時計と花と、呼吸するふたり
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時計と花と、呼吸するふたり
太古の昔よりインターネット人間として同級生の間では勇名を馳せてきた俺だけれど、隣に住む幼馴染がエロサイトの架空請求三十万円を食らったとばっちりで『インターネットは一日一時間』という意味不明な家庭内の呪いをかけられ、その力の大半を奪われてしまった。
「お前のせいだからな」
「いつものことじゃないか」
俺の恨みがましい目線も何のその。原因となった幼馴染、
「僕が問題を起こして、
「また適当なことを……」
「運命の話さ」
架空請求三十万を食らった女は澄ました顔でちちち、と空を渡る鳥を目で追っていた。
春休みなのだ。俺たちのいる近所の公園では、いまだ少しの冷たさの残る空気の中でも少しずつ桜が咲き始めている。もう二週間もすれば俺と周は中学三年。その間の貴重な長期休暇。俺は朝から晩までインターネットの海でフリーゲームなんかを漁りに漁って過ごそうと思っていたのに、すっかり暇になってしまった。
「やることねえー……」
俺の趣味はインターネットありきだ。ゲーム、漫画、小説、音楽、映画。全部インターネットを経由して摂取している。友達を誘って遊ぶにも、何やらみな長期休暇にも関わらず毎日滝汗をかきながら部活なるものに勤しんでいるらしく、なかなか都合が合わない。
「やることがない、そう思っている時間もいつか大人になれば懐かしく思い出されるものさ」
どこから目線なんだよこいつは。無防備な脇腹を横から突っついたら「ふぐ」と妙な声を出した。
「激しいスキンシップかい? 望むところだよ」
なんでノリノリなんだよ。
周は俺の目をじっと見つめながら言う。
「ふたりきり、野外の公園……。やることはひとつじゃないかな?」
「決闘だな」
「いいけど死ぬのは君だよ」
「それはどうかな。最近は身長が随分伸びたしワンチャンあるぞ」
「わん! わん! バウッ、グルルルルッ」
異星人と話している気分だ。そのへんに群がっていた鳩がみな飛び立っていった。遥か彼方の蒼穹へ。曇っている。
「なんか面白いことねえかな……」
「あるよ」
「お前には聞いてない。やめてくれ」
「おままごとしようよ」
「正気か十四歳」
「僕は犬の役やるから」
「二役しかいないのに片方犬なのか」
「君は遥か昔、神と人の区別がなかったころに恋に落ちた相手を今でも想い続けて深い紅葉の森で生活を送る儚い人の役をやってね」
「設定盛りすぎだろ」
何かまたおかしなものを読んだなこいつ。
周は「わおん」と雑に鳴いて俺の膝の上に頭を乗せてきた。それからしばらく無言になって。
「……眠くなってきた」
「幼児かお前は」
「ばぶー……、あっ違う。わん」
ひどすぎる。
今にも成仏しそうな安らかな顔で横たわる幼馴染を見て考える。
「お前、ちゃんと生きていけるのかな……」
「よろしくね」
何をよろしくされたんだろう。
「俺もあんまり社会で上手くやっていける方じゃないぞ」
「比較優位って知ってるかな?」
「インターネットで見た」
「そういうことさ」
どういうことなんだよ。
頬を軽くつまんだら「ふぐぐ」と声を上げた。そのままなすがままの周の顔をぐねうぐねこねて遊んでいたら、その顔にぽつり、と水滴が落ちた。
雨だ。
周の額をぺしぺし叩いて伝える。
「おい、移動するぞ」
「運んでくれるんだね。そういうところが好きだよ」
「誰がんなことするか」
「じゃあ嫌い」
ふん、と首の向きを変えた周の鼻をつまむと、「んぐう」と声を上げて起き上がった。
くぁ、と小さくあくびする周を横目に、どこに行こうかなと考える。昼間から中学生が大した金も使わずに入り浸れそうな屋内の場所。
「図書館でも行くか」
周が頷いたのを見て立ち上がると、ぼすっ、と音がして急に背中が重くなった。
「おんぶ」
「…………」
めんどくさかったのでそのまま引きずって歩くことにした。
「げっ」
と思わず声を上げてしまった。月曜定休。今日は月曜日だった。めったに来ない場所だから知らなかった。知っていたとしても曜日の感覚がないから同じ結果になっただろうけど。
「別にいいじゃないか。そのへんに座っていれば」
周の言葉に従って、入口の軒下のベンチに腰を下ろしてみたけれど、春の軽い霧雨は、びゅうびゅう吹く風に煽られて容赦なく俺の服を濡らしてくる。一粒一粒は細かくても、積もり積もればすぐに重たくなってくる。
「ダメだな。どっか別のところ探すか」
「僕は濡れてないけど」
「俺を風よけにしてるからな」
「サンキュー」
周はにこっと笑ったけれど、さすがに雨が止むまで傘になっている気はない。このへんで他に時間を潰せる場所。カラオケ。ゲーセン。ファミレス。本屋。ビデオ屋。後は一応駅ビルの最上階にも小さな図書館(どっちかと言うと図書室と言う方が近いか)があるけれど、たいがい受験生なんかで席が埋まっている。
どうするかな、と移動距離や財布の中身を考えて計算していると、ふと隣に座っていた周がふらふらと立ち上がっていたことに気が付いた。
何してんだあいつ、と見ていたら図書館の入口に周は向かって行く。
そして自動ドアの前で立ち止まって。
ガゴーッ、と。
建付けの悪そうな音を立てて、そのドアが開いた。
「開いてるじゃないか」
と言ってすたすたその中に入っていく周に、おいおいと声をかける。
「マズイだろ勝手に入ったら」
「開いてるってことは開いてるところまでは入っていいってことさ。もしダメならそのとき謝ればいいし。……丈が」
「おいコラ」
制止する言葉も聞かず周はどんどん図書館の中に入っていく。仕方なしについていくと、周はロビーの長椅子にでろん、と寝転がる。実家のようなくつろぎ方だ。
そのあまりのだらけっぷりを目にして何となくどうでもよくなって、少しだけ溜息をついて俺もその隣の椅子に座ってしまった。雨が上がるまでだ。
さらさら降る雨を見つめていると、いつの間にやら隣からすうすうと寝息が聞こえてきた。視線を向けると予想通り周が寝ている。よくこんな椅子の上で眠れるものだと感心した。
規則的な寝息。暖かで籠った空気。静かに降り散る雨。誰もいない薄暗い図書館入口のロビー。何だかすべてが穏やかで、頭がぼうっとしてくる。
ただ時が過ぎるのに身を任せた。一秒、二秒、三秒。十秒、百秒、千秒。「んう」と周が寝ぼけた声を出した。椅子に頭をこすりつけるようにして起き上がる。
「……どこここ」
寝ぼけすぎだろ。
周は目元をぐじぐじとマッサージしながら、俺の座っている長椅子の方にのそのそ近寄ってくる。倒れ込むようにもたれかかってきたので、身体を持って横に置いた。目の前で周の髪が揺れて、少しだけ香った。一度はちゃんと座った周だけれど、座り続ける体力がないのか、でろん、と両腕を放るようにして椅子の上に上体を転がす。
「疲れた……」
「今日はまだ何もしてないだろ」
「何もしてなくても疲れるんだよ」
周は目を寝入るように瞑ったまま。
「呼吸をしているだけで、人生は終わっていくからね」
と。
なんだかそれが心からの言葉のように呟いた。
それから突然ぺしん、と自分の頬を両手で叩いて。
「暇だね! 図書館に行こう!」
足をぶん、と振って勢いよく立ち上がる。無理矢理身体と頭を覚醒させたみたいな激しい動きだった。
だけど言ってることは無茶苦茶だ。
「開いてないだろ」
「行ってみなくちゃわからない。好奇心をなくしてしまったら人間お終いだよ」
「さすが架空請求三十万は言うことが違うな」
「失敗を恐れていては人は先に進めないよ。失敗したら丈が何とかしてくれるからどうせ僕は平気だし」
「おい」
「さあさあレッツゴー」
いつも通り制止の言葉は無視されて、周はロビーの奥、図書館の中へと続く通路に入っていく。俺も仕方なく後に続く。
けれどその先は。
「ほらやっぱり入れないだろ」
「うーん」
黒い柵のようなものが降りていて、通路は塞がれている。閉館時にはこれが降りて入館させない仕組みになっているのだろう。
しかし納得いかない様子の周がその柵に手を伸ばし始めたので、俺はその手を後ろからつかむ。
「防犯装置ついてたらどうすんだ。大事になるぞ」
「む」
自販機なんかを揺らすと警報が鳴ったりするし、そういうセンサーがついていてもおかしくない。周もそれには納得したのか手を引っ込める。
「じゃあ別の入り口を探そうか」
けれどなぜだか諦めない。俺は小さく溜息をついて。
「そんなのあるわけないだろ」
「やれやれ、丈はそうやってすぐに頭ごなしの否定否定否定否定否定。僕のことがそんなに嫌いかい?」
「好きとか嫌いとかそういう話はしてないだろ」
「知ってるよ」
えへへ、と笑う周。なんだこいつ。
俺をすり抜けて周は通路を戻っていく。ぴっ、と立てた人差し指を、浮かれた指揮者みたいに振りながら。
「ゲームだってよくあるじゃないか。正面が開いてないから別のルートを経由して中に入るやつ」
「そりゃゲームだから都合よくそうなってるんだろ」
「ゲームと現実の区別をつけるなんて丈らしくないなあ」
どういう意味だよ。ゲームと現実の区別くらい俺だってつけるわ。
ロビーに戻ってきた周はきょろきょろと辺りを見回す。けれど大したものがあるわけでもない。
シャッターの閉まった受付。近隣の小学生が書いたらしい夏休みの課題の絵の展示。俳句コンテスト。郷土資料の飾られたショーケース。後は長椅子と観葉植物と――。
「このエレベーターはどこに繋がっているのかな?」
黒塗りのエレベーター。周は澄ました顔でそれに近付いて行く。なんでこんな厄介なものがロビーにあるんだ。
「閉架の書庫とか事務室だろ。どうせ面白いもんはないと思うぞ。ていうか中に人がいてばったり遭遇したらどうすんだ」
一応引き留めようと周の背中を追いながら試みるけれど、当然のごとく周は歩みを止めない。エレベーターの扉の前で立ち止まってじっとそれを観察する。
「こうして見ると黒ってカッコイイね。僕も夏はガングロとかいうのになるまで焼いてみようかな」
「どうせ赤くなるだけだろ」
周はムッとして俺を見る。
「じゃあ日焼けした暁には僕のことはベルジアンシェパードと呼んでもらおうじゃないか」
どういう要求だよ。
「お前そんなに犬好きだったっけ?」
「ぽちっとな」
「おい」
俺の質問を完全無視して周はエレベーターのスイッチを押した。運悪く電源が入っていたようで、エレベーターが動き出す音がロビーに静かに響き始める。
ティン、と鳴って扉が開いた。周は迷いなくそれに乗り込む。
「俺は行かないぞ」
「またまた」
やだなあ、と言いたげに俺を見る周。嫌なのはこっちだよ。
けれど周が俺に手を差しのべてしまえば、ただそれだけで。
「…………」
「君のそういうところが大好きだよ」
にっこりと笑う周。エレベーターの扉は閉まり、俺たちふたりは篭の中。
「さて、何階に行く? 一階? 二階? 十五階? わかった十五階だね」
俺の言葉も聞かないままに周はかちりとボタンを押した。
十五階ってなんだよ。そう思って階数パネルを見ると、そこには確かに『15』と表示されたボタンがある。並びは下から『1』『2』『15』。たったそれだけ。三つのボタン。
「なんだこれ」
「さあ?」
一階はここ。二階はわかる。けれど十五階ってなんだ。
外から見た限りではこの建物は二階くらいだと思った。実際のところはわからないけれど、少なくとも十五階まであるようには見えなかった。この街の駅ビルだってそんなに高くない。
『1.5』の誤表記だろうかと思った。つまりは中二階。一階と二階の間のスペースのことなんじゃないかって。
けれどそんな俺の予想に反してどんどんエレベーターは昇っていく。もう二階は通り過ぎてしまっただろうと体感する。
「僕たちどうなっちゃうんだろうねえ」
のんきそうな声。周に手を握られた。柔らかい感触に思わず握り返してしまって、気恥ずかしさとともに周の顔を見れば、にっこりと俺に微笑んでいる。
エレベーターは止まることなくぐんぐん昇る。空の果てまで進んでしまうんじゃないかと思うくらいに。
「不思議なこともあるものだね」
「なんで十五階とか押すかなお前は」
「不可抗力だよ。誰だって押すさ。押すしかないんだ」
「んなわけあるか」
「これだけは本当の本当だよ。みんなそうさ」
十五階。
いったい何があるんだろう。
考えているうちに、ティン、と音がした。
ゆっくりと扉が開いて、するりと周の手は俺の手の中から抜け出す。
扉の先は、あまりにも大きな部屋だった。
窓がある。壁がある。天井がある。床がある。床に直置きされて、中央にぽつんと一輪、黒い花が花瓶に挿してある。部屋の中にあるのはたったそれだけ。
そして窓の向こうには、街が見下ろされている。ほとんど一面が窓になっていて、どこかの展望台から見ているみたいに風景が抜けて見える。けれどそんなスペクタクルよりもずっと気になるものが俺の目には映っていて。
「時計……」
大きな、透明の時計が街を覆うように浮かんでいるのが見える。
時計。
透明が見える、なんてことも何だかどうしようもない矛盾であるように思えたけれど、しかしはっきりと視覚は反応している。ずっとずっとずっと大きな時計がある。浮いている。それは何本ものビルを束ねたように長い秒針を、確かに動かし続けている。
夢を見ているんだな、と思った。
いったいいつ寝てしまったんだろう。公園で周の枕にされているとき? それとも図書館まで来て周につられてロビーで眠ってしまったのだろうか。あるいはそもそも今朝家を出たことすらも夢の出来事だったか。いずれにしろ未だに冬の名残が肌を刺す季節だ。風邪などひかないように。
だから夢なら覚めてしまえ、と。
覚めなかったら、夢ではないのだろうか。
目の前で揺れた髪に、瞳がつられて動いた。周だった。
周は目の前の光景に驚きもしていないのか、いつものように俺の前をふらふらと歩いてく。今度は足がつられた。すっかりエレベーターから出てしまって、背中で扉が閉まる音がした。
「ちゃんと生きていけるのかって、君は聞いたけどさ」
唐突な言葉に、反応が遅れた。
この状況で、時計と部屋と花以外の話を振られるとは思っていなかった。周は花瓶の目の前まで歩いていく。
「無理なんじゃないかな。僕は毎日そう思っているよ」
周は振り向かないまま言う。
窓の外は雲が空を覆ったままだけれど、大きな窓からは霧のように水の粒子が宙を舞うのがはっきりと見えて、なぜだか部屋は明るく感じる。何もない部屋に差し込む光は、どこか寂しさの色を伴う。
「この街で、いったいどれくらいの人が生きているんだろうね」
周は花瓶を避けて歩く。きっとあいつの目は窓の外をじっと見つめている。
「僕の関係ないところで人間は生きているし、君の関係ないところで世界は動いている。そのくせ僕らはどこにも逃げられない」
俺はやたらに広大な空間に居心地の悪さを感じて、少しだけ周の方に足を動かした。
「時間は誰にでも平等だっていうのは、ありきたりだけど本当だね。僕は君といるときはいつも『時が止まればいいのに』なんて考えているけど、一度も止まってくれた試しがない。どれだけ魂が願っても、するすると水のように手のひらから零れ落ちてしまう」
それから周は視線を上げるように、つ、と首を傾けて。
「明日なんて、来なければいいのにね」
呟いた言葉は、ただ部屋の中にひとり響いた。
俺は踏み出す。
「周」
周は振り向かない。花瓶に挿した黒い花を抜き取った。指先に痛みが走って、この花がバラだと気が付いた。ぷつりと棘が皮膚を破って、少しだけ血が滲んだ。
何か気の利いたことでも言ってやろうと思ったけど、想いだけがぐるぐると胸の内を回っていて、上手く言葉にできなかった。今度、詩の勉強でもしてみようか。
だから俺はただ何も言わずに周の隣まで歩みを進めて。
それから、思い切り窓の硝子を蹴破った。
パリン、と映画で聞くような音がして、大きく硝子が割れて落ちる。隣に立つ周は、あっけにとられたような顔で俺を見ている。レアだ。こんな顔は年に何回も見られるものじゃない。ましてや瞳を潤ませた表情なんて。
手に持った黒いバラを指先に挟んで。花を顔に向けるように、茎の先を時計に向けるように。
一発勝負だ。
「そういうのは、」
鼓動を押さえつけて。瞳は目標地点から外さないままに。緊張する身体を、流れるように動かして。
一息に放つ。
カツン、と。たったその一音を残して、小さな黒の花が巨大で透明な時計盤に突き立った。
秒針のすぐそばに刺さった花はその動きを阻害して、時計はカコン、カコン、と空回りをして進まない。
成功だ。
硝子の消えた窓から見下ろす街。覆う時計はもはや回らず、風に乗って霧雨だけが部屋に吹き込んでくる。
ふう、と安堵の息をついて周を見ると、周ももう時計なんか見ていなくて、ばっちり目が合った。
「思ったときに、すぐに言葉にしてくれ」
周は穏やかに、喜色を湛えてにっこり笑って。溜まった涙がひとすじ頬に降りて。
「君のそういうところが――」
みなまで言うな。
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