4章 ちりつもりてなれる

 2月6日(日)


 翠穂みほは、朝の匂いで目を覚まし、天井を見て、れんげの家に泊まったことを思い出した。

 頭の包帯に手をやり、

「夢じゃない、か。やっぱり」

 と呟く。

 客用のものはないから、と一つの布団に一緒に入っていたれんげの姿はない。

 布団から抜け出してすぐに携帯電話をチェックする。

 それから、ジャージのまま階下へ行く。

 居間にはもう、れんげたちがいた。

「翠穂さん――おはようございます」

 憂いを帯びた調子でれんげが言った。

 いつものお下げ髪が揺れている。

「おはよっ。

 なに、まだ不安なの?」

 つとめて明るく言った翠穂はそこで、居間の隅にいた瑞の様子に気付いた。

 瑞は体をすっぽりと毛布でくるみ、眠るように目を閉じて座っていた。

 薄く目を開けて翠穂を見て、また目を閉じる。

「――なにかあった?

 それにれんげ、怪我増えてない?」

 れんげは五人分の朝食を並べてから言う。

「昨晩、というか今朝ですね。

 あれ、、と戦っていました」

「ええっ!?」

 翠穂は目を丸くしてから呆れ気味にれんげを見た。

「そうなんだ……大変だったね」

 れんげは微笑んで、立ったままだった翠穂に座布団を勧める。

 朝食は焼き魚と簡単な味噌汁だった。

 れんげがご飯をよそって配ってゆく。

 茂林のものだけ冗談のように丸く盛られている。

「あたしが寝てる間に、よね?

 それで――勝ったの? やっつけた?」

 れんげは自嘲気味に笑った。

「確証は持てません。

 もっとも、勝ち負けではなく改心してほしいのですが……」

「そっか」

 翠穂はようやく座った。

 隣になったメルに笑いかける。

「じゃ、今日はどうするの?

 何か予定ある?」

 箸を取ってれんげに訊く。

「考えていませんでしたが――あの物が何か、調べたくはあります。

 あるいは、檜助ひのすけ韶響しょうきょうを追うか」

「なるほどね。

 ね、調べ物だったら手伝えるよね。

 ちょっとだけ――一時間くらい待っててもらっていい?」

 不思議そうな顔をするれんげに、翠穂は笑顔で答える。

 いつもの、好奇心溢れる瞳だった。

「今日バイトないし、一緒にいたいなって思ってるんだけど、急に泊めてもらったから服ないのよね。日曜に制服でいるのもアレだし。

 ね、急いで帰って着替えてくるから」

「危険な目に遭うかも知れないですよ」

 翠穂は軽く頷いた。

「その時はその時。

 ダメかな」

 れんげは微笑んで頷いた。

「では、待ってますね」

 翠穂は「ありがとっ」と笑って箸を置く。

「ごちそうさま。

 ありがとね、れんげ。

 じゃあダッシュで帰るね」

 そう言うなり翠穂はばたばた、と居間を出て、数分で制服に着替えて、鞄を抱えて下りてきた。

 メルの頭を撫でてから茂林と瑞に軽く会釈して、店の出入り口に向かう。

 れんげが翠穂を追って、鍵を開けようと引き戸に手を伸ばしたその時。

 鍵が弾け飛んだ、、、、、

「なっ!?」

 れんげは、翠穂の前に回って身構える。

 強引に戸を開けたのは――檜助だった。

 にやりと笑って、店に踏み込む。

 腰から韶響が巻き付いている。

 朝の冷気がすっと浸入してくる。

「ひぇ……」

 翠穂が呟いて一歩退いた。

 その翠穂を庇う位置に立ってれんげは檜助らと相対し、無手だったことに気付いて唇を噛んだ。

 気付いた茂林が顔を出し、狸に変じて店に降りた。

 メルもひょこっと顔をのぞかせるが、嫌なものを見たようにすぐに引っ込む。

「檜助……」

「生きておったか、れんげ」

 朝稽古を終えた力士のような風情の檜助はにやにやとした笑みを崩さない。

「どうさね、儂らの力。

 鬼をもね退け、無類の強さを誇っておる。

 降参するならお前は昔のよしみで見逃してやらんこともないぞ」

 上からの物言いだった。

「檜助――っ」

 ぎり、と奥歯を噛みつつ、れんげは冷静に言う。

「あの者は、無事なのですね」

「はン」

 檜助が鼻で笑った。

 韶響の囃子はやしが重なる。

「あの程度、どうということでもない。

 体を組み直して一層強くなる。

 どうさね、れんげ。

 負けを認めて、今後邪魔をせんのなら見逃してやろう」

「あなたはっ!」

 れんげは拳を強く握っていた。

「まったく懲りていないのですかっ。

 百年以上も前に完膚なきまでに打ちのめされたことも忘れたのですかっ」

「しかしその鬼も倒した」

 翠穂が驚いて居間を振り返る。

「今度こそ、儂らの自由が来たというわけさね」

 檜助が豪快に笑った。

「れんげ、現実を見てみい。

 鬼は破れ、お前も到底敵わぬ。

 俺たちの慈悲に縋ったらどうだ」

 韶響も笑っていた。

「あなたたち……っ」

 れんげは人の手のまま、檜助の頬を張った。

「改めなさいっ!」

 しかしその腕に韶響が絡みついた。

 腕の自由を奪われる。

 檜助がれんげの手首を掴んで引き上げた。

 れんげの踵が浮く。

「大人しくすれば見逃してやる、と言うとるのに。

 物分りも諦めも悪い奴さな、お前は」

 檜助はさらにれんげを持ち上げ、易々と居間に向かって放り投げた。

「れんげっ!」

 伸ばした翠穂の腕は届かず、れんげは体を丸くして衝撃に備える。

 茂林が咄嗟に座布団に化けて受け止めた。

 翠穂はれんげに駆け寄って、檜助を睨む。

「まあよい。

 鬼もお前も、脅威でも何でもない。潰されたければまた来るといいがな」

 檜助ががらりとした笑声をあげる。

「我らが怪王の力を味わい、恐怖するがいいさね」

「かいおう……?」

 檜助と韶響は笑い声と囃子を派手に奏でながら<九十九堂>を出て行った。

「待ちなさい……っ!」

 れんげがすぐさまそれを追って店を飛び出るが、待ち受けていた檜助の張り手をカウンター気味に受けてしまった。

 店内に突き飛ばされて転がり、廊下の段で止まる。

 檜助の笑い声が遠くなっていった。

「れんげっ、大丈夫!?」

「ええ――問題ありません」

 と立ち上がるが、膝が落ちる。

 それを支えて言った翠穂の口調は叱るようだった。

「ダメじゃないのっ。

 いい、猛ダッシュで戻ってくるから待ってて!

 絶対よ! ケガの手当てして、ヤツら追っかけちゃダメだからね!」

 翠穂は茂林と、れんげを抱えて居間に運んで寝かせてから、茂林にも「待っててよ!」と釘を刺して飛び出した。

 ほどいた包帯が宙に待った。


  □■□■□■


 守弘は、バイクで走っていた。

 無性に走りたくなって、朝から愛車を駆り出していた。

 交通量の少ない町中から海岸に出る。

 冬の太平洋に人はなかった。波も出ていなかったためかサーファーの類もいない。

 海岸から漁港へバイクを走らせる。海岸道路をもう少し南下するとマリーナがあるが、そちらへは行かずに山へ向かった。

 いつもの国道に入る。

 山道の分岐で、展望台へ行く。

 展望台でバイクを降り、見慣れた町を見下ろした。

 数時間前にこの奥の森でれんげが戦っていたことを守弘は知らない。

 ただ町を眺めていた。

 バイクには守弘のものと別にもう一個、ヘルメットがリヤシートに結わえ付けられている。いつでもれんげを乗せられるようにと、いつからか付いていた。

 クラス中でもいわば『公認の仲』である守弘とれんげは、周りからは何の問題もないように見えていた。守弘がれんげを誘って以来、守弘にもれんげにもあった孤立の壁がいくらか薄まって、『C組今年の十大ニュース』などと称された中にもランクインしたりもした。

 しかし、れんげの正体を知っている守弘は悩んでいた。

 ただの人である自分に、れんげに対して何ができるか、と。

 守弘はふと、長い溜息をこぼしていた。

 暦の上では春を迎えたがまだまだ寒い空だった。

 吐く息も白い。

 そこに、

「辛気臭い顔してるね」

 突然、声をかけられて守弘は驚いて振り返った。

 守弘の隣に、いつの間にか一人の少年がいた。

 年の頃は十から十二歳程度、小学生高学年くらいに見えた。

 いかにも少年らしい、声変わり前の高い声だった。

 オフホワイトのダッフルコートを着込んだ、優しそうで大人しそうな顔を守弘に向けてにっこりと笑う。

 その雰囲気に、守弘は妙な既視感を覚える。

「――俺の勝手だろ。

 ガキに言われたくないね」

 少年は意味深な笑いを浮かべた。

 小さく呟く。

「ガキ、か。

 気付いてる、、、、、くせに」

「何か言ったか?」

「別に」

 少年は広場になっている展望台の端にある手すりに背を預けて、守弘を見上げた。

「悩んでるね」

「――放っといてくれ」

 守弘は少年から離れようとするが、少年は位置を変える守弘についてきた。

「それも、答えの難しい悩みだ」

 適度な距離を保って話しかけてくる少年は、どこか楽しそうだった。

 守弘は無視して停めたバイクに近寄る。

 携帯電話を取り出した。

「単純に比べると、人ってなんて無力なんだろうね」

 守弘の態度を気にすることなく、守弘から離れずに少年は続ける。

「だから妖物どもは図に乗るし、人は恐れおののくばかりだ。

 人は、自分の『強さ』に気付いていないから余計にそうなる」

 守弘が目を見開いて少年を見た。

 その瞳に、どこか諦めたような風があった。

「やっぱり、か」

「ん?」

 少年は無邪気そうに覗き込む。

「別に」

 守弘は言い返して携帯電話をしまう。

「じゃあ人に、何ができるって言いたい」

「それを考えてたんだろ、キミは」

 少年は爽やかな笑い声をあげた。

 見た目の印象とは裏腹に、言葉は揶揄している。

「戦う以外に何ができるって言うんだよ」

「だからそれは一面でしかない、って」

 わからないかなあ、と少年はさらに笑う。

「じゃあ例えばボクがこの場で、キミにこの――――」

 と、どこからか一本の錫杖を取り出して示す。

 しゃん、と涼やかな音を立てたその杖は、少年より高い。

「杖を与えて、『さあ、これで存分に戦うといい』なんて言うと思う?」

 少年の口元は柔らかく微笑んでいるが、瞳の色は冷ややかだった。

「否、だよ。

 そもそもこれは、誰が使っても使い手に応えて能力を発揮するような育て方、、、はしていないからね。ボクの言うことしか効かない。

 キミが使ったところで、箸ほどの役にも立たないよ」

 少年の言葉は辛辣だった。

「キミにはキミにしかできないことがある。

 それを見つけ出さなきゃ、いつまでもキミは報われないよ」

 守弘は少年を睨んでいた。

「わかってるよ、そんなことは。

 その答が判らないからムシャクシャしてるんだよ。

 ――ムカつくガキだな、ったく」

 少年は屈託のない笑顔で応える。

「まあ、こんな問答していても仕方ないね。

 不本意だけど、種をあげよう」

 と、少年は守弘にすっと近寄った。

「――まだ誰も気付いてないみたいだけどね、れんげは自由だよ」

 背伸びをして、守弘の耳元に悪戯のように囁いた。

 それだけ言って姿勢を戻す。

 錫杖はどこかに消えていた。

「? それって、どういう――」

「あとは自分で考えなよ。

 その上で、キミに何ができるか――答えは単純で簡単なんだけど、だからこそ至るのが難しい。

 見ている分には面白いよね、まったく」

 少年はにこにこ笑いを崩さない。

「鬼のように冷酷だな」

「鬼だからね」

 守弘の比喩を、あっさりと少年は認めた。

「ああ、キミがどれだけ不快に思ってボクを殴ったとて、泣きもしないし何ともないから、無駄なことはしないようにね」

 少年は、強めに握っていた守弘の拳に手を重ねた。

 表情だけを見れば虫も殺さないような無邪気な微笑みを浮かべて言う。

「なんせ鬼だからね。

 言うだろ?『血も涙もない』なんて」

 少年は憮然とした守弘の手を引いた。

「いい乗り物持ってるじゃないか。

 そろそろ行こう」

「行く、って――どこに」

「何言ってるんだよ。

 れんげと瑞のいる所に決まってるじゃないか。

 乗せてってもらうよ」

 少年のペースに翻弄されかかっていた守弘はいくらか抵抗するが、やがて諦めて後部座席のヘルメットを少年に渡した。

「そういやアンタ――何て呼べばいい?」

 受け取ったヘルメットを珍しそうに弄っていた少年は、ああ、と軽く言った。

きゅう、でいいよ」


  □■□■□■


 その少し前。

 翠穂は四十五分足らずで戻ってきた。

 着替えて待っていたれんげに、着くやいなや慌しく翠穂はれんげに携帯電話の画面を見せる。

「ケータイで検索してみたらこんなの出てきたっ」

 翠穂はアーガイル柄のニットと短いスカート。からし色のタイツをはいた足を膝丈のブーツにおさめていた。

 コートとブーツを脱いで居間に上がる。

 れんげは無地の濃灰色のニットにジーンズと、動きやすさを重視していた。

 翠穂の差し出した携帯電話の画面には『塵塚怪王』とあった。

 小さな画面では見づらい絵が表示されている。

「さっきのアイツ、『我らのかいおう、、、、』とか言ってたじゃない?

 それ思い出して『かいおう 妖怪』って検索かけてみらこんなのが出てきた」

 翠穂はじっくりとその画面に見入るれんげに言う。

「こいつじゃない?

 でさ、れんげ、パソコン持ってない?

 ケータイの画面じゃ見にくいから、できたら調べなおした方がいいと思うけど……」

 れんげは携帯電話を翠穂に返した。

「可能性は高いですね。でも、パソコンはあいにく……」

「そ、っかぁ……」

 嘆息をこぼして、翠穂はそこでようやく座った。

 朝と位置の変わっていない瑞を見る。

 瑞の傍にメルがいた。

 二人の並んでいる様だけを見ると、小学生同士かと錯覚しそうな画だ。

「瑞さん……大丈夫なの?」

 聞こえた瑞が薄目を開け、

「心配無用だ」

 ぼそっと言う。

 メルは瑞の看病をしようと覗き込み、瑞に振り払われるのを繰り返している。

 れんげは翠穂にお茶を出し、自分も座った。

 翠穂は瑞の様子を心配するように窺いながら、茂林とメルにも携帯電話の画面を見せる。

「ふたりは? れんげも、こいつのコト知らない?」

 真っ先にメルが首を振った。

「ワイも、よお知らんなぁ……」

 茂林もすまなそうに言う。

 れんげがもう一度画面を見て呟いた。

「――『百器徒然袋ひゃっきつれづれぶくろ』という書物があるのですね」

 どうにか、もう少し詳しく調べられないかとれんげは思案する。

「『付喪神の王』みたいなこと書いてるけど、知らないんだ。

 なんだか意外」

 翠穂は不思議そうに言う。

「パソコンあったらね、ネットで出せるかも、だけど。

 日曜だから学校閉まってるし、ね……」

 翠穂は呟きながら天井を見上げ――はっ、と閃いた目でれんげを見た。

「れんげっ、図書館行ってみよう」

 立ち上がった翠穂を見上げるれんげ。

 その手を引いて、翠穂は言う。

「もしかしたらこの『百器ナントカ』ってのがあるかも知んないし、なくてもインターネットできるかもよ。

 ね、今から行ってみない?」

 なるほど、とれんげは頷き、翠穂の手を取って腰を上げた。

「それならご一緒してもらっても、危険は薄そうですね。

 昨日の怪我は――」

「大丈夫っ」

 翠穂は親指を立てた。

「早速行こう。

 何か倒せるヒントが見つかるかもしれないよ」

 れんげは頷いて、茂林に留守番をまかせ、上着を取りに自室へ行く。

 守弘にもらったばかりのコートの袖に初めて腕を通した。



 駅からは少し離れた所にある市立図書館は、それほど大きくはなかったが、清潔感の漂う落ち着いた施設だ。

 翠穂が携帯電話で見つけ出したものは意外なくらいにあっさりと見つかり、いくつかの妖怪画集を蔵書から探し出した二人は図書館内の席について、それらを広げてゆく。


 鳥山とりやま石燕せきえんは江戸時代の浮世絵師だ。

 狩野派かのうはの絵師で、喜多川歌麿や黄表紙作者を育て、妖怪画を好んで描いていた。

 版本画『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』そして『百器徒然袋』を著した。

 その中に、それはいた。

 妖怪画には絵のほかに、説明文のような小文が書かれていた。


    それ森羅万象およそかたちをなせるものに長たるものなきことなし

    麟ハ獣の長 鳳ハ禽乃長たるよしなれバ このちりつか怪王ハ

    ちり積もりてなれる山姥とうの長なるべしと 夢乃うちにおもひぬ


「――あたし古文苦手」

 翠穂が手を広げた。

 れんげは苦笑してから、その絵と文に見入る。

 同時に、持ってきた狩野派に関する書籍、石燕の研究書を見る。

 生年一七一二年、没年一七八八年、との記載をそっと指でなぞる。

「どうかした?」

「ええ――正確には知らないのですが、逆算するとおおむねこの辺りに私は作られたのだろうな、と思って」

 翠穂が目を丸くした。

「そっかぁ」

 と笑う。

「どう? なにか判りそう?」

「――そうですね」

 れんげは頷いて、妖怪画集を片付けはじめた。

『百器徒然袋』だけを別にして抱える。

「これだけお借りして、戻りましょう」


 昼前になっていた。


□■□■□■


 れんげと翠穂が<九十九堂>に戻ると、店の前に守弘のバイクがあった。

「三原クン来てるね」

 翠穂が嬉しそうに言いながら、戸を開ける。

 朝方、檜助に破壊された鍵はそのままで、戸は軋んだ固い手応えでぎりりと鳴る。

「たっだいまぁ」

 翠穂が明るい声で、れんげより先に居間に向かう。

「三原クンいつ来て――って、なんか増えてない?」

 戸締りをしていたれんげは、翠穂の言で振り返った。

 小走りで居間に入って――一歩退いた。

 これ以上ないくらいの驚きを瞳に表して言う。

「穹――さま」

「おかえり。

 待たせてもらってたよ」

 瑞と、雰囲気のよく似た少年は瑞と同じような服装で、いくぶん回復した様子の瑞の隣にいた。

 炬燵には釈然としない表情で座っている守弘と、守弘にくっつくような体勢のメル、飄々とした顔でお茶をすする老爺姿の茂林がいる。

 穹、といった少年はにこやかな笑みでれんげを見上げ、

「突っ立ってないで入ったら?

 ここはれんげの家だろ?」

 と手招きした。

「れんげ――この子も知り合い?」

 翠穂は複雑そうな表情をしていた。

 れんげは小さく溜息をこぼし、

「瑞さまと同じ、護法童子――瑞さまと対になるかたです」

 簡単に紹介する。

 れんげは居間に上がってコートを脱いだ。

 まじまじと穹を見てしまっていた翠穂がそれに続いて段を上る。

 れんげの着ていたコートに、守弘は少し表情を明るくした。

「穹さままで――何故」

「この馬鹿が――――」

 穹は肘で瑞の頭を軽く小突いた。瑞が「やめいッ」と文句を漏らすが無視して、

「あんなのにやられたからね。

 連れ戻しに来た」

 無邪気な笑みで言う。

「もっともそれが全てじゃないけどね。

 ボクだってたまにヒマ潰しをしたくなる。陰陽の気が混濁している内に戻るけどね」

 翠穂も上着を脱いで座る。

 穹は守弘を示した。

「そこの彼に連れてきてもらったんだ」

「守弘さんに?」

 れんげは守弘の前に座る。

「それは――お疲れ様です、守弘さん」

「ん、うん……」

 守弘の返事は曖昧だった。

 寄り添うメルを咎めず、れんげは翠穂の分のお茶を用意する。

「で、何か判ったんか、れんげちゃん」

 茂林が言って、思い出したようにれんげは借りてきた画集を出して広げた。

「――これかと」

 瑞と翠穂以外の皆が一斉に覗き込む。

「ははあ、なるほどなあ」

 茂林が不敵そうに言う。

「ナリは大きい、言うても付喪神の一種か。

 それにしても『王』とは大きく出たな」

「何か手立ては見つかったのかい?」

「それは……」

 れんげは座りなおす。

 少し、手狭になっていた。

 翠穂は携帯電話を開いていた。

「やはり、あの奥で器物を集め、操っているものを引き出すのが先決かと」

 ただ、とれんげは考えをまとめながら言う。

「怪王なるものの由縁は判りました。

 そこに勝機を見出します」

「細いね」

 穹がすっぱりと言った。

「でも、選択肢の中では堅実なほうだ。

 少なくともれんげ、今のキミにとってはね」

 穹は持っていたマグカップをれんげに差し出す。

 そこにお茶を注ぎながられんげは頷いた。

 翠穂が、弄っていた携帯電話から顔を上げてれんげに言う。

「テレビつけるよ」

「? ええ」

 翠穂が合わせたチャンネルは、ローカルニュースだった。

『――昨日突然その姿を見せた謎のオブジェと同じ類でしょうか。

 やはり家電品などがうかがえます。

 え~、昨日のより小さいですが、デザインはよりスッキリしてますね~』

 地上からだろう、遠くにその姿を捉えたフレームの端で、女性キャスターが呑気な実況をしていた。

 画面の中では、それは動いていないただの立像のようだった。

「現れよったな」

 茂林が一転、狸に戻る。

 れんげも独鈷杵と本連の数珠を手に立ち上がった。

 お下げが跳ねる。

「行ってきます――翠穂さん、守弘さん。

 メルも、大人しくしていて」

 れんげが瑞に近寄ると、瑞は薄目でれんげを見上げた。

「行ってらっしゃい」

 何も言わない瑞の代わりに穹が言う。

 ちょっと出かけるのを見送る程度のような、軽い口調だった。

「れんげ――帰ってきてよっ」

 翠穂の口調は強かった。

 れんげは柔らかく微笑んで、翠穂にもらったキーケースと守弘にもらったコートを

手に、出て行った。



「――さてと」

 穹が口を開いた。

 相変わらず口調は日々の雑談のように軽い。

「聞き忘れていたけど、キミは?」

 と、守弘に寄り添うメルに声をかけた。

 メルは穹に気圧されたように守弘で半身を隠している。

「め……メル」

「何が変じたものかな?」

「――古い車のハンドルだよ」

 守弘が代わりに答え、「何も悪いことはしてない」と付け加える。

「波風立たないのが一番だね」

 穹は笑って答える。「どの口が言うか」と呟いた守弘に、

「古い、ね。なるほど。

 そんな機械ももう百年たつんだね。

 月日の流れるのは矢のようだ」

 と近付いて、その後ろのメルの額に右手を当てた。

「――ぃっ」

 メルの瞳に怯えが滲むが、穹が優しく頭を撫でると治まった。

「うん、いい子だ。

 メル、ね。とても端的でいい名じゃないか」

 続けて穹は対面になった翠穂を見る。

「キミは――人だね。

 れんげの友達?」

「国安翠穂。

 親友よ」

 翠穂は名乗って、逆に尋ねた。

「君は、れんげの手助けはしないの?」

 穹が声を上げて笑った。

「手助け、ね。

 ボクじゃ手助けにならないよ」

 お茶を自分で淹れる。

「足手まといになるだけだ。

 ――れんげが、、、、、ね」

「――え?」

 聞き返した翠穂に無邪気そうな笑みを向ける。

「そしてそれは、れんげの望むところじゃない。

 そんな事までは聞いていないかい?」

 翠穂の「わ、ムカつくガキだわぁ」という呟きを一笑に付して言う。

「れんげの意志を尊重して、傍観に徹してるのさ」

「でも――あんなデカいの」

「どうだろうね。

 キミたちで何か見出したんじゃないのかい?」

「あたしはよく解らなかったけど――うん、れんげは何か思うトコあったみたい」

「じゃあ、いいじゃないか」

 穹はまた、瑞の隣に戻って寛いだ姿勢をとる。

「キミたちがやきもきしたところで何もならないんじゃない?

 そうだろ、守弘くん」

 そう言って守弘に意味深な瞳を見せた。

 守弘は憮然としていたが、見上げるメルに気付いて緩く笑ってみせる。

 そのメルの蒼い眼を見ていて、ふと眉を寄せる。

「どうしたの? お兄ちゃん」

「――いや」

 守弘の中をぐるぐると、ある考えが泡立って渦を巻きはじめた。

「三原クン?」

 翠穂も覗き込む。

 それを最も楽しそうに見ていた穹が言う。

「答えはすぐそこにあるよ、三原守弘、、、、くん」

 瑞がぼそりと低い声を発した。

「――余計なことを」

「お前の不覚じゃないか」

 その瑞をまた肘で押す。

「まあ、お前の懸念は杞憂に終わる。十中八九ね」

 不意に、守弘の脳裏に先ほど穹が言った言葉が蘇った。


    ――れんげは自由だよ――


 守弘はもう一度メルを見て、不安げに小首を傾げた頭を撫でた。

 瑞と穹を見て、跳ねるように立ち上がる。

「どうしたのっ?」

 守弘はジャケットとグローブを手にしていた。

「行ってくる」

「ちょっと、三原クン!?」

 守弘はグローブをしながら穹を指差して言う。

「ムカつくガキだな、ったく。

 ――礼言う気にならねぇ」

「いらないよ、そんなの。

 せいぜい巻き添えくって死なないように尽力するんだね」

 穹はあくまで屈託のないような笑みを浮かべていた。

「ちょ、三原クンっ。

 何しようっての!?」



 守弘は、翠穂の声を背に<九十九堂>を飛び出した。

 バイクのスキール音が響き残った。

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