モホウドリ

鳥辺野九

日本模鳥の会


 その年は、日本と言う国家が成し遂げた偉業が日本国民のみならず日本周辺に生息する野鳥達に甚大な影響を与えた、自然環境にとってまさしく変革の年だった。




 まだ鳥達が広い空を自由に飛んでいた頃、宇宙開発研究機構は大気圏外での大規模太陽光発電実験に成功した。そして次なるステップとして衛星軌道上に太陽光発電衛星を打ち上げた。


 リング状に展開したソーラーパネルでリングの中心に集められた太陽光は、リング中央部の発電衛星によって電気へと生まれ変わる。その無尽蔵な電気エネルギーはマイクロウェーブに転換されてはるか遠く地表へと照射される。地上の受電施設は照射されたマイクロウェーブを電気に再転換して日本各地へ送電する。それが宇宙発電所だ。


 受電施設の大型アンテナ一機で一般家庭四万世帯分の電力を供給出来るらしい。現在、その受電アンテナが次々と増設されていると言う。


 地表に照射されるマイクロウェーブが自然環境に、特に人体とか生態系とか、与える影響が未知数であるなどとして、とにかく政府がやる事に抗議するのを生き甲斐にしているような団体が大声を上げて宇宙発電反対運動を展開させていた。


 しかし蓋を開けてみれば。実験的に送電が開始されると奴らも手の平をくるりとひっくり返して、大絶賛、べた褒めだった。


 自然環境を汚染しない完全にクリーンなエネルギーだの、地球に優しい環境開発だの、宇宙エネルギー時代の幕開けだの。反対団体、御用学者達、マスコミ各社も含めて無責任にやいのやいのと囃し立てたものだ。大気圏外太陽光発電を始める代わりに原子力発電所の九割を廃炉にするって政府が打ち出した条件が効いたんだろうけど。


 そんな訳で、日本のどこからでも肉眼で確認できる世界最大級の人工建築物、太陽光発電衛星のリング状のシルエットが天頂にぽっかりと浮かぶようになった年から、日本へ飛来してくる渡り鳥の数が激減したのだ。地表へのマイクロウェーブ照射との因果関係は、未だ明らかにされていない。




 多摩川の土手は、鳥の姿をほとんど見なくなった今でも、けっこうな賑わいのジョギングコースとしてたくさんの人間の姿を見る事ができた。だだっ広い河川敷にも呑気な人間達がうじゃうじゃいる。


 僕はそんな人間達を横目に河川敷に降り、小脇に抱えていたダンボール箱を直接地面に置いて蓋を開いた。箱の中身は一羽の鳩、を模した高機動ドローン。


 両手でふわっと包み込むのにちょうどいい大きさで、それでも六枚の小さなプロペラが縦横自在に動く長時間飛行が可能な小型ドローンだ。機体には鳩に似せたカラーリングが施してあり、機能的には何の意味もない申し訳程度の翼が一対生えている。


 こうして手に取ってじっくり見ると機械感丸出しのドローンだが、遠目に見れば、よく晴れた眩しい空を旋回する群れに紛れたりすると意外と本物の鳩に見えるものだ。


 さあ、飛んでゆけ。


 と、ドローンを包んだ両手を高い空へ差し出した瞬間に、鋭い声が僕の背中に突き刺さった。


「よし、そのまま動くな!」


 僕の身体はびくっと大きく震えて、鳩型ドローンを取り落としそうになってしまった。慌ててドローンを再び両手で包み込み、とんがった怒声がした方へ振り返る。

 

「その手に持った物を地面へ置け! ゆっくりとだ!」


 何が何だか解らなかった。スーツ姿の二人の男が僕に電子銃を向けていた。電極端子を撃ち出して高電圧で対象を行動不能にさせる射撃式スタンガンだ。そんなのを持っているのは警察か、あいつらぐらいだ。


日本模鳥にほんもちょうの会、特別捜査官だ。最近、不法に模倣鳥もほうどりを所持している不審人物がいると善良な市民から通報があった」


 ほらな、あいつらの方だ。


 日本模鳥の会。宇宙発電所が軌道上に浮かび、日本の空から野鳥が消えた頃に組織された環境省の特務機関だ。主に鳥類に特化した自然環境保護を目的としたやたら高圧的な部局で、僕の素性を確かめもせずに殺傷能力のある電子銃を向けてしまうくらいにその評判はすこぶる悪い。


 僕は彼らを刺激しないよう、ゆっくりと、本当にゆっくりと動いて両手に包み持ったドローンをダンボール箱に戻した。


「ここで何をしている?」


 ぴたり、電子銃で僕の胸を狙ったまま問い詰める黒スーツの二人組。


「撃たないでよ。身分証を出すから」


 僕はゆっくりとした動きでジーンズの尻ポケットに刺さった長財布へ手を持っていった。まるで安っぽい手品でも披露するかのようにそうっとそうっと、手の動きが見て取れるほどそうっと、財布から一枚のカードを取り出した。


「僕も日本模鳥の会の人間です。外部委託職員だけど」


 黒スーツ姿の二人組は僕の手から身分証をひったくり、少し困ったような顔を互いに見合わせて、ようやく電子銃を下ろしてくれた。


「どうも、現地調査ご苦労様です」


 口調まで変えてきたか。そう言うところがほんと評判の悪さの原因だ。正規職員には何の権限があるのやらとにかく偉そうにし過ぎる。


「僕が不法にドローンを放ってる不審人物じゃないってわかってもらえて何よりです」


 嫌味の一つも言ってやる。ばつの悪そうな表情で、かすかに頭を下げるような仕草をした黒スーツの捜査官は僕の足元のダンボール箱を覗き込んで言った。


「こちらはどうしたんですか?」


「不具合を起こした模倣鳥です。修理調整し終えて、ちょうど群れに帰すところだったんです」


 青く澄んだ空を仰げば、多摩川の河川敷を臨む高層マンション群の隙間から、空を旋回する鳩の群れが見えた。数十羽か、いや、もっといる。百羽に迫りそうな数の翼を持った影が音もなく飛んでいる。


 それぞれがてんでバラバラに旋回飛行をしているように見えるが、実はちゃんとリーダーとなる一羽が存在して、その一羽が旋回の大きさや高度、飛行速度を決定しているのだ。ただし、旋回ごとに鳩達の飛行配列もずれて次のターン時に一番先頭に出た鳩が次のリーダーとなって旋回のタイミングを決めるのだが。


 日本模鳥の会は各種野鳥の習性、飛行パターンを覚えこませた高機動ドローンを空へ大量に放っている。数が激減した野鳥達は群れを成して空を飛ぶ事を忘れてしまった。鳥型ドローン、模倣鳥は鳥に空の飛び方を思い出させる役割を担っている。


 一見して幼稚で安易な考えに思えるかも知れないが、これが意外と効果があるのだ。特に群れを作って飛ぶ野鳥達にはかなり成果が上がっている。鳥特有の刷り込み現象も関係しているのか、野鳥とドローンとが翼を並べて共に飛んでいる姿はよく見られるようになった。今まさに僕達の頭上を旋回している鳩の群れも、実は鳩とドローンの混合群れだ。


「もういいですか? まだ調整しないといけないドローンが何機もあるんで」


「ああ、ええ。あなたは、ずっとここで鳥を、ええと、ドローンを放っていたのですか?」


 黒スーツは言うべき言葉を見失ってしまったのか、頭上を旋回するドローン達の群れを見上げながらしどろもどろに言った。


「ええ。河川敷は広いし、すぐ近くに鳩の寝ぐらもあるみたいで、よくここでドローンの調整をしてますよ」


「作業は、その、お一人で?」


「はい。僕一人で。担当エリアの作業日報も提出してますよ」


「じゃあ、通報のあった不法にドローンを所持している不審者ってのは……」


「……僕、でしょうね」


 実際問題として、鳥型高機動ドローンの盗難は日本模鳥の会を悩ます問題の一つだ。静音設計電磁パルスモーター、高寿命シートバッテリー、マイクロウェーブ発電ユニット、超軽量メタル繊維フレーム、自己再生合成羽毛、人工知能ソフト『バードくん』。どれをとってもネットの闇オークションで高く売れる。


 それに日本模鳥の会設立のきっかけともなったドローンテロも関係しているのかも知れない。諸外国でドローンを使ったテロが頻発している事だし。


「大気圏外からのマイクロウェーブ送電なんて止めてしまえば全部丸く収まるんですよ。鳥も還ってくる。こんなドローンなんて飛ばさなくてもいい」


 僕の危険な思想を含んだ発言に日本模鳥の会特別捜査官の顔色が変わった。環境省所属日本模鳥の会のバックには宇宙発電に関わるあらゆる多国籍複合企業がついている。だから日本模鳥の会の正規職員はこうも高圧的な態度になってしまうんだ。


「今の発言は反社会的思想と取られる。日本模鳥の会外部委託職員としてあるまじき発言だ。記録しておくぞ」


「どうぞお好きに」


 僕は彼らの威圧的な態度を無視して鳩型ドローンを両手で包み込んで、からっぽになった大空へと解き放った。模倣鳥は二、三度羽ばたくように合成羽毛の翼を震わせて、すぐに小型プロペラの力でぐんっと舞い上がり空高く昇っていった。やがて先ほどの大きな群れにうまく紛れ込む事だろう。


「もう行ってもいいですか?」


「今の問題発言に関しての君への処分は追って言い渡されるだろう」


 偉そうに黒スーツ姿が言った。僕の本来の目的であるあのドローンを空に放った以上、そんな事はどうでもいい。もうすべて終わったんだ。


「だからどうぞお好きにって言ってるだろ」


 僕の放った鳥型ドローンがすっきりと晴れた空を飛ぶ鳩の群れに吸い込まれた。首尾よく群れに合流できたようだ。後はウィルスの発動を待つだけだ。少しずつ、しかし確実に感染は拡がるだろう。


 僕が仕組んだコンピュータウィルスは人工知能『バードくん」に侵入し、その飛行パターンに特殊なアルゴリズムを組み込む。それはバッテリー容量が少なくなると、餌を求めるようにマイクロウェーブの発生源へと飛んでいくと言うパターンだ。


 ウィルス感染した模倣鳥達はマイクロウェーブ受電アンテナへと飛んでゆき、腹を空かせた鳩達が観光客のばら撒くポップコーンに群がるように、内蔵の発電ユニットでマイクロウェーブを食らい尽くす。


 ウィルス感染した模倣鳥が増えれば、宇宙から照射されるマイクロウェーブは模倣鳥に食われて消えてなくなり、空は鳥達の世界となる。すべて元通りになるんだ。


 上空を旋回する鳩型ドローンの群れがまた別の群れと合流し、さらに大きな群体となって多摩川河川敷上空に大きな円を描いている。あの数百羽の群れのほとんどが日本模鳥の会が放った鳩型高機動ドローンだ。本物の鳩は群れの中にもう十数羽しかいない。


 僕は日本模鳥の会外部委託職員であると同時に、日本野鳥の会会員でもある。この青い空を野鳥達の翼へ返してやるためなら何だってやる。


 日本の天頂に、リング状の宇宙発電所が光って見える。それをさらにリングで囲うように模倣鳥達が飛んでいた。

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