スイッチ

 気がつけば、茉莉歌は何も無い場所に立っていた。


 見る目、聞く耳、嗅ぐ鼻からは、いかなる情報も入力されなかった。

 手足を動かしてみても、風も、冷たさも、熱さも、何も感じない。

 目をこらしても、そこには闇すらなかった。

 上も、下も、右も、左も、ここには無かった。

 自分が一つ所に定まっているのか、それとも何処かを漂っているのか、それすらも、わからなかった。

 ここは、茉莉歌の心が認識できない場所なのだ。


「ここが、世界の『外側』……!」

 茉莉歌は愕然とすると同時に、絶望的な気持ちになってきた。

 こんな場所に、たった一人で投げ出されて、彼女に何が出来るというのか。


「リュウジおじさん……」

 茉莉歌はか細い声で、リュウジの名を呼んだが、彼女自身にもわかっていた。

 リュウジは、もういないのだ。

 彼女が世界の内を駆け抜け、外部に至る間隙を突破する、その刹那、茉莉歌もまたはっきり感じ取っていたのだ。

 かつて茉莉歌の在った『世界』と共に、リュウジ自身も微塵と砕けて消え去ったことを。


 そして、やがて、


「…………! これは……?」

 茉莉歌は気付いた。

 虚しいこの場に一つだけ、茉莉歌が感じとれるものがあったのだ。











             ●











 それは、小さな、黒い球体として茉莉歌には認識された。


「ああ、これが……!」

 茉莉歌には分かった。

 これは、これまで茉莉歌の居た『世界』だった。

 今は固く冷たく、閉ざされている。

 その結ぼれた空間の内には今や生きて活動するものは何もない。

 死んでしまった『世界』だ。


「みんな、みんな、『ここ』にいたのに……。もう、何もかもが……」

 耐えがたい悲痛が、茉莉歌の心を刺した。

 両の目からは熱く苦い涙が止めどなくあふれ出して、それだけがこの場所で茉莉歌が感じることの出来る『温度』になった。

 その時だった。


「…………!」

 茉莉歌は息を飲み、身を竦めた。

 唐突に、『世界』の他に、別の『何か』が感じられたのだ。


「私を……『見ている』……!」

 茉莉歌は彼女を包んだ虚無を見回し、気配の正体を知った。

 それは、茉莉歌を興味深げに観察する、幾つもの、乾いた『視線』だった。


 『視線』からは、様々な『気配』が感じられた。


 茉莉歌が気づいた当初、それは『驚愕』とちょっとした『恐怖』、そして『嫌悪感』だった。

 だが、時を置かずしてそれは『侮蔑』『憐憫』『嘲笑』へと変わっていった。

                             








   (・∀・)ニヤニヤ……  (・∀・)ニヤニヤ……

                             

                             

                             

                             

    (・∀・)ニヤニヤ……  (・∀・)ニヤニヤ……

                             

                             

                             

                             

   (・∀・)ニヤニヤ……  (・∀・)ニヤニヤ……

                             

                             

                             

                             

    (・∀・)ニヤニヤ……  (・∀・)ニヤニヤ……

                             

                             

                             

                             

                             

「うう……!」

 茉莉歌は、恥辱にその身を震わせた。

 『彼ら』の放つ気配の理由が、茉莉歌にも理解できてしまったからだ。


 シャーレで観察していた微生物が、目の前に飛び出してきたからだ。


"驚イタナ。λガコノ階層デ実在化スルトハ……"


"λノ権限ヲ広ゲスギタノダ。最後ダカラッテ無茶ヲシスギダ!"


"●ノココニ、ほーるガアッタヨウダ。ソレニシテモ、ヨクコンナモノヲ探リアテタモノダ。『次』ハ、初期ぱらめたノ設定ヲ入念ニオコナワケレバナ……"


 茉莉歌の頭上を、周囲を、足元を、様々な『声』が飛びかい始めた。

 世界を外部から管理、観察していた『外なる』者たちが、互いに会話を始めたのだ。

 一体何故なのか。この場所に在る茉莉歌には、彼らの『言葉』がはっきりと理解できた。

 耳で聞き理解したのではない。心に直接響いてきたのだ。


 よし……!


 茉莉歌は、意を決した。


「願い事を言います。これを元に戻して! みんなを返してよ!」

 茉莉歌は『世界』を指差して、精一杯に彼らに叫んだ。


 だが、


"ソレハ無理ダ。'願イ事'ノ成就ハ●ノ内部デノミ可能ナノダ"

 『外なる者』の無情な声が、茉莉歌の頭上から降り注ぐ。


"スデニ、●ハしゃっとだうんシテ廃棄シタ"

 かと思えば、茉莉歌の足元から響いてくる投げやりな声。


"老朽化シテイタノダ。りそーすモ枯渇シテイタ"

 嘲笑うように耳元で囁く声。


"最後ニ、オ前タチニ『褒美』ヲヤッタノダ。永年我々ニでーたヲ提供シテクレタ、セメテモノ礼ダ"

 遠くから木霊する声。


"ノンビリシテイラレナイゾ! でーたノ移行ハ既ニ完了シテイル。サア、新タナ◎デ観測ヲ再開シヨウ"

 何かに苛立ったような甲高い声。


 そして、


"ソウダナ。オ前モ◎デ再生サセヨウ。コノ階層ニコノママ残シテイクノハ、アマリニ不憫ダ……"


 (・∀・)の1柱が憐れむように、茉莉歌にそう語りかけたのだ。


「……その必要はありません。もう一度言います。『これ』を元に戻しなさい!」

 茉莉歌は、再び彼らを見回し、決然とそう言い放った。


「あなたたちにとっては、ただの実験でも、私には、私達には、『これ』しかないの! 大切なの! 他には替えられないのよ!」

 発した本人も驚くほど、鋭く、威厳のある声だった。


「…………!」


 (・∀・)達は一瞬、茉莉歌に気押されたように沈黙した。


 だが、すぐに、


 (・∀・)ァアハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \..........!



  (・∀・)ァアハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \..........!



 (・∀・)ァアハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \..........!



  (・∀・)アァハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \..........!


 『外なる』者たちの哄笑が、一斉に『この場』に響きわたった。


"ウヌボレルナλノ子ヨ。廃棄でーたノ一片ニ過ギナイオ前ノ'願イ'デナドデ、我ラガしゃっとだうんシタ●ヲ復元サセルめりっとガ、イッタイ何処ニアルトイウノダ?"


"古イ●ダ。我々ガしゃっとだうんシナクテモ、スグニ崩壊シテイタサ"


"ソレニ、オ前タチハ自分タチノ社会しすてむスラ、満足ニ維持デキナイジャナイカ"


"定期的ニめんてなんすシナイト、スグニ食イ合イヲ始メルシナ!"


"何度'ぱっち'ヲ当テテモ、スグニマタ諍イヲ始メルジャナイカ"


"初期ぱらめーたーノ設定、イヤ、ソモソモノ設計思想ニ、致命的ナ欠陥ガアッタノダ"


"コノ●ハモウ使イ物ニナラナイ"


"無駄ダト思ウヨ。無駄無駄無駄無駄……"


 彼らは茉莉歌を取り囲み、次々とそう捲し立てる。

 

 だが、


 茉莉歌は彼らに圧倒されて、涙ぐみながらも、歯を食いしばり、再び顔を上げて彼らの気配を睨み返した。


「メリットなら、有るわ!」

 茉莉歌は、再び彼らに叫んだ。

 すると、


"めりっと……!?"

 『外なる』者たちが、そう繰り返して、一瞬沈黙した。


「そうよ! 私たちのことを、ずうっと『観察』していたんでしょ! 何かの『データ』が欲しかったんでしょ!?」

 茉莉歌は背筋を伸ばして、精一杯に虚勢を張った。


「だったら、この私が、あんたたちがアッと驚くような新しい『データ』を上げる!」

 そう言ってのけた彼女に、


"でーた……!!"

 『外なる』者の態度が、先程から一変した。


「よし……!」

 茉莉歌は感じた。彼女は再び、彼らの『興味』の対象となった。

 あと、もうひと押しだ。


「世界が復活したならば、私が立派にこの●を『メンテナンス』してみせる! 『すぐに崩壊する』ですって! 笑わせないで!」

 茉莉歌は、彼らをゆっくりと見回す。


「●は、まだ終わりじゃない! 世界はこれまでよりも、もっとずっと良くなるわ! あなたたちが、想像もつかなかった凄い『データ』が、素晴らしく『有用』な『データ』が世界に満ちるはずよ!」

 手を広げ、胸を張り、茉莉歌は滔々と彼らに語った。


"クダラヌ。精神論ニ過ギナイ。λノ子ヒトリニ、一体ナニガデキルトイウノダ!"

 なおも馬鹿にした調子で、『外なる』者が茉莉歌にそう問いかける。


「人間、舐めないでよね!」

 茉莉歌は、再び語気を荒げる。


「事実、あなたたちは、その『λノ子』が、此処までやって来る・・・・・・・・・事すら、『予想』できなかったじゃない! 私が本気になれば、こんな世界を治めるくらい、簡単だわ!」

 茉莉歌は、力強く彼らにそう言い放った。

 そして、一呼吸して、今一度、


「あなたたちの、予想もつかない、素晴らしい『世界』を作り上げてみせる!」

 世界を指さして、高らかにそう宣言したのだ。


"……ソコマデ言ウナラ、イイダロウ、●ヲ起動スル『すいっち』ハ、ココニ残シテオコウ"

 再びしばしの沈黙の後、『何か』を決めた様子で、(・∀・)の一柱が茉莉歌に言った。


"コレデ●ヲ再起動サセロ、コノ階層ニ在ルオ前ナラバ、ソレモ可能ダロウ"

 (・∀・)の言葉と同時に、茉莉歌は自身の内に何かの変化を感じた。


"任意ノぽいんとカラλλλヲ再生サセルコトモデキルダロウ、ぱらめたノ調整モナ……"

 彼らの声と同時に、茉莉歌の頭に、言葉では言い表せない、無数の図形、聞き知らぬ言葉、様々なイメージが流れ込んでくる。


"コレガ『まにゅある』ダ。λノ子ノオ前ニ、ドコマデ理解デキルカ、ワカラヌガナ……"

 茉莉歌が認識したのは世界の『操作説明書マニュアル』だった。


"ダガ、ソンナコトヲシテモ徒労ダト思ウヨ……"


「あ……!」

 茉莉歌は気づいた。

 彼らの『声』が、徐々に『この場』から遠ざかっていく。


"遠カラズ、再ビコワレル運命サダメノ世界ダ"


"λλλヲ再生サセタトシテ、オ前ハ彼ラヲ、再ビ苦シメルコトシカ出来ナイノダゾ……"


"マアヨイ。サラバダ、λノ子。ワレラモマタ別ノ『場』カラ、オ前ノ腕前ヲ拝見サセテモラウトシヨウ"


"サア、◎ヲ起動シヨウ"


"アア。今度コソ、上手クヤラナイトナ……"


 そして(・∀・)達の気配が消えた。


 茉莉歌は独り、無の中に取り残された。

 いまや『この場』に在るものは、茉莉歌と死んだ『世界』だけ。


 いや、もうひとつ。


「これは……!」

 茉莉歌は気づいた。

 茉莉歌の手の中に『光』が在った。

 茉莉歌は理解した。

 これが、彼らの言っていた『スイッチ』だ。


「これで世界を『起動』できる、でも……」

 茉莉歌は、彼らの言葉を思い出した。

 さっきは精一杯に虚勢を張って、彼らに世界の復活を求めた彼女だったが……

 茉莉歌は顔を曇らせる。

 たとえ世界を復活させても、果たして自分に、上手くコントロール出来るのだろうか。

 予想もつかない、素晴らしい『世界』! 茉莉歌は自身の弄した虚言に呆れ当て、途方に暮れる。


 ぱらめた? 調整? めんてなんす?


 いったい何の事なのか?


 両親やリュウジ達を生き返らせても、彼らの言った通り、再び崩れゆく世界で、さらなる苦しみを与えてしまうだけなのではないか?


「うううぅ……」

 茉莉歌は逡巡した。

 茉莉歌は助けが欲しかった。誰かに決めて欲しかった。

 けれどもそれはかなわない。

 今、この場に在って、何かを思って、何かを決められるのは、もう茉莉歌一人だけなのだ。


 茉莉歌は目を閉じた。

 茉莉歌は口うるさいが、優しかった両親の事を思った。

 次いで学園の級友たち。

 ママっ子の雨。

 少し偏った熱血漢の理事長。

 ヒーローになったコータ。

 偏屈だが頼もしかった物部老人。

 かわいそうなエナ。

 そして、茉莉歌をここまで導いて闇に散った、リュウジのことを思った。


 両親と囲んだ食卓。級友と遊んだ校庭。真夏の雪。雨とのあやとり。学園の喧騒。紺青の空。かき氷のような入道雲。何度も何度も食べたカレーの味。がんばって仕込んだ『てば九郎』のやきとり。崩れ落ちた校舎を照らした夕陽。新宿のカーチェイス。リュウジと見上げた夜空。


 彼女が生きた、在りし日の世界の景色の全てが、鮮明に茉莉歌の瞼に蘇ってきた。

 『生命』と『世界』に対する、言いようのない激しい思いが茉莉歌の胸を突き上げた。


「できるさ……」

 茉莉歌の中の、誰かが言った。


「…………!」

 やがて茉莉歌は目を開けた。

 口元を厳しく結び、何かを決めた顔つきで、固く冷たく結ばれた、かつて彼女の在った場を見据えた。


………在・・・アレ!」


 我知らず、茉莉歌は●にそう呼びかける。

 そして『世界』の前に立ち、手の中に在る『光』をかざした。












             ○













 茉莉歌は『スイッチ』を入れた。



























































































































































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□参考資料

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■書籍


 小松左京:「果しなき流れの果に」「結晶星団」「虚無回廊」

 筒井康孝:「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」「驚愕の曠野」

 W・W・ジェイコブズ:「猿の手」

 ミヒャエル・エンデ:「はてしない物語」

 H・G・ウェルズ:「宇宙戦争」

 エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」「反対進化」

 J・R・R・トールキン:「ホビットの冒険」「指輪物語」

 H・P・ラヴクラフト:「狂気の山脈にて」「クトゥルフの呼び声」「未知なるカダスを夢に求めて」

 F・B・ロング:「ティンダロスの猟犬」

 スティーブン・キング:「霧」「呪われた町」「ニードフル・シングス」「ペットセマタリー」

 山田風太郎:「甲賀忍法帳」「魔界転生」

 菊池秀行:「吸血鬼ハンターD」「妖神グルメ」

 小林泰三:「酔歩する男」「AΩ」

 山本弘:「神は沈黙せず」「MM9」

 有川浩:「海の底」

 諸星大二郎:「生物都市」「妖怪ハンター」

 岩明均:「寄生獣」

 高屋良樹:「強殖装甲ガイバー」

 木城ゆきと:「銃夢」

 水木しげる:「ゲゲゲの鬼太郎」

 藤子不二雄F:「ドラえもん」

 学研プラス:「ムー」


■映像作品


 「バタリアン」

 「ジュラシックパーク」

 「ターミネーター」

 「ダークナイト」

 「エイリアン2」

 「スターシップ・トゥルーパーズ」

 「遊星からの物体X」

 「宇宙戦争」

 「アイアンマン」

 「トランスフォーマー」

 「機動警察パトレイバー THE MOVIE」

 「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」

 「ゴジラ(1954)」

 「ゴジラ(1984)」

 「ゴジラ(2014)」

 「ゴジラVSビオランテ」

 「ガメラ2 レギオン襲来」

 「ガメラ3 邪神覚醒」

 「クローバーフィールド」

 「ブロブ」

 「スリザー」

 「フロムビヨンド」

 「キャビン」

 「勇者王ガオガイガー」

 「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」

 「機動武闘伝Gガンダム」

 「機動戦士ガンダム00」

 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」

 「パシフィック・リム」

 「魔法少女まどか☆マギカ」

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