死人に口なし
死人に口なし。その言葉を初めて発した人は、いったいどんな気持ちだったのだろうか。視認に何かを語ってほしかったのか、それとも語ってほしくなかったのか。生きている時、彼は完璧だった。穢のない青白い肌に、ほどよく筋肉がついた身体。青く浮き出る腕の太い血管や、ふくらはぎの膨らみ、顎の骨の形、指の第一関節と第二関節の長さのバランス、耳たぶの分厚さまで、それは僕の理想そのものだった。頭もよく、学歴こそぱっとしないものの、彼の語る言葉はいつも知性的で、ユーモラスで、だからこそ学部内でも人気があった。でも、一つだけ欠点があった。僕に嫌悪を覚えていたことだ。僕は彼に恋心は抱いていたがそれを表に出すことは一切しなかった。でも態度や性格でなんとなくバレてしまうのが怖かった。せめて、せめて彼の耳にだけは届かないでほしいという願いも簡単に打ち崩され、誰かが噂し始めたのだ。僕が彼のことを好きなんじゃないだろうか、と。噂はじわりと広がったが、僕も決して彼に悟られないようにそれを否定し続けた。だが、とうとうあの日、彼は僕にこう言い放った。
「お前、気持ち悪いから近づくなよ。俺、そういうの無理だから」
ハンマーで心を叩き潰されたかのような感覚だった。周りに他の人間がいる中で、僕は笑ってごまかすことさえできず、言葉に詰まった。やがて涙がどうしようもなく溢れていて、なんとかごまかそうと言葉を手繰るあまりに、意味不明な嗚咽を彼に浴びせることになった。恥ずかしさだけがこみ上げて、僕はその場から逃げ出したけれど、ある意味、僕が行動的になるためにその一言は必要だった。だから完璧で理想的な彼に唯一在った欠点は、どうしようもなく恨んでもいるけれど、彼が生きていた頃に発したその一言を発した源という意味では、感謝もしているのかもしれない。
どちらにしても、もうここにいるのは『完璧な君』しかいないわけで、そんな昔話も今は君との話のタネになるんだから、良いことなんだろうと思う。生きていた頃に見惚れていた君の良さは、今となってはだんだん失われていくけれど、今は君のすべてが愛おしくすらある。
冷たく凍るような体温も、焦点の合っていないその眼も、ガサガサの皮膚も。僕の家に来てから少しすると君が膨張してしまって、そのお腹を切り裂いたりもしたけれど、そこからはみ出る腸さえ、今は僕のもので。崩れ落ちる肉から滲み出す汁をすすることも、そのキツい体臭を嗅ぐことも今の僕の至福だから。
ああ、でもあと数カ月もすればこれさえも失くなってしまって、僕がいま君の声を思い出せないように、僕が君を愛し続けていられるかが怖い。
だから君から、本当は聞きたかった。生きている君から、僕が夢のように想い続けていた言葉があった。好いてもらえる言葉なんてそんな贅沢は望まなかった。ただ、少しだけ、死んでしまった君からはもう聞けないけれど、僕を認めてくれる言葉を、一言だけ聞きたかった。
島田黒介 短編集 島田黒介 @shimadakurosuke
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