終章


 れんげは、山道の途中で原付を降り、ガードレールにもたれて町を見下ろしていた。

 朝の冷えた空気は澄んだ匂いともやを混在させ、漁港の先は薄くけぶっている。

 れんげは、通っていた学校の制服姿だった。

 前日、最後に登校したのちに翠穂と守弘とメルと茂林、五人でささやかな会を催して、それから片付けの済んでいなかった家を整理している内に着替えを忘れて片付けてしまっていた。

 もともとそれほど荷物がある方ではないのだが、その荷物に詰めた服を引っ張り出すのはいくぶんためらわれ、服装に頓着しないれんげは結局そのまま、<九十九堂>を出たのだった。

 守弘からもらったコートは持ってきていた。

 原付のキーには翠穂からもらったキーケースが付いている。

 キーケースには原付の鍵と家の鍵。家の鍵は複製を守弘と翠穂にも預けていた。

 原付は出発前にもう一度、守弘が入念なメンテナンスを施し、制服のポケットに入った携帯電話には他のクラスメイトにもらったストラップも丁寧に付けられている。

 原付の荷台には中くらい――竹龍よりは小さなトランクがひとつ、括り付けられていた。



 あれから少しあと。

 クリーンセンター付近に不法投棄され、『謎のオブジェ』として集められた電化製品や家具、器具たちには供養法会が催され、処分された。

 ローカルテレビ局の呼びかけと、翠穂と守弘が友人たちから始めた署名が実を結んでのことだった。

 翠穂の交遊の幅が広かったことと、守弘が県外にも仕事関係での知己があったことが幸い、署名は短期間で結構な量が集まった。

 余談ではあるが、翠穂の友人の一人が公立の姫木東高校の生徒と知り合いで、更にその友人に『ひなぎケーブルテレビ』アナウンサーの鴻上綾香の妹がいたことで、姫木市の高校を二校とも巻き込んだ運動に広がっていた。



 供養の後も、『不法投棄ゼロ運動』は続いている。




 まだ早朝だった。

 早い内に出発しようと、れんげは思っていた。

 数日前にメルは守弘の家に移っていたし、休学の手続きも済ませていた。

 三学期の終了間際だったためか、進級はするらしく、復学すると三年だと担任の石倉には笑われた。

 町はまだ動くものは少なく、漁港に入る船と、思い出したように通る電車が目立つくらいだった。

 朝焼けが海から、町と山を橙に染めてゆく。

 影が減っていく様を眺めていたれんげは、隣――ガードレールのポールに器用に座った茂林にふと目をやった。

「――また、旅路ですね」

 茂林と出会った頃を思い出しながら言う。

 瑞に奪われていた真名を取り戻し、れんげは混濁していた事も、その後のことも、すっかり記憶がつながっていた。

「そやな」

 茂林はどこか感慨深げに同意した。

「駅前にこの間できたばっかりのモツ鍋屋、行き損ねたなぁ……」

「あなたの食欲は、変わりませんね」

 れんげは苦笑する。

「そこだけとちゃうで。

 まだ行ってへん店が三十はあるはずや。

 帰ってきたら必ず制覇したるからな」

「そんな誓いは要りません」

 冷静に返したれんげは、携帯電話の着信に気付いた。

 翠穂からのメールだった。

 内容を確認して笑みをこぼし、返信する。

「しがらみも、ええモン――か?」

「ええ」

 れんげは携帯電話を胸に抱いて頷いた。

「人と関わって、一層そう思います。

 人は――いいですね」

「そっか」

 宅配便のトラックが、ふたりの背後で道を降りていった。

 朝焼けは鎮まり、眩しい陽光に変わってゆく。

 その光に反射して、白いものが散り始めた。

「おっ――」

 茂林が嬉しそうに言う。

「降ってきよったなぁ。

 まぁ、こんなに寒いんやったらいっそ雪くらい降れ、って思うわな」

 くすっとれんげは笑う。

「れんげちゃん、ここで暮らすようになって変わったなぁ」

 茂林がれんげを見ていた。

「硬かったのがほぐれてきた」

「そうですね」

 れんげは素直に認める。

「翠穂さんと守弘さんと、人と関わったお蔭で」

「ええこっちゃ」

 雪はけっこう大粒で、ひらひら、ちらちらと舞うように町に降りてゆく。

「だから――」

 れんげは結うには短くなった、肩口くらいまでの髪にそっと触れた。

「茂林」

「東やな」

 阿吽の返事だった。

 れんげは頷いて、ガードレールから肘を放した。

「そろそろ、出発しましょう」



 そうして、一年あまりを過ごした田舎町に向かって言った。



「行ってきます。

 そしてまたいつか、帰ってきます」

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付喪神蓮華草子 / 立春蓮華 あきらつかさ @aqua_hare

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