斯くて貴女は棺に眠る

雛咲 望月

 式が終わり、皆が静かに家路についていく。それを見ながら、彼はぼんやりと空を巣食っていく、 一筋の夕闇を眺めていた。出来る事を考えていた。彼が出来る事を。

 丁度その時も、同じ事を考えていたように思う。

 燃えるような夕陽の見える、朱く染まった白い部屋に、璃華はいた。自分もいた。

 彼女は泣いていた──吼えていた。叫んでいた。逃げようともがいた。

 それは痛みだったのだろうか。苦しみだったのだろうか。 思い出したくもない──美しく整った顔が歪む様を見て、その熱い雫を止まらせることは、彼にはもはや不可能だった。

 血に染まった掛け布団を握り締めて、彼女が狂ってしまったのを認めざるを得なかった。



 私の想い焦がれた姫は   私をひとりぼっちにしたまま   笑っていた



  


「うふふ」


 


──シニタイ


 


「あはははははは」


 


──シニタイヨ


 


「殺して……」


 


──コロシテ


 


 もう、眠りたいの

 


 


 呆気なく聞こえたスイッチの音に震えながら、彼女の灯火が消えていくのを見つめていた。 永遠と思えるほど、それは長かったように思う。

 猛り狂っていた彼女の顔が、優しく無邪気な寝顔に戻っていくのを。

 ずっと見守っていた。

 それが、自分の唯一出来ることだから。

 ただ、なぜか頬を伝う雫は止まらなかった。間違っているつもりはないのに、なぜだろう?


──たぶん、これだけは言えるからだろう。




 私は、自らの姫を殺したのだ。




 夕闇の中、彼は考えていた。自分の出来ることを。

 彼女の纏わりついた髪を剥がしながら、透き通った頬に手を差し伸べる。海風が頬を滑っていた。璃華の頬は冷たくて、乾いた人形のようだと感じた。いとおしいとさえ思うほどに。

 もう喋らない璃華の身体を横に座らせ、彼女が好きだった歌を歌うのもいいだろう。

 このまま二人で朽ち果てるのもいいかもしれないと彼は考えていた。

 肩にもたれかかる彼女の頭は、甘い香りを漂わせている。好きな匂いだった。今も、これからも。

 その黒髪を弄りながら──彼は、遠く彼方に見える海の方へと歩き続けた。 腕に彼女を抱え、一歩一歩、遥かまで続く水溜りに足を乗せる。じん、と痺れるような感覚が彼を支配する。

 腰まで入った時、彼は腕を離した。当然のように、彼女は髪を水面に広げながら、静かに浮かんでいた。

 そして、少しずつ沈んでいく。



 腕が沈み、



「璃華様、忘れないで下さいませ」



 足が見えなくなり、



「確かに私は、貴女方家族を愛するよう教えられてきました」



 黒髪が滲んでいき、



「ですが、本当に愛していたのは──」



 顔が沈む──その唇に、そっと。


 


「自由を愛した、璃華様でした」


 


 消えてしまった彼女の身体を思い出すように、彼は水面を見下ろした。時たま、彼女の安らかな寝顔が浮かんでくるような、不思議な感覚を覚える。

 彼は、自分が泣いている事に気づいた。

 しかし、同時に彼は気づいていた。これは哀しみから流す涙ではないと。


「璃華様、また貴女は面白いとお笑いになるのでしょうけれど……」


 彼女に聞こえるように、呟く。

 涙目で、申し訳無さそうに彼は笑った。


「不思議なものです。こんなにも安らぐ時──人は、涙を流すのですね」


 そのまま、糸が切れた人形のように立ち尽くす。

 彼を包む水の棺から、彼女の笑う声が聞こえた気がした。

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斯くて貴女は棺に眠る 雛咲 望月 @hinasakiyu

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