VP2『あの日君に会えたから。』

Project.森内

『あの日君に会えたから。』

 たとえば。


 兄弟と血がつながっていなかったり、隣のクラスに超絶美少女が転校して来たり、近所に謎の豪邸が建ったり――。

 こういうことが、絶対に起こらないとは言い切れない訳で。

 事件のニオイなんて、どこからでもしてくる訳で。


 人生――いや、日常っていうのは、実にサスペンスだと思う。




『あの日君に会えたから。』  著:森内まさる



   《Before 8 years》



「あーあ、ヒマだなー」


 アメリカ合衆国私立フリードマン学院高等部。広大な中庭の片隅にそびえるカシの木の上で、ルッカ=キングストンは大きな欠伸を漏らした。昼下がりのポカポカ陽気の下、満腹状態の身を襲う睡魔を撃退する術など、無い。

 クラスメイト達は今頃、教室で華やかなおしゃべりを繰り広げていることだろう。生憎、そういうのは自分には向いてないというのを、ルッカは自覚している。こうやって太陽の下で大木に抱かれている方が心地よい。


(お嬢様失格……かな)


 柄にもなく自虐してみた直後、制服で木登りなんてしている時点でそもそもレディ失格だな、と一人吹き出す。

 渡り廊下に人の気配がした。

 生徒会に見つかりでもしたらマズイと、慌てて体を起こす。と、今まで全く気が付かなかったが、すぐ真下。木のそばに人が立っていた。

 見覚えのある男子の制服に、見覚えのない顔。向こうも不思議そうにこちらを見上げている。


(誰だろ……ていうか私、今スカート……あっちゃー)


***


 さすがは金持ちの集まる有名私立だと思った。

 敷地は馬鹿でかいし、制服も壮麗。すれ違う生徒は本物の子息令嬢ばかりだ。どうも生きる世界が違う。


「なぁアラン。聞いてんのか!」


 ここに転校してから、やたらと自分に絡んでくるお坊ちゃんだ。出会った瞬間に「お調子メガネ」と名付けた。


「この先が部室棟だぜ。ま、アランは部活に入るようには見えねーけどな」


 確かに興味は無い。


「俺以外にも友達作っとけよ!」


 余計なお世話だ。そもそも友達になった憶えも無い。


「……おい、ジョー。庭しか見えないが」


 部室棟なんてものはジョーが指した先には無く、青々とした芝生が広がっているだけだった。

 アラン=エヴァンス――他人を寄せ付けない鋭い眼は、他人との関わり合いを避けたいというアランの意思表示でもある。しかし、理解できないことをそのままにするのもまた、良しとしない性格であった。結果として、転校後で分からないことばかりのこの時期に、しつこく話しかけてくるジョーに色々と質問しなくてはいけない羽目になっている。


「その中庭の向こうだ。ほら、木の陰に半分隠れてるけど見えるだろ?」


 目を凝らすと確かにそれらしい建物が見えた。特に視力が悪いわけではない。ということは……どうやら中庭の規模もまた、馬鹿みたいに広いようだ。


《生徒会執行部です。春季企画会議を予定通り行います。役員は速やかに第二会議室まで――》


 校内放送だ。


「おっ……と、もう時間か。悪いなアラン、とりあえず案内はここまでだ。じゃあまた教室でな」


 返事も待たずにジョーは駆け出していった。まぁ返事するつもりなど無かったのだが。一年生で生徒会役員入りとは、ジョーはあれでなかなか凄い人間なのかもしれない。が、アランにとっては今のところ、ただの「お調子メガネ」であることに変わりない。

 さて、部室棟に興味は無い。教室に戻ったところで誰も寄り付かない。


「中庭、か」


 人気のないところを無意識に望んでいるのだろうか。ごく自然に中庭へと入っていった。空は突き抜けるような晴天だ。その辺の木の陰で昼寝でもしたら、きっと気持ちいいに……違いな……い?


「…………」


 ふと木を見上げただけだった。なぜだろう、少女がいた。


「「…………」」


 バッチリ目が合う。そして少女の起こした次の行動は、アランの予想を少しばかり超えていた。



 飛び降りたのだ、その少女は。




   《After 8 years》



 その日。ハドソン川の縁沿いにある小さな雑誌社「ヴァーミリオン・プレス」は――朝から暇を持て余していた。


「うわ、ルッカ先輩がコラム書いてる……。しかもお料理コラムときましたか……」


 ものすごく嫌な顔でルッカのデスクを覗き込んできたのは、直弟子として叩き上げたアイザック=マクスウェルだ。


「黙らっしゃいザック。現在進行形でコーヒーに酢を差してるようなキミに、文句言われる筋合いは……無い」


 言い終わると同時に書き上げる。


「やですね。僕は流行の『ちょい足し』を実践してるだけですよ」


 ちょい足しの内容に問題があるだろ!

 無駄なエネルギーを使いたくなかったので、ツッコミは心の中に留めることにした。


「それにしても、早く自由に取材できるようにならないですかね。半年前みたいに」


 暗い水面を眺めているザックの口から、ポツリと漏れた。その呟きを拾ったルッカもまた、遠くを見る目になる。



 半年前――アジア系マフィア金石ジンシー貿易公司の内部崩壊から端を発した一連の事件は、このマンハッタンの街に深い傷跡を残した。

 二大マフィアによって抑圧されていた小規模の犯罪組織が、冬籠りから覚醒した虫のように活動を始めたのである。その多くは規模としては小さいものの、ログローシノや金石のように統率はとれておらず、さらに数が多いので組織同士の小競り合いも頻発した。そうなれば必然、街中での犯罪件数は増加の一途を辿り、一般市民が巻き込まれることも珍しくなくなる。結果として市警のマフィア対策本部は解散されることはなく、それどころか体制強化の運びとなった。

 奇しくも、巨大マフィアが街の秩序を維持していたのである。裏社会のパワーバランスの崩壊は、そのまま表社会の治安の崩壊に繋がった。


(さてさて、今日も表はドンパチ騒ぎ。さっさと解散してくれないかねぇ……)


 金石事件にプレスは一枚どころではない噛み方をしている。特にログローシノ一家の弱体化に関しては、子飼いの組織から少なからず逆恨みを食っている状態だ。

 そんなこんなで、よく奴らはプレス事務所の周辺にたむろする。


「鉢合わせるって分かってて、毎回ここに来るんですよね」


 子飼いの組織と言っても、互いに仲が良いわけではない。目が合い、因縁を付け合い、殴り合い、警察沙汰になる。結果、プレス周辺は規制され、記者は自由に取材に行けなくなるのだ。



「まったく、警察アランも毎日ご苦労だなぁ」




   《Before 8 years》



 ――ドサッ。

 という表現でいいのだろうか。木の上での昼寝がバレたとかスカートの中を見られそうになったとかそういうのではなく、なんというか全体的総体的に混乱した結果、木の上からダイブするという選択をした。


「おい……これは一体、何の真似だ」


 その選択は最悪なことに、知らない男子の上に着地という結果を迎えた。もし自分が自分を見ていたら、面白がって絶対に校内新聞の一面に採用するだろう。シュールな思い付きに、思わず吹き出した。


「怪我をしてないのなら、さっさとどけ!」


 知らない男子はルッカを片腕だけで持ち上げ、ものすごく怒った様子でのしのし歩き、校舎へと消えていった。


「おっきい人だったなぁ……」


***


「あっひゃっはっはっひゃ!」


 眠気を抑えながら午後の授業を耐え抜き、その先でアランを待っていたのは、ジョーの止まらない笑いだった。


「……もういい加減にしろ」


 目尻に涙をためながら、ヒューヒュー言いつつ息を整えて、顔をこちらに向けて応えてくる。


「だってよ……くくっ……なんだよその話……ぷっ……お前が冗談好きな奴とは思わなかったぜ……さすがによ……っ……」


 こいつに昼休みのことを話したのが間違いだった、とアランは深く反省した。それはそれは猛省した。

 まだ小刻みに肩を揺らしているジョーを尻目に、さっさと帰り支度を始める。すると、教室の扉が勢いよく開いた。


「ちわーっす! 新聞部でーっす! 生徒会のジョナサン=マーキス君いますかーっ!?」


 あ、あいつは……!


***


 クラスメイトのマーシャ=ソルフェリノは豊満な身体の持ち主だ。とても同い年だとは思えない。揉めば大きくなるという話を聞いたので、自分で試してみようかと思ったが、そもそも揉むふくらみが無かった。


「どうしたの~? ルッカちゃん難しい顔してる~」


 ふに~っ、と頬をつねられる。


「あーうー、はなひへよーまーひゃー」


 こんなやり取りができるのは、クラスメイトの中でもマーシャだけだ。けれどやはり、どこかにお嬢様らしさがある。そしてあふれ出る母性は……。


「……やはり乳のせいか」

「ん~? あ、そうだルッカちゃん。今日はジョー君のところに行くんじゃなかったの~?」


 言われて思い出した。ルッカよりも抜けていると見えて、実のところ意外としっかりしている。


「ふあっ! すっかり忘れてた!」


 急いで準備をして隣の教室へ行く。我が新聞部の存亡がかかっているのだ。忘れるとは情けない。

 元気よく扉を開いて、一声。


「ちわーっす! 新聞部でーっす! 生徒会のジョナサン=マーキス君いますかーっ!?」


 当然のように、後ろにはマーシャが付いてきていた。

 さて、ジョーはどこかな……と。目的の人物の代わりに、知っている顔の知らない男子を見つけた。


「あー! 昼間のおっきいヤツ!」

「中庭の……!」


 その応酬を見て一瞬で理解したのか、ジョーが笑い上戸を爆発させた。しばらくして笑いが収まった後――いや、小さく吹き出したりして完全に収まってはいないが――ジョーは二人の間に立ち、紹介をし出した。

 男子の名前はアラン。転校生らしい。


「で、こっちがルッカ=キングストンにマーシャ=ソルフェリノ」

「よろしくね~、アラン君。ルッカちゃんとジョー君とは中等部からのお友達なの~」


 ルッカよりも先に、マーシャが歩み出た。


「ソルフェリノ……って、まさか銀行グループのソルフェリノか?」


 本当に金持ちばっかなんだな、とアランが溜息を吐いて呆れる。


「中庭のあんたはキングストンっていうのか……」


 考えるポーズをとったアランを、ルッカが自らさえぎる。


「あ! うちはマーシャのとこみたいに有名じゃないから!」


 が、言い終わるかどうかのうちに「キングストン総合運輸だな」と正解を当ててきた。


「へー、詳しいねぇ。私んちは結構マイナーなのに」


 ルッカの祖父が立ち上げ、最近になって財界に台頭してきた、いわば新興財閥だ。


「っと、そろそろ本題に移らないとな」


 そういうとジョーはルッカを椅子に座るよう促し、反対側に向かい合った。


「春季企画のミス・フリードマンコンテストにおいて、一定の評価足り得る報道を行うこと――以上が、生徒会執行部が提示した新聞部復活の条件だ」


***


 キングストン総合運輸に、ルッカ=キングストン……アランが知らない訳がなかった。


(「詳しいね」か……向こうは憶えてないんだな……)


 聞けばルッカは廃部になっている新聞部をどうにか復活させようと奮闘中らしい。


「ルッカちゃんはね~、もう高等部全員の顔と名前を把握してるの~。知らないのは、転校してきたアラン君の事だけだったみたいね~」


 さらにルッカは好奇心が服を着て歩いてるようなもので、中等部の頃は何でもかんでも野次馬していたらしい。そのうち発信することの楽しさに気付き、高等部から新聞部に入部しようとするも、部員数ゼロで廃部になっていたというわけである。

 別に聞く気は無かったのだが、マーシャが間の抜けた声で懇切丁寧に教えてくれた。


「とにかく、ミスコンを記事にして認められれば良いってことだよね!」


 突然ルッカが椅子から立ち上がる。


「うーん、実録式のドキュメンタリー風が無難かな……? そうと決まればさっそく取材準備! 優勝候補のリスト作んなきゃ! あ、ジョー。あとで出場予定の生徒教えてよね!」


 それじゃ、と小さく手を振って、風のように去ってしまった。後を追うようにマーシャも出ていく。


「あんなに頑張ってるんだから、俺はもう新部設立してやってもいいと思うんだけどなぁ」


 執行部は保守体制だからなぁ、とぼやくジョーを横目に、アランはさっさと下校の準備を済ませた。




   《After 8 years》



「先輩、ちょっとそれは……」


 何やらザックが青ざめた顔をしている。

 ルッカは無言で首をかしげて疑問の意を示した。


「なんでコーヒーにウィンナー入れてるんですか……?」

「え、これでウィンナーコーヒーじゃないの?」


 スッとザックは目を閉じ、やがて噛みしめるように言った。


「……ほんっとうに御馬鹿さんなんですね」

「馬鹿ッ? 先輩だよ、私!」


 最近のザックときたら、以前にも増して毒を吐いてくる。まったくもって可愛くない後輩である。


「ルッカさーん! お客様ですよー!」


 プレス前は未だに規制中だ。それにも関わらずの客という事は……まぁ警察かヤクザ者か。普通の客ではないのは確かだ。

 アランだったら良いなと思いつつ、受付嬢に返事をする。


「へいへいほー」

「先輩、それは与作です」




   《Before 8 years》



 ミスコンが近づくにつれて、校内は徐々に賑やかになっていった。が、それとは対照的にルッカの顔はどんどん暗くなる。


「なんだ。今日はキングストン一人か」


 空っぽの教室の扉が開き、アランが顔を出した。

 半ば慣習化したルッカたちの放課後会議――ほとんど駄弁り合いであるが。この日はマーシャが料理研究部の活動、ジョーが臨時の役員会議とかなんとかで、ルッカは一人で取材計画を練り直していた。

 八人のミスコン優勝候補のうち、四人は新聞部(仮)の取材を断わり、三人は連絡がつかない。


「……どーすりゃいーのよ」


 漏れ出た苦悩を拾うことなく、アランはルッカの向かいに陣取った。


「珍しいね、アランが帰らないで残ってるなんて。ジョーいないよ?」


 アランは机に肘をついて窓の外を見たまま、「まぁな」とだけ答えた。それがルッカには何となく気に入らない。


「あ、もしかしてマーシャを待ってるとか? 残念でしたー! 今日は部活があるんだってさー!」

「いや、暇だし」


 なんとも取り留めのない……。


「そういえばさ、アランってどうして高等部で編入してきたの?」


 アランはこの学校では珍しい転校生だ。このルッカが好奇心を持たない訳がない。


「私のとこと一緒で、急にお金持ちになったとか?」

「違う。俺は編入試験だ」


 編入試験――私立フリードマン学院は基本的に金を積めば誰でも入学できる。しかし、世の中には金を持たずとも質の高い学習をしたい者もいるものだ。そんな非富裕層のための救済策、それが編入試験である。


「ほえー……頭良かったんだぁ」


 救済策と言っておきながら、試験のレベルは校内で行われている通常の授業レベルをはるかに凌駕するものであり、編入試験による入学者は数えるほどしかいない。


「ミスコンよりアランのこと取材した方が面白かったかも」


 まったく先の見えない新聞部(仮)の未来に絶望するしかない。


(もう復活は出来ないのかな……新聞部……)


 少し悔しくなって、ほんのちょっと涙が滲んだ。


***


「取材、滞ってるらしいな」


 窓の外に沈む夕陽から視線を外さずに、アランは言った。たまにルッカたちの話に混ざる事はあったが、新聞部(仮)には基本的に今までノータッチだった。

 虚を突かれたのか、ルッカがしどろもどろに答える。


「え、あ、うん。もう後は最有力候補のディアナ先輩しか残ってないんだ。トホホだよね……」


 最有力って……。


「それこそ、一番最初に話を持ち掛けるべきじゃないのか」


 思わず視線を動かし、ルッカを見た。夕陽が金髪に反射して、眩しいほどに輝いている。目の前の幼い顔立ちは、あの日からまるで時間が経っていないような錯覚さえ起こす。

 ルッカの目尻で何かが光ったように見えた。


「……泣いてるのか……?」


 ごく自然に、無意識に、指先でルッカの涙を掬っていた。その指を、ルッカの小さい手が掴む。


「なんだろ……ずっと前にも、こんな――」


 廊下の奥から激しい足音が聞こえた。徐々に大きくなり、二人のいる教室の前で一瞬止まる。


「おいルッカ! 速報だ! やべぇ事になってるぞ!」


 息を切らせてジョーが入ってきた。同時にアランは我に返って立ち上がる。


「なんだアラン。来てたのか珍しい」


 ルッカと同じ反応をしながら呼吸を整えると、机の前まで歩み寄ってきた。


「これはまだ公表してないんだが……連絡の取れないミスコンの優勝候補が何人かいただろ? 全員辞退していたんだ。急にな」


 突然ミスコンを辞退したかと思えば、連絡が取れなくなった三人の優勝候補……生徒会執行部によると、かなりきな臭いことになっているらしい。


「一部じゃ傷害、脅迫まがいの事をされたんじゃないかって言ってる奴もいる。もしそうなら、それはもう学生の手に負えるような事態じゃない」


「でもそれって大スクープ……!」


 跳び上がらんばかりのルッカを制止するように、ジョーが続ける。


「事件の確証は無いんだ。執行部では話が大きくならないようにしながら詳細を調べるらしい。まだ部外秘なんだよ」


 ましてや、現時点で公式でない新聞部が関われる訳がないという事か。生徒会からルッカに許されている活動は、ミスコンの取材のみである。


「とりあえず、だ。今キングストンにできるのは『ディアナ先輩』とかいう人物に話を持ち掛ける事ぐらいだろう?」


 なかなか話が前に進まないことに苛立って、つい思ったことを口にした。するとどうだ。二人は「あーあ言っちゃったよ、この人は」みたいな目で見てくるではないか。


「まぁ実際それしかないよねぇ」

「うーん……一応は最有力候補だしなぁ」


 アランが二人の反応を不審に思っていると、ジョーに肩を掴まれた。


「お前が言い出したことだ。付き合ってもらうぞ」


 そこから先は何を聞いても「行けば分かる」の一点張りだった。


***


 ディアナ・S=エンゲルス。私立フリードマン学院高等部三年生。社交部所属。エンゲルス重工社長の一人娘で、実家から学校への寄付額はトップクラスに至る。本人は容姿端麗、成績優秀、威風堂々。誰が言ったか、フリードマン四天王の一角。そして――生粋の変人としても知られている。


「着いたぜ。ここが社交部の部室だ」


 残りの優勝候補がディアナしかいなくなった時点である程度覚悟はしていたが、いざアランに焚き付けられここまで来ると、さすがのルッカも緊張するモノであった。


「失礼します。新聞部です」


 中は、なんというか……本当に部室棟の一部屋なのだろうか。通常の部室の三倍は広い。しかも内装がやけに赤い。ツノがあったら完璧だ。


「ようこそおいでくださいました。どうぞおかけになって」


 部屋の奥に座る、金髪縦ロールの絵に描いたようなお嬢様……。


「貴女がルッカさんね。お噂は色々と聞いてますことよ」


 彼女の椅子の周りには数人の男女が控えていて、なんと呼んでいいか分からない巨大なうちわを仰いでいる。……ここは本当に学校なのだろうか……?


「ジョナサン君は久しぶりですわね。無事、生徒会役員になられたそうでなによりですわ」

「いえ、ハハ……恐縮です」


 普段はあんなに調子の良いジョーがこの様だ。言い表せない圧倒的オーラが、ディアナにはある。


「貴方の事もよく存じておりますわ、アランさん。大層優秀な庶民なんですってね」


 なんとも不躾だ。


「ああ……」


 ジョーとは対照的に、アランはいつもとそう変わりない。元々態度が悪いので変わりようがないのだが。


「まぁまぁ、リラックスなさっていいのよ。チェスなんてどうかしら。最近、部内で流行りだしましたの」

「あ、いえ。少し込み入った話になるので」


 こっちは悠長にチェスなんてやっている暇はない。

 新聞取材に協力してくれるような人ではないと思うが。もう後は無い訳で。ここまで来たら、当たってみるしかない訳で。


「ルッカさん達が今、どういった活動をしているかは把握しておりますわ。ですのでその依頼、貴女方がチェスで勝てたら……という事でいかがかしら」

「へっ……?」


 いきなり何を。


(これが、変人……!)


 そこまでしてチェスをしたいのか……それとも。


「いやでも……私、チェスなんて」


 出来ない。と言おうとしたところで、ルッカの左後ろから声が上がった。


「俺がやろう」


***


 もうこれ以上、金持ちの感覚に振り回されるのは本能が許さなかった。


「昔から面倒は嫌いなんだ。こっちがチェスで勝てたら取材に協力してもらう。負けたら諦める。間違いないな?」


 戸惑うルッカとジョーとは反対に、ディアナが満面の笑みを浮かべる。


「ええ、間違いありませんわ。……クロード、準備して頂戴」


 ディアナの側近であろう大男が、チェス盤と駒を机の上に広げた。


「さて……面倒は嫌い、と仰いましたね」


 黙って頷く。


「それでしたら、とてもピッタリな特別ルールがありますわ」


 言いつつ、盤上に駒を並べる。それが通常のチェスとは少し違うと、アランは気付いた。



「その名も、『黄金チェス』――ですわ」




   《After 8 years》



 受付カウンターに浅く腰掛ける、長身の影。


「よ、ルッカちゃん。久しぶりだなァ」


 半年前から始まったログローシノ一家の瓦解。その立役者であるヴィオラの側近――ハタケヤマであった。

 ごく自然な手つきで煙草に火を点け、白煙をくゆらせる。


「プレス内は禁煙よ」


 二重の意味がこもった溜息を吐き、ハタケヤマから煙草を取り上げる。


「おっ、と。悪ィな。ったくケンコー的な会社だぜ」

「大事な原稿に引火でもしたらどう責任とってくれんのよ」


 ただでさえ出版社は大量の紙やらインクやらがあって、火は最大の弱点なのだ。たちまち全焼してしまうなんてのも冗談には聞こえない。


「それにしても……そろそろ運び屋は危ないんじゃないの?」


 ヴィオラ派が得た情報はハタケヤマが持ってくることがほとんどだ。裏の界隈であれば、彼はかなりの有名人だろう。すぐに見つかってしまいそうなものだが……。


「周りが見えなくなるもンだ。ドンパチやってる最中はな」

「確かにあなた、来るのはいつも抗争の前後ね」


 ログローシノにとってヴィオラ派の動向は最優先の監視対象だろう。顔が割れるのはある程度覚悟の上で、信頼できるハタケヤマに託しているともいえる。


「ホレ、今回のブツだぜ」


 小さな手紙が一封だけ、カウンターの上に置かれた。


「え、これだけ?」


 ルッカが訝しみながら手に取り、封を切ろうとしたところで。


「おっと待ちな。そいつァお嬢の信書だ」


 宛先、差出人、共に出鱈目だ。まぁこれは考えれば当たり前の事だが……。


「ってことは、今日はヴィオラちゃんの手紙を届けに来ただけなの?」


 ここでタイミング良くザックが顔を出してきた。


「あ、やっぱりハタケヤマさんだったんですね。今回はヴィオラから手紙とかは――」

「はい」


 ザックに件の手紙を投げて渡す。


「え、え?」

「さっさと奥に行って読んでな!」


 戸惑いの表情のまま、ザックは自らのデスクへと消えていった。


「おっと、忘れるところだった。危ねぇ危ねぇ」


 なにやらハタケヤマが一人で合点している。



「アランの旦那が撃たれた」



「…………は?」


 ルッカは知っている。あのアランが鉛弾に当たったぐらいで死にはしないことを。いつ撃たれてもおかしくない危険な立場にいることも。だから、大したことではない。


「二、三発は喰らってたな。派手に搬送されてったぜ」


 くわばらくわばら、と呟くハタケヤマをよそに、ルッカは駆け出していた。




   《Before 8 years》



「チェック・メイト――」


 開始から二十分ほどだろうか、ついに変則ボードゲーム「黄金チェス」の決着がついた。正直、普通のチェスのルールさえ飲み込めていないルッカにはさっぱりだった。

 その名が示す通り、金色に輝くチェス駒。このチェスでは、クイーンを使わない。その代わり、「倒した相手の駒を使える」のである。


「おいおいそれって……まるで日本の『ショーギ』じゃねえか!」


 ルール説明の時、ジョーが気付いた。そう、黄金の国ジパングのボードゲームを模している。すなわち「黄金チェス」なのだ。


「で、結局どっちが勝ったワケ?」


 少なくともチェスのルールは知っているらしいジョーに聞いてみた。しかし、答えたのはジョーではなかった。


「悪いな、キングストン。俺の……負けだ」


 社交部の部室に乾いた音が響き渡った。アランがその右手に持っていた戦車ルークを、真っ二つに砕いたのだ。なんて握力……。


「惜しかったですわねぇ。でも負けは負け。お引き取り願いますわ」


 先ほどクロードと呼ばれていた大柄な男子生徒が、椅子を引いて半ば強制的に退室を促す。


「そうそう、ジョナサン君は生徒会役員なのですよね? であれば……」


 ディアナは折れた戦車ルークを拾って、ルッカたちの前まで歩いて来た。出会ってから始めて立ち姿を見た気がする。


「修繕は生徒会執行部に請求しますわ」


 ニッコリ笑ってジョーの眼前に突きだす。


「え、あ、ハハ……り、了解です……」


 オドオドしながら受け取り、腰が引けているジョー。やはりディアナからは何かしらオーラのようなものが出ている。支配者のオーラのような。

 そんなこんなでアランの見せ場は、まるで金の戦車ルークの如く砕け散った訳だが、実は試合に負けて勝負に勝っていたのである。このことをルッカが詳しく知るのは、もう少し先になるが。


***


「結局フリダシじゃーん! もーやだー!」


 今日も料理研究会で不在のマーシャを除く三人が、放課後の教室に集まっていた。

 黄金チェス対決から丸一日。有効な手を打てないまま、ミスコン当日――新聞部復活断念の日が近づいている。


「あら~? 珍しくアラン君もいる~」


 名を呼ばれてアランは振り向く。すると、久々に見たような気がするマーシャの姿がそこあった。というかエプロン姿は初めて見る。


「あ、マーシャ! どしたの? 部活は?」

「ケーキが上手に焼けたの~。ルッカちゃんたちにも食べてもらいたくてね~」


 どうやら料理研究会で作ったお菓子を差し入れに来てくれたらしい。疲弊しきった新聞部(仮)には嬉しい糖分だ。


「おーっ! こりゃ旨ぇや! 最高だ!」


 大げさなのかどうなのか、ジョーが涙を浮かべながら頬張っている。良いリアクションを取ってくれるのが嬉しいのだろう、マーシャはその食べっぷりに釘付けになる。そして、その隙を衝いたルッカの動きを、アランは見逃さなかった――。


「この乳か! お嬢ちゃんの母乳を使ってんのかぁッ?」

「きゃ! ちょ、ちょっとルッカちゃん~?」


 一瞬で背後を取ったルッカが、エプロン着用済みでも自重しないマーシャの両胸を揉みしだく! 一見意味がありそうで無い言葉の羅列を連呼しながら!


(き、緊張感が……)


 ちらとジョーを見ると、その光景をしっかり目に焼き付けながらまだケーキを貪っている。いいぞ、もっとやれと言わんばかりだ。


「でもこの後どうしよっかなぁ。いまさら中等部のミスコンにシフトするのも……」


 マーシャの胸を揉みしだいたまま、急に真面目に悩むルッカ。なんかもう「馬鹿みてぇだな!」という感想しか出てこない。

 すると突然、ルッカはその手の動きを止め、目をカッと見開いた。


「こ、こ、この乳だあああああッ!」


 それは、ここに新しい優勝候補が生まれた瞬間の叫びであった。


***


 衣装やらその辺はジョーに頼んで執行部に用意してもらった。優勝候補の大量辞退でイベントが盛り下がることを懸念していた執行部は、マーシャの参加申請を始め快く協力してくれた。


「水着審査が無いのが残念だよねー……」


 ステージ衣装を試着したマーシャを見ながら呟く。


「さすがに学校法人だからな。無理だろ」


 アランから無慈悲でごもっともな意見が飛んできた。


「ああっ! この乳の素晴らしさを全校生徒に伝えられれば優勝間違いないのにっ!」


 目を閉じて手で空を揉む。とは言ってもマーシャの魅力はそれだけではない。身体全体のプロポーションは良いし、実家の立派さではディアナに引けはとらないうえ、特技もお菓子作りとポイントが高い。身近になかなかの逸材がいたものだ。


「お、サイズは合ってたみたいだな。良かった良かった」


 ジョーもやってきた。


「ふむ、ふむ……雰囲気もマーシャに合ってるし、俺が運営じゃなかったら絶対マーシャに一票だな」


 マーシャの表情がぱぁっと明るくなる。少し、羨ましく感じた。


「おい、ジョー。向こうはどうなった」


 いつものように静かにしていたアランだったが、スッと立ち上がるとジョーに耳打ちした。


「もう既に置いてきてあるぜ。回収はちょっと工夫しないといけないけどな」


 …………?


「二人とも、何の話?」


 気になったルッカが何度聞いても、二人はのらりくらりと話をはぐらかすだけだった。アランに至っては「うるさい黙れ」でルッカの頭を押さえつける始末であったが。


 そんなこんなで、ついにミス・フリードマンコンテスト当日を迎えることになる。




   《After 8 years》



 アランの病室は個室だった。それだけ重体なのかもしれない。勢い半分でここまで来てしまったが、意を決してドアを開ける。


「し、失礼しまーす……」


 三発撃たれているらしいので慎重に慎重に……と思っていたが。


「ルッカか? 相変わらず耳が早いな」


 起きてるし。というか意識ハッキリしてますし。なんかちょっと余裕ぶって笑顔ですし。


「よっ、アランの旦那。元気そうな顔してやがンな」


 いつの間にかハタケヤマが追いついていた。


「……あれ? 元気なの? 撃たれて重傷なんじゃ――」

「胴に二発。腕に一発。それぞれ弾は摘出済みですが」


 ベッドの脇、レミィ捜査官がいた。氷が貼り付いたような表情は相変わらずだ。


「撃たれたぐらいで俺は倒れんがな」


 やっぱり……。ルッカの予想通りだ。


「問題はその仕返しに、片手でショットガンを撃った事です。それが無ければエヴァンス捜査官は、すぐ本部に帰還出来た筈です」


 うわぁ……。ルッカの想定外だ。


「旦那。悪ィがちょいと、おたくのレミィさん借りますわ」


 ルッカの頭越しに、ハタケヤマが問う。アランが無言で頷いたのを合図に、二人は病室の外へ出て行った。

 すっかり取り残されてしまった。面と向かってアランと対峙するのは半年ぶりだ。話したい事はたくさんあるが、何を話せば良いのか分からない。

 一人で焦っていると、アランの方から口を開いた。


「ちょっと無理しすぎた。反省してる」


 そう言ってまたアランは笑った。普段はほとんど笑わないくせに、こんな時に限って。


(あれ……?)


 なぜだろう。無事な姿を見て緊張が解けたのか、今頃になって涙が溢れてくる。アランに見られてる。駄目だ。止まらない。


「心配……っ、させんな……!」


 涙と一緒に溢れてきた感情に任せて、まるでぶつかるように縋り付いた。それでも涙は止まらなかった。アランの胸を借りて初めて泣いた日の事を思い出した。




   《Before 8 years》



 ミス・フリードマンコンテスト当日。


「駄目だアラン! 見つからねえ!」

「こっちもだ。一緒にいた筈のキングストンの姿さえ見当たらない」


 優勝候補を襲う魔の手。それは急遽参加したマーシャにも及んだ。中等部の審査も佳境に入りつつある中、二人は控室から忽然と姿を消した。


《――――審査が終了しました。厳正なる審査の結果、ミス・フリードマンコンテスト中等部優勝者は……一年A組、ヴィオラ=アスタース嬢――――》


 会場内にアナウンスが響き渡った。一年生で優勝とは、なかなかやる。


「くそっ、高等部の審査が始まっちまう! とにかくまだ探してないところを……っておい、アラン。何しゃがんでんだ」


 応える代わりにガラスの破片をジョーに差し出した。


「……? なんだこりゃ。地面に落ちてたのか?」


 楕円球を砕いたような形の、青く透き通ったガラス。よく見ると点々と続いている。


「キングストンの仕業だ。フラッシュバルブを使ったな」


 一度フラッシュを焚くと、その時使った電球は細かくヒビ割れ、二度と使えなくなる。どうやらその破片のようだ。


「よおし! そうと決まれば、さっさと破片を辿るぞ!」


***


 会場の方向から中等部の優勝者を告げるアナウンスが、グラウンドの端、第三体育倉庫の中にまで届く。


「残念だったなぁ。これでお前たちは不戦敗だ」


 ルッカの前にガラの悪い男子生徒が立ち塞がる。

 二人を拘束し、ここまで運んできたのは全員フリードマン学院の生徒だ。


「あんたたち、一体何が目的なの?」

「お前らが知る必要はねえよ」


 食ってかかるも軽くあしらわれ、手足が縛られている状態ではこれ以上何もすることが出来ない。


「大丈夫だよルッカちゃん。きっとあの二人が気付いてくれるよ~」


 小声でマーシャに励まされた。マーシャはマーシャなりにミスコンを楽しみにしていただろう。それなのに……。

 倉庫内に光が差し込む。誰かが入ってきたようだ。


「滞りなく拘束したようだな。ご苦労だった」


 逆光の中の像だが、ハッキリと憶えている。社交部の、ディアナの側近の大男だ。


「クロード先輩……?」


 これで理解できた。ミスコン優勝候補が次々と辞退した原因。やはり脅迫と傷害はあった。そして。


「黒幕は……ディアナ先輩だった……」


 とんでもないスクープだ。これをスッパ抜けたらミスコンの記事を作るなんかよりも凄まじい事になるだろう。


(せめてカメラさえ……)


 ブレザーの下にポケットカメラがあった筈だ。


「おいてめぇ何してやがる!」


 あっさり不審な動きを見咎められた。どちらにせよ縛られた腕では無理だったが。

 急に視界が高くなった。


「ぐぅっ!」


 猫を掴むように、クロードがルッカの襟首を掴んで持ち上げたのだ。


「少し……痛い目を見ないと、分からないようだな」


 鈍く、肉を打つ音。

 しかしそれは、倉庫の外から。さらに男子生徒の悲鳴が続く。


「何事だ!」


 ルッカを放し、クロードは外の確認に向かった。その時に少しだけ見えた、外の風景。黒髪の長身が、男子生徒を次々に薙ぎ倒しながら進んでくる。



「クロードさん! ヤツだ! アラン=エヴァンスだ!」



 アランが来てくれた。喜びも束の間、頭上から人が降ってきた。


「いっででで……」


 こちらも見たことのあるメガネ。


「ジョー君だ~」


 正面でアランが大暴れしている隙に、採光窓から現れるとは。幸い、クロードたちはアランの無双に手を焼いて気付いていない。


「待ってろ。今ロープを解く」

「そうだ! あのねジョー、優勝候補の辞退を仕組んでたのは、実はディアナ先輩で――」

「やっぱりな。アランの睨んだ通りだったか……よし、解けた」


 どうやらアランとジョーは独自で動いていたらしい。いつかはぐらかされた話も、関係があるのかもしれない。

 倉庫の出口は正面の一つだけだ。しかしさすがに門番はいるようで、簡単には突破できない。


「最悪、俺が門番を足止めする。なぁに大丈夫だって。アランほど強くはねぇが、これでも少しはやれるんだぜ? 後で必ず追いつくからよ」


 おっとまずい、この展開ではジョーが死んでしまう気がする。


「ここは私に任せて!」


 ルッカはポケットカメラを取り出し、門番の背中に跳び蹴りを喰らわせる。


「まぁ~ルッカちゃんってば大胆~」


 何事かと振り返る門番の、その頭の動きに合わせて――。


「ルッカフラッシュ!」


 真っ黒に感光しろと言わんばかりの光量を浴びせる。


「ぎゃあああッ目がああああッ!」


 我ながらえげつない事をしたなと思いつつ、倉庫を脱出する。

 だがしかし。


「やはりお前は危険だ……ルッカ=キングストン!」


 クロードが倉庫の中に戻ってくる瞬間とかち合ってしまった。最悪のタイミングだ。


***


 どいつもこいつも、威勢だけは一人前だ。


「次は誰だ? さっさと来い」


 所詮は温室育ち。まともに喧嘩もしたことの無いようなお坊ちゃんたちだ。いくら悪ぶってもアランとは場数が違いすぎる。


「嘘だろ……こっちは十人以上いるんだぞ……」

「あいつ一人に……こんなっ……ちくしょおおおお!」


 苦し紛れに突っ込んできた最後の二人の同時攻撃を軽く捻って投げ、倉庫前を完全に制圧したところで倉庫内に突入する。


「アラン! 無事か?」


 ちょうど中からジョーとマーシャが出てきた。


「……キングストンは……?」


 一人足りないことに気付く。


「奥だ! クロードに連れて行かれた」


 そうか、クロードが……逆に好都合だ。


「二人は先に会場へ向かって、時間を稼いでくれ」


 切り札は効果的なタイミングで切らなくては意味が無い。社交部に仕掛けた罠を、今こそ使う。


「ルッカちゃんをよろしくね~」


 すれ違いざまに、マーシャに想いを託された。無言で頷き、それに応える。後は互いに、もう振り返らなかった。


***


「本当に、残念だったよな。急とはいえ、折角いろいろ準備して今日を迎えたってのに」


 会場へ急ぐ道中、ジョーなりにマーシャに対して気を遣ってみた。


「ううん。私はもう充分だよ~」

「そんな……マーシャならきっと上位狙えたぜ。それこそ優勝だって冗談抜きで――」


 逆に気を遣われた気がして、少しムキになった。それでもマーシャは柔和な笑顔を崩さない。


「本当だよ~。私は充分、報われた」


 少し、ほんの少しだが、口調に真剣味が宿ったように感じた。


「ジョー君この前、私に投票してくれるって言ったでしょう? すごく、嬉しかった……あなたの票が入ってれば、それで良いよ~。優勝なんかいらないよ~」


 最後はまた、いつもの口調に戻っていた。


「……急ごう」


 何故だか急に恥ずかしさが込み上げてきて、ジョーはそれだけしか言えなった。


***



「止まれ、アラン=エヴァンス」


 アランをも超える長身。ルッカをその手で捕えたまま、クロードが目の前に現れる。


「それ以上近付くと、こいつが火だるまになる」


 空いた手でライターを点火し、煽るようにルッカに向ける。

 先ほどまでの雑魚たちとは違い、少しは慣れているようだ。ギリギリでアランの射程に入っていない。ここからでは全身のバネを最大限利用しても届かない。


「……ぁ……アラン……」


 今にも消え入りそうな声を出すルッカ。怯えているようだ。無理もない。無理も……。


(いや、待て)


 アランは気付いた。普通の女子生徒ならいざ知らず、捕まっているのは他でもない、あのルッカである、と。こんな大スクープを手にできる状況で、ただただ怯えるような玉ではない。

 突如、ルッカの腕が振り上がった。


「!?」


 クロードの視線は自然とその動きを追う。優れた動体視力だ

 しかし今回ばかりは、それが――命取り。


「自撮りフラッシュ!」

「目があああああああッ!」


 両手で光を遮ろうとして、ルッカが解放される。


「アラン!」


 名を呼ぶ声に、合図と昂揚と緊張と信頼――全てが詰まっていた。


「伏せろルッカ!」


 渾身の正拳突きがルッカの頭上を通過し、クロードの鳩尾を貫く!


「――――ッ!」


 声なき悲鳴を上げた後、クロードはその意識を閉ざした。

 一瞬だった。全ての成功要素が奇跡的に繋がったようだった。


「大丈夫だったか?」


 放心状態のルッカに声を掛ける。ざっと見たところ、火傷などは負っていないようだ。


「立てるか?」


 返事は無かったが、手を差し出すと掴んで立ち上がった。


「ありがと……っていうか、アランって凄いね……」


 いきなり褒められた。


「転校してきて早々、こんなややこしいことに首突っ込んでさ。一番のお手柄立てちゃうんだもん」

「ほとんどお前らが強引に巻き込んだようなモノだがな」


 手柄は単に平民育ちが有利に傾いただけだ。


「クールに見えるけど、なかなか正義感強いと思うな。黒幕の正体も勘付いてたみたいだし。警察官とか向いてるんじゃない?」


 あまり褒められるのは慣れていないので、どう返して良いか分からない。


「……そろそろ行くぞ」


 アランは気絶しているクロードの体を漁り、社交部部室の鍵を見つけ出した。


「よし。これで切り札を回収できる」

「切り札……?」


***


 ミスコン会場は騒然としていた。

 優勝者表彰の場に突如として現れた男女。一人は生徒会役員で一人はミスコン期待の新星。


「あなたの処分はすでに下されていますわ。既定の時間に間に合わなかったのですから、途中棄権と見なされて当然。それが今さら現れて何だというのです」


 ほぼ自作自演とはいえ、檜舞台でメンツを潰されたディアナは大層ご立腹の様子だ。


「いえ、ですから……さきほどから申しておりますが、マーシャ=ソルフェリノは不可抗力によって間に合わなかったワケでして……」


 進展の無い押し問答では、これ以上長くは保たない。


(早く来てくれ……ルッカ……アラン……!)


 ミスコンの司会を務めている生徒会長が、ついにマイクを取った。もう時間が無い。


《マーシャ嬢側に何か事情があったのは認めます。ですが、審査はすでに終了し、優勝者も決定・発表されました。よってこれ以上の進行の妨害は――》



「ちょおおおおっと待ったあああッ!」



 壇上に上がる、小柄な少女。それに続く長身の男。


「ルッカ! アラン! 見つけてきたんだな!」


 安堵の声を上げるジョー。隣のマーシャもほっと胸を撫で下ろす。


「よく繋いだジョー。あとは任せろ」


 再び騒然とする場内。


「生徒会長! 今回のミスコンにおける、優勝候補の連続襲撃事件。執行部は知っているはずだな」


 アランの迫力に気圧され、小刻みに頷いて肯定する生徒会長。同時に、ディアナの顔が一瞬ひきつったように見えた。


「その犯人を今ここで告発する!」


 ルッカがカメラを構え、アランが指差す人物をファインダーに収める。



「ディアナ・S=エンゲルス! 貴様だ!」



 焚かれるフラッシュ。静まり返る会場。


「な、何を仰っているのかしら? 冗談では済みませんわよ?」


 少々動揺しているようではあるが、あくまでシラを切る方向らしい。


「それにもし、その事件が事実だとしても、何を根拠に私をお疑いになるのかしら?」


 喋り方に少し自信が戻ってきた。だがその油断が、自らの首を絞めることになる。


「証拠はコレだ」


 アランが突き付けたのは、金色に輝く戦車ルーク。あの「黄金チェス」の駒だった。


「それはウチの部の……! 貴方たちは侮辱だけでなく窃盗の罪まで重ねる気なのですわね」


 社交部の所有物であると認めた。致命的なミスだ。


「こいつには小型の録音器を入れてある」


 ディアナの顔からサッと血の気が引いた。


「ま、まさか……あの時、すでに……」


 そうだ。あの時アランが戦車ルークを折ったのは、負けた悔しさからではない。話を聞いた段階でディアナが怪しいと睨み、生徒会役員を連れている状況を利用し、社交部内部に切り札を仕込むためだったのだ。


「賭けだった。あの時点ですでに貴様以外の優勝候補は辞退していたからな。もう犯行については喋ってくれないかと思ったよ」


 ディアナは項垂れてこそいたものの、その目は狂ったように大きく見開かれていた。


「ジョー。スピーカーに繋げ」


 ノイズが徐々に消え、犯行の成功を喜ぶディアナとクロードの会話が一斉に会場に流されたのは、それから間もない事だった。


***


 波乱のミス・フリードマンコンテストから一週間経った。

 ルッカは事件の全てを一片の漏れなくスッパ抜いた特別号外を発行し、それを手土産に悠々と新聞部を復活させた。


 ――――と言う訳にはいかなかった。


 事の重大さを恐れた学院側が、エンゲルス重工からの圧力もあり、号外の発行を即時停止したのであった。

 さらに、生徒会執行部はあくまで「ミスコンの記事」を新聞部復活の条件としていたため、加えて差し止められた記事には意味無しとして復活を否決。

 巡り巡って結局は一からやり直しとなったのである。


「今日はここか。みんな探してるぞ、キングストン」


 だいぶ日も長くなってきた放課後。中庭の巨大なカシの木の上で、アランはルッカを見つけた


「なにもアランまで登ってくることないのに」


 無視してルッカが座っている枝の近くに陣取る。

 アランはカミングアウトに迫られていた。おそらくこの娘が自ら気付くという事は無いだろう。ならばもうこの際、今ここで言うしかない。


「なぁキングスト――」

「アランさ、クロード先輩から私を助けてくれた時『ルッカ』って名前で呼んでくれたよね」


 カミングアウト、失敗。


「え、あ、ああ。そうだな」


 自分では憶えていないが、とっさに口走っていたようだ。


「それでね。思い出したんだ。ずーっと昔、私は『アラン』って男の子に、『ルッカ』って呼ばれてた事」


 ……。

 …………。

 カミングアウト、しなくてもよかった。


「久しぶり、アラン。もう私をキングストンって呼ぶの禁止ね」


 明るく見せているようだが、声に覇気が無い。


「キ……ルッカ、どうするんだ。新聞部は」


 ルッカは木漏れ日を遮るように腕で顔を覆って、「じゅーでんきかん」と答えた。

 しばらく沈黙が続いた。


「……諦める……?」


 アランに聞いているのか、自分自身に問うているのか、判別しづらいくらい小さく弱い声だった。

 だからアランもルッカの方は見ずに言った。


「諦めるな」

「…………」

「…………」

「……それだけ?」


 顔に乗せていた腕を下ろして、ルッカは小さく笑った。


「それだけだ。お前は絶対、他人に言われたくらいじゃ諦めない。今みたいに弱ってる時は、ちょっと背中を押してやれば、また馬鹿みたいに全力で走り出す。違うか?」


 相変わらずルッカの顔は見ずに、一息に伝えた。


「馬鹿は余計」


 重い頭突きがアランの胸板に打ち付けられた。そして何故か、枝の上で器用にもその態勢を維持する。

 もしかして。


「泣い――」

「泣いてねーし!」


 アランは大きく溜息を吐くと、そのままカシの木に身を委ねた。




   《After 8 years》



「恥ずかしい話をするんじゃない」


 包帯を巻かれたアランの顔が不機嫌になる。

 高校時代の思い出話に花を咲かせていたら、すっかり日が傾いてしまった。


「いやぁ、今になって振り返ると、クサいセリフだったねぇ」

「やめろ。黙れ。帰れ」


 レミィとハタケヤマはまだ廊下で何か話しているようだった。


「いつの間にか呼び方も『キングストン』に戻っちゃったけど。あ、でもさっきは『ルッカ』って呼んでなかった?」


 そっぽを向いてしまったアランは「憶えてない」の一点張りだ。


「まぁでも、ずっと諦めないでいて、今こうしてプロの記者やってるんだから、ちょっとは感謝してるよ?」

「それはお互い様だ」


 てっきり、「ちょっとだけか」といったツッコミが返ってくると思っていたルッカは意表を突かれた。


「お前が警察官に向いてるなんて言うから、意識し出したんだ」

「え、そうなの?」


 あの頃のアランは最初から進路を決めているように見えた。


「目標なんて無かった。ただ、良い学校に行けばそれなりに良い人生が送れる、って事ぐらいは分かってたけどな」


 これは驚愕の新事実だ。あとでマーシャやジョーにも連絡しておこうとメモを取る。


「失礼します。マクスウェルですけど……」


 聞き覚えのある声に振り向くと、ザックがいた。


「わ、さすが先輩。もうアラン刑事の怪我の話聞いてたんですね」


 続いて話が終わったのか、レミィとハタケヤマも病室に戻ってきた。


「おンや? 旦那の顔があけえなぁ。ルッカちゃん、一体何の話してた?」


 他の者はアランの顔色の変化に気付かない。さすがと言うかなんというか……。


「それじゃあせっかくだし、もう一回最初から話そ――」

「やめろ。黙れ。帰れ」


***


 事件なんてのは、いつでもどこでも起こっている訳で。

 日常ってのは実にサスペンスで。

 それが楽しくて、私は事件を追う。記事を書く。


***


 事件なんてのは、いつでもどこでも起こっている訳で。

 日常ってのは実にサスペンスで。

 それを紐解くことで、俺は生きていると実感する。


***


 そんな風に思えるのは、きっと――、



「「あの日君に会えたから」」





                                 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

VP2『あの日君に会えたから。』 Project.森内 @masaru_moriuchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ