5章 金剛蓮華
2月6日(日)
太陽は高く
れんげと茂林は原付で、ニュースで映っていた姫山に向かっていた。
「――もといた場所に戻りよったな」
れんげの足元で茂林が言う。
「そういえば」
「減った体の補充、とワイは思うたが――」
なるほど、とれんげが頷く。
「最初の状態から考えると、再構成した時に余ったものがあるのでしょうね」
「そうやろな」
れんげと茂林は原付を降りた。
車道から山道に入る。
お下げを揺らして、れんげは茂みに分け入り、スニーカーの足元を鳴らして踏み越えてゆく。
茂林が付かず離れず、れんげに従う。
「――
で、あの二人、ちゃんと帰るんやろな」
「これから数ヶ月もこちらで過ごすとは思えませんけど――」
「そら勘弁」
茂林が肩をすくめた。
「さっさとカタつけようや、れんげちゃん。
それで晩飯には何か美味いもんでも食わな、やってられんわ」
れんげがくすりと笑う。
「そうや」
茂林が見上げた。
口調に緊張が走る。
「檜助と、韶響て云うたか。
ヤツらもおるで」
「やはりそうですか……」
れんげの視線が沈む。
「まだ信じとったんか」
「
自嘲気味に笑って見せてから、れんげはきりっと唇を結んだ。
『塵塚怪王』がかなり近付いていた。
それは動く素振りもなく、佇んでいるように見えた。
昨晩――今朝の早朝に戦ったときよりさらに一回りほど小型化し、洗練されてきた印象があった。
「これは――ッ。
かなりイヤな感じやな……」
「でも、やらねばなりません」
れんげは独鈷杵を強く握っていた。
戦った場所より、やや標高の高い場所へ登る。
近付くにつれ、家電品や器具が転がっているのが目立つ。
「不法投棄――か」
れんげは足を止めて腰を下ろし、その一つを愛おしそうに撫でた。
「可哀想に。
終わったら皆、きちんと供養しましょう」
「まぁ……こいつらが人を恨むのは解らんでもないな。
良い悪いは別として、これは酷い」
れんげは頷いて立ち上がった。
「人も、妖も――お互いに歩み寄れればいいですね」
きっ、ともう少しだけ木々に阻まれた、怪王を見る。
まだ動かないその付近で、物と物のぶつかる音がしていた。
れんげは短い気合を吐いて、駆け出した。
息の合った動きで茂林が追う。
れんげは、怪王の所まで一気に登った。
「あなたっ!」
ぎりっ、と『塵塚怪王』が下を見た。
「また――お前ら、か」
朝のよりさらに、聞きやすい音調になっていた。
「塵塚……怪王」
れんげは左手の独鈷杵を向ける。
右腕はすでに、鉈の刃に変えていた。
「あなたはまだ、恨みを晴らそうと思っていますか」
「無論、だ。
それ以外に、何がある――」
怪王の足元は廃棄物の小山になっていた。
その頂上に、怪王は立っていた。
怪王の頭部は変わらない。
体はよりしなやかに、俊敏そうな雰囲気を醸している。
怪王が、その山から一歩踏み出した。
腕から伸び出した綱状のものが山からラジカセを掴み取って、れんげに向かって無造作に投げる。
正確に、かなりのスピードで飛んできたそれをれんげは独鈷杵で受け、叩き落した。
「ふン――」
怪王はれんげを見下ろして不快感を露わにする。
「邪魔をするな、っ」
そう言うなり今度は右腕を振り下ろす。
怪王の右拳は古いプリンターになっていた。
大きな、人の手に化けた茂林が肘を狙って殴りかかって、怪王の腕が向かう方向を少し変えた。
れんげが跳んでその拳をかわす。
怪王の拳は地面を削った。
茂林が狸に戻り、れんげの傍で身構える。
「あくまでこの、付喪神の王に楯突くか」
怪王の不快は怒りに変わろうとしていた。
「お前も、同類だろうに。
怪王が再度、拳を振り上げる。
れんげは体勢を崩さず、睨み上げる。
「塵塚怪王っ!」
れんげは、強く言った。
「あなたは――
怪王の動きが止まった。
「な……に?」
れんげはもう一度言う。
「器物の長、などというものはいません。
塵塚怪王――あなたは、人が夢に想い描き、創られたものです」
怪王は腕をゆるゆると下ろした。
「おれは……」
しかし、
「惑わされるなッ!」
怪王を挟んで、れんげとほぼ対角になる木々の間から檜助と韶響が現れた。
韶響が、鎌首を上に向けていた。
「アレの言葉に乗せられるなッ。アレは我ら妖の裏切り者ぞ。
鬼の手下、人の味方――我らの自由を邪魔する者ぞ。
そんな奴の言葉に騙されるんじゃねぇッ」
「韶響っ!!」
れんげが声を荒げる。
涙を浮かべていた。
「ワイが行く」
茂林が短く言って、檜助らに向かった。
れんげは怪王の前で警戒を解かず、横目でその様子を追う。
やはり檜助に巻き付いていた韶響が、茂林を絞める――が、悲鳴を上げて拘束を解いた。
栗か海栗か、全身を針にした茂林が刺し返していた。
檜助が加勢する――というより、檜助の方が直接戦闘向きだった。
「迷うなッ!
お前は塵塚怪王――王だッ。
いないのならばなればいい。
お前が王になればいいッ!」
韶響は間合いを空けて、怪王に呼びかけていた。
「ぐ……ぅ」
塵塚怪王が唸りを漏らした。
□■□■□■
この町で生まれ育ち、県外の短大を出て、就職で帰ってきた。
まだこの町の公立高校に通っている妹がいる。名字で気付いている者もいるらしいが、妹は別段気にした様子もなく高校生活をしているようだ。
綾香自身が大雑把なところがあるので、そもそもあまり気にしていなくもある。
その綾香は、昨日の朝から謎のオブジェのリポートに駆り出されていた。
昨日は社に一機ある取材ヘリ――どこかの局の中古品を払い下げで手に入れたらしいものから、空撮に同行した。
そのオブジェが崩れて見物人たちの混乱で騒ぎは収束したように思えた。
昨日の時点では、家電品など不法投棄された物で造られていたことから、追取材――現場に行く予定だった。
土曜の昼の間に作られていた、数パターンの原稿はそれなりに読み込んでいた。
不法投棄された物々についてのコメント、もし制作者がいた場合のインタビュー、クリーンセンター建設と家電リサイクル法の数年をまとめたもの、などなど。
そかしそれは保留された。
日曜の昼頃になって、崩壊したはずのオブジェがまたできている、との情報が入った。
出る用意をしていた綾香ら取材クルーは急遽遠景からの続報に切り替えて、クリーンセンターのある山を見られる、別の山へ行くことになった。
昨日のような『事故』で何かあっては危険だ、という上の判断だった。
「でも結局、近くに行くんじゃないんですか?」
出発した車の中で綾香はディレクターに言った。
『危険がなさそうだったらな』
携帯電話の向こうのディレクターは慎重派だった。
「私――行きますよっ」
綾香は行動派だった。
ディレクターに無茶しないよう釘を刺されるが、内心どうやって向こうの山に行こうかと綾香は策を講じながら、昼の報道を終えた。
他のクルーと一緒に車に戻り、ADが買ってきていたコンビニ弁当で昼食をとる。
「昨日のとはずいぶん、変わりましたね」
誰かが言った。
「ロボットっぽくなりましたよね」
別の者が言う。
「でも一晩で創るなんて、どうやってんだ?」
もっともな疑問だ。
だからこそ綾香は、あの近くに行きたかった。
「これからどうするんですか?」
弁当を片付けながら聞いてみる。
「指示待ちだけど、同じ絵撮っても仕方ないしな……一旦戻るか」
言ったのは、このクルーのチーフだった。
「近付いて――みません?」
「言うと思った」
チーフは苦笑していた。
「
「そんな綾ちゃんを止めるために俺がいるんだ。
――戻るぞ」
チーフがそう言った時だった。
「動きましたっ!」
双眼鏡でオブジェの様子を窺っていたADが声をあげた。
皆一斉に車を飛び出る。
綾香はADから双眼鏡を半ば強引に、他の誰より真っ先に借りて覗き込んだ。
オブジェは位置を少し変えていた。
その右腕が動く。
昨日の緩慢でぎこちなかったのとは比べものにならないくらい、滑らかな動作だった。
拳を、下に向かって振り下ろす。
「すげぇ……」
誰かが呟いていた。
が、腕を下ろしたところでまた動きが止まる。
そこまで見て取った綾香はほとんど反射的に運転席に飛び乗って、暖房のためにアイドリング状態のままだった車を急発進させた。
「あッ!
待て、綾ちゃんっ!!」
開けたままのスライドドアの向こうでチーフが叫んでいた。
綾香は無視して、強引にUターンをかける。
タイヤが悲鳴を上げ、クルーたちが避けてゆく。
ごちゃごちゃした車内がさらに混沌となる。
ちらりと後部座席を見ると、予備のカメラはしっかりと積まれていた。
「待ってっ!」
開いたドアから無謀にも一人、飛び込んできた。
バックミラーで確認する。
「マッキー? 止めたら怒るわよっ」
乗ってきたマッキーこと
「あたしも行くよっ」
およそ年頃の娘ぽくない、自分で切っているボサボサの髪と化粧気の薄い顔に負けん気を
「カメラならあたしの方が慣れてるからっ」
声は可愛いんだけどな、と現状では関係のないことを思いながら綾香は自分と同期入社の恵がドアを閉めたのを見て、アクセルを踏み込んだ。
「終わったら祝杯あげようね!」
綾香は危なっかしいハンドルさばきで山道を下っていった。
山の中に残されたスタッフは、携帯電話は車の中だったことに気付いて途方に暮れていた。
□■□■□■
塵塚怪王はまだ、動きを止めていた。
低く唸り声をあげている。
その腕から頭にするすると韶響が上っていた。
「いいかッ、お前はここの器物たちの主だッ。
あんな小娘の説教臭い言葉に惑わされてんじゃねぇッ。
お前は百器徒然の王、そうだろうがッ!
目を覚ませ!」
性質なのだろう、怒声にも囃子が重なるのはどこか滑稽だった。
「韶響っ!
あなたこそ
怪王は動かない。
れんげを無視して韶響は続ける。
「どうした、それでも王か。
たった一言で揺らぐほど脆弱かッ。
王の矜持を持てッ。
お前は――――」
怪王の肩が跳ね、韶響が飛んだ。
韶響は枝に絡みついて勢いを削ぎ、地上に降りる。
怪王が呻きと共に、右腕を振り上げた。
地上を薙ぐ。
茂林と檜助を弾き飛ばして、拳はれんげに向かった。
横飛びでれんげは避ける。
お下げが跳ね、それを怪王の左手――小型の電子レンジの戸が開き、結った髪の中頃を挟んで閉じた。
「――ぁっ!」
首から強引に引き上げられ、れんげが声を漏らす。
「おれは、王、だッ」
怪王が唸る。
「そうだッ、それでいい!
存分に暴れよッ!
憂さも恨みも晴れるまでなッ」
韶響は囃し立て、殴り飛ばされていた檜助のもとへ行く。
檜助は頭を振って身を起こしていた。
離れたところで茂林も跳ね起きる。
「お前ら――ええ加減にせえよッ!」
と檜助に突進するが、殴られたせいか勢いが弱く、檜助の突きで逆に弾かれてしまう。
「茂――林っ」
れんげは、怪王の目の高さまで吊り上げられる。
「戯れ言を――言いお、って!」
怪王の眼が光る。
そこに、
「れんげッ!!!」
「も――り、ひろ……さん?」
れんげが苦しげな声を絞り出す。
地上に、守弘がいた。山道を走ってきたのだろう、若干荒い息でれんげを呼んでいた。
「アホぉっ。
何しに来たんやっ」
突かれて転がっていた茂林が、守弘のすぐ傍にいた。
檜助がにやりと笑って、のっそりと近寄る。
「酔狂、さね」
茂林と檜助をちらりとだけ見てから、守弘は地上数メートルの高さに髪だけで吊られているれんげに向かった。
「れんげっ!」
「守弘……さん、どうして?」
「れんげっ、俺に――れんげの『
守弘がそう叫んだ。
「ま……な――?」
れんげの目が驚きで丸くなる。
「知って、どう――そもそも、私の真名は、瑞さまに……」
切れ切れで答える。
守弘の目は真剣だった。
「その支配、解けてないか!?
思い出してみてくれ。
前に『奪われてる』って言ってたよな。
存在の本質が奪われてるんなら、今のれんげは『本質の力』を封じられてるんじゃないのか?」
「支……配」
首の骨がどうにかなりそうな、軋みをあげそうな中、れんげは今朝の戦闘を思い起こしていた。
「あの時――」
記憶にずっとかかっていた靄のような隔壁が、薄れていた。
「私は……」
「れんげっ!」
守弘が呼ぶ。
茂林が檜助に噛みつくが、檜助はその茂林を蹴飛ばした。
ごろごろと転がった茂林は木にぶつかって倒れる。
怪王が、掴んだ髪を放さずにれんげを振り回す。
「守弘――さんっ」
「れんげっ、俺はやっぱり、れんげのことが好きだっ!
好きだから悩んでた――自分は無力だって思って。
今でも悩んでる――けど、少し解った。
れんげのことをもっと知りたいし、れんげの力になりたい。
もっと――!?」
守弘の言葉は、檜助の張り手で遮られた。
「余計なこと吹き込むなッ、ガキが!」
「守弘さんっ!!!」
振り回される視界の隅にそれが映り、れんげは叫ぶ。
守弘は軽く吹っ飛ばされて転がり、ぐったりとなる。
「よくも――っ!」
れんげは自らの内に眠っていたものに気付き、木々に叩きつけられる中それを
れんげの背後で閃いた光はまっすぐ地上に落ちた。
怪王が呻った。
れんげの髪を握ったままの怪王の左腕が地響きをあげて落ちる。
左腕は、パーツの中途半端な部分で鋭利に斬られていた。
れんげも落ちる。
お下げは切れて、肩口くらいまでの長さになった髪が広がった。
「守弘さん……」
ちらり、とれんげは守弘と茂林を見て、どちらも唸っているのを見て取ると怪王に向き直った。
「檜助、韶響――」
きっ、と一瞥してから右腕を振った。
怪王の片膝が落ちる。
檜助が目を見開く。
踏み込んで逆袈裟に斬る。
落ちた膝から下が離れ、バランスを失って怪王が倒れそうになり、右手で体を支えた。
「お……前、ッ」
「れん――蓮華刀、お前」
呟いた檜助に振り返って、れんげは頷いた。
「そうですね。蓮華刀――」
どこか哀しそうに微笑んで、怪王が伸ばそうとしていた縄も簡単に斬る。
「あなたの本体はどこにありますか?
出てきなさい」
怪王は答えない。
「観念しなさい。
私は金剛の硬さを誇るもの。斬れぬものがあるかどうか、試しますか?」
韶響を抱えた檜助が数歩、退いていた。
「あなたたちも覚悟なさい」
あくまで穏やかにれんげは言う。
「もう一度言います。
塵塚怪王、あなたは王ではありません。それぞれが異なる器物から変じる付喪神に長というものはなく、道具そのものではなく人の想像に従い生まれたものであるあなたが人を恨むということは、自らの生まれの否定に等しいことです。
それでも人に
「――おれを、否定……」
「ある画家が夢に想い描いた『ちりつもりたるものの長』それがあなたをあの姿にしました。
生まれたこと、またあなたが魂を得られる長い時に渡って使われたことを感謝こそすれ、復讐に走るなどとは――」
「惑わされるな、怪王ッ」
檜助が言うが、れんげが駆け寄って力一杯、その頬を張る。
れんげの目尻から、涙が散った。
「いい加減にしなさい!
あなたたちもどうして反省がないのですかっ!!」
怪王が動いた。
派手な音を立てて、組み上がっていた体が崩れる。
その中心から、旅行トランクくらいの箱が現れた。
触手のような縄を器用に動かして、器物の上に這い出る。
丸い目を動かして、れんげを見ていた。
れんげはその箱に駆け寄った。
「しかし、この物たちは……」
ぼそりと呟いた箱を、れんげは抱きしめた。
「優しいのですね、あなた。
皆の思いを代弁しようと――彼らに
その優しさが彼らを助長させたのかも知れません。
この子たちは、きちんと供養できるよう、取り計らいます。ご安心下さい」
「あんた――」
箱は目に困惑を浮かべていた。
「俺は……どうしたら、いいんだ?」
「反省し、改めて、今後人の迷惑となることをしない。
誓えますか?」
箱はかなりの時間、沈黙していた。
れんげはその間ずっと箱を抱きしめていた。
小さく、『
やがて、
「――誓う」
ぼそりと、箱が答えた。
「そう――」
れんげは穏やかな笑みで、箱を抱く手に力をこめた。
「その言葉を忘れぬよう、清き仏心の蓮華を胸中に常に抱いて、お過ごしなさい」
箱の目が、頷いていた。
さらに数分逡巡を見せたのちに箱はまっすぐにれんげを見た。
「おれは……
れんげは目を丸くして、そこまでされなくても、と呟きつつも応じた。
笑顔で、竹龍にだけ聞こえるようそっと言う。
「わかりました。
私――
いつの間にか、檜助と韶響の姿が消えていた。
□■□■□■
守弘は最初、夢だと思った。
れんげが膝枕していた。
「れん……げ?」
髪型の変わったれんげは優しい微笑みで言った。
「気付かれたのですね――よかった」
首を巡らせると、かなり披露した様子で箱座りになっている茂林と、見たことのないトランク状のものがいた。
「そいつは――?」
「『塵塚怪王』を造り、操っていたものです。
もう、心配ありません」
れんげは悲しみを帯びた瞳だった。
「……? どうした?」
「檜助と韶響を……逃がしてしまいました」
ですが、と続ける。
「必ず追って、改心させます」
守弘は腰を起こした。
「ありがとうございます、守弘さん」
れんげは深々と頭を下げた。
「守弘さんのお蔭で、私は真名を思い出しました。
――私は『護法金剛蓮華刀』
法を護り、明王金剛の頑強さを誇り、常に仏心の蓮華を抱く、そんな刀です」
守弘が座り直すのを手助けする。
「でも――高野れんげ、という名も気に入っています。
高野は私が師からいただいたものですし、その――人の名、ですから」
「分けて考えなくて、いいじゃないか」
守弘は咳き込んで、口に残っていた砂埃を吐いた。
「その全部が、れんげだと思う」
そうか、と考えをまとめるように呟く。
「れんげ、ってのはそこからきてるんだな」
「そうでしょうね、今考えると」
そう微笑んだ時、山道の下方から誰かが登ってくる音がした。
話し声がして、れんげと守弘は顔を見合わせる。
「しゃあないなあ」
茂林が腰を上げた。
「巧いことごまかしてきたる」
言うなりその場でくるりと一回転した。
いつもの老人とも違う、壮年くらいの背の高い男性の姿になる。
髪の短い、がっしりとした体格の、スポーツマンか修行僧のように見える。
二月の冬場に着流し一丁という季節感のない格好でにやりと笑った。
鴻上綾香と槙野恵が山を登ってきた時にはもう、太陽が傾きかけていた。
しかも山を越えてこちらに走ってくる途中でオブジェの姿が見えなくなり、見当を付けて車を降りて登ってきたのだった。
綾香はこの時ほど、ヒールを恨んだことはなかった。対して恵は履き古したスニーカーで、しっかりした足取りで道になっていない山に分け入っていく。
「ナントカ探検隊だね、こりゃ」
おどけて綾香が言う。
「じゃあ、派手なテロップがいるね」
恵はカメラの具合を確かめながら進んでいる。
綾香も、いつフレームに入ってもいいように髪型や汗に注意をしつつ進んで行くと――急に周囲が開けた。
驚いた二人の前方の茂みがガサガサ鳴る。
慌てて恵がカメラを構え、綾香は小さく咳払いをする。
「え、えっと。
私は今、例のオブジェがあったと思われる辺りに来ています――」
綾香が喋りだしたのを、恵が捉える。マイクも集音もないので綾香はいつもより声を出していた。
「いま、向こうから何か物音がしたんですが――」
言いながら綾香は反省していた。もっと良い言い方がありそうなものを、と。
茂みの奥から出てきたのは――一人の男性だった。
着流しに草履、と時代劇から出てきたような風体の、三十代後半くらいに見える男性は飄々とした雰囲気で現れ、綾香と恵を珍しそうに見る。
束の間呆気にとられて、恵の声で我に返った綾香がその男性に向かう。
「何や、テレビか?」
男は関西弁だった。
「ひなぎケーブルテレビの鴻上、と申します。
あの――少し、いいですか?」
思い切って綾香は言い出す。
男は無造作に頷いた。
「あ、あの――
あなたは、ここの上にあった奇妙なオブジェのことはご存じですか?」
男は片眉を上げ、にやりと笑った。
「アレの取材かいな。
もうないで、今更行っても無駄やからやめとき」
「ない……ですか?
もしかしてあれを造られた方ですか?」
「まあ、そんなトコや」
綾香の目が丸くなり、後ろ手でガッツポーズをしていた。
「お話聞かせて下さいっ。
――どうしてあの像を造ったのですか?」
男は数秒、後ろの山を見て、
「見たんやろ? 何で造ったか」
「家電品とか……」
「そや」
男は頷いた。
「ちゃんと処分もせんと、ホイホイ捨てていきよる連中が多い。
アレはその警告や。
ええか」
と男は綾香に顔を寄せる。
綾香は思わず一歩退く。
「道具は大事に使わなアカン。
壊れたらちゃんと供養してやらなあかん。
以上や」
男は言って、そのままスタスタと綾香と恵の間を割って歩いていく。
「ま、待って下さいっ!」
綾香とカメラが追うと、男は振り返った。
「ああそうや。
ここら辺にあった物な、上に集めたんや。
そこの神社かどこか寺にでも言うて、供養してやってもらわれへんやろか」
気圧されていた綾香は、頷いていた。
「ちゃんとやったってや。
「は――はい、わかりました」
綾香ももともとこの町の人間だ。不法投棄に心を痛め、怒りを覚えていたことも否定しない。
不法投棄された物の怒り、などと云うと現実味がなくて話にならないが、そんな脅しでも何でも、なくなってほしいと思っていることも間違いない。
「ならええ。
今度こそ男は去った。
「――なんだったのよ、あれ」
という綾香の呟きが、そのビデオファイルの最後の言葉で、結局このファイルはお蔵入りになった。
□■□■□■
「じゃあ、達者でね」
まだ完全に回復していない
瑞は憮然とした表情でれんげを睨んでいた。
「その――今までお世話になりました」
れんげは頭を下げる。
「瑞さま。
私は高野れんげ、です。自分の役目も変わらず果たします。
もし見失うことがあれば、容赦なく来てくださって結構ですから」
「――ふン」
瑞はれんげを見て、少しだけ表情を和らげた。
「せいぜい、好きにせい」
「言ったろ、杞憂に終わる、って」
穹は瑞にそう言って、<九十九堂>の歪んだ戸を
「じゃあね」
皆が見送る中、戸の向こうに、瑞と穹が消えた。
日はすっかり暮れていた、
「なんだか、長い一日だったね」
翠穂が言う。
半日で打ち解けたらしいメルと手をつないでいた。
れんげはその様子を見て、穏やかに微笑んだ。
あの後、竹龍と名乗った例の付喪神とはその場で別れた。どこかの山に隠って修行をするのだという。
真名まで預かった者をそれ以上拘束するつもりはれんげにはなかった。
れんげは、<九十九堂>の戸を力を込めて閉める。
「終わった――んだよね?」
確かめるように翠穂が言う。
れんげは笑って頷くが、少しためらった後に言った。
「町を――出ようと思います」
翠穂とメルが驚いてれんげを見る。
「どうして?
バレたから、ってならあたし言わないよ」
れんげは首を振った。
「逃げた檜助と韶響を追わねばなりません。
本当なら、すぐにでも出立したいのですが」
茂林が「匂いは追えるから安心してええ」と補足する。
「あの『怪王』となった器物たちの供養を、してあげないと竹龍との約束を
それが済めば――」
「帰ってくるよね?」
翠穂が言った。
「ケータイ持っててよ。メールでいいから、時々連絡して。
それに――メルちゃんはどうするの?」
「俺が預かる」
守弘がメルを呼んだ。
「さっき、戻る途中で話してたんだ。
逃げたヤツらを追わなきゃならないから、その間預かる、って」
メルは驚きと寂しさと嬉しさの混じった表情で、守弘のもとに走った。
「終われば戻ってきますから――」
「絶対よっ」
翠穂が、れんげに抱きついた。短くなった髪を撫で、
「待ってる間に、れんげの『役目』っての聞いたから引き留められないけど、れんげの家はここなんだからね。あたしは待ってるからねっ。
帰ってきてよっ」
れんげは翠穂を初めて抱き返した。
「ありがとうございます、翠穂さん――」
居間の、古くて大きな柱時計が、柔らかい音を七回響かせた――
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