが間もなく土砂降りになりました。慌てて山をおり、近かったわたしの家にとりあえず駆け込むと、わたしは事情を知った両親からこっぴどく叱られました。お前だけならいい、だが人様に迷惑をかけるのはもってのほかだ、と。


 実際、雨にうたれて体の冷えた善次は風邪をひいてしまいました。元来善次は丈夫ではないのです。それを心配して友太郎さんは山をおりようと言っていたのでしょう。


 苦しそうにしている善次を見ると、わたしは胸が潰れるような心地がして、ただ泣きじゃくりながらごめんなさいと繰り返すことしかできませんでした。友太郎さんが、僕が悪いんです、僕がもう少しいようと言ったんです、と嘘までついてわたしを庇ってくれたことを今でも覚えています。


 他にも、お祭りにはよく三人で行きました。そのたびに友太郎さんはわたしになにか買い与えてくれました。彼の家も生活が苦しくないわけではありません。そのことを思うとわたしはなんだか申し訳ない気持ちになりました。


 しかし歳月というのは否応なくながれるものです。次第に友太郎さんと遊ぶことはなくなり、わたし自身、無邪気に野山を駆け回ってはいられなくなりました。


 家業を手伝うようになり、ある程度世の中のことを知るようになると、わたしはなんとも言えない虚無感におそわれるようになりました。わたしには将来がないということに気づいてしまったのです。


 自分の生き方を自分で決められない。

 女として生まれたからには仕方のないことです。そしてそれ故一層、わたしはなんとも言えぬ心地になるのでした。そんな日々のなか、わたしの心の支えは善次でした。


 いつの頃からかはわかりません。

 わたしは彼に好意を抱くようになりました。


 同い年というのもあったでしょう。ですがわたしが何より惹かれたのはその穢れのない、一種神秘的とすら言える美しさでした。ともすると、それは好意というより憧れだったのかもしれません。


 善次が成長するにしたがって、次第にその病弱さはなりをひそめていき、頑強でこそないものの、昔のように頻繁に風邪を患うことはなくなりました。ですがそれでも、彼の纏っている清廉さが失われることはありませんでした。


 やがてわたしと善次は十九になり、友太郎さんは亡くなられたお父上にかわって一家を治めるようになりました。


 そしてまた時代もかわりました。幕府が倒れ、新政府が発足したのです。そして、彼らの改革の影響はこんな辺境の村にまで及んでいました。


 元号が明治にかわり、江戸が東京になりました。藩がなくなって中央からお役人が来ました。武士という身分がなくなり、徴兵制度ができました。他にも年貢の納め方がかわったり、学校が建てられたりしました。


 そういった、世の中の目まぐるしい変化はますますわたしの不安を大きくし、そしてそれにつれてわたしは善次への好意を深めていきました。依存、と言っても良いかもしれません。先の見えない日々のなかにあって、善次はまさにわたしにとっての光でした。


 彼のためなら死んでもいい。

 わたしはそうとすら思うようになっていたのです。


 

  2


 友太郎さんは、朝方村を流れる伊野枝いのえ川の岸によこたわっているところを発見されました。その前の晩、川の様子を見てくると言って土砂降りのなか出ていったきり帰ってこず、心配した大人たちが捜していたのです。友太郎さんの体にはあちこち打ち身や切り傷があり、頭を強くうったと思われる傷もありました。見つかったときにはすでに息はなかったということでした。


 この報せを聞いた友太郎さんのお母上は気も狂わんばかりに悲しみました。夫、そして息子と立て続けに家族を失ってしまったのですから当然のことでしょう。そんなお母上の様子を見ると、わたしは胸の潰れるような心持ちがしました。


 善次もまた悲しみに沈んでいました。いえ、放心と言うべきかもしれません。善次は元々白い顔を一層青白くして、ぼんやりとすることが多くなりました。そんな姿を見るにつけ、わたしはひどく不安な気持ちになりました。


 友太郎さんは雨が降った日は必ず川の様子を見に行っていました。伏矢山を登って上流の方まで行くこともしばしばで、おそらくあの日もそうだったのではないか、と誰かが言っていました。

 

 集落を流れる伊野枝川は、遡っていくとやがて両岸を崖に挟まれます。友太郎さんはその上から足を滑らして落ちてしまい、川に運ばれて村まで流れ着いたのだろう、ということになりました。


 友太郎さんはそんなに不注意ではない、という意見もありましたが、あの日は土砂降りでした。視界や足場が悪かったでしょうから、そういったこともあるでしょう。

 

 それからもうひとつ。

 ここのところ、雨が降ると友太郎さんは体調を崩されることが多かったのです。元来丈夫な友太郎さんですが、戸主としての気苦労も重なっていたのかもしれません。ですので雨の日は農作業の合間に善次と友太郎さんにお茶をお出しするようにしていました。湯呑みを手渡すと友太郎さんはひどく嬉しそうな顔をして、


「ありがとう」


 そう言って、おいしそうに飲んでくださいました。それを見るとわたしの口許も自然とゆるむのでした。それほどおいしいものとも思いませんが、善次が飲み残した分を飲んでいるのも目にしました。


 そしてその日も友太郎さんは体調が悪いようでした。立ち眩んでいるような様子も見受けられました。善次が心配して、今日は行かないほうがいいんじゃないかと言いましたが、そこは責任感の強い友太郎さんのことです。大丈夫だ、と言って出て行きました。結果、あのようなことになってしまったのですが。


 村では事故として友太郎さんの死を扱い、誰ひとりとして疑念を抱く者はいませんでした。


 わたしはそのことに大きな安堵を覚えていました。


 なぜならわたしこそが友太郎さんを殺した張本人なのですから。


 

  3


 わたしの計画は半年ほど前から始まっていました。


 この狭い村のことです。他殺と判明してしまえば犯人を割り出すのはそう難しいことではありません。だからこそ、事故に見せかける必要があったのです。


 そうなったとき、突き落とすという方法はすぐに浮かんできました。何しろ友太郎さんは雨が降ると川の様子を見に行くのです。機会はいくらでもあるでしょう。


 それが今まで実行できなかったのはわたしのほうが人に見つからずに抜け出すことがなかなかできなかったからです。まさかそれだけのことで疑われるとは思いませんが、一応慎重を期しました。


 実は一ヶ月ほど前、一度だけ機会がおとずれました。しかし実行に移すことはできなかったのです。それには理由がありました。


 山を登っていく友太郎さんをつけ、わたしが川を見下ろす崖の上に辿り着くと、友太郎さんは崖の縁に近付きすぎないよう慎重に川の様子を確認していました。ゆっくりと歩き回る彼の背中はあまりに無防備でした。


 しかし、いよいよというときにわたしははたと気付いたのです。


 このまま友太郎さんを突き落としたらどうなるでしょうか。


 川岸に叩きつけられれば問題はありません。しかし川面に落ちたらどうなるか。十中八九は溺れるでしょう。この川の流れは速いのですから。ですが屈強な友太郎さんのことです。ひょっとすると川の流れを振り切り、助かってしまうかもしれません。


 逡巡していると、不意に足元でぱきり、と枝の折れる音がしました。しまった、と思いましたが既に遅く、友太郎さんはわたしに気づいてしまいました。わたしを見た友太郎さんは少し驚きながらもなぜかうれしそうに、


「どうしたんだい、こんなところで」


 わたしに答えられようはずもありません。適当にお茶を濁し、そそくさと帰るしかありませんでした。不審に思われるかと心配になりもしましたが、翌日うかがってみても、友太郎さんはとくに気にしている様子はありませんでした。ほっとすると同時にわたしは対策を考えねばなりませんでした。


 そんな折、思い出したのがいつだったか行った山菜狩りのことです。あのとき友太郎さんは毒草についての知識も与えてくれました。それを利用することにしたのです。毒性がそれほど強くない秋唐松を使いました。


 いずれにしろ計画を実行に移すことができるのは雨の日だけですので、そのときだけお茶に毒を混ぜてお出ししました。善次が毒入りの湯呑みをとってしまわないよう手渡しで。


 何も知らぬげな様子でお茶を飲む友太郎さんを見て、わたしの口許は自然とゆるんだのです。


 そしてあの日、ついに機会がやって来ました。


 友太郎さんは伊野枝川に沿って山に入ると、不意に川沿いから離れ、なぜか茂みのなかへ入って行きました。はっきりとは分かりませんでしたが、どうやら野草を摘んでいるようでした。気になりはしたものの、あまり近付きすぎて気付かれてもいけません。何を摘んでいたのかまでは分かりませんでした。


 その後、友太郎さんは川沿いへと戻り、そのあとをつけたわたしは川を遡って崖の上に辿り着きました。友太郎さんは崖の縁に立って、手の中の植物にじっと視線を落としていました。


 土砂降りの雨は視界を奪い、足場を悪くし、そして物音を聞こえづらくします。気づかれずに忍び寄るのは容易いことでした。そして彼を突き落とすそのとき、わたしは友太郎さんが何を摘んでいたのかを知りました。彼の手に握られていたそれは、根ごと摘まれた鳥兜でした。


 庭にでも植えるつもりだっのでしょうか。まあ何が目的であったにせよ、残念ながらそれが果たされることはなかったのですが。


 そうしてことを終えるとわたしは知らぬ顔で家へ帰ったのです。


 

4


 明治政府の改革のほとんどは、わたしにとってどうでもよいことでした。どうとでもすればいい、と思っていました。


 しかし徴兵制は違いました。


 二〇歳になれば、男子のほとんどは徴兵されてしまいます。当然、善次もそれは免れません。そして、昔ほどではないにしろ、元来丈夫ではない善次が兵役につくなどということはわたしには到底許容できることではありませんでした。


 そしてなにより、わたしは善次と離ればなれになることが恐ろしかったのです。善次はわたしが生きる理由そのものでした。そんなわたしが彼を失えばどうなるか。

 そう考えただけでわたしは絶望と焦燥におそわれました。


 兵役につくなどということをすれば、善次のあの清廉さは失われるに違いない。そんなことすら考え、そしてその考えにわたしは恐怖しました。


 何とかして兵役を免れる方法はないのか。

 調べてみるといくつかあることが分かりました。病弱である者や重罪を犯した者、官立の学校へ通う者、代人料を払った者、養子となった者など。


 しかしどれも駄目でした。善次は頑強でこそないものの、今はもう病弱ではありません。当然重罪など犯していませんし、まさか免役のために罪を犯せなどというわけにはいきません。官立の学校になど通っていませんし、善次の家は裕福ではありません。仮にそうであったとしても、わたしのような小娘がひとさまの家の事情に口出しできるわけがないのです。当然、養子にいかせることなど不可能でした。第一、どの方法でもやはり善次と離ればなれになってしまいます。本末転倒もいいところです。


 他にも、故意のけがをしてみたり、病気を装ったりと様々ありましたが、どれも駄目でした。善次にそうしろというのは無理ですし、わたしがけがをさせるなどというのは恐ろしくてできません。


 善次と離ればなれにならず、彼に危害が及ばず、かつわたしにもできる方法はひとつしか残っていませんでした。


 善次を戸主にすればよいのです。


 それしか方法はありませんでした。


 そして友太郎さんは善次のために犠牲となり、亡くなった友太郎さんにかわって次男の善次が戸主となりました。

 


 確かに、友太郎さんの死は悲しむべきことでした。実際、葬儀の間わたしはひどい喪失感を味わっていました。こらえはしましたが、涙が出そうになったほどです。


 ですが。


 わたしにはこの殺人に対して後悔の念は少しもありませんでした。

 わたしは善次のためなら死んでもいいとすら思っています。そんなわたしが、どうして人ひとりを殺すのを躊躇うでしょうか?


 善次のために誰かが死ななければならないのなら、その誰かは死んで然るべきなのです。

 たとえ兄であっても。


 わたしにとってそれは当然の結論でした。


 

  5


 その後二ヶ月がたちました。


 善次もあの一件からだんだんと立ち直りつつあり、人々の記憶からも次第にあの事件の影は薄れていっているようでした。

 日差しは既に夏のもので、わたしは吹き出る汗を拭いながら畑仕事に励んでいました。最近では得体の知れない不安に嘖まれることもなくなり、こういった平穏な暮らしも悪くはないと思えるようになりました。


 わたしは、穏やかな日々の中で、わずかに心の中に澱んでいた罪悪感も忘れつつありました。


 作業に一段落つけて木陰で休んでいると、善次も一区切りついたのか、お茶をいれてきてくれました。木陰に並んで座り込み、目の前の畑をぼんやりと眺めながら、わたしは物思いに耽っていました。


 このところ、あの事件が遠くおぼろげなものになっていくにつれ、わたしはある疑念を抱くようになりました。

 

友太郎さんは本当に、何も知らなかったのでしょうか。

 

思い返せばあのときの友太郎さんには川の様子をを確認しているような素振りはありませんでした。途中で鳥兜を摘んだというのもおかしな話です。植えるにしても鳥兜が花を咲かせるのは秋ですし、鳥兜の根には猛毒が含まれるのです。

そんなものをわざわざあの土砂降りのなかとってこようと思うでしょうか。


 そもそも山に入るのは危険を伴います。野生動物がいますし、あの日は雨で土砂崩れも起きやすくなっていたでしょう。そんなときになぜ無意味な危険を犯してまでとりにいったのでしょうか。


 そしてもうひとつ。


 友太郎さんは言っていました。毒草を食べれば味で分かる、と。しかも友太郎さんは善次が残した、つまりは毒の入っていないほうのお茶も飲んでいました。


 それとも本当に気付かなかっただけなのでしょうか。



 善次がいれてくれたお茶は、気のせいか普段と違う味がした気がしました。喉が渇いていたのでいつも以上においしく感じられたのかもしれません。


 善次は自分の分に口をつけようともせずにわたしが飲んでいるのをじっと見つめていました。その表情が妙に嬉しそうだったのは気のせいでしょうか。


 見るともなしに目の前の田畑を眺めていると、唐突に善次が言いました。


「兄さんのことで言っておかなきゃいけないことがあるんだ」


 ひやりとしました。ありえないと思いましたが、まさかとも思いました。

 幸いにしてと言うべきか、わたしの予感は外れました。

 善次はこう言いました。


「兄さんは君のことが好きだったんだ」


 思わず、えっ、と言ってしまいました。それは考えてもみなかったことです。友太郎さんがわたしに好意を寄せていた。言葉としては分かりますが、しかし実感がわきません。

 それでわたしは尋ねてしまいました。


「好き、というのは」


 すると善次は頷いて、


「そういう意味だよ。兄さんは、君のためなら死んでもいいとまで言っていた」


 何と言っていいのか分かりませんでした。しかし思い返せばいくつも思い当たることがあります。


 祭りに行けば必ず何か買い与えてくれたのも、わたしのせいで善次が風邪をひいたときわたしを庇ってくれたのも、友太郎さんを殺そうとして失敗したあのときにわたしを見て妙に嬉しそうだったのも、すべて。


 そして同時に、わたしは先程の疑問に答えを得ました。

 やはり友太郎さんは気づいていたのです。わたしが毒を盛っていることに。善次の分も飲んでいたのはそれを確かめるためでしょう。わたしのためなら死んでもいいとまで言った友太郎さんがその事に気付いたとき、一体どんな心地がしたことでしょう。


 だから友太郎さんは自ら命を絶つことを考えたのです。そうだとするなら、あのとき鳥兜を摘んだ理由もよく分かります。そして手の中の毒草を見つめるあの思い詰めた表情も、考えてみれば死のうとしている人のそれではありませんか。

 あのときわたしが突き落とす必要などなかったのです。


 わたしは目眩を覚えました。


「そう」


 と返事をするのが精一杯でした。善次はそんなわたしをじっと見つめると、


「だからこれで兄さんも少しは喜んでくれると思う」


 そう言いました。

 無意識のうちに手が震えます。夏の日差しにやられたのでしょうか、吐き気すら感じました。胸の苦しさをこらえながら、かろうじてこうこたえます。


「友太郎さんを、とても大切に思っていたのね」


 善次はふと前を向き、


「うん、今でも」


 そして、やはり前を向いたまま。

 わたしと目を合わせようともせず。

 わずかに微笑んで、こう言いました。


「兄さんのためなら死んでもいいくらいに」


 不意に目の前が真っ暗になりました。

 朦朧とした意識のなか、善次がこう言うのが遠くから、しかし妙にはっきりと聞こえてきました。


 そんなぼくが、どうして人ひとりを───

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