3章 妖と人

 2月5日(土)


 乾いた音が<九十九堂>の居間に響いた。

 れんげが、左の頬を押さえてうつむく。

 叩いた翠穂みほはあっけらかんとした顔で、にっと笑った。

 それまで――<九十九堂>に戻り、れんげの話を聞いている間はずっと、表情を変えなかったのを取り返すように爽やかな笑顔だった。

「これでいいわ、もう」

 翠穂はれんげがお茶を淹れた湯のみを取る。

「翠穂さん……」

 居間には、れんげと翠穂、茂林、守弘とメル、そして瑞が集まっていた。

『鬼』のオブジェとの初戦のあと、日はすっかり暮れていた。

 戻って、翠穂の手当てをした後すぐにれんげは自分のことを翠穂に包み隠さず打ち明け、茂林のことやメルのことなど翠穂からの一通りの質問も済み、ひと段落着いたところで翠穂がれんげの頬を張ったのだった。

 頭に包帯を巻いた翠穂は、手をひらひらと振って言う。

「今まで隠してたことがイヤなだけ。

 それも、これでチャラ。ね」

「翠穂さん、その――」

 れんげは頭を下げる。

「すみません……」

「もういいってば」

 と、翠穂はお茶を一口飲む。

「あたしってそんなに軽く見えるのかなぁ。

 言いふらさないよ、そんな」

「そうではなく――信じてもらえないかと」

 なるほど、と翠穂はさらに笑う。

「確かにいきなり言われても信じられないかも。

 でもま、アレ見ちゃったし、今までのこともなんかこれで説明つくし。

 納得したから、信じるよ」

 と、炬燵を囲む面々を見回す。

「三原クン――は人か。

 なんだか、いまだに不思議な感じよね」

 翠穂は制服のポケットから携帯電話を出していた。

「ねぇれんげ、ひとつお願い。

 今日泊めて」

 唐突だった。

 きょとんとするれんげに、笑顔のまま続ける。

「ケガのこともあるけど、れんげともっと、話したい」

「構いませんが……」

 控えめに承諾したれんげに「よっし」と頷き、翠穂は携帯電話を開いた。

 短いキー操作で、電話をかける。

「――あ、もしもしお母さん?

 今日友達のトコに泊まるから。

 ――高野さん。ほら、いつも言ってる。

 うん、うん、わかってる。

 じゃあ」

 家にかけていたようだ。

 手短に用件のみで電話を済ませる。

「そうと決まったら――あ、そうだ。

 三原クン、ひとつお使いしてもらっていい?」

 翠穂はれんげの隣でメルにくっつかれていた守弘に言う。

「駅前の『ノーチェ』って店に行ってきて、あたしの名前で取ってる物を受け取ってきてほしいの」

 守弘はれんげを見て、れんげと頷きあってから炬燵を抜けた。

「守弘さん、すみません。

 原付使ってください」

 れんげは翠穂の強引な押し引きをよく経験している。守弘もある程度は想像が追いついていたようで、れんげからキーケースを受け取った。

「あげたの、使ってくれてるんだ」

 翠穂が嬉しそうに言う。

 れんげがもらったばかりのキーケースには、家の鍵と原付の鍵が連なっていた。

「じゃあちょっと、行ってくる」

 コートを羽織って、守弘が居間を出た。

 翠穂のハイテンションは納まらず、れんげに言う。

「れんげ、晩ご飯どうするの?」

「考えてはいましたが……」

 指折る様子に翠穂が笑う。

「足りないんなら買いに行かない?

 あたしも作るの手伝うからさ」

「あ、あたしもっ」

 メルが手を挙げた。

「おっ、偉いね。

 えっと――メルちゃんか」

 翠穂が身を乗り出して、笑顔でメルの頭をなでた。



 六人で囲む夕食は、鍋になった。

 野菜と茸がメインで、翠穂が作った鶏団子が転がっている。

 ポン酢でさらっと食べる、シンプルな鍋だった。

「で、さ、れんげ」

 具材・第三ラウンドの中頃で翠穂が言った。

「あのオブジェはなんだったの?」

「はっきりとは判りません。

 妖物であることは間違いなさそうですが――」

 れんげは早々に自分の箸を置いて、鍋の世話に徹していた。

 そういえば、とれんげは思い出して言う。

「茂林。

 檜助ひのすけ韶響しょうきょうの気配は追えますか?」

 茂林は食事は人のほうが食べやすい、といつもの老爺姿でいる。

「そやなぁ。

 山じゅう歩き回ってた気配があるのと、陰陽の気がまだ安定してへんから読みにくいけど、何とかなる、かな」

「誰?」

「先日ここを訪ねてきた、付喪神です」

 言って、れんげは守弘に、ご飯のお代わりをよそって渡す。

「なんじゃ。

 性懲りもなくまだ好き放題しようというのか」

「瑞さま――そのようなことでは」

 瑞は、食事はほとんどとらずに湯呑みを持っていた。

「甘いな」

 と言い放つ。

「まあ、これ以上は言わんが。

 そういや、小娘、、も優しいものよの。怪我を負ってなお、あれだけで済ませるとは」

「小娘っ!?」

 翠穂が目を丸くする。

「それはヒドくない? えっと、瑞――さん。

 いくらなんでも失っ礼だわ。

 それに、れんげは大事な友達なの」

 瑞がからっと笑った。

「面白い娘じゃな。

 そういう気概は嫌いではないぞ」

 翠穂の言葉で、れんげが少し驚いた表情を見せてすぐ嬉しそうに微笑んだ。

 その翠穂はというと勢いよく鍋に箸を突っ込み、まだ愚痴をこぼしている。

 メルがテレビのリモコンを持っていた。

「れんげお姉ちゃん、つけていい?」

 守弘が頷いた。

「お、いいかもな。

 アレのことやってるんじゃないか」

 メルが嬉しそうに笑ってテレビをつける。

 守弘がローカルニュースにチャンネルを合わせた。

 折りしもニュースではオブジェの話題に触れていたが、それほど進展はなかった。

 全体像と動き出した時の混乱が何度か繰り返して放送される。

「上から見るといっそう、シュールよね……」

 翠穂の箸が止まる。

「あれが全部人が勝手に捨てたものなら、恨むのも解る気がする」

殊勝しゅしょうじゃな」

 瑞は事態を面白がるように言う。

「アレの奥に――妖物の匂いがしとった」

 と茂林。言いながら箸は活発に鍋の具材を攻略している。

「檜助というたか、この間来よった。

 さっきも言うたがヤツらの匂いも近いんや」

「関わっている、と考えるべきでしょうね……」

 れんげは小さい溜息を吐いた。

「何があったの?」

 翠穂の問いかけに、れんげは先日のことをかいつまんで説明する。

 テレビではローカルニュースは終わり、リモコンを手にしたメルがチャンネルを次々に変えていた。

 それを軽く嗜めてから、れんげは「信じてやりたかったのですが……」と残念そうに言う。

「甘いんじゃ、れんげは」

 瑞がまた言う。

「いいじゃない。優しい子だよ、れんげは」

 物怖じせずに翠穂が反論する。

 瑞が哄笑した。

 鍋はほぼ空になっていた。

 そこに、れんげがうどんを投入する。

 一旦蓋され、煮えるのを待つ茂林が呟いた。

「しかし、皆目見当がつかんのも困りモンやな……」

「そういやれんげ、ヤツの『手』落としてたよな」

 守弘が昼のことを思い起こして言う。

「あれは、斬った……のか?」

「あの時は……

 関節、というか接合部分なら弱いかと思ったのです。

 妙な手応えでした」

「確かに、斬れよったな」

 れんげが蓋を開けるのを茂林が待ち構えていた。

 それを制して、わっと湯気の立つ鍋にれんげは卵を落とす。

「家電とか、まだ新しそうなモンが変化したとは考えにくいし、アレの奥にいた奴の能力で集まってると思った方がええかもな」

 れんげが調味しながら卵を混ぜ終えるのとほぼ同時に、茂林の箸が鍋に入った。

 守弘も腰を浮かせる。

「そういえば、あの時何か綱のような物がちらりとだけ見えました。

 もとは、そういうものに関係する道具だったのかも知れないですね」

 れんげはメルにうどんとフォークを渡してから呟くように続ける。

「たとえば荷縄のような――『まとくくる』力が強まっている、とか」

「そんな事いちいち考えずとも、とっとと潰してゆけばよかろう」

 何杯めかのお茶を空けて、瑞が湯飲みを置いた。

 何か考え込むように少し黙った翠穂がまた、瑞にかみつく。

「れんげはれんげなりに頑張ってるんじゃないの?

 そんな言うならキミがやれば――――」

「いいんです、翠穂さん」

 れんげが割り込んで抑える。

「瑞さまは先ほどお話した通り、いわば上司ですから。

 ――私には、瑞さまほどの力はありませんゆえ」

 と、瑞に向けても言う。

「まあ、好きなようにやればよかろうがな」

 正体にほとんど関心を示さず、瑞は腰を上げた。

 鍋は今度こそ空になっていた。

「上におる」

「待って!」

 翠穂が引き止めた。

 居間の隅に置いていた、鍋の用意をする前に守弘が使いに行って受け取ってきた白い袋を取る。

『ノーチェ』とロゴが入っている。

 姫木駅前にあるケーキ屋だ。胡桃をふんだんに使ったケーキが名物で、ナッツ類もよく用いる。程よいクリームやチーズの甘さとナッツの香ばしさが適度に絡み合ったメニューに定評がある。

「わあ、『ノーチェ』だっ」

 きゃあ、と可愛い嬌声をメルがあげる。

「知ってるんだ? 乙女だね。

 ――れんげ、使って悪いけど鍋片付けてもらっていい?」

 れんげは微笑んで頷き、鍋と食器を集めて立った。

 台所へ行く。

 翠穂は取り出した大き目の箱を炬燵の真ん中に置いて、れんげを呼んだ。

「洗い物あとであたしも手伝うから、戻っといで。

 包丁持ってきてね」

 居間に戻ったれんげは、先ほどまで鍋のあったところに鎮座しているホールケーキに目を丸くした。

 生クリームが基調の白いケーキに、店の名に相応しく胡桃とナッツが散りばめられている。下半分はココアパウダーがかかっている他、デコレーションはシンプルに数種のベリーと、ケーキの中心にチョコレートのプレートがある程度だが、それがかえって素材の存在感を際立たせている。

 ご丁寧にも『HAPPY BIRTHDAY れんげ』と白く書かれたプレートと、綺麗に環状に並べられた十七本の蝋燭が、ケーキの素性を物語っていた。

 翠穂が立ったままのれんげにウインクして、座るよう促した。

「翠穂さん、これは――?」

「見ての通りのバースデイケーキ。

 だから行こう、って言ってたでしょ? あたしは有言実行なの」

 れんげを誘った時点でもう、このケーキを押さえていたようだ。

「こういうのはみんなで祝って、みんなで食べなきゃ。

 ほら、瑞さんも座って」

 翠穂はどこからかマッチを出していた。

「れんげ、本当は何歳なの? 百以上なんだよね。なんだか想像できないわ。

 百年以上前って幕末とか明治とか――あ」

 翠穂が何か思い出したように口に手をやった。

「日本史の授業、最近なんかやたらアンニュイな時があるのって――」

 れんげは苦笑する。

 翠穂は蝋燭に火を灯して、電気のスイッチに近かったメルに明かりを消すよう指示した。

 蝋燭の火だけが居間を照らす。

「昨日が誕生日だ、ってのはいいのよね?」

「それは――この姿になった、ということでなら。

 立春ですから。

 でも……」

「おっけー」

 ほのかな明かりの中、翠穂がれんげの言葉を遮った。

「こういうの、やったことない?」

 れんげは何をするのか解っていない様子で首を傾げた。

 実際のところ、誕生日を祝う習慣は戦後まであまり一般的ではなく、れんげが姿を変じた時代では年の初めに年齢を重ねる「数え歳」での数え方だったこともあり、れんげ自身に生まれ月日の概念は薄かった。

 年月日を決めたのは町に住むことになってからだ。

 れんげはそう言いかけ、翠穂が「でも、はダメ」と抑えて、蝋燭を示す。

「これから歌うから、歌い終わったられんげがロウソクの火を吹き消して。

 一息でね。

 三原クンも歌ってよ。あとは――メルちゃんは知ってる?」

 首を振るメルの頭を、翠穂は優しく撫でた。

「じゃあ教えながらいくから、一緒に歌おう。

 メルちゃんの誕生日も今度、やったげるからね。

 せーのっ」

 と、ゆっくりと歌い始めた。メルが半拍遅れでついて歌い、照れ臭そうにしながらも守弘も声を合わせる。

 歌が終わり、翠穂の合図に戸惑いながらもれんげが蝋燭の火を吹き消した。

 部屋が暗くなり、翠穂が小さく拍手する。

 守弘が、電気をつけた。

 再び明るくなる。

「さっ、ケーキ切って食べよう」

 翠穂が包丁を取った。手際よく蝋燭を抜いて六個に切り分ける。等分ではなく女性陣の方が若干大きめになっていた。

 れんげの分にはチョコプレートが置かれる。

「何というか――不思議な気分です」

「イヤじゃないんでしょ? だったらよかった」

 翠穂が弾けるような笑顔で、まだどこか困った表情のれんげに言う。

「れんげの十七歳――十七じゃないのか、まぁいいわ、百とか二百とかわかんないし。

 十七歳が、れんげにとってい一年になりますように。

 いいもんでしょ、ね?」

 れんげは昨日朝に感じたものが再び胸中にこみ上げてくるのを覚え、それを掴むように胸に抱いて頷いた。


□■□■□■


 約十メートルの高さにまで組みあがっていたものが、がらりと崩れた。

 驚声を上げて、すぐ近くにいた檜助が慌てて避ける。

 オブジェだったものが、廃棄物の小山になった。

 その頂上に、それらを組み上げ、操っていたものがいる。

「ふうむ……」

 檜助に巻き付いている韶響が呟く。

「御しきれなかったとはいえ、なかなかの登場っぷりじゃねぇか」

「――次は、もっと」

 応えた『怪王』の声は低く唸るような音に変わりはないが、変化したてのときよりは流暢になっていた。

「制しきれる大きさにすればよかろう。

 で、力試しに山を降りるのもいいさね」

 檜助は上機嫌だった。

 塵塚怪王、と韶響が名付けたものは檜助の言葉に応じるように声を上げ、小山にしゅるしゅると縄状の『手』を伸ばしはじめた。

 ごん、ごつん、と『体』を再び組み始める。

「まったく、器用なものさな」

「それがこやつの能力なのだから、鍛えねばな」

「なるほど」

 などと檜助と韶響が言っている間に塵塚怪王は周囲のものを寄せ、体の再構成を続けていた。

「それより、気付いたか、檜助」

 韶響は檜助の肉厚の肩に頭を乗せているが、声には警戒心がこもっていた。

「蓮華刀の近くに――鬼がおった」

「――なに?」

 檜助が聞き返し、韶響はもう一度言う。

 檜助の瞳に、目に見えて恐怖と狼狽が湧いた。

「一匹だったが、油断はならねぇ。

 そのためにもこやつを使えるようにせねば」

「いやはや、まったくさね」

 檜助は指の骨を鳴らし、小山の上に呼びかけた。

「どんな塩梅さね」

「見て、おれ。

 昼に来、よった輩も――今度は逃がさん」

「それは頼もしい。

 しかし油断はするなよ。鬼がおる」

「鬼……?」

「そうか、知らんのか」

 韶響が笑声をあげた。

「強い妖力ちからのある敵だ。

 それだけ解ってりゃいい」

「そんなもの、おれが――」

 塵塚怪王はできあがった右腕――昨日につくったものより細いが華奢な細さではなく、無駄を省いたスリムな造作になっていた――を軽く振った。

 ぶうん、と低く空を切る音を伴って、一本の木を叩き折る。

 鈍重な印象はなかった。

「潰す、ッ。

 おれたちを捨て、た人間どもも。

 人間、に味方する愚かな妖、も」

 頭部の造りはほとんど変わりなかった。

 塵塚怪王は怒りを表すように吼える。

 韶響が囃子を奏で、檜助が手拍子を打ってそれに続いた。

「また来たら今度こそ返り討ちぞ、蓮華刀ッ!」

 下弦から半分ほど欠けた月が鈍く輝いていた。


□■□■□■


「――れんげ、またアレと戦うの?」

「やむを得ない場合には。

 できれば避けたいのですが……」

 れんげは哀しそうに微笑んだ。

 夜半すぎ。

 れんげと翠穂はれんげの部屋にいた。ケーキを皆で囲んだあとの片付けなども済ませ、風呂のあと、ふたりで部屋に移っていた。

 守弘は帰っていた。

 持ち込んだポットと急須と茶葉の缶、それに菓子が、夜更かしを想起させる。

「メルちゃんは聞いたけど、そういえばれんげのお姉さん、って言ってた人は?

 あのお姉さんも、その――」

「ええ。

 揚羽姉さまは私より数年早く、私を作ったのと同じ刀工に作られた刀です」

 翠穂は学校のジャージ姿、れんげは寝巻きにしている簡素な着物で座っている。

 二人分の制服が仲良く壁に並んでいた。

「そっか」

 翠穂は菓子をつまみながら言う。

「さっき思ってたんだけど、年末に来てたバーカー先生も……妖怪がらみだったりするの?」

 れんげはまだ湯気を立てている湯呑みに目を落とす。

「バーカーさんは……古い、焚書された聖書の思念が生んだもの、です」

「やっぱりかぁ~」

 翠穂がおどけたような溜息をこぼした。

「あの時、超美形教師って浮かれたのになぁ……

 駅で先生と話してから家のベッドの間の記憶がな――――」

 翠穂は不意に口を止めて、頬を赤らめた。

 両手で火照りを抑えて早口で続ける。

「な、ないからヘンだなと思ってたんだ。そっかぁ、そう知ったらなんだか納得だわ」

 れんげはすまなそうに頷いた。

「色々、巻き込んでしまっていてすみません……」

「ん、それはいいんだけどね」

 翠穂は落ち着きを戻しつつ言う。

「何ていうか、事が起こる前に知りたかったな、れんげのこと」

「怖く――ないのですか?

 あるいは異端のものを奇異に思わないのですか?」

 れんげの口調は穏やかだったが、驚きが滲んでいた。

「れんげだもん」

 からっ、と翠穂が笑う。

「そりゃまだ情報の整理ができきれてないし、戸惑ってるというかなんだか変な気持ちなトコはあるけど――れんげだから」

「でも、私は人とは違う力を持っていますし、人の害をなす妖物も多いですし――」

「迫害されたいの?」

 れんげは大きくかぶりを振った。

「嬉しいのです。

 嬉しいのですけど、それがかえって私は怖いのです」

「あたしは」

 翠穂は真剣な眼差しで、れんげをまっすぐに見つめた。

「れんげのこと、友達だと思ってる」

「翠穂さん……」

「人にだって悪いことするヤツいっぱいいるよ。

 そんな人とか、いい加減でだらしない人間より、真面目で正直で天然気味の妖怪の方があたしは好きだな。

 妖怪だから、ってだけで急に態度変えたりしないよ。いきなり初対面で襲われたらビビるけど、れんげはそうじゃないから。

 それにれんげとはさ、一年以上同じ学校で同じクラスにいて、最近やっと話すようになって、『人となり』っての? ちょっと解ってきてるのに、人じゃないってコトだけでそんな、ねぇ?

 こっぴどく裏切られたらキレるけど、そういうワケじゃないしさ。

 それか『秘密を知られたからには~ッ』て、あたしを襲う?」

 れんげは目を丸くして、もう一度首を横に強く振る。

 風呂も済まし、お下げを解いた髪が左右に踊る。

 翠穂がにっ、と歯を見せた。

「でしょ?

 だったら怖いワケないじゃない。

 あたしにとってれんげはそんな、『怖い妖怪』じゃないよ。

 だから、今日はじめてそのことを知れて嬉しいの。

 今まで知らなかった――言ってくれなかったことがちょっと悲しいの」

 翠穂はだから叩いちゃった、と謝る。

 それから、

「まぁでも、言えないかぁ」

 と肩をすくめて笑い声をあげた。

「翠穂さん……」

 何度目か、れんげは友人の名前だけを呟いた。

「あたしは思ってたけど――

 れんげは、人だよ。

 人以上に人らしいかも」

 翠穂は笑顔を絶やさずに言う。

「人に、憧れてはいますけど――

 守弘さんにも同じこと言われました」

「でしょ? れんげのこと知ってたら、誰もがそう言うって」

 翠穂はれんげを抱き締めた。

「これからもよろしくね、れんげ」



 菓子とポットの湯がなくなるまでれんげと翠穂はお喋りを続け、翠穂が眠りについたのは日付が変わってからだった。


□■□■□■


 2月6日(日)


 草木も眠る、と云われる時間帯。

 れんげは翠穂を起こさないようそっと寝床を出て、寝巻き姿の上にスクールコートを羽織って、独鈷杵と数珠を手に<九十九堂>を出た。

 急いで結ったために乱雑気味になったお下げ髪が揺れる。

 足元に茂林がいた。

 茂林がこっそりと、例の気配に動きがあったことをれんげに伝え、深夜の行動となった。

 原付を十メートルほど離れたところまで押してゆき、エンジンをかける。

 軽快なエンジン音がれんげに応え、ステップに茂林が乗った。

 ヘルメットをきちっと被ってかられんげは原付を発進させる。

「――れんげちゃん」

 足元から茂林がれんげを見上げていた。

ほだされすぎたら、力鈍るで」

「……わかってます」

 れんげは強めに唇を結ぶ。

 原付は国道を走って山道へ入る。

 クリーンセンター方面と山越えで隣町への分岐にさしかかった所に、瑞がいた。

「見ておれんわ。

 人に染まりおって」

 れんげに、人の暮らしを許可したはずの瑞がそう言ってれんげを見る。

「務めは必ず、果たします」

 意志の強い瞳でれんげは答え、原付から片足を降ろした。

 その時だった。

 木々の破砕される音が遠くにした。

「行きます――っ」

 れんげは原付に乗り直してスロットルを回した。

 瑞を残して、音のした方角へ走り出す。

 瑞は揶揄のようににやりと笑って、れんげのあとをゆっくりと追った。



 昼に見たものとは、かなり様相が違っていた。

 薄い月明かりの下、十メートルはあった身長はやや小さくなっていたが、ただごて、、ごて、、とパーツをつなぎ合わせただけだった、ずんぐりとしていた体や手足は機能に適うような形に整えられていた。

 頭部だけがあまり変わっていないのが、同じものだと主張している。

 比べ物にならないほどの動きで、道なき道を町に向かって進んでいた。

「マズいな……強くなっとる」

 れんげと茂林は原付を降りた。

「あの体――再構成できるようですね」

 慎重にれんげと茂林は正面に回り込もうと試みる。

「厄介やな。

 で、やっぱり、アレの中に妖物の気配がある。それも昼より強くなっとる」

「どうにかして、そこに辿り着かないとなりませんね」

 れんげが独鈷杵を強く握る。

 二人に、木を折り倒し、道を拓いて歩いていたそれ――塵塚怪王が気付いた。

 足を止める。

「お前、らは」

 低い唸り声が漏れる。

「あなたは何が変じ、他の物を集めたのですか。

 これから――山を降りて、あなたは何をするのですか」

 れんげも茂林も、塵塚怪王という名を知らなかった。

「知れ、たこと」

 怪王はれんげを睥睨して言う。

「復讐を、ッ」

「――まだ、そんなことをっ」

 れんげは怪王の正面に立つ。

 怪王が倒して移動していたせいで、森の中に小さな空間ができていた。

「その機器たちをそそのかし、操って、人の世を乱して何になるのですかっ。

 それが真に、あなたの望みですかっ」

 怪王の『目』に臆することなく、れんげは強く続ける。

「あなたは――」

 怪王が左腕を振り上げた。

 地を叩く。

「速いっ!」

 れんげと茂林は左右に跳んで避けるが、動きの違いに驚きの声を上げた。

「邪魔、をするな」

「復讐など、するものでは――」

 れんげの言葉は拳で遮られた。回避が間に合わないと覚ったれんげは独鈷杵で受ける。

 拳は電子レンジだった。

 れんげが受けるとその蓋ががつんと開いた。

 咄嗟にれんげが姿勢を低くした上を何かがかすめる。

 欠けた皿が数枚飛んでいた。

「おやめなさいっ!」

 れんげは鉈刃に変えた右腕で電子レンジの拳と、腕になっている冷蔵庫の継ぎ目を狙う。

 伝わる手応えは堅かった。

 茂林が右腕に取り付き、頭部に向かって駆け上ろうとする。

「復讐などして何になるのですかっ。

 捨てられるのも因果です。

 仇を恩で返してこそ、報われるのですっ」

「無駄だな」

 れんげのすぐ近くに、瑞が現れた。

「聞き入れる様子がないではないか。

 さっさと潰してしまえ」

 自分のほうに来た左の拳を軽くかわして言う。

「しかし――っ」

 れんげの訴えるような調子の否定語に瑞は笑って、大きく跳んでれんげから離れた。

「怪王、あれは鬼だッ」

 どこからか濁った胴間声がした。

「――檜助っ!?」

 その声に一瞬気を取られたれんげは怪王に振り払われそうになり、辛うじて留まった。

 茂林が布状のものに化け、怪王の頭部を包む。

 れんげが、怪王の左拳の電子レンジを切り離した。

 接合させていた縄の先端が数本踊る。

「この、ッ。

 鬱陶、しい真、似をッ」

 縄が伸びた。触手のようにうねうねと踊り、その一本がれんげに切り離された電子レンジに絡みつく。

 怪王は掴んだレンジをそのまま振り回した。

 拳と違う不規則な動きにれんげは翻弄される。

「れんげちゃん!」

 視界を奪っている茂林が叫ぶ。

 怪王が右腕を不規則に振り回した。

 飛び回るレンジをかわすれんげの背に当たる。

「ああっ!」

 れんげが殴り飛ばされる。

 茂林が怪王の肩から飛び降りた。途中巨大な鎚に姿を変え、怪王の右拳になっているマッサージチェアを叩いた。

 そのまま地面に転がって、狸に戻る。

「ぁいたた……

 れんげちゃん、大丈夫かッ」

「問題ありません――っ」

 れんげが跳ね起きた。

 茂林が叩いた椅子が怪王から分かれて落ちる。

 右腕の先も左同様、数本の縄になる。

「お前たち――邪魔だ、ッ」

 怒りを露わにした声で怪王は唸り、両腕の縄を木々の奥に向かわせた。

「これで、も――喰、らえッ!!」

 体を捻って両腕で持ってきたのは、車だった。

 古いコンパクトカーだ。

 やはり不法投棄されていたらしいそれは錆傷と凹みでぼろぼろになった車体で、見るも無残な姿だった。

 ごう、と怪王が吼える。

 両手の縄に掴まれた車は水平に振り回され、れんげを襲う。

「きゃあっ!」

 れんげは避けきれなかった。軽々と飛んで地面に叩きつけられ、気絶する。

 茂林が駆け寄った。

 れんげをはねた車はそのままの速度でその先にいた瑞に向かう。

 が、

「な、ッ……?」

 怪王が唸る。

 瑞が笑う。

 瑞は車を交差させた両腕で止めていた。

 ほとんど位置を変えていない。

 車は鈍い音を立てて地を突いた。

「このッ!」

 怪王が腕を振る。

 怪王の縄に操られた車がふわっと浮き、真下の瑞に落下した。

 それも瑞は止め、無造作に放る。

 車がバンパーを残して再度浮き上がった。

 ふたたび、瑞を襲う。

 瑞は、今度は広げた両手で受け止めた。

 余裕の笑みで言う。

「惜しいな。

 お返しだ」

 と、車を怪王に向かって投げた。

 車が怪王の胴に命中する。燃料タンクが割れ、まだ残っていたらしい中身が血のように弾けた。

 そこに、まだ縄の一本が掴んだままだった電子レンジが追いついた。

 車の底面にぶつかり、火花を飛ばす――と、轟音が響いた。

「なにッ!?」

 熱風にれんげは目を覚ます。

 燃料に引火した炎で怪王の構成物が誘爆し、弾かれた車の半分と怪王の一部が勢いを増して瑞に降った。

 捌きれず、次々に降るもので瑞が埋まる。そこに更に火の玉が落ちてきて、小さく爆発が起こる。

 周囲が橙に照らされた。

「瑞さまっ!」

 れんげがふらつきつつもその小山に近付く。

 胴の半分を抉られていた怪王が崩れ落ちた。

 動かなくなる。

「ええい、またかよッ」

 三味線囃子を伴った声――韶響だった。

 しかしれんげはそれには注意を払えず、焼けて、器物だったものが残骸となったその下に覗いていた少年の細腕を無理矢理に引っ張り出した。

 瑞は動かない。

 ただの少年が眠っているようだったが、左半身が大きく灼けている。

「瑞さまっ!」

 れんげの中で『何か』が弾けた。

 しかしれんげはそれに気付いた様子はなく、必死で瑞に呼びかける。

 瑞が目を開けた。

「――不覚をとった」

 尊大な口調は変わらず、瞳に怒りを浮かべている。

「あんな者に傷を負わせられるとはな」

「れんげちゃん」

 茂林がれんげの足元に来ていた。

「ヤツの気配、また弱まりよった。さっきのはかなり効いたみたいや――くたばりよったかも知れん」

 れんげは頷いて、瑞を背負った。

「――戻りましょう」

 言ってから、崩れた怪王とその奥の森を見て声を強く上げる。

「檜助! 韶響! 聞こえているのでしょう!

 こんなことをしているのはあなたたちですかっ! この者を誑かし、悪い道へ引き込んだのはあなたたちですかっ!

 あの時私に言ったのは嘘ですか!

 出てきなさい!」

 返事はなかった。

「追わぬのか」

 腰の落ちるのを何とか堪えているれんげの背で、瑞が言う。

「一旦、体勢を立て直します。

 檜助と韶響ならまた追えますから――」

 れんげはもう一度、かつての同輩に呼びかける。

「こんなことをしていてはいつか必ず、仏罰が下ります!

 もう、おやめなさいっ!」

 やはり返事はなかったが、微かに三味線を奏でたような音がした。



 空が、白じんできていた。

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