蝦夷幡 余一(75)無職
膝の上には遺影。
後部座席にうつむく老人。
身寄りもなくタクシーに一人。
連れ合いは、骨壺に収まり隣の席に。
火葬を終えて、しかしすべてが残ったままの我が家の前に、ちいさな球体が落ちていた。
話に聞くミミックだろう。
前を横切ると、ゆっくりとこちらに転がってくる。
「お前、来るかい?」
声をかけるところころと、足元までやってきた。
飼い猫は自分にはなつかない。
妻がいつも、世話をしていた。
立ち去る姿を眺めつつ、縁側で一人と一個。
ミミックだけが傍にいた。
「これが結婚式の時の。これが、あのときの…」
アルバムを一緒に開きながら、自然と妻の思い出ばかりが口をついて出た。
いつも一緒だった。寝たきりになっても我が家で、最期まで。
「そりゃあつらかったさ。でもな、いつか、前のようなあいつに戻るんじゃないかと、そう思うと……」
ミミックは静かに聞いていた。
ある日ミミックは動かなくなった。縁側に転がったまま、ぴくりとも。
男は変わらずその横に座り、過去を語り懐かしむ。
介護に追われ、己の人生をすりつぶして。
大切な人の壊れる様を、つぶさに見つめ、喪って。
失った日常を直視するのは未だ、辛かった。
季節の過ぎたある日。
男は縁側で倒れた。
遠ざかる意識の中で、彼は聞いた。懐かしい妻の声を。
彼は感じた。懐かしい妻の手を。
ミミックはいつのまにか、いなくなっていた。
膝の上には遺影。
後部座席にうつむく老婆。
身寄りもなくタクシーに一人。
連れ合いは、骨壺に収まり隣の席に。
火葬を終えて、しかしすべてが残ったままの我が家の前に、ちいさな球体が落ちていた。
話に聞くミミックだろう。
前を横切ると、ゆっくりとこちらに転がってくる。
「あなた、一緒に来たいの?」
声をかけるところころと、足元までやってきた。
ミミック 輝竜司 @citrocube
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