エピローグ

二月十四日 鎌倉

一筆申し上げます


あのとき送り出した言の葉は

少し迷子になって あなたに拾われた


はじまりは微かなすれ違い

届くはずなき 水茎の跡

紡がれるはずなき 色の糸

ひとたび触れてしまえば 混ざり合う

苧環おだまきが手繰り寄せた 新たな色


重ねていく


文香ふみこうのように絵具の香り

水茎の跡に感じた香りが 今は隣で海を眺める

眠たげに閉じていく夕日に照らされて

あなたはなにを思うのだろう


あの日いたセントバーナードがまた

くしゃみをしながら通り過ぎていく

出逢う前の出逢いの日

出逢うべくして出逢った日

そんな運命のような偶然がおかしくて笑ってしまう


あの頃あなたは水茎の跡の向こう側で

薄汚れた捨て犬みたいに静かに叫んでいた


あなたは今日もあの日みたいにスケッチをしている

なのに私はあの日みたいに桜貝を探したりなどしないで

あなたの隣で同じ夕暮れを感じている


重なっていく


あなたの色をあの人の色に重ねたけれど

代わりなんかじゃないって知ってる?


洗っても洗っても落ちない あなたの指先に残る絵具

私に移してくれませんか?

だから

その指先に触れてもいいですか?

そして

私の色を重ねてもいいですか?

もっと深く

あなたの清廉な魂に触れさせてくれるなら

私に残る色を見てみませんか?

あなたが重ねてくれた色の下にある色を


もしもその指先に触れられたら

もしもその手に重ねられたら


私たちの抱えた絵は美しくなんかなくて

ほかの誰かの目には

ただの汚れにしかみえないかもしれないけれど

私はあなたの色を望み

あなたは私の色を求める


水茎の跡を重ね

隣り合う時を重ね

漂う色は躊躇いながら混じり合っている


偶然が引き合わせたふたつの色

苧環が手繰り寄せた 新たな色

掠めるだけのはずの水茎が跡を残したのは偶然

そしてふたつの色は重なり合う


ねえ あなたは

こんな奇跡のような偶然をなんて呼ぶか知ってる?


今日のあなたは

どこか上の空で景色を写し取っている


あなたはきっと今日が何の日かなんてことも知らない

だけど今日だから

あなたに触れたいと思ってもいいでしょう?

はしたないと思わないで

今日は特別な日なのだから

バッグに忍ばせた小さな箱にチョコレート


あなたが「帰ろうよ」と囁くから

私は心の還る場所を知る


だからいくつもの色がしみ込んだその指先に

私はそっと手を伸ばす



重なり合い溶け合って新しい色を生み出せる

ただひとつの清廉な魂を求めて――







      * fin *

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ノスタルジア 霜月透子 @toko

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