人狼

見栄


人狼

                  


昔とある村で、狼が夜な夜な村人を喰らっているという噂が流れていた。しかもその狼は、昼は村人になりすまし、夜になると村人が眠っているときに一人ずつ食べていく人狼であるという。

村人たちはこれ以上人狼からの被害が出ないようにするため、人狼と疑われる「怪しい者」を次々に殺めようと考えた。しかし、何人かの怪しい者を殺していったが、人狼の被害はなお続き、なかなか人狼は見つからない。


「私は人狼などではない! 妻と娘のもとに返してくれ! 私がいなくなったら、あいつらは将来どうやって暮らしていくというのだ!」

「もう……、決まったことだ。悪いが、村の平穏のためを思って、殺されてくれ……」

お父さん、お父さん! と幼い子供が、泣きじゃくりながら父を何度も呼ぶ。その妻もシクシクと泣いて、子供を抱きしめた。村人たちはその家族の姿に心を少し痛めた。しかし人狼の疑いの強い者は、村人たちの投票によって処刑される、それが村の決定事項であった。誰であろうと選ばれたものは殺される。例外は認められない。

そのうち、男の叫び声はしなくなり、その妻と娘のすすり泣く声だけが村じゅうに響き渡った。


             ◇


 

狼が人を喰っていることが発覚した日から一週間。人狼に喰われた者と村から処刑された者を含めて、八人目の犠牲者が出た、と村から報告のあった日の晩のことである。


「もう八人目だな」

「はい……、はやく人狼が見つかるといいですね」

 言葉を交わし合う二人は村の中で最も若い、結ばれたばかりの新婚の夫婦であった。女がとなり町に向かう途中の道で脚をくじき、困っている女を助けた人物こそが、今の女の旦那である。となり町で猟師をしているという男は、家族もなく独身であったため、女の住む町に引っ越し、結婚したという。

二人が話す話題は、やはり人狼についてである。七日目にしてもう八人。新婚の夫婦という幸せの絶頂期だからといって、その二人も人狼や村の処刑の対象から外されることはない。その夫婦は夜な夜な人狼に怯えていた。

「隣の酒屋の主人も殺された」

「酒屋のご主人は……人狼に喰われたのではなくて」

「ああ、村からの処刑だ。……もちろん、主人は狼なんかじゃあなかった」

「酒屋の家族は、主人が処刑されると決まったとき、どれだけ辛い思いをされていたのでしょう。娘さんもまだ物心つく前の可愛らしい子であったのに」

女は悲しげな表情を見せ、男の着物の袖をギュッと掴んだ。男はその手を優しく重ねて、静かに呟いた。

「なあ、……もしおれが人狼だとしたら、お前はどうする?」

女は突然の夫の言葉に驚いた。男がどんな表情をしているのか気になって、男の顔を見る。

男は優しく笑っていた。それに安心して、女はすぐにいつもの穏やかな笑顔を取り戻し、男と同じようにクスリと笑ってみせた。

「ふふ、変ね。貴方が人狼のはずがないじゃない。貴方は優しい人よ。私の、愛しくてとっても大切な人」

「……ああ」

彼は、冗談を言うような性格であったろうか? 冗談にしたってもっと笑えるような話が聞きたかった。しかし、彼の意外な一面を見ることができたと思うと、女は男の言葉を嬉しく感じた。


二人は顔を見合わせて、ふふ、とお互いに笑った。幸せでたまらないのである。風が家の隙間を通り抜けて、ゴトゴトと音をたてるが、火をくべた囲炉裏のおかげで部屋じゅうが暖かく、二人の身体が夜風に冷やされることはなかった。

魚に程よく火が通り、男は女の分まで焼けた魚を手渡す。女もまた、煮えた鍋の具を茶碗で二人分取り分け、男に「熱いですよ」と声をかけて手渡した。

女はふと、彼と出会ったときのことを思い出す。


 珍しく隣町へ買い物に出かけた道の途中。地元では滅多に流通することはない薬草を見かけた。その薬草は道の下の岩場にあった。女は手を伸ばして薬草を摘もうと試みたが、ギリギリのところで手が届かない。岩場に足をかけた途端、足元が崩れ、三メートル下の山道に落ちた。元きた道に戻るため立ち上がろうとしたが、足をくじいて立つこともできない。

そこに男が現れた。弓矢を持っているので、猟師だろうと推測できる。

「……! どうした?」

「ええと、その……」

自分のドジで足をくじいた、なんて恥ずかしくて言えない。

「足を痛めたのか」

「えっ!」

 何も伝えていないが、男は様子を察すると、女の前でしゃがんだ。

「歩けないだろう、近くの医者のところまでおぶって行く」

「そんな! 申し訳が……」

「構わない、さあ早く」

彼の、不器用だが優しい性格が女を安心させる。これが若い夫婦の馴れ初めであった。

彼の優しさは今でも変わらない。これから彼と暮らしていく未来を見据えて嬉しさを感じる。


二人は食事を終え、女は二人分の皿を洗い、女の様子を男はじっと見ていた。心地の良い沈黙だったが、男は独り言を言うように呟いた。


「狼はな、一度妻を持つと最後まで側にいるらしい。例え、その伴侶を亡くしたとしても新しい女をつくらないんだと」

「へえ、素敵」

「よかった、よかったな。人に生まれて。もしおれが殺されても、お前はおれよりももっと男前な、良い夫を持てる。……幸せに生きろよ」

「何を言っているの! 貴方は優しい人よ。人狼にも喰われず、皆にも殺されずに済むに決まっているわ」

 女は男の言葉にゾッとして、慌てて言った。男のその言い方は、まるでこれから殺されることを知っていて、女へ向けた遺書を読み上げているようではないか。



男は、慌てる女をなだめるように彼女の髪をかき撫でて、ニッコリと微笑んだ。家の隙間から外を眺める。男のまっすぐで澄んだ目は、うつくしく光る月を映していた。


翌日、男の処刑が決定した。

女と結婚する前は他の村に住んでいたという余所者の男である。疑われるのも無理はなかった。女は自分の大切な夫が殺されるのが耐え切れず、涙を流しながら夫の処刑を止めさせるよう村人たちに訴えた。しかし女の訴えも虚しく、男は首を吊って死んだ。

男が処刑されたその次の日から人狼の被害はピタリと止んだ。男は人狼だったのだ。村人たちは、「ああよかった」「これで安心して眠ることができる」などと嬉しさを口にしたが、女の心が晴れることはなかった。例え彼が人狼だったとしても、愛していたのだ。

先日の夫の言葉を思い出す。

『なあ、もしおれが人狼だとしたら、どうする?』


――私はずっと、貴方のお側にいます。貴方が死ぬ前の晩に話してくれた狼の話のように、将来を誓った伴侶とずっと一緒に居たいのです。


             ◇


数日後、人狼による九人目の被害者が出た。殺されたその女は、人狼によって「心」を喰われたという。女も人狼であったのではないか? そう考える者は何人か居たが、平和を取り戻した村は人狼のことを次第に忘れてしまった。


そうして村は平穏を取り戻し、何事もなかったかのように日常に戻っていった。

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