第50話 目には見えないけど、確かにあるもの
・・・・・・似ている。僕がそう思ったのは、会社の三木先輩に小料理屋さんに連れていってもらったときだった。
「おかみさん、うちの会社の後輩の須藤です」
紹介してもらったおかみさんは30代後半の美人で、なんともいえない艶かしさを醸しだしていた。左の目元にほくろがある。そのほくろを見ていると、僕の意識は10年前の大学時代に戻っていった。
10年前、僕は地元の田舎の大学に入学して、まったりとした日々を過ごしていた。その日は雨が降っていて、僕はあるアパートの軒先で雨宿りをしていたのである。
「ちょっと、そこで雨宿りしているのも寒いでしょ。部屋に入りなよ」
タバコをふかした女性がアパートの2階から、声をかけてきた。左の目元にほくろがあった。声をかけられたことにビック知りている僕に、
「202号室。待っているから」
ぶっきらぼうに言って、窓をしめた。
恐る恐るお邪魔した。寒さに震える僕に、
「人肌が一番あったかいから」
とハグをして、ことに及んでしまったのである。僕にとっては初めての経験だった。
「こういうことはさ、一回きりでいいんだから。私みたいな水商売の女なんて、相手にせずに、いい彼女、見つけるんだよ」
彼女と知り合えたのは良かったが、二回目以降は会ってももらえず、なんだか混沌とした喜びだった。
何度か尋ねたが、いつもいなくて、やがて引っ越しをしていた。
それから僕には彼女もできたが、いつもあの女性に似ている人ばかりだった。
僕は上京して、あるメーカーの会社に入社した。仕事はそれなりに忙しかったが、充実していた。三木先輩に連れられて、小料理屋に行き、おかみさんと挨拶を交わした僕は、このおかみさんがあのときの女性ではないかと思った。
「おかみさん、10年前に舞浜って田舎に住んでいたことがありますか?」
僕は思い切っておかみさんに質問してみたが、そっけない答えが返ってきた。
「舞浜?何県なのかな。私は東京生まれの東京育ちで、行ったこともないわ」
「どうしたんだ、須藤?」
三木先輩は不思議そうな顔をしている。
「10年前におかみさんに似た人にお会いしたんで」
三木先輩は僕の顔を見て、にやりと笑った。
「おいおい、須藤。おかみさんが綺麗だからって、ありきたりな口説き文句だな」
別人か・・・・・・。がっかりした思いで僕は帰路についた。でもどうしても、あのときの女性がおかみさんではないかという疑惑が晴れずに、僕はひとりで小料理屋に訪れたのである。
「どうかしたの?須藤洋一くん」
驚くことに、おかみさんは僕のフルネームを呼んでいた。
10年前、タバコをふかしながら、あの女性は僕の名前を聞いてきた。
「ふうん、須藤洋一くんか。いい名前だね」
確かにそう褒めてくれた。
「おかみさんは、やっぱり、あのときの・・・・・・」
「ふふふ、三木さんと一緒のときに、そんなこと、言えないじゃない?」
「どうして、急に引っ越しを?」
「あのときね、水商売のホステスを続けるか、東京に出て自分の店を開くか悩んでいたのよ。その背中を押してくれたのが、須藤くんだったってわけ」
「僕が、背中を?」
おかみさんは、楽しそうに微笑んだ。
「メーカーに就職はするけど、ノウハウを身につけたら独立したいって、夢を一生懸命語っていたよね。それに触発されて、ホステスを辞めて、東京で小料理屋を開くことになったってわけ」
僕はおかみさんの言葉に驚いていた、10年前のことで記憶は定かではないが、僕はそんなことを語っていたのだろうか?
「おかみさん、ご結婚は?」
「してないわよ。仕事一筋できたからね。やっと軌道に乗って、これからってとこかしら」
おかみさんは艶やかに微笑んでいた。
「僕じゃ、だめですか?」
「えっ?」
「これでもずっと、おかみさんのことを想ってきたんですよ。おかみさんに似たような人ばかりとつきあって」
おかみさんはびっくりしていた。
「だって、私は須藤くんよりかなり年上のおばちゃんよ」
「そんなことないです。10年前と変わりませんよ」
おかみさんは困ったような顔をしていた。
「実はね、熱心に通ってくれるお客さんがいてね、そのかたとおつきあいしようと思っていたの」
「そうだったんですか」
僕はがっかりして、声も出なかった。
そこへ三木先輩が現れた。
「なんだ、須藤のほうがおかみさんと早く出会っていたのか。よくおかみさんは、大学生に出会って人生が変ったと言っていたけど、お前のことだったんだな」
「三木さん・・・・・・」
「おかみさん、俺のことは気にしなくていいから、こいつとつきあってやってくださいよ。おかみさんに独立の決心をさせた男と知ったら、譲らないわけにはいかないし」
「三木先輩」
三木先輩に恐縮することしかり。しかし、僕とおかみさんのおつきあいは始まった。10年ぶりに見るおかみさんのしなやかな体も全然変っていなかった。
「おかみさん、いえ、愛さん、結婚してください」
そんな言葉が出てきたのは、つきあってどのくらいのことだったか。
「こんなおばちゃんでよかったら」
運命の相手だと思った。人生ってもんは、大切な人には必ず再会できるしくみになっているみたいだ。
「でも、どうして愛さん、あのとき僕に声をかけたんですか?」
「なんか、女の直感よね。この人なら、人生の答えをくれるかなと思ったから」
「僕も愛さんに出会って、人生の選択ができましたよ」
愛と結婚して、僕の人生は豊かになった。目には見えないけれども、この世には運命の赤い糸というものが確かにあるのかもしれない。
僕はよく10年前にアパートの軒先で雨宿りをしていたことを思い出す。愛が声を書けてくれた日から、愛が僕の傘になって、僕の心を支えてくれていた。
(お題:混沌の喜び 制限時間:1時間 文字数:2395字 )
即興小説トレーニング集 ほしさきことね @hoshisakikotone
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